いい支援とは何なのだろうか。といつも考えています。
今、「発達障害の豊かな世界」という杉山登志郎先生が四半世紀前に書いた本を読んでいて、いろいろ衝撃を受けています。
四半世紀前から、自閉症の人たちの就労能力が、仕事にはまれば非常に高いことが、調査で分かっていました。
この本で紹介されている「J塗装」という会社や、ノンダストチョークと障害者雇用で知られる日本理化学工業のような会社で障害のある人たちと働いている人たちこそ、そこに就労する知的障害のある自閉症の人たちにとって最高の支援者なのだと思います。かれらはそこで仕事をして頼りにされて、仕事をほめられて、世間並みの給料をもらって暮らしていけるわけですから。
そのJ塗装さんに言わせてみれば、パニックのある重い知的障害のある自閉の人こそ、欲しい人材とのことで、彼らは通常の二倍の仕事をするそうです。パニック時の対処は、ただその場から離して「そこでじっとしてろ」だけのようです。もちろん、働いている人たちは就労意欲のはっきりした人たちですから、落ち着けば仕事に戻るようです。
J塗装さんは障害者従業員向けの保護者会を持っていて、給料日には必ず働いている人が好きなこと、カラオケでもボーリングでも外食でもなんでも、必ずやってくださいと言っているようです。
杉山先生はいろいろな規模や形態の会社に対する調査もしていて、その結果は今見てもよく理解できる、当てはまる内容です。いろいろ困難はあるけれど、塗装工から大学教授まで、働いている自閉の人がたくさんいることが、四半世紀前からわかっていました。
J塗装の人たちは医療福祉や教育の専門家ではなく普通の工員さんたちです。日本理化に至っては福祉学部や教育学部卒業の人たちと有資格者は採用しないと、明言されていると記憶しています。私も、福祉の人には就労支援はできないと感じています。私は就労支援がしたいと思っていますが、役に立つのはトヨタ系で働いた10年の職人経験であり、仕事をしようとするような自立心の高い人には(たとえ重度の障害者でも)福祉的な概念は不要だと思っています。政策により障碍者雇用が進められていますから、必要なのは福祉教育を受けた人間による「支援」ではなく、ただ法律遵守。それだけです。
いわゆる専門性と「優秀な支援」との相関は、まったく無いのではないのかと、思うこともあります。今、私が従業員として働いている障害者作業所の従業員は、全員「大卒」ではありますが偏差値43とか38とか、そういうところの出身者がほとんどです。四半世紀前の福祉職は事実上の準公務員で、旧帝大教育学部卒とか駅伝の選手とか音楽コンクール受賞者とかざらにいました。古巣と今の職場とどちらがいいかといえばもう絶対今の職場です。
古巣は老舗の知的障害者更生入所施設で蒼々たる面々が職員として仕事をしていました。キリスト教原理主義(福音派)を明白に掲げ応用行動分析(今はそのことを「ABA」と呼ぶことがほとんどですね)と伝統的な福祉施設の管理を徹底している会社で、箸の上げ下ろしのスピードまで0.5秒単位でコントロールしなければならない職場環境でした。「自閉の東大」を自称(この文章を読んだだけで固有名詞わかる人はわかりますね)していましたが、利用者は軍隊的統制とオペラント条件付けで修道院生活を強制されていると感じていました。自分の意思でキリスト教の修行をするなら結構なことですが、宗教的に確立されたゆるぎない確信でセンサーとカギで管理され調教の技術で理念を実現するようにコントールされている入所施設に自分の意思で入る知的障害の人なんて、何人いるのでしょうか。私の受け入れているキリスト教は施設側の説く行いによる証明とはちがうので、私のそれは信仰による救いなので、全く相容れないものでした。
偏差値の高い、大学入試でいい成績を収められた人たちが多いからとか。あるいは専門資格を持っている人たちが多いからとか。管理が厳しくなるだけで必ずしも「いい支援」とは結び付かないと感じています。
今の職場は多くの問題を抱えた決して誇れるような環境ではありませんが、自らの支援を絶対視する古巣と比べれば相当ましだと感じています。自分は専門教育と福祉系最難関国家資格の教育がありますから、発達段階や学習レディネスを考慮した支援、それからはノーマライゼーションや障害者基本法や障害者権利条約の精神を旨として仕事をしていきます。ただ、自分の人生を歩むだけです。