「生涯引きこもり」と宣言された私の、超豪華オプション生活

 登校拒否となり、生涯ひきこもりであろうと決めつけられて四半世紀。社会人として生きる記録。#発達障害 #自閉症 #ニート

切ないな。やるせないな。

2018-04-04 21:38:43 | 仁義なき医療福祉~地獄の沙汰も金次第~

世界自閉症啓発デーに合わせたNHKの番組で取り上げられた子供さんで、5歳で九九ができて算数にこだわりのある子を特別支援学校に入れた、という選択をした親子が取り上げられました。

私はジェイク少年を称賛するような人間なので、ジェイク君やグランディン博士の親御さんとは正反対の(たぶん村上先生の親御さんの選択とも正反対の)選択をした、この子の選択を、福祉の専門家としては尊重するべきですが、個人としては悲しく思いました。

「無理をさせない人生」が本当に二次障害や三次障害から解放される人生なのか。某著名経済評論家の私と尾内年の自閉の息子さんは児童精神科大御所の患者さんなのですが、子供のころからつながっている大御所の患者さんは強度行動障害化して行動援護の対象。方や私は基本は同じ自閉でその度合いも同じようだと経済評論家様の本を読んで思うのですが、自分は行動援護事業所のサービス提供責任者資格を持つ支援する側にいます。

無理をさせない、チャレンジさせない、というのも相当なストレスだと思いますよ。フランクル先生に至ってはそういうのを「根拠のない、尊厳を無視した専門家の信念」「医原性精神病」「還元主義」などと呼んで批判しています。自分もその側にいます。

某経済評論家の息子さんが自分のクライアントになったら、自分は一生懸命介護するでしょうが、その生き方に賛同できないです。その方の自己決定が最大限尊重されなければならないのですが、私の旨とする生き方とは相当異なるなあと。そういうば、そういうクライエントさんは今もいくらでもいるかなあと。

悲しいな。幼稚園で九九のできる子が高等部になってようやく自分の字をひらがなで書ける子たちと同じステージに立つなんて。


自由意志

2018-03-22 22:25:47 | 仁義なき医療福祉~地獄の沙汰も金次第~

 今日は今の仕事の話もしたい。

 自分は知的障碍者向けの作業所の介護職をしている。

 職場の利用者の自閉の人には、大きく分けて二種類の人がいる。

 強度行動障害で毎日他者への暴力のある人。言ってもわからない人。反省する能力のない人。こういう人たちにはTEACCHABAを手続きに基づいて強力に実施する必要があると強く思う。もう、外からコントロールするしかない。

 もう一種類の自閉の人は、知的には重い障害ではなく自傷他害もあまりない、自閉傾向の顕著な「某社社長の御曹司」たち。彼らは、覚悟と矜恃を持つことかできれば、一般企業で仕事のできる人たち。

 ただしもし、御曹司たちが企業で仕事をしてまともな給料にありつきたければ、それは普通に、二次障害を通り抜けて、幾多幾重もの苦しみと困難を乗り越えなければならない。

 親がそれほど金持ちでなければ、生きる知恵のある一部の自閉っ子は、頑張って企業社会で生き残るいばらの道を歩んでいることは、杉山先生の調査や自分の製造業経験を通して理解している。

 私のお客様の親御さんたちからは、そういう道は歩ませたくはなく、自分の職場のような立派なビルを自前で構え財務諸表の立派な優良企業に自分の愛する子供を一生預けたいのだ、という思いが日々の会話からにじみ出てくる。

 プロとしての自分は、職人は自分のしたいことではなくお客様の求める仕事をしなければならないとトヨタ系でとことんしつけられているまま、自閉のお子様が二次障害にならないように保護するべく、彼らが頑張りすぎないよう環境に飽きないようにと頑張っているつもりである。

 自分は今の会社と労働契約を結んでいる身だから、会社に保護を求めるお客様には誠心誠意尽くさなければならない。

 ただ、就労能力がある(児童精神科医たちが否定しても自分は勝手に能力があると思う)御曹司様たちが、リスパダールとか飲みながら強度行動障害を繰り広げる人たちと一つの部屋で一緒にすごす環境が本当にいいのだろうかと、今ふと、疑問も思っている。

 自分本位の良心は出さないで、ひたすらお客様の目指す幸せを実現したいと思う。

 お子様に負担をかけたくない親御様の思いに反して自立したければ、やはりご本人の強い意志と主張と行動が必要だと思った。本人の精神的経済的自立を追求することは、本人のリスクをとる意思表示と行動があってもなお、支援者としては自分の首と家族の生活を失うリスクを背負って(もうからないこと、親が嫌がることをするから)支援することになる。厳然たる事実である。


専門家は役に立たない。自分で治すように頑張ろう!!

