星・宙・標石・之波太(しばた)

星、宇宙、標石、之波太(しばた:柴田)をこよなく愛するサイト。

7月7日

2017-07-07 23:31:25 | その他
7月7日、七夕。
今年:2017年の

新暦の七夕:7月7日。
月遅れの七夕:8月7日。
旧暦の七夕:8月28日。
旧暦の七夕を伝統的七夕と呼んでいる。

7月7日の記念日を調べたら、「カルピスの日」とある。

カルピス誕生の裏話(カルピスHPから)
時は明治35年(1902)。後に「カルピス」の生みの親となる三島海雲(かいうん)は、
大阪のお寺に生まれ、英語教師をしていました。
25歳のとき、青雲の志を抱き、遥か中国大陸に渡りました。
彼の地で数々の事業を試みた海雲は、現在の中華人民共和国、内モンゴル自治区のケシクテンに
たどり着いたとき、長旅の疲れからすっかり体調を崩してしまいました。
チンギス・ハーンの子孫である貴族の鮑氏に迎えられた海雲は、カメのなかから見知らぬ酸っぱい
乳と、口にしたこともない発酵クリームを、毎日ふるまわれました。
するとどうでしょう。長くつらい旅のためにすっかり弱っていた胃腸の調子が整い、日頃苦しんで
いた不眠症が、薄紙をはぐように見る見る治っていきました。
身体、頭、すべてがすっきりして、体重も増え、それはまるで不老長寿の霊薬に出会ったかのよう。
勇猛果敢で知られ、チンギス・ハーン率いる元の時代には中国大陸からヨーロッパまで席捲し、
世界史上空前の一大帝国を築き上げたモンゴル民族。
海雲は、カメのなかの白い液体(後には酸乳と知られる)を見つめ「これこそ、モンゴル民族の
活力源に違いない」と確信したものでした。
この体験が発端となり、三島海雲はモンゴルで飲んだ発酵した酸乳をヒントに、「カルピス酸乳」を
ベースにした我が国初の乳酸菌飲料「カルピス」を誕生させたのです。
「カルピス」の発売は大正8年(1919)、7月7日の七夕。この日にちなんで、「カルピス」の
包装紙には天の川をイメージする水玉模様が描かれているのです。


カルピスは1919年7月7日、日本初の乳酸菌飲料として発売されました。
今やトレードマークとなっている水玉模様は、七夕にちなんで “天の川の銀河の群星” を
イメージしたデザイン。しかし登場したばかりの頃のパッケージは、水玉模様ではなかったようなんです。
【初代のデザインが渋すぎる】

カルピス公式サイトによれば、初代カルピスは化粧箱に入ったスペシャル仕様だったよう。
瓶の色もラベルの色も黒く、水玉どころか、模様は1つも見当たらず。赤字ででっかく「カルピス」と
書かれたその姿はまるで、鹿児島あたりで売られている焼酎のよう……! あとユンケルにも、
ちょびっと似てます。
【3年後に水玉模様になったけれど…今とはちょっと違う!】
水玉模様パッケージとなったのは誕生から3年後の1922年。しかし水玉は水玉でも、「青地に白の水玉」
だったよう。色が変わるだけで、印象もがらりと変わるんですねぇ。
さらに時は流れてその10年後、今度は一般家庭への普及向けに製造コストを抑えた「赤地に白の水玉」の
パッケージを発売。従来品と見分けをつけるべく、赤にしたようです。
【「白地に青の水玉」になるまで34年かかりました】
よく見慣れた「白地に青の水玉」パッケージとなったのは、1953年のこと。戦後のリニューアルを機に
一新、発売開始から34年後にようやく、現在のスタイルへと定着したみたい。
ちなみにウェブサイト「カルピス水玉ヒストリー」によると、戦時中の1943年にはビタミンを添加した
「軍用ビタカルピス」なるものが作られていたようで、パッケージは「白地にオレンジ色の水玉」でした。
さらに、2012年にはガラスの瓶から、プラスチックのボトルにリニューアルしています。