昨日、会社からの帰路、家の最寄り駅手前で突如として動けなくなり、ホームのベンチに座り続けることになりました。
20分ほどで妻が救出に車でやってきて、その時には自力で立ち上がり、エレベーターで〈階段は使わず〉地上に出ました。
何があったかと言えば、最寄り駅手前で突如として「魔物」が降りてきたように、「自分は生きていてはいけない。死ななければいけない。こんな生き恥を晒していいわけがない」などという希死念慮が久しぶり(一年くらい)に「降りて」来ました。
私は「魔物」には支配されません。冷静に考えれば、私が自殺すればたちまち妻子が困り果てるわけで、決して乗っていた地下鉄に飛び込むなどということはできないのです。それでもつらいので、そのままベンチにへたり込んだ、という次第です。
昨日の前々日、土曜日に、両親とひと月ぶりに会食しました。いろいろつまらないこと、適当なこと、まったく私の厳しい現状を理解していないことを言われ、その場では適当に対応しましたが、子としては悲しいと感じました。昨日の通勤途中に読んだ某精神科医著名教授の不登校に関する記述を思い出すと、不登校から何十年もの引きこもりに発展するケースでは、親子の会話が成立せず、親が変わらなければ子が外に出る可能性は望めない。とか、引きこもっている子は決して楽なのではなく、引きこもることに膨大なエネルギーを使ってしまっている、などと書かれていたと記憶しています。
その通りかもしれないと、思いつつ、自分の場合は、親が変わるのを待っておられず、自分を救ってくれる環境を自分で探したなあと、思いました。
親が週末に発した言葉には、自分のことを真剣に考えず適当な言葉遊びをしていると思え、子供を自分のロボットのように統制・操作しようとする思いを伝えられたことには、30年前とやはり何も変わっていないと感じ、悲しくなりました。
親の中には、子を救うためにいったん退職し、子と向き合う父親もいます。子の学費のためにかなりの財産をなげうつ人もいます。それを私の両親に求めるのは甘ったれです。
私の親は、私が自分を救うために探し出した環境に、お金を払ってくれましたが、それ以上の犠牲は払いませんでした。仕事中心であることは変わりなく、自分の立場や資金をしっかり考えて、そこには入らない限りで子供の面倒を見る人ですので、賢明な人かもしれないけれど、子供の危機に対しても、良くも悪くも常識通りの対応をする人でした。
今現在の両親は、私が生き恥を晒しているとは言いません。本を出せと盛んに言ってきます。あまりにも下らない、現在の社会状況を真剣に考察する気もない態度に怒りを通り越して悲しくなりますが、少なくとも私に死んでほしいとは思ってもいないと確信しています。
しかし「魔物」は今週も現れました。久しぶりのあらわれたこのイメージは、私から明らかに膨大な気力体力を奪っています。また、数年前「田舎武士道の研究」として当事者研究をしていた正にそのイメージは今も、私の心の奥深くにいるわけです。もう30数年来、自分の心の中のどこかに居て、ここ5年余りの時代は特に、コンディションの悪い時に、出現します。
この魔物は、多分、保育園から学齢期にかけて、両親から頻繁に発せられた、死んでくれ的な言葉と体罰との暴力による、当時の私が受けた、心の深い傷なのかもしれない。と考えるに至りました。
数年前の講演会で個人的に愛甲先生から指摘された「胎児期の愛着障害」については、神田橋先生(2016)の「胎児期愛着障害の気功治療」で「針が通る」ので、最早解消されたと仮定します。神田橋先生に連なる方しか「胎児期の愛着障害」を唱える人はいないと思うので、「針が通る」から「治った」と表現されればそれを受け入れるだけです。なので「魔物」は胎児期の愛着障害には由来しないと現時点では推定します。
養育を事実上ワンオペしていた母は当時、私が最初に自閉症の疑診を受けたころから私が大学に行く頃まで、精神を病んでいたと自分は推測しています。父の母への要求水準は高く、常に我が家は緊張状態にありました。私は育てることの難しい子供で、離島から何も知らない三河の山間地域での孤立無援の子育てで、父からは常に高い達成目標を要求され、それをかなえるために厳しく育てられました。父に言わせればもっと厳しい家庭もある。確かに星一徹よりかは優しいのかもしれません。それでも我が家の厳しさは近所に鳴り響いていました。巨大企業幹部の父の仕事も実は、やくざ的であると言われ実際萎縮させられた現場もあることも、かなり後で知りました。
私は虐待されて育てられたと、大学で心理学を勉強しているうちに悟るようになり、今は明白に、教育虐待であったと考えています。
その教育虐待により、私の発達凸凹は発達障害に進化したのも知れません。(杉山 2011)
なるほど、成人してからのパワハラについては「暴露療法」を自ら行い、認知行動療法を行う発達障害診断の権威から「あなたのような強い心の人には認知行動療法もEMDRもいらない」と言われています。(2013年ごろ)
不登校になった中学高校くらいのころの記憶は大学生時代に臨床心理学を学ぶことでかなり自己治療できていると考えますが、小学校前後の心的外傷への手当てが為されていないのかもしれないと、思うようになりました。
今日これから、心理療法でも身体的なことでも、自分への手当てを真剣に行っていかなければと、課題意識を強く持ちました。
※参考文献
神田橋條治 2016 治療のための精神分析ノート 創元社
杉山登志郎 2011 発達障害のいま 講談社現代新書
愛甲修子 2016 愛着障害は治りますか? 花風社