「生涯引きこもり」と宣言された私の、超豪華オプション生活

 登校拒否となり、生涯ひきこもりであろうと決めつけられて四半世紀。社会人として生きる記録。#発達障害 #自閉症 #ニート

「田舎武士道」さん。どうか安らかに刃を置いてください。

2018-07-31 21:52:08 | 当事者研究

昨日、会社からの帰路、家の最寄り駅手前で突如として動けなくなり、ホームのベンチに座り続けることになりました。

20分ほどで妻が救出に車でやってきて、その時には自力で立ち上がり、エレベーターで〈階段は使わず〉地上に出ました。

何があったかと言えば、最寄り駅手前で突如として「魔物」が降りてきたように、「自分は生きていてはいけない。死ななければいけない。こんな生き恥を晒していいわけがない」などという希死念慮が久しぶり(一年くらい)に「降りて」来ました。

私は「魔物」には支配されません。冷静に考えれば、私が自殺すればたちまち妻子が困り果てるわけで、決して乗っていた地下鉄に飛び込むなどということはできないのです。それでもつらいので、そのままベンチにへたり込んだ、という次第です。

昨日の前々日、土曜日に、両親とひと月ぶりに会食しました。いろいろつまらないこと、適当なこと、まったく私の厳しい現状を理解していないことを言われ、その場では適当に対応しましたが、子としては悲しいと感じました。昨日の通勤途中に読んだ某精神科医著名教授の不登校に関する記述を思い出すと、不登校から何十年もの引きこもりに発展するケースでは、親子の会話が成立せず、親が変わらなければ子が外に出る可能性は望めない。とか、引きこもっている子は決して楽なのではなく、引きこもることに膨大なエネルギーを使ってしまっている、などと書かれていたと記憶しています。

その通りかもしれないと、思いつつ、自分の場合は、親が変わるのを待っておられず、自分を救ってくれる環境を自分で探したなあと、思いました。

親が週末に発した言葉には、自分のことを真剣に考えず適当な言葉遊びをしていると思え、子供を自分のロボットのように統制・操作しようとする思いを伝えられたことには、30年前とやはり何も変わっていないと感じ、悲しくなりました。

親の中には、子を救うためにいったん退職し、子と向き合う父親もいます。子の学費のためにかなりの財産をなげうつ人もいます。それを私の両親に求めるのは甘ったれです。

私の親は、私が自分を救うために探し出した環境に、お金を払ってくれましたが、それ以上の犠牲は払いませんでした。仕事中心であることは変わりなく、自分の立場や資金をしっかり考えて、そこには入らない限りで子供の面倒を見る人ですので、賢明な人かもしれないけれど、子供の危機に対しても、良くも悪くも常識通りの対応をする人でした。

今現在の両親は、私が生き恥を晒しているとは言いません。本を出せと盛んに言ってきます。あまりにも下らない、現在の社会状況を真剣に考察する気もない態度に怒りを通り越して悲しくなりますが、少なくとも私に死んでほしいとは思ってもいないと確信しています。

しかし「魔物」は今週も現れました。久しぶりのあらわれたこのイメージは、私から明らかに膨大な気力体力を奪っています。また、数年前「田舎武士道の研究」として当事者研究をしていた正にそのイメージは今も、私の心の奥深くにいるわけです。もう30数年来、自分の心の中のどこかに居て、ここ5年余りの時代は特に、コンディションの悪い時に、出現します。

この魔物は、多分、保育園から学齢期にかけて、両親から頻繁に発せられた、死んでくれ的な言葉と体罰との暴力による、当時の私が受けた、心の深い傷なのかもしれない。と考えるに至りました。

数年前の講演会で個人的に愛甲先生から指摘された「胎児期の愛着障害」については、神田橋先生(2016)の「胎児期愛着障害の気功治療」で「針が通る」ので、最早解消されたと仮定します。神田橋先生に連なる方しか「胎児期の愛着障害」を唱える人はいないと思うので、「針が通る」から「治った」と表現されればそれを受け入れるだけです。なので「魔物」は胎児期の愛着障害には由来しないと現時点では推定します。

