「生涯引きこもり」と宣言された私の、超豪華オプション生活

 登校拒否となり、生涯ひきこもりであろうと決めつけられて四半世紀。社会人として生きる記録。#発達障害 #自閉症 #ニート

ベてるの家、訪問記録〈初日、12年11月〉

2013-09-16 10:14:06 | 当事者研究
 浦河留学初日の記録。 午前九時前にべテルにつく。通りすがりにサービス管理責任者の向谷地悦子さんと挨拶する。
 見学者と雑談。 朝ミーティング。うわさどおり、当事者とスタッフの境が一瞬分からない。体調と今日働ける時間を、メンバーに聞きまわっている。 正にうわさに聞いていた「当事者中心主義の極み」の始まり。
 メンバーの役割はあらかじめチームわけしてあるが、具体的行動も、当日メンバー本人が決める。 プライバシーの公開は、あけっぴろげではない。拒否するメンバーもいて、逆に安心する。これまた、運営者主体ではなく当事者主体を時で行っていることの表れ。...

 歓迎の歌。「精神病は神からの宝物」「みんな病気持ち」との歌に度肝を抜かれる。 オリエンテーション。機関紙を見て度肝を抜かれる。ほとんどすべて、メンバーによっている。修正は校正程度しかされていない模様。すべて職員が決め、メンバーは指示命令に服することのみを良しとされるの、なじみのある福祉とはまったく異なる実践に、度肝を抜かれる。自分の経験来た世界とは、まったく異なる世界が広がる。

当事者研究。発達障害の三つ組みの障害が話されている。内容そのものはそこら辺に転がっている陳腐なもの。ただし、流れている雰囲気が大変暖かい。俺のほうが元営業マンの発表者よりも凸凹は激しい。でも二次障害きつい模様。
 すっかり場に慣れてしまい、自分も加わる。楽しいひと時。
 昼食。当事者と母親の見学者と同席。いろいろ話をしあう。

 午後は、九州から講師を呼んで認知行動療法講演会。ためになった。技術論を学び、私が専門クリニックで受けた医療行為の正当性を確かめる。自分の悪運の強さに期待したい。

 夜、講師を交えて懇親会。スタッフたちにべてるへの道を聞く。私の気合は確かに伝わっている。メンバーになるには何度も浦河へ足を運ぶ必要有。当事者スタッフはメンバーからの生え抜き。メンバー80人に対し、スタッフ40数名という、これまたありえない濃厚な配置。これでも足らないという。まさに「当事者主義の極み」。うわさに聞いた、べてるでスタッフでいることの厳しさを垣間見る。

 ありえないこと、特に権威主義の激しい医療界ではまさに「権威に挑戦する試み」そのものにも感じられる体験の連続。
 当事者である私がゲスト講師(大学教授)など医療スタッフの一団に帯同。 午後の家族向け公演、夕方のスタッフ向け公演にも、利用者が自由に参加する。これまた、「専門的権威に挑戦する試み」か。当事者の一員としてありがたく拝聴する。
 多くの福祉サービスで実践されている心理教育は、にわか仕込みの心理操作であると感じている。認知行動療法における「協業性」の重要性を、知る。
 夜の懇親会。近海の珍味を味わいつつ懇談。多様な人々との交流を楽しむ。
 べてるの家では、私がこれまで感じてきた「厳格な徒弟制度、理不尽な処遇の強制、サービス残業の嵐」という福祉の厳しさがない。向谷地教授もまったく権威ぶらない。職員との会話も色端会議の様相で、あり得ない光景。

