「生涯引きこもり」と宣言された私の、超豪華オプション生活

 登校拒否となり、生涯ひきこもりであろうと決めつけられて四半世紀。社会人として生きる記録。#発達障害 #自閉症 #ニート

専門家を利用はしてもダシにされてたまるか。

2018-04-23 21:25:05 | 引きこもりからの復活

僕はこれまでずっと、チャレンジを認めない専門家とは縁を切ってきた。

四半世紀前、高校を中退することになってから5年間の時も、東京シューレさんのような支援者からは遠く離れていた。また、それ系の支援者たちは「汚い世の中」に戻ろうとする私を嫌悪した。障害の専門家とは言えないと思っている皮膚科医やその周りの人たち、それにファストフード店の人たちに助けられて、崖の底から這いあがることができた。今となっては、その選択は正しかったと確信している。

ひどい腰痛になって会社を休業した時も、安易に別の人生を勧めてきた専門家たちには「ありがとうございました。」と丁寧にお辞儀をして出て行った。整形外科の権威からは治ってもいないのにほっぽり出され、途方に暮れたこともあった。元阪神タイガースのトレーナーがやっている接骨院が地元にあることを知って、そこで激しいリハビリをして、復活することができた。

そして、そこまでして戻った会社に仕打ちを受け、ついでに障害が「発見」された時も、生活保護を前提とした人生設計を国立施設の職業カウンセラーが言い「障害者職業センターを選ぶかナカポツを選ぶか」と要求されたので迷うことなく、「あなたのしてきた仕事があなたのできる事」と言ってくれた豊田のナカポツの助言的支援を選択し、国立施設の生活保護と絡めた濃厚な支援から敬して遠ざかった。ナカポツでかつて私の相手を担当してくれた支援者は身体障害者だった。彼から自らが障害を持つ身としての立ち位置や社会との関わり方を試行錯誤して学ばせていただけた。私の自己決定を最大限に応援してくれ、己の経験に基づき踏み込んだ助言もしてくれて、失敗経験をたくさん積むことにへこたれることなくつきあってくれ、彼は今まで出会った社会福祉士の中で最も腕のいいワーカーだと思っている。

ちなみに、国立施設は墓場まで支援してくれることはない。生活保護受理に厳しい福祉事務所に何かを働きかけてくれることも期待できそうにない。にもかかわらず生活保護と安易に口にする。わずかに示す仕事は最賃法レベルの単純労働をまったりあっせんして、3年くらい月一度程度連絡してきて支援したつもりでいるだけのことと、当事者会で確認した。

これからもいろいろあるだろう。覚悟している。

専門家という他人が私のために、私の人生を活かすために自分の命を懸けて支援するということもないと確信している。専門家は組織の権益や専門家としての自らの功績のために熱心に動くだけ。自分や自分の組織の利益にならなければ私のためになど決して動くことはないと確信している。

自分の人生は自分で作っていく。

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世の中は厳しいが、にもかかわらず笑って生きる。

2018-04-22 21:40:10 | 生活と療養の工夫

 人間の自由への意思とか精神の抵抗力とか、そういうのはたとえ数量的に表現できないからと言って、ないものではありません。

 しかしながら、フランクルの言う「還元主義」というのが医療福祉教育界、私の知る限りでは世間に満ちているわけです。

 自分なりに自分の人生を振り返るということをしばしばやっていますが、厚生労働省などの行政は非常にいい定義を出しているのに、よの中の専門家も当事者も家族も、非常に絶望的なところでとどまることが基本になっているように観察され、それではこの世を生き抜くことがより困難なものになるように思われます。少なくとも、目の前の当事者の人間としての尊厳を棄損し、生きる意欲を著しく去勢しているようにしか、私には感じることができません。

 介護施設にいる障害者たちのように、それを煩雑な手続きをしてサービス契約までして求めている人たちならともかく、すべからくそのようにするのは、医療福祉の経済上の勝利なのかもしれませんが、意味への意思を持つ私のような人間にとっては、人生の福祉に反するものです。

 再度、フランクルの文章を引用します。

"医師や精神科医が、実存的欲求不満を強めることに加担しているような症例のことである。人間以下のモデルを患者に示すことにより、精神療法が、いやおうなしに洗脳に、それも還元主義の洗脳になってしまう症例もあるのである。"

