中辺路街道を進み、谷の奥に向うと熊野那智大社である。
途中、車道を外れて歩いて登る道がある。大門道と名がつき、CMなどで平安の衣装を身につけてTVなどに出てくる道が100mほど続く。貸衣装もある。
それを横目に見て、那智大社の直下まで車で向かい、石段を登るのは15分である。
胸突き八丁も無いが石段はきつい。両側には店舗が並ぶ。横の石垣にシノブだろうか色づいていた。
左:杖を有り難く感じる歳になってしまった。このお方も無心に登っている。
右:道端のツワブキの黄色が眩しい。
左:那智大社本殿である。
右:ヤタガラスのモニュメント。3本足は見えないが・・。
神武天皇が那智の滝を神とし、仁徳天皇が社殿を作ったと言います。
さて、記紀によれば、神倭磐余彦命(かんやまといわれひこのすめらみこと)は神武天皇の名であり、神武天皇が九州から「東征」して、奈良のヤマトを攻めた時、瀬戸内海を通って大阪難波から奈良に向おうとしたが、強力な抵抗に遭遇した。
これは、神武は日の御子であるのに、東から昇る日に向って戦ったからだと反省し、紀伊半島を南下して、ここ熊野地方に上陸した。
紀伊の山中で道に迷い難渋していたときに、ヤタカラスが道案内をして、ヤマトの橿原の地を本拠としたらしい。橿原神宮の祭神は神武天皇である。
このヤタカラスを祖神としているのが、現在京都に祀られるカモ神社であり、奈良盆地の西の山並みに源のある鴨氏の流れと言います。
上賀茂神社でのカラス踊りはこれに由来する。
この大きなクスノキの幹で胎内潜りが出来ます。左の図の洞窟に入って、右の図の幹の途中の穴に出てきます。梯子がかかっています。
すぐ隣りに、西国三十三番札所巡りの、一番の札所「青岸渡寺」の本堂がある。現在、屋根の葺き替えでテントに覆われている。
本源の那智の大滝の写真を三枚続けます。
注連縄のかかる滝の流れは3本である。ミツマタの花の蕾が既に見える。
ドウダンツツジが真っ赤であった。
紅葉に浮かび上がる三重の塔。
左:オガタマ?かなぁ。 右:大滝全景。
途中、車道を外れて歩いて登る道がある。大門道と名がつき、CMなどで平安の衣装を身につけてTVなどに出てくる道が100mほど続く。貸衣装もある。
それを横目に見て、那智大社の直下まで車で向かい、石段を登るのは15分である。
胸突き八丁も無いが石段はきつい。両側には店舗が並ぶ。横の石垣にシノブだろうか色づいていた。
左:杖を有り難く感じる歳になってしまった。このお方も無心に登っている。
右:道端のツワブキの黄色が眩しい。
左:那智大社本殿である。
右:ヤタガラスのモニュメント。3本足は見えないが・・。
神武天皇が那智の滝を神とし、仁徳天皇が社殿を作ったと言います。
さて、記紀によれば、神倭磐余彦命(かんやまといわれひこのすめらみこと)は神武天皇の名であり、神武天皇が九州から「東征」して、奈良のヤマトを攻めた時、瀬戸内海を通って大阪難波から奈良に向おうとしたが、強力な抵抗に遭遇した。
これは、神武は日の御子であるのに、東から昇る日に向って戦ったからだと反省し、紀伊半島を南下して、ここ熊野地方に上陸した。
紀伊の山中で道に迷い難渋していたときに、ヤタカラスが道案内をして、ヤマトの橿原の地を本拠としたらしい。橿原神宮の祭神は神武天皇である。
このヤタカラスを祖神としているのが、現在京都に祀られるカモ神社であり、奈良盆地の西の山並みに源のある鴨氏の流れと言います。
上賀茂神社でのカラス踊りはこれに由来する。
この大きなクスノキの幹で胎内潜りが出来ます。左の図の洞窟に入って、右の図の幹の途中の穴に出てきます。梯子がかかっています。
すぐ隣りに、西国三十三番札所巡りの、一番の札所「青岸渡寺」の本堂がある。現在、屋根の葺き替えでテントに覆われている。
本源の那智の大滝の写真を三枚続けます。
注連縄のかかる滝の流れは3本である。ミツマタの花の蕾が既に見える。
ドウダンツツジが真っ赤であった。
紅葉に浮かび上がる三重の塔。
左:オガタマ?かなぁ。 右:大滝全景。