レヴィストロースの悲しき熱帯(TrisetesTropiques)を続けます。
定住(農耕と狩猟)と移動(採取)の二重生活を送っていたブラジル・マトグロッソのナンビクヴァラ族には道具、什器などが潤沢に用意されておらず、その生活は簡素、別の言い方では未開につきます。一家族および幾人かの親族などで構成されるバンド集団、構成員は十人以下と思えます。近隣の同族バンドとの交流はあるが密ではない。社会制度とは家族とバンド、それだけです。インフラ、公共、不動産の観念などがない。投稿子(蕃神ハガミ)の知る限り、これほどにも単純化した社会はこのナンビクヴァラの他に見あたりません。(民族学の知識など無いから間違いかもしれない)。
世界観も単純です。
前回で定住対移動の世界観を紹介しました。定住の実態とは農耕、狩猟、小屋がけで潤沢な食料。移動はその対極、日々旅程の踏破、雨宿り、食物の欠如など苦しい生活となります。
生活の中での行動と心理が、それぞれ定住対移動に分かれた二極性を持ちます。定住と移動の対比がいわば「構造」を成す訳ですが、レヴィストロースはこの二極を「構造」と呼びません。それを (早急に) 構造と解釈するのは「機能構造論」と言ってよろしいかと。
タテ社会の人間関係(中根千枝著、初版は1967年)は日本の社会階層をタテの関係として抉った名著だが、タテの階層性が機能構造論の一論として納まるけれど、「構造主義」とはしない。Wikiで調べると中根氏は90歳にて存命、彼女も自身を構造主義者とは考えていないだろう。
投稿子は「猿でも分かる構造主義」を本年(2017年)4月5日から27日にかけて9回連載した。その趣旨とは、哲学主流のデカルト的認識論とは「存在(etre)からいろいろな属性(attribut)を分離して、各個を解析して本質(essence)に迫る」です。解析する知力については、デカルトは「神から授けられた」と解決しました。機能構造論とはこのデカルト的解析手法をとります。中根氏という卓越した頭脳が日本を分析するにあたり人の行動、心理、表現など属性を抉り、分析して、その本質は「タテ社会」と断言したわけです。
一方、デカルトの伝統から離れて(ソシュールの意味論、メルロポンティの現象論を踏まえ)レヴィストロースが伝える構造主義とは「(現実にそこに見えている)形態、存在と、人が思考する表象(=思想)の対立」こそ構造と説明してます。この説明が見事に成功した例は「交差イトコ婚」の解釈ですが、これは別著「親族の基本構造」になるので改めて。
ナンビクヴァラ族に戻ります。
定住に入って小屋を掛けて、農耕道具を取り繕って土地を耕す。日々の変化のない労働を通して彼らは「辛い定住」という思想を体感しています。その思想からは「次には何をする、時には狩猟に出てもよいが、まずはマニヨックの収穫を確保してから」などの労働義務が湧き出てきます。その間、女性は小屋の脇で日がな、道具什器の作成、手入れ、子供の面倒などで過ごします。定住のこれらの周辺景色を見つめ、定住生活を実践しながら、「定住の思想」を感じ取ります。
そして移動生活の思想を「ノスタルジ」の口調で思い浮かべます。
思い浮かべる起因とはそれら行動には別の極、移動生活での行動と対極しているからです。小屋がけのきつい労働とは移動での突然の雨宿りでアルマジロを捕まえた、農作業で汗を流しながら、かつて移動の最中にペカリーを発見して追跡して野原を跳ね回った思いでに浸ります。移動生活の思想「自由と発見」に息を弾ませ思い浮かべるにつながります。(悲しき熱帯、Nambikwara章P340)
一極で行動してそレヴィストロースが対となる対極での行動を思い浮かべると同時に、その思想にも思いやる。するとこの2極、定住と移動は、思想でも対極にあります。
相互作用する2重性=reciprocite=の構造が浮かび上がります。
猿でも構造、悲しき熱帯を読む 6の了 (次回は6月6日を予定)