 “十八人の非行少年を対象とする調査について報告しています。心理学者たちは、十八人の少年全員について予言していました。子供辞退の体験から推測するに、かれらは、いずれにせよ鉄格子のなかで一生を送るだろうというのです。知能テストでも、どの少年も教育や訓練に適していないという結果が出ました。しかし、この十八人の少年のうち、刑務所に入れられたのは一人だけでした。残りの十七人は、ある課題と責任に直面しました。つまり、かれらは、非行仲間をかの宿命論から救い出すという課題に直面したのです。その結果はどうだったでしょうか。調査に加わった十八人のうち、十七人は、立派に成長しました。一人は、はじめは文盲といっていいほどでしたが、のちに博士号を獲得し、現在ではマサチューセッツ州の某大学の教授になっています。また別の一人は、現在ではワシントンにある教育省の課長級の職に就いています。このように、精神の抵抗力によって、自分自身を変えることができるのです。”

 “ミュンヘンの心理相談所の所長であるエリザベート・ルーカス博士のところに、二人の娘がいる母親が来院しています。娘の一人は、望まれずに生まれた子供で、生まれるとすぐにおばあさんのところに引き取られました。その後、彼女は実の父親に強姦され、とうとう家を出てしまいました。けれども、その後、この娘は、まったく健全な人間に成長し、正常な性生活を送り、仕事もうまくやっていました。もう一人の娘は、望まれて生まれ、強姦もされませんでしたが、それでもきわめて重い神経症だったのです。その娘のために、その母親は、ルーカス博士のところに相談に来ていたのです。ルーカス博士はこういって話を締めくくっています。「これは、心理学の教科書には載っていない現実である。あとまで残る心的外傷という考えは、根拠薄弱である。現実には、きびしいショックを受けた人でも正常に生きていくことができるし、また、恵まれた環境の中で育った人でも誤った方向に進むことがある。」”

 

 どのような状況であれ、人間には、その人の生きざまを決める自由があるのです。

 

引用文献

V.E.フランクル/F.クロイツナー 1997 宿命を超えて、自己を超えて 春秋社 183,9,13-14

 

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特別支援学校(養護学校)高等部3年の授業内容

2018-04-13 22:35:42 | 当事者研究

娘の通う養護学校(他の都道府県では特別支援学校と呼ばれている)の授業参観に参加する。

内容は歴史的資料を使ったお辞儀の作法。小学校低学年レベルの内容を高等部三年生全体で聴く。

先生の講義を聴いてまともに反応できているのは3割弱とみる。わが娘(昨年まで知能指数測定不能。最近ようやく最低のIQである20が認められる。療育手帳1度)は、しっかり講義を礼儀正しく聞いているが内容はわからないようでいかなる質問があってもキリッと座位を保持している。実に立派な授業態度だと感心する。

数分でじっとしておられず挙動不審となり先生が抑えにかかっている生徒が十数人いる。彼らにはマンツーマンで介護員か副担任がついている。隣の部屋からは、言葉ははっきりしているが明らかに授業を拒否して大声を出して騒いでいる生徒(療育手帳で2度か3度レベルかな)がいた。

愛知県は発達障害のある生徒に対してもない生徒に対しても、療育手帳のない生徒には特別支援学校入校を認めていない。浜松医科大学の資料によると発達障害の生徒の特別支援学校入校知能指数要件を緩和している県が10いくつかある。発達障害の生徒に対して知能指数要件を撤廃している県もあるそうだ。

知的障害児の教育を目的としている特別支援学校高等部3年の授業とは、上記のようなものである。この学校で娘は、自分の名前を鉛筆で書けるようになり、箸が持てるようになり、野菜が食べられるようになった。

わが娘の10年前の主治医は、現在県発達障害者支援センター長「家事をする引きこもり」が治療目標と県の文章で公表した「ひげの医師」である。そこの病院医師から娘は「今後決して言葉を発することはない。あらゆる試みは無意味。」と断定されている。

ひげの医師たちの予想に著しく反して娘は、簡単な言葉を発することができる。また、先生が安心して目を離せる生徒であり、わけのわからない授業にもキリッと参加する社会性を有する。タブレット端末やキーボードを与えれば、ローマ字入力で簡単な言葉を入力することもできる。私が東京都の入所施設で経験した療育手帳1度と自閉を併せ持つ障害者たちのふるまいとは著しく異なる。偏食は少なく、箸を持ち、強度行動障害はまれにしかなく、実に愛らしい。

早期療育が広まり、学校からかつてのような強度行動障害が減ったという声を、私は何人かの専門家から聞いている。杉山先生の20年前の本にも統計的裏付けが書かれていて、発達障害者支援法以降の変化を実感している。しかしながらそれは、明らかに知的障害のある人たちに対する効果だとも、私は思っている。