養育を事実上ワンオペしていた母は当時、私が最初に自閉症の疑診を受けたころから私が大学に行く頃まで、精神を病んでいたと自分は推測しています。父の母への要求水準は高く、常に我が家は緊張状態にありました。私は育てることの難しい子供で、離島から何も知らない三河の山間地域での孤立無援の子育てで、父からは常に高い達成目標を要求され、それをかなえるために厳しく育てられました。父に言わせればもっと厳しい家庭もある。確かに星一徹よりかは優しいのかもしれません。それでも我が家の厳しさは近所に鳴り響いていました。巨大企業幹部の父の仕事も実は、やくざ的であると言われ実際萎縮させられた現場もあることも、かなり後で知りました。

私は虐待されて育てられたと、大学で心理学を勉強しているうちに悟るようになり、今は明白に、教育虐待であったと考えています。

その教育虐待により、私の発達凸凹は発達障害に進化したのも知れません。(杉山 2011

なるほど、成人してからのパワハラについては「暴露療法」を自ら行い、認知行動療法を行う発達障害診断の権威から「あなたのような強い心の人には認知行動療法もEMDRもいらない」と言われています。(2013年ごろ)

不登校になった中学高校くらいのころの記憶は大学生時代に臨床心理学を学ぶことでかなり自己治療できていると考えますが、小学校前後の心的外傷への手当てが為されていないのかもしれないと、思うようになりました。

今日これから、心理療法でも身体的なことでも、自分への手当てを真剣に行っていかなければと、課題意識を強く持ちました。

 

※参考文献

神田橋條治 2016 治療のための精神分析ノート 創元社

杉山登志郎 2011 発達障害のいま 講談社現代新書

愛甲修子 2016 愛着障害は治りますか? 花風社

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障害者雇用、私の感じる目の前の現実

2018-07-29 16:10:13 | 当事者研究

まず、障碍者雇用「なまの声」を、ご興味あれば以下のリンクからご覧いただきたい。

NHKハートネット 障害者雇用 あなたの「声」を聴かせてください!

https://www.nhk.or.jp/heart-net/new-voice/3/

 

このブログなどで指摘しているとおり、現実の大半の障害者雇用は

・仕事は内職的なことを集めて、障害者作業所的なもの

・仕事はないこともある。あっても最低賃金が支払いえるような内容ではないこともある

・求人自体がフェイクであることがよくある。いわゆる現実の給料手は違う求人で求職者を釣る求人詐欺ではなく、労働局対策で求人しているふりをしているだけとしか思えない会社が、いくらでもある。

・本来的な「戦力」として雇用する会社は、事実上「軽度身体障碍者雇用枠」である。

・知的B判定の人や発達障害、精神障害をオープンにしている人を障害者雇用しながら、なんの配慮もしない会社は、いくらでもある。(製造業に多いと感じる。時々労災事故で裁判になっていることが報じられている。)

・ごくごくまれに、発達障害やうつ病経験者を配慮しつつまともな戦力として障害者雇用する、制度設計通りの枠が、日本に存在しないわけではない。(が、極めてまれである)

 

自分はクローズで某福祉団体にて仕事をしている。ちなみに障害や傷病を開示・非開示にする権利が労働者側にあることは、厚生労働省がはっきり明記しているし、弁護士にも確認済みである。オープンにしたところで何の配慮も得られないと確信しているからである。

障害をオープンにするにしろ、クローズで行くにしろ、仕事の継続は困難である。

自分の場合、年齢のこともあってか、それから何度も大きな二次障害的なうつ状態を経験したからか、週末は動くことができず、医師からも相当痛めつけられていると警告されている。

自分には感覚過敏もないし、体力は講道館柔道の黒帯レベルだが、自分の何気ないしぐさや発する声のトーンが気に入らないということが、どこの場面に行っても起きて、学校でも職場でも親族の間でも教会や町内会でも、いじめやハラスメントから解放される場面は、一度も経験したことがない。なれたと思っていたが、残念ながら身体的なところにダメージが来るようになった。

上記のことは自閉症スペクトラムの「社会性の障害」や「想像力の障害」と関連するものだが、だからと言って配慮を得られるものではない。私が気に入らないという人にとっては私が障害をオープンにしたところでますます気に入らない。障害者だから配慮して、は通用しない。「発達障害者には社会の理解が必要です」は、発達障害者支援センターのポジショントークに過ぎない。