ベてるの家、訪問記録〈三日目、12年11月〉

2013-09-16 10:12:31 | 当事者研究
 きょうの浦河留学報告。
  本日は荒天。出席率悪い。スタッフも日赤病院方面の仕事のようで、天気もあいまってか、あわただしい。
  事前予習どおり、べてるでは退院支援のピアサポートを行っていることを確認。病院での活動には参加できなかったが、浦河のピアサポートは本気印。医療の仕事に福祉のからんだ退院支援なんていうのが実際にあるなんて。しかも当事者が本気でからんでいる。すごいもの見てしまった。やってるふりのポーズでもやらせではない。これは夢か幻か。
  グルーぷホームにおける緊急対応について質問する。電話連絡先が掲示してあるとのこと。対応は信頼関係で行っているのでしょう。 作業体験。個々の人の個人差や仕事への取り組み具合の違い大きい。ただ、だれも比較したりはしていない。
 終わりのミーティング時に、FBで合った発達障害当事者との面会が実現する。三十分ほどそれぞれの苦労の話をする。お互い、自閉症スペクトラム障害とは見た目には分からない。お互い先行き不透明だが、根拠のない楽観論を持っていることを確認。
  音楽ミーティングに参加。べてるでは本気で聴衆に聴かせる音楽をスタッフ・メンバーで奏でることを考えている。さすがはべてるにやらせはない。先月地元で経験した「当事者交流会」なる、スタッフがすべてを計画し段取りし仕切り、練習も大してされていないお遊戯を見させれられたばかりの私には、大変新鮮な印象。 カフェぶらミーティング。店内のすべてのことを、上意下達ではなくミーティングで意見表明させる。すべてに当事者が外向きのポーズではなく真実に絡んでいる光景になじんだ模様。驚きはない。
  帰り、スタッフさん車両に乗せてもらう。メンバーを普通の人として扱っている。どんな人の言葉でも聞く、意見表明したくなる環境が必要。とのこと。激しく同意する。

ベてるの家、訪問記録〈四日目、12年11月〉

2013-09-16 10:04:38 | 当事者研究
 今日の浦河留学所感 朝ミーティングで、当事者の振る舞いに自然な笑いがこぼれる。この光景を見て、十年ほど前見学した静岡市の「ラルシュ・カナの家」での光景とスタッフの言葉を思い出す。
 「仲間(知的障害者の利用者)がいるから団結できる。仲間がいなかったらすぐに喧嘩ばかりで分裂する。」べてるの家もまた、こうした経済価値では測ることのできない存在について、大事にする実践を行っていると理解する。
  べてるの家は何かとミーティングが多い。モノではなく、人中心に動いている。 病気や体調に合わせて仕事が回る理念。これであれば、重い病気や障害があっても「就労可能」「社会参加可能」である。 利用者は福祉的就労で守られる反面、「安心してさぼれる会社」「手を動かすより口を動かす会社」を維持するための膨大な労力を感じる。職員は基本的には薄給の福祉の中でもさらに薄給であると理解している。...
 オブラートに包まれた部分も当然あるが、それでもべてるの家のやさしさは、大変心地いい。特に来客担当スタッフたちの独特の心遣いに、俗世では感じることの少ないやさしさを感じる。私にはなんとも感度的に思える。
 しかしそれは、都会的なスムーズさとは異質で、そういう意味では行き届かない。それで腹を立て捨てせりふを残し退出したお客さんを直接目にした。評価はひとつではない。
 職員配置のない共同住宅には、ボランティアや、介護保険関連なのかケアマネージャーやヘルパーも入っている。そのボランティアやヘルパーが、ただ食事や掃除の世話をするのではなく、お世話をする側の気持ちや意義、利用者の成長のために、べてるのスタッフが心配りをしている。利用者がべてる以外の福祉サービス提供者に自分の体調を伝える練習をSSTしていた。お互いの不安を解消するためである。
  SSTもべてる流。当事者研究風。不安や妄想を発言する場を保障する。よいところをほめることを心がけている様子が分かる。スタッフは利用者の生活を熟知していて、それがSSTの流れを促進している。

ある、当事者研究会の記録

2013-09-16 09:55:39 | 当事者研究
12年6月の記録から。
現在は「当事者研究ちたの会」として活動しています。

 愛知県某所で行われた、当事者研究会に参加しました。
 北海道・浦河にある「べてるの家」については、10年くらい前から知っていました。
 この度、この運動に参加することとなりました。
 今日の研究会も、さまざまな苦労を抱えた当事者と家族、支援者たちが集まり、ガヤガヤと研究しました。
 
 厚労省より「精神保健のベストプラクティス」にえらばれた実践の一つですが、いわゆる世間の精神保健の常道からは外れたやり方です。こういうやり方もある。気が向いたらどうぞ、と思います。
 説明は以下のリンクを参考にしてください。
http://www.yuki-enishi.com/messages/messages-08.html

 私にとっては、自分の素を語ることの許される、貴重な場です。主催側の支援スタッフの実践もしっかりしています。もちろん、例の発言も原文を読んでいただき、腑に落ちる反応がありました。要するに、しょうもない奴のことは往生させるべし。今日まさに検討された、絡んでくる・からまざるを得ないうっとおしい奴への対処法そのもの。
 「弱さを絆に」世間や交流も広がります。