知的メインの養護学校は、重度の知的障害の子供のためにあってほしい。現にその教育内容は、療育手帳4度の人(はたから見て知的障害があるとはわからないレベルの知的障害)やボーダーラインの人たちにとってさえ、すでに達成されているものである。ましてや知的障害のない発達障害の生徒さんには、ぜひともその知能指数に応じた教育が保障されるべきだと私は信じる。

愛知県にも一つだけ、確か大学病院の中に、病弱児向けの養護学校があり、そこには知的障害のない発達障害の生徒がいることを知っている。だから自分は、知的障害のない生徒なんて知的障害児向けの養護学校にはいないと信じていた。しかし中には親の意思に児童精神科の医師が忖度して、都道府県受け入れレベルぎりぎりの知能指数であると診断書に書かれて、生徒的には半ば騙されて特別支援学校に入校させられているケースが散見されているらしいので、この文章を書いた。

知的障害のない(IQ70以上)発達障害の生徒さんたちとその親御さんたち。そして療育手帳4度のごく軽いレベルの知的障害の生徒さんと親御さんたち。冒頭のような授業が特別支援学校最高学年の内容である。よく考えてほしい。

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切ないな。やるせないな。

2018-04-04 21:53:59 | 当事者研究

世界自閉症啓発デーに合わせたNHKの番組で取り上げられた子供さんで、5歳で九九ができて算数にこだわりのある子を特別支援学校に入れた、という選択をした親子が取り上げられました。

私はジェイク少年を称賛するような人間なので、ジェイク君やグランディン博士の親御さんとは正反対の(たぶん村上先生の親御さんの選択とも正反対の)選択をした、この子の選択を、福祉の専門家としては尊重するべきですが、個人としては悲しく思いました。

「無理をさせない人生」が本当に二次障害や三次障害から解放される人生なのか。某著名経済評論家の私とおない年の自閉の息子さんは児童精神科大御所の患者さんなのですが、子供のころからつながっている大御所の患者さんは強度行動障害化して行動援護の対象。方や私は基本は同じ自閉でその度合いも同じようだと経済評論家様の本を読んで思うのですが、自分は行動援護事業所のサービス提供責任者資格を持つ支援する側にいます。

無理をさせない、チャレンジさせない、というのも相当なストレスだと思いますよ。フランクル先生に至ってはそういうのを「根拠のない、尊厳を無視した専門家の信念」「医原性精神病」「還元主義」などと呼んで批判しています。自分もその側にいます。

某経済評論家の息子さんが自分のクライアントになったら、自分は一生懸命介護するでしょうが、その生き方に賛同できないです。その方の自己決定が最大限尊重されなければならないのですが、私の旨とする生き方とは相当異なるなあと。そういうば、そういうクライエントさんは今もいくらでもいるかなあと。

悲しいな。幼稚園で九九のできる子が高等部になってようやく自分の字をひらがなで書ける子たちと同じステージに立つなんて。

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切ないな。やるせないな。

2018-04-04 21:38:43 | 仁義なき医療福祉~地獄の沙汰も金次第~

世界自閉症啓発デーに合わせたNHKの番組で取り上げられた子供さんで、5歳で九九ができて算数にこだわりのある子を特別支援学校に入れた、という選択をした親子が取り上げられました。

私はジェイク少年を称賛するような人間なので、ジェイク君やグランディン博士の親御さんとは正反対の(たぶん村上先生の親御さんの選択とも正反対の)選択をした、この子の選択を、福祉の専門家としては尊重するべきですが、個人としては悲しく思いました。

「無理をさせない人生」が本当に二次障害や三次障害から解放される人生なのか。某著名経済評論家の私と尾内年の自閉の息子さんは児童精神科大御所の患者さんなのですが、子供のころからつながっている大御所の患者さんは強度行動障害化して行動援護の対象。方や私は基本は同じ自閉でその度合いも同じようだと経済評論家様の本を読んで思うのですが、自分は行動援護事業所のサービス提供責任者資格を持つ支援する側にいます。

無理をさせない、チャレンジさせない、というのも相当なストレスだと思いますよ。フランクル先生に至ってはそういうのを「根拠のない、尊厳を無視した専門家の信念」「医原性精神病」「還元主義」などと呼んで批判しています。自分もその側にいます。

某経済評論家の息子さんが自分のクライアントになったら、自分は一生懸命介護するでしょうが、その生き方に賛同できないです。その方の自己決定が最大限尊重されなければならないのですが、私の旨とする生き方とは相当異なるなあと。そういうば、そういうクライエントさんは今もいくらでもいるかなあと。

悲しいな。幼稚園で九九のできる子が高等部になってようやく自分の字をひらがなで書ける子たちと同じステージに立つなんて。

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