「生涯引きこもり」と宣言された私の、超豪華オプション生活

 登校拒否となり、生涯ひきこもりであろうと決めつけられて四半世紀。社会人として生きる記録。#発達障害 #自閉症 #ニート

障害と向き合う。

2024-07-08 17:39:53 | 生活と療養の工夫


安楽死したいと思っても。簡単ではない。
カナダやベルギーでは精神発達障害者安楽死が認められていても、精神障害や発達障害は優先順位が低い。

人間、そう簡単には死ねない。

とは言え。障害を克服するのは容易ではないこともまた、事実。
ワンクール程度の。通院で治るならともかく(そういう方とも何人かであってきている)、
何度も再発する私のような事例では症状固定され、
複雑で困難な環境要因のある私のような事例では、薬で直らない。

薬はただの時間稼ぎ。その背景にはで生育歴や社会環境。その他もろもろ環境要因、生育要因等々、複雑に絡み合っているケースでは、今の医療環境では、そういったものへのアプローチはほぼない。
私の主治医や確定診断医を含め、9割以上の精神科医は、薬を出して診断書を書く以上の仕事はできない。
神田橋先生でも、良くするアイディアはあるが治せない。

精神発達障害を。きれいさっぱり直すとか。あるいは発達障害。天才的な。素質を云々という、非現実的なことを考えるのではなく、
今の。状況に即した。手当てをこれからもしていく所存であるし、それしかない。
私は障害と。向き合う。現実と向き合い、生きていくしかない。

日本語が読めない

2024-01-14 13:40:59 | 生活と療養の工夫
能登地震への対応を見ていると、
人々は左右思想信条にかかわらず、
自分にとって耳障りな情報は脳にとどまらず、
認知されていない様が、よく見られる。

例えば、政府は震災10分後から対策本部を立ち上げ、対応を続けている。
自衛隊は直ちに現地偵察のために偵察機などを飛ばし、
翌日には一万人規模の統合作戦部隊を編成している。
もっとも被災地は山だらけの半島地域であり、
駐屯地からも離れ、
陸は主要道路が寸断されていた。
海は冬の日本海で、かつ津波の荒れ狂う中、
人員や物資の投入ががままならなかった。

政府は地元自治体や国土交通省、自衛隊などからもたらされる情報から、適切な判断をしているように、私には思えてならない。
素早さがないと感じられるかもしれないが、
今回揺れを感じていない東日本地域の人たちなど、万人が納得する対応を見極めるには、それなりの時間がかかるし、
組織的対応には万全の準備段取りが必要だ。

世の中の動きを見ると、
政府が本当に何もやっていないと、
ヘリの一機さえ飛ばしていないと、
知識人の中でさえ本気で思っていて、
強く批判し政権を倒せと叫んでいる人たちがいるのだ。

彼らには政府発信を「知覚」(視覚や聴覚で刺激を取り入れる〉ことはできも、
知覚された情報を「認知」ないしは「認識」できていないのだ。
そしてその、「政府は何もしないから自分たちでやるしかない」
とか、「こんな政府では殺されるから、政権交代しかない」
などあおり、偏った認知で被災地をかき乱す行動に出たりしているのだ。

私たちは、ポストトゥルースの時代に入って久しい。
自分にとって都合のいい「事実」しか「認識」できない。という時代だ。

現実は、必ずしも自分にとって都合よく動いてくれるわけではない。
メタ認知する力が大事なのだ。
そして扇動する人間の声ではなく、事実関係の確認が必要だ。

主治医に「おみやげ」を、持っていくようにする

2023-12-04 17:18:21 | 生活と療養の工夫

精神科の主治医に「おやみげ」をもっていく。

これ、私が向谷地・北海道医療大学教授・浦河べてるの家理事長から直接アドバイスされたことだ。

これは、主治医が喜びそうな、よい報告を、毎月の診察時に話す。ということだ

精神科の病気は、なかなか治療が進展しない。
よって診察室では、悪い話が離されることが多い。

しかし医者も人だから、いい話をききたい。
だから患者として、主治医への配慮として「土産話」を持っていく。ということだ。

なるほどと思い、実践するようにしている。
患者は医者から病院が儲かるよう、コントロールされている。
資本主義社会なのだから、病院が営業努力し、もうけを追求することは当然のことだ。
患者が医者からコントロールされるだけではなく、
患者が医者をコントロールすることも、とても大切なことだ。
大事なことだと思ったから、ブログに書いておくことにした。

ネット情報、どこまで正しいの?

2023-11-27 10:39:14 | 生活と療養の工夫
ネット情報、どこまで正しいのか?