コミュニケーション障害

2013-09-16 09:51:52 | 日記
 「コミュニケーション障害」という言葉、発達障害や自閉症に関心のある方々は耳にしたことがあるかもしれません。
 私たち発達障害を持つ人によく見られる意味での「コミュニケーション障害」は、
①相手からのコミュニケーションを十分に認知できない。…何度も言って聞かせたり、書いて見せたたりする必要があります。
②自分の認知を相手にコミュニケートすることに障害がある…自分の状況を即座には表現できない
 ということだと学習しています。この特性は、欲求不満耐性(フラストレーショントレランス)の低下、という形で表れている、とのことです。

 私たち発達障害を持つ人たちは、持って生まれた脳機能のユニークさ故に、「コミュニケーション障害」のほかに
①世の中の「切り取り方」が大多数の人と異なる。〈社会性の障害〉
②自分の想像力が頼りにならない(想像力の障害)
 という困難を持っています。
 それに
①感覚の過敏さ
②怒りっぽい
③叱責への脆弱性。(欲求不満耐性の脆弱性)
 という困難もあります

 それに対してどういうことを周りにしてもらいたいかは、その個人によって異なると思います。その個人の価値観を尊重した支援を、同じ当事者の立場として、願うものです。

 私のように今後も雇用契約を締結し「それなりに」就労し続けたい場合、ある程度「努力する。こちらから社会に歩み寄る」という姿勢が不可欠です。苦手な脳機能の分を、得意な部分で補ってみる「工夫」が不可欠です。
 残念ながら、大多数の人が「本能的に」「自動的に」やっていることを、私たちは脳機能ゆえ、どうしても「過去の事例から学習してきたことを、大脳の長期記憶のデータベースから引き出して、論理的に解釈して応用する」ということでなんとか補っています。よつて、スピードと柔軟性に欠け、
「こだわり・特定型への固執」
という形で表面化することもあります。

 それをどう克服していくか、あるいは捨てるか、
 私の場合、「最新の身体・脳科学に基づき、科学的に対処する方法を開発する」
ということをしていきますし、そういう支援を望んでいます。具体的には
 ①自分の苦手・得意を知る
 ②苦手をケアし、長所を生かす工夫
 ③苦手に対する支援を得るためのコミュニケーションの獲得
 です。

※参考文献

浅見淳子 2011 自閉っ子と未来への展望 花風社

しーた   2011 発達障害 工夫しだい支援しだい 学研

姜昌勲  2012 他人とうまくいかないのは、発達障害だから? PHP

支援団体による支援なんて

2013-09-16 09:46:38 | 日記
 米田先生や姜先生の本を見て、「逆、かならずしも真ならず」と理解しました。親との関係がうまくいっていても、親の価値観が「こんないい大学出て・・・・」とかだと「家事をする引きこもり」でいいや、となってしまうこともままあるみたいですね。

 とある家族会で、吉川徹医師の「特に自閉症スペクトリムの治療目標は「家事をする引きこもり」なのですよ」という発言を朗読した際、「それは私たちにとって理想の一つですよ。私は名大病院はすばらいしと思いますし、信頼しています。」と、その家族会の会長は私に言葉を返してくれました。その親御さんはASDである自分の子供のことを深く理解してらっしゃいますよ。でも、自己認知と居場所には全く無関心。今日もせっせと自分勝手に息子の薬をいじる。息子の主治医は薬が母親にいじられている見破っているみたい。息子が自分でそうしているのならともかく・・・ね。不信感見え見えで医師にかかる家族たち。どうぞ、自己責任で。

 著名な支援団体は、こうした事情をすでによくわかっているので、大人の発達障害当事者をシャットアウトしています。

 それでいいんじゃないんですか。要りません「家事をする引きこもり」になるための支援なんて。

 医療福祉を利用こそすれ、頼ったりしせんよ。これまでも。これからも。利用の中で少しでも人間らしい交流があれば、それはそれで喜ばしいこと。望外の喜ばしきこと。

 社会がみんな、環境悪いわけではありません。こんな私に味方してくれる人がいますから。これからも人間関係大事にして生きていきますよ。

 これから



※参考文献

米田俊介  2011 アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか? 講談社

姜昌勲   2012 他人とうまくいかないのは、発達障害だから?  PHP

親デバイド

2013-09-16 09:42:30 | 日記
 「親デバイド」とは、ニキ・リンコさんの造語で、親の養育態度や障害受容によって子供の障害状況や社会適応に大きな差異が生じるのではないか、ということです。