医療福祉の関係者は、実は障害者には非常に厳しい、生理的に受け付けない人が多い、それこそ「生産性」がないとみなされる、という現実を知ったのは近年のこと。こういう「本当の思い」というのは、国レベルで発達障害者支援法ができようができまいが、障碍者権利条約を批准しようがしまいが、関係のないこと。

愛知県の発達障害者支援センターは「大人の発達障害には支援がほとんどありません」旨の啓示をしている。それがあったとしても大人の発達障害への支援をうたった団体の大半が、残念ながら、救いを求める発達障害当事者を、社会の戦力として再出発させるのではなく、去勢し食い物にしているとしか、私には言いようがない。

現実の世界を今日も明日も生きるしかないのだが、自分はそろそろ限界を感じている。またうつ状態がひどくなって退職に至ること、あるいは職場から政治的に排除されることも、すでに覚悟している。つぶれればまた、立ち上がればいい。立ち上がれる限り、何度でも立ち上がろうと思っている。

 

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福祉現場での「人権」の実態について

2018-07-04 20:56:08 | 当事者研究

 

福祉の現場において、「人権」はどうなっているのだろうか。

自分の出会ってきた「現状」を公開したい。

 

まず、福祉の現場で働く職員の「人権」について、赤裸々に描きたい。

サービス残業の嵐である。または公立学校教職員の「給与法」を勝手に民間施設に適用している。今はやりの「高度プロフェッショナル制度」は、すでに医療教育福祉の現場では当たり前のこととなっている。

サービス残業とは「給料泥棒」だと思うのだが、名古屋一の福祉系大法人など夜勤はボランティアだと堂々と言い張り、労働基準監督署はガサを入れようともしない。

医療福祉は無法地帯であることは、もうずいぶん前から知られている現実である。

あるいは、大半の法人が中小零細企業なので、中小零細の大半の経営者が遵法精神に乏しい現実がある中で、普通に人権意識がないのかもしれない。

そして、そこで働く人々にもまた、人権意識は乏しい。教員たちのように、長時間無賃労働することが美徳となっている。

自分はそれではいけないと思い、きっちり残業手当を請求していたころもあったが、結局はボーナスの査定で何万円も下げられるので、ばかばかしくやめにした。

また、労働安全衛生法に触れる業務について、法令違反の指摘を会社に対してしてきたが、これも「毎日の仕事でないから法律は守らない」と宣言されてしまった。

民間企業を標榜していると公言しているので法令順守してくれるだろと思ったら、労基法も労安法も無視する普通の福祉団体だったことにがっかりしている。

職員同士で団結できればいいが、職員も法令遵守の精神がないので労働運動することは半ばあきらめている。せめてしっかり記録にまとめて、退職時に未払い賃金(仮の計算で百万を超える)を弁護士と裁判所経由でもらう段取りをつけている。

 

自分の人権を守れぬ存在に、他人の人権など守れようがない。そもそもテレビやネットが騒がない限り、大したことは起きないと思う。自浄努力など、福祉業界には全く期待できない。だから具体的な虐待事例が発生した場合、物的証拠の収集と保全は必須である。福祉職の良心など全く期待にならない。期待を持つべきは証拠と罪刑法定主義に基づく法的解決だと思っている。今はいろいろなスパイグッズが市販されている。証拠保全はやりやすくなっている。

四半世紀前、プロテスタント系知的障害施設の職員だったころ、しばしば目撃する先輩職員たちによる一部利用者への「有形力の行使」という名の暴力と虐待に苦しめられていたことを今でも思い出すが、福祉局に通報したところで物的証拠はないので断念していた。私がそこを退職してからなぜか労働運動が起こり、労組の派遣した元職員の専従が「暴力根絶」を言い出したところ組合員が一斉反発したという報告をうけたことも記憶している。何せ一番の暴力指導員が連れてきた労組(自分もかつて秘密加入していた)だから、施設内暴力根絶ではなく暴力容認と組合勢力拡大を図ったのだった。これが私の知る現実である。

 

いわゆる相模原知的障害施設大量殺人事件で犯人が元職員で教員免許保持者であることにたいそう驚いたものだが、あのような思想がまさに、福祉施設で生じたのである。あの手の思いに至る福祉施設職員は昔からいたし、時々表沙汰になって来た。

事実は明るみになるべきである。

福祉における「人権」の真実は、その程度である。それが現実であり、その現実を基に行動しなければならない。

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