昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

ぶらり大津01

2006-11-02 | 歴史・文化遺産
ぶらりと大津に向った。浜大津に出て北に向って歩いてみた。
 自治体の合併で、大津市は琵琶湖大橋のあたりまで大津市になっていた。市役所は渡り廊下で繋がる3つの棟になっていて、建物内部は複雑なイメージがする。
 市役所の前の道路沿いに、大津絵のモニュメントが等間隔で並んでいた。


湖岸に平行して走る京阪石山坂本線の一部は路面電車になる。京阪と名が付き、車両も京阪電車であるが、独立採算の料金体系であった。

 大津絵は、江戸時代初期の寛永年間(1624-1644)頃から描かれていて、最初、仏画として描かれ、三井寺周辺で、信仰の上で必要なものであったらしい。
 それが、世俗画が描かれるようになって大津絵の人気はますます広がっていった。「藤娘」「瓢箪鯰」「文読む女」などがある。

 松尾芭蕉の「大津絵の筆のはじめは何仏」という俳句にも出てくるように、大津絵の画題の中の仏画が庶民への教訓、護符などにもなった。


左:「藤娘」永遠の娘の姿で、縁結びのお守りになる。
右:「長刀弁慶」弁慶の立ち往生を表すといわれている。彼の慈悲の心を表すという。

 この絵の筆者は4代目大津絵師の高橋松山である。彼は1932年生まれで、大津絵の普及に努め、1962年松山の号を襲名。1978年大津絵文化協会会長である。


左:「大黒」
 大黒は福の神であり、前にある菅笠を被って、上を見ないでひたすら働いて、福を手に入れなさい。足るを知りなさい。   
右:「大黒と外法の相撲」
 福の神と長寿の神が相撲をとると、たいていの人は福を勝たせてしまう。あまり福ばかり求めないことが肝要である。


左:「瓢箪鯰(ひょうたんなまず)」
 禅問答に瓢箪鯰があり、どうやって瓢箪で鯰を捕まえるか、と訊かれて様々な回答を論議する。その様子を描いた掛軸が妙心寺に残っている。
右:「ネコと鼠の酒盛り」
 酔ったあまり、肴にするべき鼠から、辛いトウガラシを食った時の猫の顔が見たい。


左:「鬼と柊(ひいらぎ)」魔除けの柊の前では鬼も逃げ出す。誰でも弱点はあると言う教訓。
右:「文読む女」何処の誰からの手紙を読むのだろうか。満足そうな女性から、この絵を見る人の思いは様々に広がる。