「生涯引きこもり」と宣言された私の、超豪華オプション生活

 登校拒否となり、生涯ひきこもりであろうと決めつけられて四半世紀。社会人として生きる記録。#発達障害 #自閉症 #ニート

障害を勤め先に対してオープンにするか、クローズにするか

2020-08-30 18:50:47 | 当事者研究

障害をオープンにして会社に入るか、それともクローズしたほうがいいか、についてまとめてみました。

〈2020年8月30日現在〉

※傷病障害を会社に開示する雇用をオープン、会社に非開示にして雇用されることをクローズ、と言います。

 

Q、そもそも障害は、開示しなければならないのか。

A、障害の開示、非開示は、法的には労働者の権利です。詳しくは厚生労働省のガイドラインを読んでください。 

厚生労働省の事業者向けガイドライン

https://www.mhlw.go.jp/bunya/koyou/shougaisha01/pdf/syuuchi0604a.pdf

 

下記の「障害者雇用後の社内トラブル裁判事例5選」の5例目は、一般枠を受験し、傷病障害の有無を面接で確認された際に「ない」とうそを答えて入り、その後トラブルになった事例です。

https://www.mhlw.go.jp/bunya/koyou/shougaisha01/pdf/syuuchi0604a.pdf

 

クローズで入るつもりで受験した企業から面接で傷病障害の質問があった場合、労働弁護に詳しい弁護士から聞いた話では、

「企業には安全配慮義務があるので、傷病障害を問われれば、正確に答えなければならない」

とのことでした。

 

私が経験した事例では、私は一般枠で応募し、面接では傷病を問われなかったのでだまって採用され、その後配慮するということで障害をオープンにしたことがありました。

その後配慮なくトラブルになり、会社が面接で聞いたがうそをついたと言い張る。ということがありました。

私は直属元上司と会長から面接されたのですが、面接官をしていない社長が言い張りました。争わなかったので不問でしたが、こちらは録音していた記録をなくしてしまったので、裁判になった場合、証拠はなく、言った言わないの争いになるところでした。

 

Q、障害をオープンにするメリットとデメリットは

A、メリットは

・障害者雇用枠を使えること。〈ただし原則は、障害者手帳保有と開示が条件〉

・会社は障害配慮する法的な努力義務〈公官庁の場合、法定義務〉が生じるので、配慮してもらえる可能性が高くなる。精神薬を休憩時に堂々と飲んだり、病院が平日しかないなどの場合に通院配慮が得られやすくなったり、勤務時間や業務内容などについて個別の障害配慮を得られる可能性がある。〈私のオーブン雇用の経験では、合理的配慮はなかった〉

・障害者就労・生活支援センターや就労移行支援事業所の就職後定着支援、障碍者職業センターのジョブコーチなどの支援者が本人と企業の間に入って、相談や調整に入ってもらえる可能性がある。〈私の経験上、会社の利用次第〉

・就労移行支援事業所を利用している場合、その「空白」期間の説明がしやすい。

・統計的には、障害をオープンにし、かつ支援機関を入れたほうが、就職定着率は高まる。

・障害年金を受給している場合、年金を維持できる可能性がある。そもそも多くの障碍者枠での雇用は、年金受給を前提としている。〈ただし、確実に維持できるわけではない〉

 

デメリットは

・一般求人に比べ、障害者雇用枠は求人数が少なく、業種も限られ、正社員雇用の可能性も低い。

・給料は配慮を期待する分、低い可能性が高い。昇進の可能性も限られる可能性が高い。

・オープンにすることで偏見の目が注がれる。的外れな、不必要な「配慮」を受けることがある。

 

Q、障害クローズにするメリット、デメリットは

A、メリットは

・求人数が多く選択肢も多い。

・昇進は運と能力次第。

 

デメリットは

・障害を隠すプレッシャー。休憩時に服薬しにくくなる。障害に関する話題をすることができなくなる。隠し続ける精神的労力を求められる。

・当然ながら、障害配慮はない。普通に昼夜勤務や長時間残業、転勤を命じられる。

・何らかの理由で傷病障害が明らかになった場合、不当な不利益変更がある可能性がある。裁判で争えば勝てる可能性があっても、割の合わない精神的負担、経済的不利益を被る可能性が生じることがある。