先日、某古城を訪れた。紅葉のみごろと、ということもあったので。
いざ行ってみると・・・

確かに紅葉していたが・・・・
個人的感想。大したことない。
全然まだら。紅葉が時期ではないのではなく、紅葉する木が、少ない。

その古城での紅葉は、つまらんかった。まあ、一度は行ってみたからったらいいけど。
それにしても聞こえてくる声は中国語が多かったな。駅前は閑散としていたが…

確かに紅葉している木はあってその木は見ごろだったから、詐欺だとは思わない。
でもな・・・・なんかな・・・・
こりゃ外人しか行かんわなあ。

名古屋に戻り、昼食の関係で偶然市街地散策。
丸の内(名古屋の)、紅葉きれいだった。(写真の通り)
名古屋の丸の内の紅葉情報は、知らない。

食べログでもアマゾンでも、ステマが目立つ。
ネット情報なんて、まあ、こんなもんだ。


離れれば、治る?

2023-09-25 08:40:56 | 生活と療養の工夫

精神科の医者は、結構安易に、生活を根本的に辞めることを勧める。

 仕事をやめること。
カップル・夫婦をやめること。
家族と関わらないこと。

結構安易に言う。

私など、そういうことはなかなかできないことだった。
仕事をやめて、収入や生きがいを失うことへの恐れ。
パートナーや家族への思い、理想、などなど。
簡単に切れるものではない。

私は公私にわたりもろもろあり、結局、精神科医たちの忠告を聞き入れるようになったら、
確かに精神症状はマイルドになった。
症状は、消えてはいないが、行動化(私の場合、自殺企図・彷徨など)することが、なくなった。

まあ、医者にとっては、症状がすべて。そして、経営的配慮が第一選択枝。
患者の人生がどうなろうが、人生の意味とか、先生たちには知ったことではない。
だから結局は自分の価値観で、判断することになる。

自分はもがいて苦しんできたことに、満足している。
神田橋治療とか栄養とか、環境からの影響には、とてもとても、あがなえるものではなかった。
治らなければ意味がないと評価するのであれば意味のない行動だが、
私は多少の改善と手を尽くしている感じに、満足している。
やり切った感がある。だから割り切れる。

安楽に、働くことを目指す

2023-05-22 21:23:12 | 生活と療養の工夫

「安心」「安全」「安楽」

これは介護の基本理念。
介護を受ける人が安心して、安全に、そして安楽に、生活できるようにする。というもの。

私はこれを、今の障碍者専門枠の仕事に適用しよう。

今までも、「安全」と「安心」は、大事な仕事上の理念だった。

「安全はすべてに優先する」と、トヨタ生産方式では教えられる。

そして自分や仲間、お客様を「安心」させることは、これまた何よりも大事な理念だ。

今までの仕事に「安楽」はなかった。

その代わり、
「必死」
「身を挺して」
「命の限り」あるいは
「命を捨てでも」
仕事はしたものだ。

今の私の「障害者枠」というポジションは、
会社からの文章や情報からの説明では、
・勤務評価はされず、
・最低時給固定
・社内情報・教育システムから疎外

という立場であると判明している。

これは入社前には提示されず、不具合を確認する過程で、会社側から「実は・・・」という話があったもの。

障害者雇用とはそんなものかとSNSで聞いてみたところ、
そのような対応を会社にされ、家族が自殺したとか、
そのような対応をされ、すっかりやる気をなくし、数か月で辞めた、とか

障害者雇用は基本、似たようなもの。
障害者を積極的に採用したい企業はめったになく、
大体は政府との付き合いで、ペナルティーを恐れて、仕方なく、渋々やっているのだ。

今の会社はとにかく厳しい営業会社で、
今月も来月も、職場の人が消える。しばしば人が入れ替わる、
大量採用大量退職の大手企業。
慣れ親しんだ人たちが次々にいなくなる。
自分もいつまでいられることやら、とも感じている。

ましてや今回、次々に自分たち障害者枠の人たちが、
会社システムとしてパージされていることが、
会社人事とのやり取りで文章により明らかになった。

会社は明らかに、自分が成長することを欲していないし、
売り上げに貢献することも欲していない。

ただ障碍者雇用率充足のため、指定された日の時間から時間までいて、
その間、周りから浮かないように適度に仕事をしているようにふるまうこと、
だけを求められる立場。

時間から時間までいるだけでよく、パフォーマンスや出来栄えを評価されない。
存在することだけが、存在価値の立場。

よし、だったら「安楽」に会社にいるようにしよう。

会社の仕事で消耗することを避け、日常の体調を整えたり安い時給を得るため、
会社から指定されたことを「安心」「安全」「安楽」に、やることにしようではないか。


有益な福祉利用の方法、について、考えてみた

2023-02-01 21:45:20 | 生活と療養の工夫

私は障害当事者として、あるいはその家族として、日々、
賢明な消費者、ユーザーでありたい。

と、思っている。

とはいえこれは、なかなか至難なことだと、感じる。

私としては、よいサービスにあやかるために
  1. アンテナを張り、情報を収集し、
  2. よい相談相手を探し続け、
  3. あるいは、福祉サービスではない手段も用いて、
自分の福祉ニーズを賄うべく、これまで取り組んできた。

