閑谷(しずたに)学校は、岡山県の備前焼の里の近くにある。
大坂夏の陣が終って55年が経ち、江戸時代が始まった初期の頃、寛文10年(1670)岡山藩主池田光政が、庶民教育の為に命じて生まれた学校である。5年後には領内の手習所がすべてここに統合され、各建物が順に落成をみた。
学校の正門である。屋根瓦はすべて備前焼で、赤味がかっている。
門内正面に見えるのは聖廟である。学問の内容は論語であり、中国の孔子の称える儒教の教えでした。孔子を祀り、その門前には中国と同様に一対の楷の木を植えてある。
赤と黄に色分けてモミジするのは絶景である。今日見るところ、左の赤く色の濃いのが緑を残しながらの紅葉である。右は既に落葉し、枝が残っているだけであった。
色づいている枝に近寄ってみると、何と実がたわわに実ってその重みで垂れ下がっていた。
中国から種子を持って帰ってきたと言うのは、この実のことだろう。
楷の木は、ウルシの仲間の木である。色づいた葉を見るとウルシの葉である事がわかる。黄蓮木とも言うそうだ。
また、学名をピスタシア・キネンシスと言い、ピスタチオとかなり近い仲間である。
もしかして、この実は食べられるかも?責任は持ちません。
大坂夏の陣が終って55年が経ち、江戸時代が始まった初期の頃、寛文10年(1670)岡山藩主池田光政が、庶民教育の為に命じて生まれた学校である。5年後には領内の手習所がすべてここに統合され、各建物が順に落成をみた。
学校の正門である。屋根瓦はすべて備前焼で、赤味がかっている。
門内正面に見えるのは聖廟である。学問の内容は論語であり、中国の孔子の称える儒教の教えでした。孔子を祀り、その門前には中国と同様に一対の楷の木を植えてある。
赤と黄に色分けてモミジするのは絶景である。今日見るところ、左の赤く色の濃いのが緑を残しながらの紅葉である。右は既に落葉し、枝が残っているだけであった。
色づいている枝に近寄ってみると、何と実がたわわに実ってその重みで垂れ下がっていた。
中国から種子を持って帰ってきたと言うのは、この実のことだろう。
楷の木は、ウルシの仲間の木である。色づいた葉を見るとウルシの葉である事がわかる。黄蓮木とも言うそうだ。
また、学名をピスタシア・キネンシスと言い、ピスタチオとかなり近い仲間である。
もしかして、この実は食べられるかも?責任は持ちません。