「生涯引きこもり」と宣言された私の、超豪華オプション生活

 登校拒否となり、生涯ひきこもりであろうと決めつけられて四半世紀。社会人として生きる記録。#発達障害 #自閉症 #ニート

神田橋先生を受診する方法

2018-08-19 12:00:29 | 神田橋治療の活用

神田橋先生受診の方法。至ってシンプルです。(2014年の直接情報)

勤務されている伊敷病院(鹿児島市)に先生の診療されている日に行き、受付に保険証を出すと同時に「神田橋先生を受診しに来ました。お願いします」旨を明白に言うこと。そうすると、神田橋先生専用の用紙を渡されます。待っている間に書き、受付に提出します。やがて神田橋先生ご本人から呼び出されます。

受診は近所の歯科よりも簡単。予約はいりません。紹介状も不要です。伊敷病院さんは特定機能病院ではないので普通の内科クリニックに行く要領で結構なようです。ただ私のように遠方で、飛行機での移動と宿泊が必要な人は、事前に伊敷病院に電話して希望日に先生が診療予定であるかを確認する必要があると考えます。

カリスマ名医のわりにアクセスは信じられないくらいシンプルで簡単。最初に受診しようとして情報収集した際、受診したことのある人たち何人かは今私が書いているようなことを言い、一方で私が当時信頼していた某福祉大精神保健福祉の先生は「絶対無理。私たちでも接近できない」と言われました。そこで伊敷病院に電話すると簡単に受診方法を説明してくださいました。伊敷病院さんの指示通りにしたら、受診できました。

それにしても何気に精神保健福祉の先生は、電話一本で確認できるほど簡単なでたらめ情報を言ったのかなあと思いました。確かに神田橋先生と親交のある杉山登志郎先生の受診はクローズなのかもしれないけれど(杉山先生には個人的なルートをたどればたどり着ける自信があるけれど)。神田橋先生は仲田大地君との交流で垣間見られるような親しみやすい性格の方。

私のとっては余りにも遠方なのですが、大いに期待のできる方です。多分年内に再診することになるのではないかと思っています。


 


その先生の指導、本当に取り入れますか?

2018-08-05 09:18:34 | 当事者研究

「支援者」の本質は、ネット検索すれば探せば分かるかもしれません。過去の反省と自戒を込めて書きます。

 数年前、私は特別支援や福祉の世界に足を踏み入れてはならないと考えている人物に騙され、結果的に放課後等デイサービス事業への踏み台になってしまいました。

 その人物とはハロワークの求人で知り合い、自分が騙されているとも知らず見込み違いで労働契約をしてしまいました。その詐欺的事業主には自分のような知識経験のある人間の書類が、法に根拠のある事業をするにはどうしても必要でした。

 特別教育のエキスパートであるはずの事業主はただ生徒と猥談をして遊んで盛り上がっていることが「エキスパートの方法」であると知り愕然とし、実質ただの事務員であるはずの私が書類上最高責任者となっていることが判明するなどしてうつ状態となり、ようやく抗議したところ解雇されたことがありました。

 その事業主は、事業所で堂々と、勉強ではなく猥談を、塾と称して親から月謝を取って子供と遊んでいたことを明らかにしていましたから、その放課後デイを選択した親はそれを知ったうえで契約しています。真実を知ったうえで利用するのなら、私には何の文句もありません。

 今は消えていますがかつてその事業主は、やくざ者との付き合いを堂々とフェイスブックにアップしていたました。私は裁判中にそれを知りました。採用選考中に一応ネット検索はしたのですが、フェイスブックやツイッターなどの検索ワードの想像が足らなかったと、後悔しています。やくざ者との交際を堂々と全世界に公表している人間などと、決して決して付き合いはしません。

 

 東海地方某県発達障害者支援センター長のアカウントとされるツイッターに、批判コメントが掲載されていました。津久井やまゆり園当事者・支援者の努力への冷やかしでした。また、営業職をしている発達障害当事者が自ら実践している工夫をまとめた本を出し、恨みを持った当事者にネット炎上させられていることにも冷やかしをしていました。

 県庁(その県のセンターは県が直轄している)としてではなく個人的発信としてとはいえ、未だに当事者たちの努力をただ冷やかすことしかしない。「治療目標は家事をする引きこもり」と公文書で明らかにし、東田さん親子を半ば詐欺師呼ばわりした過去と、見解に何の相違もないように私には感じられます。

 当事者支援者の努力を冷やかすことしかしない権威に、自分の人生の選択を託せるのでしょうか。私にはこの権威の推奨する生き方はできませんが、自閉症協会を中心にこの権威は大歓迎されていることも真実です。

 

 支援者の情報はネット上に上がっている可能性があります。漢字だけではなく、ローマ字で検索すると出ることがあります。グーグルだけではなく個別のSNSの検索機能を使っていけば、情報にたどり着く可能性があります。しっかり活用する必要があると思いました。


人のいのち。初めて味わう利用者の死から学ぶ

2018-08-02 21:54:33 | 日記

 今週、はじめて利用者の死を体験した。家庭内での突然死だった。

 介護の必要な、脳機能をかなり失った、重い精神障害の方だった。

 先週まで、自分も介護していて、今週もするものと身構えていたら、突然の訃報だった。

 彼にはもう、会えない。自分の体で、彼を身体介護することは、今後もうない。彼は私に手のぬくもりを伝えてくることは、もうない。ただひたすら悲しいばかりだ。

 今日、彼の顔を見ることができた。眠るようにお亡くなりになっていた。天国に行かれたのだ。

 ご遺族の方々のお話や職場の人たちの話や、自分の目からも出てきた、涙にくれる時間を味わった。

 人の命って、尊いのだと、あらためて実感した。

 「われ看てなんぢを寶(たから)とし尊きものとして亦〈また〉なんぢを愛す」と、聖書には書かれてある。(文語訳:イザヤ書434節)

 彼は病死だった。自分より若いけれど天命だったと信じる。神様は彼のように判断能力の失われた人は自動的に天国に呼び寄せると牧師の説教で教わっていて、自分もそう信じている。神様にとっては彼のような存在こそ、大事にしなければならない命なのだと、私は教えられているし理解している。そして今日、実感を得てますますもって確信が深まった。

 

 人の命を生産性とか何らかの優秀さや利用価値で測ったり判断したりする思想が今でもしっかり世間を跋扈しいて、それが津久井やまゆり園での元職員・植松による大量殺人とか、杉田水脈とかいう自民党に引き抜かれた元維新の2チャンネル的ネトウヨネオナチ発言を公に繰り返す国会議員とか、あるいは少しさかのぼって優性保護法とかT4作戦とか、そういうのがあるが、そういうのとは戦わないわけにはいかないと、今日感じた。

 

 理屈じゃない。人のいのちは宝で尊く、愛すべきものだ。