これを読まれている方の中には、
福祉などの専門職は、ひたすら私たち利用者のことしか考えないで、利用者利益のために精一杯のことをしてくれているから、全部任せていればいのよ。
と、仰せの方もおられると思う。

そのように、サービスを提供するプロ側が、サービスを利用する側のために全力と最善を尽くしてくれるのであれば、何の苦労もない。

ただし、私が見ている日本の現実は、楽園ではないと感じる。
これから先の話は、福祉はお花畑ではない、という話になる

福祉職が皆善人だと信じる人は、これ以上読むことをやめていただきたい。きっと、あなたの気分を害するから。

前提として、日本社会は、あらゆる公共事業に収益と採算性が求める社会である。
鉄道はもちろん、水道、感染症医療のような、国の緊急事態のための備えにさえ、黒字を出すことを強く求め、徹底的なコスト削減やリストラを求める国である。
福祉においても今や市場化され、利潤追求を求められている状況である。
よい福祉サービスをしていれば業者も潤う。
というわかりやすい図式である。

そのわかりやすい図式は半分正しく、
半部万違いであると、私は感じる。
よいサービスであれば、確かにより多くのユーザーに選択され、その業者は潤う。
福祉が市場化され、役所が措置していた時代にはなかった、いろいろなサービスが提案されている。
その一方で、徹底的にコストは削減され、利用者の障害を理解する余裕や、現実としっかり向き合ったり、ゆっくり話を聞くゆとりがなくなってきた。とも感じている。

とりわけ人件費削減により、正規職員ではなく非正規職員が、有資格者から最賃法で働いてくれる人へ、シフトしていると感じる。
私が言いたいのは、教育され経験を積んだ人が福祉職では残れないと、感じていること。
もちろん中には、無給のボランティアでよい仕事をされる方もいらっしゃる。
しかしそのボランティアさんも、かすみを食べて生きていけるわけではないので、どこかで生活費を賄わなければならない。
人件費の削減と合理化のしわ寄せについての話は、いろいろなところで非常に多く論じられているので、ここでは割愛したい。(膨大な資料に全くたどり着かないのであれば、その人はアンテナを張っていない。都合の悪い話にアンテナを張る気がない。と私は理解する。)

福祉団体は「生き残りのため」、必死に利潤を追求しつつ、中には真面目に社会福祉学的な課題にも取り組もう、専門性を向上させよう、という人もいる(かつての私がそうだった!!)。

表向き、商売はクライアントのためにやること。それは福祉もほかの業界も同じ。

真の目的は、どの業界も、自分の団体が生き残る。要するに利益を得ること。
黒字にしないと、採算が合わないと、その公共事業は、たとえ大企業がやっていても、やがて廃止される。
だから福祉ビジネスに携わる人たちは今日も必死に営業し、福祉サービス提供を通して利潤を追求する活動に邁進している。

「公金チュウチュウ」という単語がはやっている。
福祉業者が公金にたかるように見えるのは、公が福祉現場を民間に丸投げし、市場原理に従うようにした結果であり、当然の現象であると私は思う。

福祉業者の提供するサービスと利用者の利益が合致するのなら、それはまさに良いサービス。最高のサービス。
しかし、業者の提供するサービスと利用者に必要なサービスが異なる場合、福祉サービス業者のほうの力関係が強ければ強いほど、大変な悲劇が待っている。
この悲劇に関する本にも私は数多く接してきたし、
残念なことに悲惨な話が世に満ちていると思う。

どうしたら、利用者にとって最善の「利益」をもたらし、「悲劇」を防ぐことができるか。ということが、私にとっては十年来の大命題である。

肝は、現場のリアルな情報、だと思う。
そのリアルな情報を得る手段を、私はこれまで開発してきた。

手始めに考えられるのは、当事者本人に聞く。ということ。
ただしこれには、多種多様な人々が「当事者」にはいるので、自分に近い当事者になかなかたどり着けず、自分にとって有益な情報には、なかなかたどり着けない。

「信頼できる相談員」というのがあれば、最高。
とはいえそれは「川辺で砂金を探すように難しい(某福祉研修会で講師から話されたことば)」こと。
多くの専門職と直接話をしてきて、私にとって、本当に腹を割って話せる人は、二十人に一人もいない。

ほとんどの専門職は「法人営業マン」「セールスレディー」の域から離れることはないように、私には感じる。
最近見た老人ホームのチラシでは、相談員のことを「営業」と書いていた。
なるほど、表向きの肩書である「生活相談員」などとは書かずに、実態である「営業」と書くわけである。チラシを読む人のほとんどが社会福祉士や介護福祉士ではないから、「生活相談員」などとは呼ばず「営業」と紹介するのは親切なのかもしれない。
福祉系相談員の実態は、福祉商品を売り込むセールスパーソン、セールスレディー、保険のおばちゃん、そのものだから。

