前回投稿から1月も経過してようやくですが「賢治の心の震え」の続編を書き込みます。
賢治を宗教(法華経)との関わりから論評している梅原猛氏は「永訣の朝」を特に注目しています。この詩に修羅(生きる罪)と清潔(浄土)の対比と、修羅に震える賢治の心を読み取りました。梅原猛著作集4地獄の思想P188には、
「菩薩的心の持ち主のとし子が天に生まれ変わらぬはずがない。賢治は堅く信じるけれど、妹の幸福を祝福することが出来ないのだ。それは賢治が「青ぐらい修羅」を歩いているからだ。清潔な妹の天への生まれ変わりを祝福できないのは賢治の青くらさのためだ。信仰として「天に生まれ変われ」とは言える、しかしその一言を言えない賢治。とし子も「ああ悲しいことにとし子も賢治の心を、修羅を歩いている賢治の心を知って賢治から目を背けるのである」(原文)
死に行くとし子に兄がなすべき唯一の行為は「死を祝福する」だが、それを言い出す資格すらない。とし子すら兄の資格のなさを忌避している。梅原氏が永訣の朝の異常な描写を読み、賢治の心の葛藤の源を考察した内容は、死を前にして兄妹が離れてしまうという、まさに辛い別れです。
梅原氏は「隠された十字架=聖徳太子の新解釈」「水底の歌=柿本人麻呂刑死説」など歴史暗部を鋭く抉る評論で、部族民たる私の尊敬する「部族偉人」なのですが、個々の解釈では部族民の理解を遙かに超え、哲学者らしく厳格です。この詩にそれだけの絶望性を読み取る説得力には脱帽です。
私が前回(宮沢賢治、心の震え 永訣の朝2月9日)で指摘したのは梅原氏解釈とも近いのですが、少し甘い。
「浄土、死に行く先の光景がもう外に現れている。兄さん外は浄土だ、と妹が兄を慰める。霙をとっておくれ、その兄妹の心の交じわり、心の共振がこの詩の底流です」と部族民は兄妹の最後の交歓の詩として読みました。しかしそれにしても読み取れる「心の震え」、震えの源は「天への生まれ変わり」を信仰では理解するものの、実際に起きる時、しかも一番の近親に起こる時の戸惑い。若くして死ぬ不条理、別れの哀しみを捨てきれないためです。それらは信仰からは雑念、欲望などとされているが、その欲望を捨てきれない自身が葛藤する様が「心の震え」として読み取れたのです。
そしてとし子は死を達観している、霙なのに変に明るい朝は浄土の予兆でしかない、とし子は全てを諦め、受け入れ死にいく心の用意を終えている。そして一椀の霙をほしがる。
永訣の朝を読み、悲しいテーマながら清涼な読後を感じるのは救いがあるからで、それはとし子が死を受け入れている事と兄妹の心の共振があるためです。
この時賢治は28歳、その7年後に「雨ニモマケズ」を校了しました。雨ニモマケズと永訣の朝には賢治の精神が大きくかわっています、その遍歴を次回に述べます。
さて個人経験ですが
先週の3月4日は多摩地区は霙で暗い一日でした。霙の明るい朝は確かにあるのでしょう、遠くに旅立つ方に空の明るさは希望となる。だが、明るい霙の朝など気象学的に絶対にないのでとし子が旅たった朝(1922年11月27日)こそ、明るい霙で、天がとし子にはなむけたのでしょう。詩人賢治の感性がそこに浄土を予兆したのでしょう。
賢治を宗教(法華経)との関わりから論評している梅原猛氏は「永訣の朝」を特に注目しています。この詩に修羅(生きる罪)と清潔(浄土)の対比と、修羅に震える賢治の心を読み取りました。梅原猛著作集4地獄の思想P188には、
「菩薩的心の持ち主のとし子が天に生まれ変わらぬはずがない。賢治は堅く信じるけれど、妹の幸福を祝福することが出来ないのだ。それは賢治が「青ぐらい修羅」を歩いているからだ。清潔な妹の天への生まれ変わりを祝福できないのは賢治の青くらさのためだ。信仰として「天に生まれ変われ」とは言える、しかしその一言を言えない賢治。とし子も「ああ悲しいことにとし子も賢治の心を、修羅を歩いている賢治の心を知って賢治から目を背けるのである」(原文)
死に行くとし子に兄がなすべき唯一の行為は「死を祝福する」だが、それを言い出す資格すらない。とし子すら兄の資格のなさを忌避している。梅原氏が永訣の朝の異常な描写を読み、賢治の心の葛藤の源を考察した内容は、死を前にして兄妹が離れてしまうという、まさに辛い別れです。
梅原氏は「隠された十字架=聖徳太子の新解釈」「水底の歌=柿本人麻呂刑死説」など歴史暗部を鋭く抉る評論で、部族民たる私の尊敬する「部族偉人」なのですが、個々の解釈では部族民の理解を遙かに超え、哲学者らしく厳格です。この詩にそれだけの絶望性を読み取る説得力には脱帽です。
私が前回(宮沢賢治、心の震え 永訣の朝2月9日)で指摘したのは梅原氏解釈とも近いのですが、少し甘い。
「浄土、死に行く先の光景がもう外に現れている。兄さん外は浄土だ、と妹が兄を慰める。霙をとっておくれ、その兄妹の心の交じわり、心の共振がこの詩の底流です」と部族民は兄妹の最後の交歓の詩として読みました。しかしそれにしても読み取れる「心の震え」、震えの源は「天への生まれ変わり」を信仰では理解するものの、実際に起きる時、しかも一番の近親に起こる時の戸惑い。若くして死ぬ不条理、別れの哀しみを捨てきれないためです。それらは信仰からは雑念、欲望などとされているが、その欲望を捨てきれない自身が葛藤する様が「心の震え」として読み取れたのです。
そしてとし子は死を達観している、霙なのに変に明るい朝は浄土の予兆でしかない、とし子は全てを諦め、受け入れ死にいく心の用意を終えている。そして一椀の霙をほしがる。
永訣の朝を読み、悲しいテーマながら清涼な読後を感じるのは救いがあるからで、それはとし子が死を受け入れている事と兄妹の心の共振があるためです。
この時賢治は28歳、その7年後に「雨ニモマケズ」を校了しました。雨ニモマケズと永訣の朝には賢治の精神が大きくかわっています、その遍歴を次回に述べます。
さて個人経験ですが
先週の3月4日は多摩地区は霙で暗い一日でした。霙の明るい朝は確かにあるのでしょう、遠くに旅立つ方に空の明るさは希望となる。だが、明るい霙の朝など気象学的に絶対にないのでとし子が旅たった朝(1922年11月27日)こそ、明るい霙で、天がとし子にはなむけたのでしょう。詩人賢治の感性がそこに浄土を予兆したのでしょう。