南紀は記紀の神話の中で登場する。
神武天皇が九州日向から東のヤマトに向かい大阪に上陸して破れ、紀伊半島を巡り、この南紀勝浦~新宮辺りに上陸した。
その上陸の場所について、言伝えなどがあると楽しいと思いながら、車を走らせていると、新宮市に入って間もなく、神武天皇上陸地点という文字が目に入った。
慌ててUターンして立ち寄った。
国道沿いの高台の斜面にそれはあった。昭和45年に新宮市誌に基づいて新設された宗教法人である。
左:月岡芳年の描く神武天皇。
右:この神社の由緒を述べる札。日本書紀には神邑に上陸と出てくる。そう言えば大神神社を”おおみわじんじゃ”と読みますね。「神」は「みわ」と読める。
主神は神日本磐余彦命(かんやまといわれひこのみこと=神武天皇)であり、
祭神にはその后、媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)と布都主命(ふつぬしのみこと=石上(いそのかみ)神宮)である。石上神社は布都社とも言う。
神武は熊野の山中で、七支刀(しちしとう)の神剣に宿る布都主命に助けられる。
急な斜面に庭が出来ている。
岡の上から眺望していると、神武がこの入江に入港したらしく見えるから不思議である。
質素な本殿が建立されている。
これは、始めに立ち寄った補陀洛山寺に隣接する「熊野三所大神社」の境内(浜の宮王子跡)の大楠の隣りにあった石碑である。
「神武天皇頓宮跡」とある。頓宮も行宮も同じと考えてよい。暫く天皇が滞在した所を言う。大正年間に建立とあるから、これも神話のロマンでしょう。
神武天皇が九州日向から東のヤマトに向かい大阪に上陸して破れ、紀伊半島を巡り、この南紀勝浦~新宮辺りに上陸した。
その上陸の場所について、言伝えなどがあると楽しいと思いながら、車を走らせていると、新宮市に入って間もなく、神武天皇上陸地点という文字が目に入った。
慌ててUターンして立ち寄った。
国道沿いの高台の斜面にそれはあった。昭和45年に新宮市誌に基づいて新設された宗教法人である。
左:月岡芳年の描く神武天皇。
右:この神社の由緒を述べる札。日本書紀には神邑に上陸と出てくる。そう言えば大神神社を”おおみわじんじゃ”と読みますね。「神」は「みわ」と読める。
主神は神日本磐余彦命(かんやまといわれひこのみこと=神武天皇)であり、
祭神にはその后、媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)と布都主命(ふつぬしのみこと=石上(いそのかみ)神宮)である。石上神社は布都社とも言う。
神武は熊野の山中で、七支刀(しちしとう)の神剣に宿る布都主命に助けられる。
急な斜面に庭が出来ている。
岡の上から眺望していると、神武がこの入江に入港したらしく見えるから不思議である。
質素な本殿が建立されている。
これは、始めに立ち寄った補陀洛山寺に隣接する「熊野三所大神社」の境内(浜の宮王子跡)の大楠の隣りにあった石碑である。
「神武天皇頓宮跡」とある。頓宮も行宮も同じと考えてよい。暫く天皇が滞在した所を言う。大正年間に建立とあるから、これも神話のロマンでしょう。