中には「良心」で、積極的にかかわってくる専門職もいるが、これがまた曲者だと、私は感じている。
私と方向性が一致していればいいのだが、その専門職が、私が拒否している考え方を押し通す場合、その良心はただの拷問である。
そういう「押し付け」は、ただの迷惑でしかない。決して「利益」ではない。

私は福祉利用する際はしっかり声を出し、コミュニケーションを取れる、自分が利用できるサービスを提供できる事業者と契約するようにしている。

また、何が何でも福祉サービスでなければならないとは思わない。
家電やテイクアウトなどで、福祉サービスと代替できる機能もある。

私には家事援助のニーズがあるが、食洗機の利用や総菜などの活用で、とどこおりがちな家事を補っている。
段差がなければ掃除ロボットとか、ドラム式洗濯乾燥機とかも入れれば、より楽になると思う。(ドラム式洗濯乾燥機はかつて使っていたが、服にできてしまうしわと電気代のことで、今はやめている。さらに自分の生活技能が低下すれば、再導入するかもしれない。)

自分としては、よい選択をしていきたいものだが・・・・
なかなか大変だと思っている。

「精神障害者年金」なんてねえよ

2023-01-21 21:06:23 | 生活と療養の工夫

今、某メンタルクリニック院長の動画配信
「精神障害者年金・・・」なる動画を見て、
大変不思議な内容だったので、緊急投稿することにした。

まず、「精神障害者年金」なるものは、日本国にはない。

日本国にある公的障碍者年金は

「障害基礎年金」
「厚生障害年金」
のみ

問題の動画でも、おそらくタイトルで釣ることを目的にしていると思われ、
内容は「障害年金」のことを、ざっくりと、
かつこの先生の考えを述べたもの。

このブログでも、何度も取り上げていることだが、
基本的に社会保険の申請について医者は意見を求められるが、詳しくない。
生活実態を調べもしないでかなりひどい決めつけをする話にも遭遇する。
この先生も大変な先生だと感じた。先生はざっくり「働けているか否か」を基準していた。大変荒い解説だと感じた。

私はこの先生の話よりも、
日本年金機構がネット公開している判断資料内容を信頼している。

それから障害年金のことをよく知っているのは、障害年金申請支援専業の社会保険労務士だ。

動画の先生、年金診断書費用。なんと十数万円も取るそうだ。
びっくりした。私は四万とか八万とかでも高いと思っているから。

ちなみに私の経験した年金診断書費用は
旧帝大元教授が1万円(この先生は児童精神医学の権威であり、信頼性は地域一番とされる)
今の主治医は、なんと2千数百円。(しかも取りこぼし少ないとこで、社労士たちからの評判良好)

主治医の書く診断書は簡潔かつ的を得ていて、しかも非常に廉価だ。
かつてはブログが充実していたが、今や初診一年待ち。
先生は忙しすぎてブログの更新などしている暇はないようで、もう何年も止まったままだ。

冒頭のYouTuber精神科医は主治医との比較で非常に言葉が曖昧(要するに年金機構の認定医を説得する力に乏しく感じる)で、かつなぜか主治医の百倍の費用を取る。
盛んに動画配信しているので、おそらく患者との信頼が取れず、次々に新規患者獲得することが経営上必要なので、熱心にネット営業しているのだと思う。
日々の動画内容も、あまり質のいいものではないと感じている。
そしてなぜか、よく紹介される。
おそらく広告費支払って、ヒット率をかさ上げしていると、私は思う。

それにしても、やはり今の主治医はなかなか得難い偶然の出会いだったと思う。
元教授からは「あなたには何をやっても意味がない」(対処療法の薬を出す以外は何もしてくれない。神田橋先生の声にも耳を傾けてくれない)、と言われ生活改善のための措置を放棄されていた当時、セカンドオピニオンで受診したところ、神田橋先生の提案に興味深く乗り、いろいろな対処法を提案してくれてので、主治医を今の主治医にしたのだ。
その主治医が年金機構からも信頼されている医者だったのだ。

年金に強い医者のリストは社労士の間で知られているので、私のように傷病固定してしまった人は、社労士方面に医者を紹介してもらうのもいいのだと思う。

今日見たYouTuber精神科医、十数万円も支払って何するのだろうか?

