今年6月、「平成槻木ものがたり」のキックオフをしたところです。
その後、何度か会合を開いています。
メンバーが精力的に資料を集めてきます。
80歳代、90歳代の方から昔の槻木のことをインタビューして来る方もいます。
本日、その披露がありました。
その中で、「槻木石材株式会社」について報告があり、とても興味がそそられました。
槻木町成田(現・柴田町大字成田)で花崗岩が産出され、成田から槻木駅西側までトロッコで
運んだという。
又、槻木町富沢(現・柴田町大字富沢)で凝灰岩(通称・富沢石)が産出され、富沢から
槻木駅西側までトロッコで運んだという。
この二つの石材を槻木駅までトロッコで運び、槻木駅から全国各地に発送されていたという。
成田の花崗岩は硬くて切り出しに大変であったが雲母が多く高く売れたという。
槻木石材株式会社の軌道線の絵図が出てきました。
現地にて軌道を確認して、石材を運んでいた様子を再現したいものと思っています。
富沢石の採石場は現存しています。注文があれば現在も石の切り出しを行っているとか。
成田石の採石場は埋め戻されたという。場所の特定を行いたいと思っています。
その後、何度か会合を開いています。
メンバーが精力的に資料を集めてきます。
80歳代、90歳代の方から昔の槻木のことをインタビューして来る方もいます。
本日、その披露がありました。
その中で、「槻木石材株式会社」について報告があり、とても興味がそそられました。
槻木町成田(現・柴田町大字成田)で花崗岩が産出され、成田から槻木駅西側までトロッコで
運んだという。
又、槻木町富沢(現・柴田町大字富沢)で凝灰岩(通称・富沢石)が産出され、富沢から
槻木駅西側までトロッコで運んだという。
この二つの石材を槻木駅までトロッコで運び、槻木駅から全国各地に発送されていたという。
成田の花崗岩は硬くて切り出しに大変であったが雲母が多く高く売れたという。
槻木石材株式会社の軌道線の絵図が出てきました。
現地にて軌道を確認して、石材を運んでいた様子を再現したいものと思っています。
富沢石の採石場は現存しています。注文があれば現在も石の切り出しを行っているとか。
成田石の採石場は埋め戻されたという。場所の特定を行いたいと思っています。