今年8月東京の隅田川の屋形船に乗る機会がありました。
その時、思いがけない光景を目にしました。
以前、どこかのHPで見かけた「霊岸島水位観測所」のモニュメントを見たのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/46/b25191baf3c096ce35a36ad96912c466.jpg)
あわててシャッターを切ったためブレています。
川の中央から見たところです。
先日、東京に行く機会がありました。
少し早めに家を出て、霊岸島水位観測所を見てきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/3d/19cfa876f0021b0fe2d8d424976905d2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/3a/5b2cc81e5797b7fe7bd45d117d6f607f.jpg)
荒川水系 隅田川 国土交通省霊岸島水位観測所
標高 T.P.+65m A.P.+7.6m
零点高 A.P.±0m
位置 東京都中央区新川2-32
緯度 北緯35°40′19″
経度 東経139°46′58″
設置年月日 大正12年9月16日
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/06/45ce0989ea0d72a90e6a5129a94a4505.jpg)
説明看板1
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/17/0fe96a41c6828a56a13e3bbb5cce5ed9.jpg)
説明看板2
詳細は、「日本の測量史」のHPから引用
【験潮場】
海水面の観測をすることを験潮といいます。験潮場は外海に接し風波の影響が少なく岩礁や人工岸壁など
地盤が強固な位置に設置されます。験潮の役割は各地の平均海面を決定することですが海岸の隆起、沈降
を検出して地震予知にも役立っています。
験潮場は1872年(明治5)民部省が利根川河口に銚子量水標を設置し翌年、隅田川河口の霊岸島、
1874年(明治7)には江戸川河口の堀江に設置されました。
陸地測量部の発足後、1891年(明治24)以降は高神(千葉)、鮎川(宮城)、串本(和歌山)、
細島(宮崎)、深掘(長崎)、外浦(島根)、輪島(石川)、岩崎(青森)、小樽(北海道のちに忍路)、
花咲(北海道)の10ヶ所に設置されました。
後年、海洋気象台に移管されたものもあります。霊岸島量水標の潮位記録は「水準原点」を建設した際には
東京湾における平均海面を示しましたが淡水の影響などあり理想的ではなく1894年(明治27)に
千葉県高神村(犬吠崎南方)から移設された三浦市の油壺験潮場の潮位記録で水準原点の高さを検証する
ことになりました。
現在、国土地理院では油壺験潮場で連続して潮位観測とGNSS(GPS)による観測を行うとともに
油壺験潮場と日本水準原点との間を毎年、一等水準測量を行い原点数値を点検しています。
【霊岸島水位観測所】
荒川河口にあたる霊岸島の量水標は1873年(明治6)に北緯35度40分09秒、東経139度47分
16秒(日本測地系)の位置にオランダからのお雇い外国人の指導により設けられました。
現在の中央区新川二丁目中央大橋下流右岸にあたります。最低潮面をA.P(Arakawa Pile)としました。
量水標は量潮尺とも呼ばれました。
しかし陸地測量の基準としてはこれと異なり1873年(明治6)6月から1879年(明治12)12月
までの毎日(一時期欠測あり)の満干潮位を測定、平均値を算出し量水(水位)標の読みで1.1344
メートルが東京湾平均(中等)海面T.P(Tokyo Pile)となり、この位置をゼロメートルとして全国の
標高の基準と定めました。
かっては、この位置で2.62メートル(T.P)の高さに内務省地理局の水準標石があり水準点を表す不
の字(几号)が刻印されていました。
量水標の位置は1994年(平成6)5月に隅田川護岸工事の影響で36メートル下流に移設されました。
写真の三角形のフレームは現在の位置で標尺と自記記録室があります。
フレームのパイプの一辺の長さはこの位置の経度にちなみ13.947メートルになっています。
またこの量水標のすこし上流には元位置を示す標尺の形をしたモニュメントがあります。
現在の水位観測所は国土交通省荒川下流工事事務所の所管になっています。水準原点とは関係ありません。