いのちの電話系、意外とかかりやすいかも

2022-09-18 20:25:31 | 生活と療養の工夫
最近、元々持っていた希死念慮が強くなり、自殺企図と表現する気持ちの高まりが続いている。
自殺スイッチが入りそうになるので、持っている中で最強の頓服〈精神薬〉を服用すると、脳の機能が鈍くなることで、自殺スイッチが押せなくなる

また、人間関係を最低限必要程度に極限まで限定することで、自殺スイッチを入れないこともできる。
だから今は、親や職場、支援関係などには、接触を必要最小限にとどめていただいている。
おかげで今もこうして自殺せず、予定した東尋坊などに行かず、身投げせずに生きている。

原因はいろいろあるが、根本は「親子問題」だと考えている。
私は十代後半、引きこもっていた時、親が変わるのを待っていたら一生引きこもりだと、自ら奮起し、親や社会の変化を待つことなく社会復帰するよう、自分を奮い立たせた。

十年ほど前の発達障害確定診断時、元名大教授を含む精神科医複数人から、検査と診察に基づき〈確定診断医たちは発達障害が生得性のものである確認のため、親への診察が必須という立場〉、診察で判明した親子関係の問題を指摘され、みだりに接触してはいけないと指導されたこと。

あるいは、「教育虐待」について、大学生のころに心理学や教育学の授業で取り上げられ、まさに私のことだと心底納得してきたこと。

現在も喘息主治医〈呼吸器科だが心療内科も標榜している〉から、私の診察室での所作を診て、「あなたの病気の裏には親子関係の問題がある。育てられ方の問題からのうつ病によるかも。あっ俺の守備範囲ではないな」などと、時々言われることでも、意識している。
ちなみに喘息主治医は現在通院している心療内科主治医と学会で交流があり、心療内科主治医を尊敬していて「いい医者と繋がってるね」とも言う。

ただし、上記のことは医者たちの個人的臨床経験に基づく主観的意見であり、統計的エビデンスがないことも、理解している。

今の精神科主治医は親子関係については、あれこれ言わない。
ただ、症状に応じて薬を飲め。飲んでもダメらな病院に来い。とだけ言う。

ここ3日間、死にたいという気持ちが強くなっている。
仕事中も、フラッシュバックで、そういう気持ちになることさえある。
頓服の出番が増えている。

きっかけは仕事上のありふれた理不尽だが、
それにまつわり今後の勤怠に自信が持てないことを、支援者だけでなく、身元保証人たる親にも報告したところ、親の反応から希死念慮か昂じて自殺企図に至る状況が続き、精神薬の出番となっている。

頓服を飲んでも、高容量ベンゾ系の精神薬を飲んでもなお、しばらくは高まる希死念慮と自殺企図の具体的行動に出たいという思いが強い時間がある。

これは誰かに聞いてもらおう。さりとて関係者では影響が生じてまずいと思った。
厚生労働省のページで相談先を探し、電話してみると、いとも簡単に電話が出てくれた。
相談員はそっけなく、淡々と聞き出し、気持ちだけ受け止めてくれた。
私も要領よく話し、すでに医療福祉につながり頓服も飲み、ついでに私は元福祉職で虐待に関する臨床経験もあり、「聞く以外、どうにもならない」ということを確認し、15分で終わった。

話したところで何も解決しないことは分かったいたが、
利害関係のない、ただ気持ちを聞くことだけが任務である第三者に話したことで、関係性のある人に「何の解決にもならないとわかっている課題」を話して騒動に発展することを防げたので、とても良かったと思う。

先に結婚をした以前の独身の頃、希死念慮が高ぶることがあった時は「いのちの電話」に電話をかけまくったが、全国どこの回線も通話中で、ようやく田舎の回線につながった。という経験を何度もしている。
今日は、2回線目、ほんの数コールでつながった。

相談員はそっけなかった。
それでいい。死にたくて電話してくる人たちの話は、全部いちいち大変な話ばかりだから。真摯に対押していたら、相談員が病気になる。
大変な話をしてくる人にそっけない対応ができなかったのが、かつての自分だから。
対人の仕事を続けたい人は、そっけなくていい。任務を淡々とこなし、やることをやっていればいい。と私は思う。

森田理論によれば、感情は一過性のもの。
そのうち収まってくれることを祈る。

一般人が聞いてびっくりすることは、話すべきではないな。
障害者雇用なんて、一般人には理解できない。障害者雇用専門家とだけ相談。
身元保証人であっても親には、最終的に隠せないことのみ報告するか。
「つつがなく」とだけ言う。
それ以上のことはしてはいけないと思った。

もっと前もって言えと言われても、一般の人に専門的なことや、専門家でも専門外のことを言っても、よろしくないなと学習した。

親にはどうしても隠せないことだけを話す。
医者には病気のことだけ話す。医者が仕事にことに割り込んできたら「就労は福祉の管轄です。病院は病気が管轄です。」と告げることにしよう。
今の支援者は健康問題は一切かかわろうとせず、医療に丸投げするスタンス。それでいいと思う。