2018-03-05 21:50:02 | 仁義なき医療福祉~地獄の沙汰も金次第~

僕はどうやって不登校から脱出したのだろうか。

僕はどうやって治ったのだろうか。私の過去を知る多くの専門家たちは、私がこうして仕事をしていることが信じられないと言う。(そして、仕事をすることはふさわしくないから「定位置」に戻れ、といって己の固定資産化を目論み、私の人生を破壊しようとする専門家も少数いる。)

でも、かつて出会った大原健四郎先生(故人・浜松医科大学名誉教授)は、「お前は病気ではない。しっかりしろ!」と怒鳴り散らしてくださり、私を精神医療から追放してくださった。私は帝国陸軍仕込みの叱咤激励をされて何とかなるような人間だった。

「今の社会が悪いから、社会が変わるのを待ちましょう。」と、東京シューレなどの人たちが今でも唱えているであろう口上を真に受けていたら、一生引きこもりであろうと推定したので、自分は今井先生のような、たとえ変わった人であっても自分を一歩前に引き出せると思った「支援者」についていくことにした。

今井先生のところをベースにしていたが、自分は結局机にしがみつけるような人間ではなかった(今でも多動で衝動性が強いと一部の精神科医は自分のことを断定すると思う)から、やがて23時間程度のバイトに出るようになった。高校中退で大学入学資格検定合格者の私を不採用とする会社はたくさんあったが、マクドナルドの某大規模店が雇ってくれた。以降、大学卒業までマクドナルドさんで働くこととなるが、有給でフィットネスかジム通いのような「エコー」と呼ばれる働きをさせていただき、ハンバーグやホットケーキのうまい焼き具合を教えてもらい、面白い遊びを教えてくれる友達とつるむ機会をもらえ、人間関係が厳しいことで知られるファストフード業界で社会性を鍛えられ、マネージャーにはなれなかった(そこまでのめり込まなかった)けれどニッチな分野(エコー係と始業係)ではかなり頼りにされ、他人を指導する経験も積めて、とてもとても良い思い出ばかりだ。「大学時代のバイトはずっとマックでした。」という口上とファストフード業界トークは、自分のタイネスとバイタリティーの証明となり、正社員の仕事を見つける時の非常に大きなブラスになった。

今井先生の専門は形成皮膚科であり発達障害のことは門外漢である。ましてやバイト先で自分を鍛えて元気にしてくれたバイト先の人たちのなかに、専門知識のある人間が一体何人いたのだろうか(ひとり、息子が不登校で悩んでいる英語通訳資格者のおばさんがいたが。その方ぐらいかな)。

自分の場合は「信仰心」というファクターも極めて重要だった。キリスト教の信仰を与えられたのは大学卒業の時だった。神様は仕えられるためではなく、人間に仕えるためにこの世に最も貧しくみじめな出自を伴って来た。世の人々の救いのためにご自分を「贖いの子羊」として差し出し、十字架にかかって死んでくださった。ということを本気で信じることができて(今でも固く信じていて)、「なら、自分も人に仕える」ということを実践することを喜びとするようになり、それは今に至っている。製造業にいた時も、役に立ちたいという思いを職場の人たちに伝え続けたものでした。神様だけは自分のことを知っている。神様は信じる者の味方だ。と思えることは、なんというありがたいことかと思っている。

私は、たとえエビデンスの確立されていない方法でも、自分が例外的な1%であったとしても、自分にとって役に立つ方法を使って生きていく。生きている限りどのような絶望下にあろうとも「神様、私はここにいます。どうか私を用いてください。」と、熱烈に叫び続けるのだと思う。

自分のような選択をする人はむしろまれかもしれない。多くの医療福祉の専門家が己の利用者や病人・障碍者の人生をかなり低く見積もる理由もわかる。この私自身も、入所施設勤務の時は、知的重度の自閉症者とはすなわち強度行動障害という経験しかつめず、皆そうだと信じていた。同時代に発行された杉山先生の本を読んでいたら、もうあんな仕事やってられなくてもっと早く施設を飛び出していたと思う。製造業には確かに、知的ボーダーや学習障害者、自分にさらに輪をかけたレベルの自閉症者がクローズ(未診断または非公表)で職人芸を発揮して、苦労しながらも才能を開花させていた。彼らの人生に、私の人生にも、「統計的エビデンス」など必要ない。

私にとって大事なことは、自分の手の業が人様の役に立っているという真実。家族を養っているという真実。自分を使ってもらって世の中の一歯車として機能しているという真実。専門家の還元主義思想など、ペンテコステ派の人たちの悪魔払いの真似でもして追い払ってやろう。