・障害について「アウティング〈本人が望まないのに周囲に公表されること〉」されるなど障害者差別が発生したとしても〈クローズの場合、オープンよりもインパクトが高くなると思われる〉、労働局に形式を整えて申告したとしても、「けしかん!!」で終わる。〈損害の補償は労働局介入では得られにくい。裁判までしないと〉

・高収益を得る可能性がある半面、就職定着率は統計上、低い傾向にある。〈私の場合、今のところクローズにしていたほうが定着率は高い〉

・障害年金を受給している場合、更新時に2級から3級へ、または非該当と判断され、元の等級を維持できない可能性が高い。と、多く就労関係専門家が指摘している。

 

障害をオープンにしたほうがいいか、クローズにしたほうがいいか。

障害者雇用枠にこだわるか、それても一般枠でいくか〈面接で尋ねられれば答えなければならず、結果的に障害オーブンになることもあるが〉、さらに一般枠を障害オープンにして受けるか〈そんなことしても受からない可能性が高いが〉、

すべて本人の状況次第。判断次第。最近は精神障害者への障害者雇用もさかんになったと聞き及んでいますが、コロナ禍の今後、どうなることやら。

追伸 障害年金に関する記述を加筆しました。〈2020年8月30日21時〉

 

 


今の私がいちばんしたいこと。それは死ぬこと。

2020-08-24 21:49:12 | 生活と療養の工夫

もう、建前とか理性とか、考えないで、自分の思っていることを書きます。

私は今まで生きてきたのは、死ねないからです。

17歳の時に一回だけオーバードースして日赤に担ぎ込まれて、簡単には死ねないと知りました。

だから、とても生きずらい、苦しい中を生きてきました。

若い時は何とかなった。

でも中年のおっさんで、何度も病気になっている今の私に、そんな力はありません。

オランダやベルギーでは、精神疾患による安楽死・自殺ほう助が認められていると知りました。
https://www.carenet.com/news/general/carenet/39597

正直にいって、ぜひ日本もそうなってほしい。

私はそれに力を貸したい。

安楽死法を制定していただきたい。そして私を最初に安楽死させていただきたい。

日本の資源は限られています。日本の財政のかなりの部分は、医療費・社会保障費によって占められています。

そんなの、今後も続けられるのでしょうか?

これからの私は、世の中のお荷物でしかなくなろうとしています。

今の日本では安楽死できない。自決したくても止められる。世間に迷惑がかかります。だから仕方がなく、生きていくしかないです。

だからたとえ、ナチスと言われようが優生思想と言われようが、死ぬ権利を認める社会を実現させたいと、私は強く思います。

私は尊厳をもって死ぬために、安楽死・尊厳死のできる社会実現に尽力したいと思うようになりました。

もう、れいわの支持はやめにします。尊厳死議論を促進させてくれるなら、その政党を応援します。


生きていかなきゃ、いかんのかな

2020-08-14 12:38:42 | 日記

生きてかなきゃ、いかんのかな

 

社会ではALS女性が医師二人にSNSで自殺を依頼し、その医師二人が金をもらってたった10分でその依頼情勢を殺害した。完全犯罪を試みたようだが成立せず、医師たちは逮捕された。

その殺人行為に対し、維新の松井大阪市長や馬場議員などが医師二人への支持を表明し逮捕した警察を批判。船後議員が医師二人を批判したことに対しても「本来安楽死議論を率先して行うべき立場の人が」などと船後議員に暗に死ねと公然と言い張る。という事態を見てきた。

また、れいわ新選組における、大西つねき氏の騒動も、垣間見てきた。高齢者は若者のお荷物だから、とっとと死ね。というのだ。

これはとりあえず難病がたたき台になってはいるが、実は認知症やうつ病を含む精神疾患にもかかることだと、SMS上では話がなされてきた。精神疾患にあえぐ人たちが安楽死を主張し船後議員や木村議員に対して、お前ら障害者に生きる価値無し。安楽死せよ。と公然と自筆で書き込む光景が展開された。