元妻と事実婚解消に至った原因の大きなものの一つに、私の希死念慮とその吐露。希死念慮が昂じた自殺企図に耐えられなく、切られた。ということもある。その程度の関係性だったのだ。

死にたくなったら、公的な電話窓口に相談しよう。
そうすれば、医療も福祉も助かる。
医者に話を聞く暇はない。
福祉関係にきわどいこと言うと、後に響く。

今の日本では、挽回困難なクソゲー人生をリセットする方法〈安楽死など〉がない。
クソみたいな人生を生きるしかないのだ。

いつも飲んどる春ウコンについて、少し調べてみた

2022-05-28 14:43:11 | 生活と療養の工夫
春ウコン飲んでもう、何年たつのかなあ。
このブログでも取り上げた、神田橋先生を最初に受診して以来、ずっと飲んでる。
私の場合、一日一粒だ。

私はこれまで、
  • 神田橋先生が推奨するから
  • 抑肝散と形状や効能が似ている感じがするから
  • 何といっても、体にいいように効いてる感が強いから
という理由で飲み続けてきた。

今日はネットで軽く、春ウコンの効能についてググってみた。

すると、春ウコンの効果は
  • 抗酸化作用
  • 抗菌作用〈腸内細菌・胃にいい〉
などなど、書かれていた。

効果は主に、胃腸と肝臓と血液にいい。
メンタルなことは書かれてない。
とはいえ、抗酸化作用も抗菌作用も、大事な効能だと思った。

量に関しては、何年も前の神田橋先生指定量を飲んできた。
これからは、神田橋先生から教わった「体センサー」〈Oリングなど〉を使って、今一度、量を計ってみたい。
というのも、春ウコンのラベルには、一日5粒と書いてあるから。
飲みすぎはアレルギーの元になるからいかんと思うが、体調は変化するものだから、適量は調べんといかんと思う。

今日は春ウコンについて、これまで数年飲んできたことの感想と、簡単に調べたことをシェアしてみました。
適量を維持すればそれなりにいいものだと思うので、良かったら試してみてはいかが?
ちなみに神田橋先生は、春ウコンは漢方薬以上にいい。たかが健康食品だから〈副作用は漢方薬以上に少ない。と解釈している〉。なんてこと、言ってたかな。
最後に、春ウコンと「体センサー」の書かれた神田橋先生の本を紹介します。よろしければご自身で試してみてくださいね。

 

好きに生きる

2022-05-26 06:13:00 | 生活と療養の工夫

SNSで、いい意味で好き放題生きていると思う精神障害当事者の投稿を目にした。
その方は今、老舗福祉大の講師をしておられる。当事者系の人でリアルに福祉大の教鞭をとる。というレアケースな方。
元をたどれは作業所のパート職員、中年に入ってからの大学院、という生涯をたどっておられる。さらにたどれば、大学時代か新入社員の時に精神科病院に入院。隔離病棟を経験されている。かなり前から思い精神疾患と診断され、服薬しながら生きていると、公言されている。
その方、好き放題に生きているように感じる。もちろん、組織人としても生きていると思うが、割と若いうちから、好きなことを言って周りと摩擦を起こしながら生きておられると思う。
同世代の方、同業者だったので注目してきたが、今はすっかり立派になられたと感じる。その方の毒言はますます強烈になっていると感じる。

いろいろな人生を見てきたが、自分の思いと自分の行動や仕事が一致していることが、生き生きと生きる秘訣であるように、私は感じる。
このことはカウンセリングの祖であるカール・ロージャズ〈ロジャースと書かれていることが多い〉が唱えている「自己一致」の概念とも一致する。

私も今後は、なるべく自分の意向に従った人生を歩もうとしているが、うつ病の影響で気持ちが向かない。元気がない。気づくのが遅かったか?
すきに行きたいとは思うが、だからと言って、反社会的な人生を歩む気はない。

はたから見ると、ブラック企業のオーナーは実に快活に思える。好き放題やっているからだと思う。けれどもそういう反社会的・サイコパス的な行動は、取れないな。
最近受けた心理検査によると、私は「常識人」らしい。突飛なことは主張せず、おおむね常識にかなう言動をするから、大変いいことだと、検査した心理士から言われた。
私は好きなことが何であるかもわからず、組織におもねって生きてきたのだろう。それでは今の自分のように、元気をなくすばかりなのだろう。
この際、多少わがままを通さないと、親より先に死ぬことになると思う。現に今の私は両親より元気がない。とはいえ障害者の場合、親より先に死ぬことが最大の親孝行。とされるが。
好きに生きることを、心がけよう。
 

国も人間関係も、抑止力と勢力均衡、だな

2022-05-03 06:47:30 | 生活と療養の工夫
弱いことは悪いこと。
露宇戦争を観察して感じた。
ロシアは実は昨夏、日本侵攻を検討していた。という情報が流れている。