その時、思いがけない光景を目にしました。
以前、どこかのHPで見かけた「霊岸島水位観測所」のモニュメントを見たのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/46/b25191baf3c096ce35a36ad96912c466.jpg)
あわててシャッターを切ったためブレています。
川の中央から見たところです。
先日、東京に行く機会がありました。
少し早めに家を出て、霊岸島水位観測所を見てきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/3d/19cfa876f0021b0fe2d8d424976905d2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/3a/5b2cc81e5797b7fe7bd45d117d6f607f.jpg)
荒川水系 隅田川 国土交通省霊岸島水位観測所
標高 T.P.+65m A.P.+7.6m
零点高 A.P.±0m
位置 東京都中央区新川2-32
緯度 北緯35°40′19″
経度 東経139°46′58″
設置年月日 大正12年9月16日
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/06/45ce0989ea0d72a90e6a5129a94a4505.jpg)
説明看板1
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/17/0fe96a41c6828a56a13e3bbb5cce5ed9.jpg)
説明看板2
詳細は、「日本の測量史」のHPから引用
【験潮場】
海水面の観測をすることを験潮といいます。験潮場は外海に接し風波の影響が少なく岩礁や人工岸壁など
地盤が強固な位置に設置されます。験潮の役割は各地の平均海面を決定することですが海岸の隆起、沈降
を検出して地震予知にも役立っています。
験潮場は1872年(明治5)民部省が利根川河口に銚子量水標を設置し翌年、隅田川河口の霊岸島、
1874年(明治7)には江戸川河口の堀江に設置されました。
陸地測量部の発足後、1891年(明治24)以降は高神(千葉)、鮎川(宮城)、串本(和歌山)、
細島(宮崎)、深掘(長崎)、外浦(島根)、輪島(石川)、岩崎(青森)、小樽(北海道のちに忍路)、
花咲(北海道)の10ヶ所に設置されました。
後年、海洋気象台に移管されたものもあります。霊岸島量水標の潮位記録は「水準原点」を建設した際には
東京湾における平均海面を示しましたが淡水の影響などあり理想的ではなく1894年(明治27)に
千葉県高神村(犬吠崎南方)から移設された三浦市の油壺験潮場の潮位記録で水準原点の高さを検証する
ことになりました。
現在、国土地理院では油壺験潮場で連続して潮位観測とGNSS(GPS)による観測を行うとともに
油壺験潮場と日本水準原点との間を毎年、一等水準測量を行い原点数値を点検しています。
【霊岸島水位観測所】
荒川河口にあたる霊岸島の量水標は1873年(明治6)に北緯35度40分09秒、東経139度47分
16秒(日本測地系)の位置にオランダからのお雇い外国人の指導により設けられました。
現在の中央区新川二丁目中央大橋下流右岸にあたります。最低潮面をA.P(Arakawa Pile)としました。
量水標は量潮尺とも呼ばれました。
しかし陸地測量の基準としてはこれと異なり1873年(明治6)6月から1879年(明治12)12月
までの毎日(一時期欠測あり)の満干潮位を測定、平均値を算出し量水(水位)標の読みで1.1344
メートルが東京湾平均(中等)海面T.P(Tokyo Pile)となり、この位置をゼロメートルとして全国の
標高の基準と定めました。
かっては、この位置で2.62メートル(T.P)の高さに内務省地理局の水準標石があり水準点を表す不
の字(几号)が刻印されていました。
量水標の位置は1994年(平成6)5月に隅田川護岸工事の影響で36メートル下流に移設されました。
写真の三角形のフレームは現在の位置で標尺と自記記録室があります。
フレームのパイプの一辺の長さはこの位置の経度にちなみ13.947メートルになっています。
またこの量水標のすこし上流には元位置を示す標尺の形をしたモニュメントがあります。
現在の水位観測所は国土交通省荒川下流工事事務所の所管になっています。水準原点とは関係ありません。