 そういうことも、ままありますね。あり得る考えと思います。

 しかし、子供の知能指数(特に言語性知能指数)がある程度高い場合、先天的な脳機能の偏りや後天的な家庭環境の悪さは、ある程度克服できるのではないか、とも思います。

 有名なドナ・ウイリアムさん。家庭環境最悪ですね。あれほどの出鱈目な両親は、世界中探してもなかなか多くは出てこない。テンプル・グランディン先生なんかも、お母さんは優秀でしたが、親父さんは出鱈目でしたね。日本人ではLobin.H先生、家族の障害受容はゼロ(まるで我が家みたい)。だから、本名で大々的には活動できない。ものすごく期待しているのですが。

 もちろん、高機能の人でも、家族の理解あった方がいいのですよ。昨日一気読みした藤家寛子さんの就労までの記録「自閉っ子的心身安定生活」のように、最終的には本人意思のみならず、家族や支援者の理解と協力があれば、それはとてもすばらしい。

 たとえ家族からの理解が不十分であっても、人によってはそれを超えていくということを伝えたくて、書きました。

参考文献

ドナ・ウイリアムズ 1994 自閉症だったわたしへ 新潮社

テンプル・グランディン 1994 我、自閉症に生まれて 学研

藤家寛子 浅見淳子 2008 自閉っ子心身安定生活 花風社

Lobin.H  2011 無限振子 協同医書出版

「人生、ここにあり」

2013-09-16 09:36:29 | 日記
最高の映画だと思いました。

 「人生、ここにあり!」公HPhttp://jinsei-koko.com/

 適切な配慮があれば立派に働ける精神病の人たち。私はそう思っていますよ。現に、「バザリア法」により精神病棟が廃止されたイタリアでは、そうなっている。震災後の日本でも、被災地の精神科病院が流されてしまったために患者さんたちはグループホームに住みながら作業所に通うことになり、それが軌道に乗っているという報告を最近見ました。

 バザリア法http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%B6%E3%83%AA%E3%82%A2%E6%B3%95



 この映画にもいましたよ「家事をする引きこもり」でなければならいない。と主張する医者が。それを支持する親御さんが。

 性の問題や暴力の問題。しっかり取り上げられていました。生きるってことは、そういうことも引き受けることですからね。本来人生の当事者たる本人が背負うべき責任を「専門家」なる存在が担ってしまうので、「管理」とか「隔離」とか「服従」とかいう問題が生じるのです。

 この映画でも描かれているように、団結して、努力して、知恵を出し合って、喜びや悲しみを分かち合って、生きることができれば、人生は素晴らしいのではないのでしょうか。

「見える化」が、最大の支援

2013-09-16 09:31:56 | 日記
 自分は、どういった支援が必要か。

 知的障害とも違う、統合失調症などの精神障害とも違う。

 知的障害なら、単純作業。某アパレル会社などではもはや無くてはならない戦力。普通の人ならやってられない単純作業を嬉々としてやりぬいてくれる。

 精神障害は、非常に状態像が多様で、ひとくくりにできない。

 法律上、または二次障害で精神系の疾患を経験することがあり、アスペルガー症候群などの発達障害は、精神障害とされることが多い。

 アスペルガー症候群などの自閉症スペクトラム障害への効果的な支援は?

 それは、「見える化」であると、強く言いたい。

 「見える化」とは、トヨタ生産方式の真髄の一つである。ここにいい資料を見つけた。

 「見える化」の実践ポイント(三菱総合研究所http://www.mri.co.jp/REPORT/JOURNAL/2006/jm06111508.pdf



 「見える化」は、特別教育用語の「構造化」に似ている。

 企業に提案する場合、「特性配慮もありますが、生産性向上のため、トヨタ自動車の方法を取り入れませんか」というのと、「障害対応のため、ノースカロライナ州の教育プログガムを導入してください」と言うのと、どちらが企業側に理解されやすいでしょうか。

 「見える化」された環境は、多くの人にとって動きやすい環境です。

 「特別なスローダウンを」「特別な配慮を」ではなく、「特性配慮と生産性の向上の両立を」を、コンセプトに、再就職を達成したい。