リンク元は信用度が高いとは言えないものだが、大元の情報源は信用されている。
ロシア治安機関内部からとされる。
Twitter情報だからなかなか提示困難だが、私はロシア治安機関内からのリークは、憶測情報としては使えると思う。もちろん偽情報もあると思っている。

日本は侵略されていない。
自衛隊と米軍が怖いからであり、憲法9条があるからではない。

世の中、高貴・崇高な概念ではなく、嫉妬とか利害関係で動いている。
哲学は前頭葉を大学や学会でかなり鍛えに鍛えないと生まれない。解釈さえできない。
嫉妬や暴力は、赤ん坊でもわかる。
世の中は、原始的なことで動いていると、私は思う。
脳科学によれば、人間は原始反射とか触覚防衛反応で、生きている。

私は改憲論者ではないが、日本国憲法信仰者でもない。
ロシアに対する対応議論が進んでいるが、満足のいく意見はない。
ただ少なくとも、外敵の存在を無視したり、外敵に人道主義など崇高な精神があることを前提にしている勢力の意見は、もはや聞くに値しないと考えている。

憲法記念日にあたり、世の中は「抑止力」「勢力均衡」なのだと、私は再学習したい。
国同士もそうだし、職場内、学校内での人間関係も然り。
ロシア同様、世の中色々な機関からのプロパガンダに満ちている。
真に受けないようにしよう。
宣伝文句ではなく、現実の行動が、真実だ。
正義を装う広告で満ちているが、気を付けよう。相手の裏も、計算に入れよう。

私は今、社内で最も弱い立場と、職場内で認識されていると思う。
障害者雇用の非正規パート。それはそれで初めからわかっていることだから仕方がない。
その上で、社員がコロコロ変わる厳しい職場環境で、どうしたら生き残れるか。私は日々考えて生きている。
すでに弱いと認識されているから、私は職場内では極力刺激を出さないようにしている。
「支援」という外の目があることを示すことが、他者の嫉妬発作からの「破壊的攻撃行動」に対するけん制になる可能性があると、私は考える。
自分自身がこれまで社会でやってきた。という自負やそれを裏付けるもろもろのことも、私を支えている。
今日も自分の仕事をしよう。
 

色々な攻撃は、「嫉妬の発作」だな

2022-04-29 20:14:44 | 生活と療養の工夫
最近、視覚障害のあるおじさんが優先席に座りスマホをいじり、スマホから情報を得たいたところ、おばさんから「優先席でスマホいじるな」と、きつく言われて悲しくなったことが配信された。
おばさんは正しいことをした。と一瞬思った。
おじさんの言い分は、視覚障害者は耳からの情報が頼りで、耳からの情報を取っていた。配慮して欲しい。とのことだった。

私が思うに、これは「嫉妬の発作」だと考える。
1、おばさんはおそらく、障害者差別を意図していない、かもしれないが、
2、自分より弱い存在と認識したおじさんが、
3、優先席に座り、スマホから音情報を入手するという「逸脱行動」をしていた。
4、なかなかできないことをしていて、「嫉妬」の感情が湧き出た。
5、相手が自分より弱い存在だと認識。「間違いを正してあげなきゃ」などの「破壊的衝動の発作」が出現。
6、きつく注意する、という行動に出た。

どうだろう?
私は昨日、優先席に座ってスマホをいじる若い男性を見た。だれも注意などしない。
 反撃されたら大変だと、皆が認識したからだ。
自分より弱いと認識した存在が、何かをして、「善意」とか「教育」とか、そういう思いが出て、「破壊的衝動の発作」が出る。

これ、いろいろな場面で応用が利く。

例えば、露宇戦争も、プーチン大統領の「嫉妬の発作」だと私は思えてきた。
プーチン大統領はまじめに、ウクライナを彼の考える「正しい道」にさせるには「特別軍事作戦」以外の方法がないと独りよがりに考え、発作による「正義」なのだろう。あの人にとっては。

一部精神障害者による身体障害者議員たちに対するネット攻撃も「嫉妬の発作」。うらやましいところで、さらに国会でスロープを付けてもらったり、介助者をつけられたことに「嫉妬の発作」が現れて、一部精神障害者の考える「平等」ということを実現せねば、という「破壊的行動」に出たのだと考える。

発作への対応は、すでにこのブログで書いていることだが、
嫉妬の発作であると認識して、
1、本気モードで怒って、
2、離れるなり、多少痛い目に合わせるなり、周りに拡散するなり、
いろいろある。

プーチン大統領の「嫉妬の発作」に、ゼレンスキー大統領は上手に対応していると思える。
1、相手の不当で残忍な行為に対して本気モードで怒り、
2、やられっぱなしではなく、不当な相手に相応の犠牲を強いて、手を出したら痛い目に合うと知らしめ、
3、不当かつ残忍な攻撃に会っていることを、証拠付きで分かりやすく説得力のある情報拡散をし、
4、不当なことをする相手とは付き合わないという国際世論を形成。