「いい支援」と「専門性」は、相関しないのではないか

2018-03-04 12:32:59 | 仁義なき医療福祉~地獄の沙汰も金次第~

 いい支援とは何なのだろうか。といつも考えています。

 今、「発達障害の豊かな世界」という杉山登志郎先生が四半世紀前に書いた本を読んでいて、いろいろ衝撃を受けています。

 四半世紀前から、自閉症の人たちの就労能力が、仕事にはまれば非常に高いことが、調査で分かっていました。

 この本で紹介されている「J塗装」という会社や、ノンダストチョークと障害者雇用で知られる日本理化学工業のような会社で障害のある人たちと働いている人たちこそ、そこに就労する知的障害のある自閉症の人たちにとって最高の支援者なのだと思います。かれらはそこで仕事をして頼りにされて、仕事をほめられて、世間並みの給料をもらって暮らしていけるわけですから。

 そのJ塗装さんに言わせてみれば、パニックのある重い知的障害のある自閉の人こそ、欲しい人材とのことで、彼らは通常の二倍の仕事をするそうです。パニック時の対処は、ただその場から離して「そこでじっとしてろ」だけのようです。もちろん、働いている人たちは就労意欲のはっきりした人たちですから、落ち着けば仕事に戻るようです。

 J塗装さんは障害者従業員向けの保護者会を持っていて、給料日には必ず働いている人が好きなこと、カラオケでもボーリングでも外食でもなんでも、必ずやってくださいと言っているようです。

 杉山先生はいろいろな規模や形態の会社に対する調査もしていて、その結果は今見てもよく理解できる、当てはまる内容です。いろいろ困難はあるけれど、塗装工から大学教授まで、働いている自閉の人がたくさんいることが、四半世紀前からわかっていました。

 J塗装の人たちは医療福祉や教育の専門家ではなく普通の工員さんたちです。日本理化に至っては福祉学部や教育学部卒業の人たちと有資格者は採用しないと、明言されていると記憶しています。私も、福祉の人には就労支援はできないと感じています。私は就労支援がしたいと思っていますが、役に立つのはトヨタ系で働いた10年の職人経験であり、仕事をしようとするような自立心の高い人には(たとえ重度の障害者でも)福祉的な概念は不要だと思っています。政策により障碍者雇用が進められていますから、必要なのは福祉教育を受けた人間による「支援」ではなく、ただ法律遵守。それだけです。

 いわゆる専門性と「優秀な支援」との相関は、まったく無いのではないのかと、思うこともあります。今、私が従業員として働いている障害者作業所の従業員は、全員「大卒」ではありますが偏差値43とか38とか、そういうところの出身者がほとんどです。四半世紀前の福祉職は事実上の準公務員で、旧帝大教育学部卒とか駅伝の選手とか音楽コンクール受賞者とかざらにいました。古巣と今の職場とどちらがいいかといえばもう絶対今の職場です。

 古巣は老舗の知的障害者更生入所施設で蒼々たる面々が職員として仕事をしていました。キリスト教原理主義(福音派)を明白に掲げ応用行動分析(今はそのことを「ABA」と呼ぶことがほとんどですね)と伝統的な福祉施設の管理を徹底している会社で、箸の上げ下ろしのスピードまで0.5秒単位でコントロールしなければならない職場環境でした。「自閉の東大」を自称(この文章を読んだだけで固有名詞わかる人はわかりますね)していましたが、利用者は軍隊的統制とオペラント条件付けで修道院生活を強制されていると感じていました。自分の意思でキリスト教の修行をするなら結構なことですが、宗教的に確立されたゆるぎない確信でセンサーとカギで管理され調教の技術で理念を実現するようにコントールされている入所施設に自分の意思で入る知的障害の人なんて、何人いるのでしょうか。私の受け入れているキリスト教は施設側の説く行いによる証明とはちがうので、私のそれは信仰による救いなので、全く相容れないものでした。

 偏差値の高い、大学入試でいい成績を収められた人たちが多いからとか。あるいは専門資格を持っている人たちが多いからとか。管理が厳しくなるだけで必ずしも「いい支援」とは結び付かないと感じています。

 今の職場は多くの問題を抱えた決して誇れるような環境ではありませんが、自らの支援を絶対視する古巣と比べれば相当ましだと感じています。自分は専門教育と福祉系最難関国家資格の教育がありますから、発達段階や学習レディネスを考慮した支援、それからはノーマライゼーションや障害者基本法や障害者権利条約の精神を旨として仕事をしていきます。ただ、自分の人生を歩むだけです。