医師二人のうちの一人の妻が元国会議員でソーシャルワーカーを名乗り、逮捕された夫がアスペルガーだの、夫を一切助けないとか、枯れたく無いから浮気するとか、全力で助けるとか、恥ずかしげなく社会福祉士精神保健福祉士の名誉を失墜させる文章をブログにして目立っている光景も見ている。

 

そして私は、といえば、

発達障害、というのはただの「少数派」なのだから、それだけではハンデとは決定的にはならないが、不適切な子育てしかできない家庭に生まれ、愛着障害によって発達凸凹では済まされずおそらく後天的に発達障害となった。

やがて40過ぎにパワハラでうつ病〈適応障害ともいわれる。うつ病と適応障害の弁別は困難と聞いてする〉となり、今まで障害を基本的に開示しないで生きてきた。障害配慮など得られないとわかっているからだ。

老化現象もあってか身体が弱くなり、それに対して栄養療法やヨガ、腹式呼吸など、試せるものはすべて試してみたことは、このブログを見ればわかることだ。しかしそれらは体質改善には貢献しても、人間関係の軋轢や社会変動の激しさには到底間に合わない。ということも述べてきた。

そして今、信頼する主治医から「障害非開示での就職は、お勧めしない」と明言された。

ただの精神科医ではなく、私の状況をよく知る、信頼関係のある人から出た言葉であり、これまでの苦戦もあり、基本的にはそれを受け入れる方向で、今後は生きていかなければならないと思っている。

障害を受け行けて生きてきたつもりだが、さらに職場に障害開示して生きるというのは、要するに経済的に自立できず、国からの経済的保護がないと立ち行かないことを受け入れなければならない。ということである。時には今までの努力を否定され子ども扱いされるような支援を受け入れなければならない。ということでもある。

 

今、お盆を迎える。故郷のことを思い出すと、エリートとして厳しく育てられた自分は、なんとみじめな状況だ。面目が経たない。腹切って死にたい。という強い思いに駆られる。

そう、冒頭で取り上げた、安楽死を願う難病や精神疾患の人たちと心情は同じだ。心身の障害により自分のイメージしていた自分でなくなったことで、死にたくなる心情は、私の心情である。

 

しかしその心情に、理性をもって律しないといけないと私は考えている。

私の場合、宗教的理由というのが最初に出てくる。私は神様が命じる私の人生を生きるべきだと信じている。それは何なのだろうか。わからないが、理性的に考えると自殺する状況ではない。

それから、私には核家族がある。その核家族のためには、私は死ぬべきではないと〈らしい〉。〈らしい〉と書くのは、私は私の心底の心情である希死念慮・自殺願望の思いを何とか制し、核家族からの「生きていてほしい」という声に応じて、心からの死にたいという思いを制して生きているからだ。

 

安楽死議論が進むと、おそらくは百年前のドイツの道に近い形になるものと、予想している。そのナチスの道は最初の対象は小さくても、10年後にはこの世に住むおびただしい人が殺害の対象となる、理性的には恐ろしい価値観だ。

しかし感覚的にはナチスは究極のヒューマニズムであるから、右翼が好むヒューマニズムが推し進められれば、維新の有力政治家たちやアメリカ美容整形学会を除名された著名な美容整形外科医が理想とするような、ナチスが支配したヨーロッパのように「非生産的」とか「反ナチス」とかレッテルを張られた存在が機械的に殺害される世の中が、現在のこの国に近未来の現実としてもたらされるのだと、想像できる。

 

自分が弱ってきて、実に政治的なことで、自分の生死も分かれてくるのだなと感じる。

なにせ、発達障害なる診断は、誠に政治的社会的なものであると、元々思いつつ、「世の中が障害というのなら障害なのだろう」と認めてきた。

人間は社会的生き物だから、仕方がないのだろう。しょうがない。