模範的な行動。だと思う。

「嫉妬の発作」から離れるには「浮き輪モード」。
野愚な相手からは離れるしかない
例のおばさんに、どうするかは詳しくは分からないが、
もし視覚障害のおじさんが本当にスマホから音声情報を得ようとしていて、それがだめだというのなら、
あんたがスマホの代わりに情報くださるのですね。ありがとう。
あんたが介護してくれるのですね。ありがとう。
おそらく、はぐらかして煙に巻けるのがベストかもしれない。
発作に酔っている人間なんて、まともな対応はできないから、離れるがベスト。

そして、私自身にもまた、「嫉妬の発作」が起きるのだ。
「嫉妬の発作」から「破壊的行動」をとらないようにするにも、「浮き輪モード」が有効だ。
客観的に自分を観察して、
「くだらない」と思って〈本気モード〉、
「発作」だとわかると衝動は消えて落ち着く。


春ウコンはいいと思う。

2022-04-24 20:01:46 | 生活と療養の工夫


このブログのアクセスをたどり、ニーズを探ると、
 春ウコン
に関する関心が、非常に強いことが分かる。

春ウコンは、神田橋條治先生が推奨しておられるサプリ。
神田橋先生が患者さんたちから学び、さらにいろいろ試して、先生なりの工夫も加えて、今に至ると学んでいる。

私に対しては、神田橋先生は、春ウコン一日一粒を診察の場で指示された。
量は気分で変えること。oリングテストや舌トントンなどで、自分で調整するよう、私は鹿児島の伊敷病院で直接指導を受けた。
なお、春ウコンの説明書きでは、一日最大5粒と書かれている。

毎日の食生活は大事だと思う。
食生活が乱れたから精神疾患になるというデータはないが、食生活のおかしい人は治りが遅いと感じている。
数は少ないが、積極的な治療をする精神科医たちの中には食事にこだわる先生もいる。
ストレスをためるのが一番いけないと思うが、治りたい人は食生活に気を使っていると、私は感じている。
そしてこのプログのアクセス履歴からも、やはり口に入れるものを退治にする人たちが読んで下さっていることが分かる。
ありがとうございます。これからも書きます。

 

「すみません」という言葉を、意識して言わないようにしている。

2022-03-04 21:14:13 | 生活と療養の工夫
よく、私たちが頻繁に使う言葉「すみません」という言葉。
非常にいろいろなところでこれを使ってきた。
いつも、「すみません」「すみません」と言ってきた。

しかし今の私は、意識して「すみません」と言うことを慎んでいる。
「すみません」と言わなければいけないのは、明らかな私の過失によって相手が損害をこうむっ時は、従来通り「ごめんなさい」「すみません」と言うが、あいさつ代わりに「すみません」と言うことを、やめることにした。
私は何か相手から良いことをしていただいたときは「すみません」と言うのではなく
「ありがとうございます」
と言うように、心がけている。

というのも、「すみません」と言うと、それを聞いた他者の共鳴反射〈と自閉症者への支援歴の長い私は言う〉を招き、
「こいつには何をしてもかまわない」という雰囲気を作ってしまうからだ。
私は「共鳴反射」と表現したが、これは今読んでいる心理学者・大嶋信頼氏が折に触れて使っている「ビビッの嫉妬反射を作動させ、相手の破壊的人格を引き出す」という表現に構想を得たのだと思う。
また、大島氏や精神科医ユーチューバー樺沢紫苑氏などがよく言っている〈ように感じる〉、「無の境地」「無理に関係性を構築しない」ということも取り入れ、実精んしているのだと思う。
 私は目的をもって他者とコミュニケーションを取る。他者に同志になっていただき、共通の目的に向かって協調して作業する、ということは意識している。
しかし他者におもねって、入っていって、積極的に人間関係を構築したいとは、今は全く思わない。
フラットな状態で、無の状態で、いいと思っている。この静けさを維持したいと思っている

「すみません」と言わない。なにか他者からしてもらったときは「ありがとう」と言う。というのは、心理カウンセラー・ユーチューバーるろうに氏のボイシーでの発信で初めて聴いた。
それがちょうど読み進めている大嶋氏の本に触発され、大変腑に落ちている。
「ありがとう」と説教的に言っていこうと心がけている。ほめられて悪い気持ちになる人は少ないと思う。

私は他者に感情をこめて反応していたと思う。
そこで、自分の感情表出を必要最小限したいと思う。
感情表出は極力フラットにしたい。

それから「すみません」を発するのは必要最小限して、相手に対してこいつには何をしてもかまわないと思わせることを避けたいと思う。
フラットに無の境地で生きて、「ありがとう」と言っていたいと思う。