フランクル先生の著書を読んで、還元主義について書こうと思いました。
「科学的に」「医学的に」「客観的には」とか何とかの理由で、「一生治らないであろう」「生涯何もできないであろう」との医学的判断が、巷では膨大に、普通に、なされています。
その信頼性については、昨日の「医原病」や「発達障害専門医の診断はがんの余命告知と似ている?」でも述べてきました。
うそではないのでしょう。そういう状況をよく見るわけですから。
うそではないかもしれないけれど、それにしても粗い断定です。
フランクルは「宿命を超えて、自己を超えて」(春秋社)の中で"犯罪を犯した人間を状況の犠牲者と考えることは、人間性を重んじることにはけっしてなりません。それどころか、それは、人間性をひどくおとしめることであり、人間としての尊厳をそこなうことなのです。"と、述べています。
「一生どうにもならないであろう」なんて断定し、障害者を社会や家庭の状況の犠牲者だと考えるのは、人間の精神性や意思の自由を無視していて、ひいては人間性をひどく貶めることであり、尊厳を損なうことなのです。
また、こうも言われています
“十八人の非行少年を対象とする調査について報告しています。心理学者たちは、十八人の少年全員について予言していました。子供辞退の体験から推測するに、かれらは、いずれにせよ鉄格子のなかで一生を送るだろうというのです。知能テストでも、どの少年も教育や訓練に適していないという結果が出ました。しかし、この十八人の少年のうち、刑務所に入れられたのは一人だけでした。残りの十七人は、ある課題と責任に直面しました。つまり、かれらは、非行仲間をかの宿命論から救い出すという課題に直面したのです。その結果はどうだったでしょうか。調査に加わった十八人のうち、十七人は、立派に成長しました。一人は、はじめは文盲といっていいほどでしたが、のちに博士号を獲得し、現在ではマサチューセッツ州の某大学の教授になっています。また別の一人は、現在ではワシントンにある教育省の課長級の職に就いています。このように、精神の抵抗力によって、自分自身を変えることができるのです。”(フランクル 1997)
“ミュンヘンの心理相談所の所長であるエリザベート・ルーカス博士のところに、二人の娘がいる母親が来院しています。娘の一人は、望まれずに生まれた子供で、生まれるとすぐにおばあさんのところに引き取られました。その後、彼女は実の父親に強姦され、とうとう家を出てしまいました。けれども、その後、この娘は、まったく健全な人間に成長し、正常な性生活を送り、仕事もうまくやっていました。もう一人の娘は、望まれて生まれ、強姦もされませんでしたが、それでもきわめて重い神経症だったのです。その娘のために、その母親は、ルーカス博士のところに相談に来ていたのです。ルーカス博士はこういって話を締めくくっています。「これは、心理学の教科書には載っていない現実である。あとまで残る心的外傷という考えは、根拠薄弱である。現実には、きびしいショックを受けた人でも正常に生きていくことができるし、また、恵まれた環境の中で育った人でも誤った方向に進むことがある。」”(フランクル 1997)
心理学や精神医学の「法則」は、物理化学の法則ほどの蓋然性はありません。実験心理学でさえ、生物学よりも確率は悪いのです。臨床心理学なんて、どこぞの権威の発言集・随想集のような感じに見えますし、精神科医の診断は生化学的検査結果に基づくものではなく、もっぱら医師の主観的判断によるものです。
主観的判断によることであり、「専門家はこう言っている」程度のことでしかないのです。
どのような状況であれ、人間には、その人の生きざまを決める自由があるのです。
引用文献
V.E.フランクル/F.クロイツナー 1997 宿命を超えて、自己を超えて 春秋社 9,13-14