(平成31年4月27日)
死霊を迎える儀礼の描写に続いて、
<La confrerie des hommes pretend representer les morts pour donner aux vivants l’illusion de la visite des ames ; les femmes sont exclues des rites et trompees sur leur nature veritable, sans doute pour sanctionner le partage qui leur accorde la priorite en matierre d’etat civil et de residence , reservant aux seuls hommes les mysteres de la religion.>(282頁)
訳;儀礼に列する男達真実の姿は、女達に隠し通されたままだ。間違いなくこの配慮は物質の所有と家宅を女達に委ねる制度を保証している。男には代償として信仰する主体、それと秘蹟の執行を与えている。
<Mais leur credulite reelle ou supposee possede aussi une fonction psychologique : donner , au benefice des deux sexes, un contenu affectif et intellectuel a ces fantouches dont autrement les hommes tireraient les ficelles avec moins d’application.(同)
訳:しかしながら彼らの信じやすさには、真実か見せかけかに関わらず、心理学的機能が付与されており、それが男女双方の利益となる。操り人形(死霊に扮した踊り手)に一種の効果、知的機能を授ける事となる。そうでもなければ、男達はこれほど熱心に人形の操り糸をたぐる訳がない。
写真:ボロロ族、死者の霊儀礼の準備。右端に全身を葉にくるまれた霊が見える(同氏の著作から)
引用のcreduliteはgrande facilite a croire sur une base fragile (辞書robert)。あやふやな前提ながら信じ込む偉大な能力とある。信じ込んだ「フリ」を通す場合も含むようだ。枝と大葉に身をくるむ、不気味な物体が部族聴衆の前に死霊ダンスを舞う。あの世からやってきた霊、そんな「あやふやな前提」を信じているか、信じた振りをしているのか。どちらかと詮索する必要はない、参列族民の全員が死霊の舞い戻りを信じている。この建前が前提となっているから熱中するのだ。
レヴィストロースは「信じやすさcredulite」をサンタクロース伝説に結びつける。<leur ferveur(子供達のサンタへの執心)nous rechauffe, nous aide a nous tromper nous-meme et a croire qu’un monde de generosite sans contrepartie n’est pas absolument imcompatibles avec la realite.>(238頁)
訳;子供達の熱狂は我々大人を熱く変え、異論を許さない寛容さは社会の現実と不協和をもたらさないと信じ込ませる。サンタクロースの社会機能を信じやすさに収斂させている。
(信じやすさを蛇毒消しの土俗医でも取り上げている。論理性を排しても秩序維持を図る平衡感覚は、ブラジル奥地の住民もラホールのイスラム教アマディ派においても同一であるとの指摘である。土俗医師の項として後投稿する)
<Et pourtant les hommes meurent , ils ne revient jamais ; et tout ordre social se rapproche de la mort, en ce sens qu’il preleve qulque chose contre quoi il ne donne pas d’equivalent>
訳;人は死ぬ、それでも帰ってこない。社会の全ての決まりは人を死に向かわせている。そうした何か決まりを取り除いて、なんの代償も与えない。
悲しき熱帯での圧巻と小筆は受け止めています。
解説:
引用の最後の文、「tout ordre social se rapproche de la mort....=社会の全ての決まりが死に近づく。この句の示すところを探りながら全体の解釈に迫る。ordreの意味が解釈の糸口となる。
フランス語では1の語ordreで、秩序と順番の2の意味を表す。
辞書robertに当たるとその義は1 succesion reguliere de caractere spacial, temporel. V.Enchainement 3に qualite d’une personne qui a une bonne methode. 例文として<La mere, pleine d’ordre, tenait les livres .... menait toute la maison.Zola
>とあります。
1は空間、時間の尺度で規則正しい継続。3の義で規範に則り、順番に片付けていく人の行動を表します。例文の訳は<母は規則正しい性格で(散らかった)本を仕舞い、家中すべてをとり纏めていた>秩序を保つために本などを順々に整理する様が秩序である。フランス語のordreはdiachronie=経時の行動です。
一方で、日本語で秩序は静的状態を表す。
本を所定位置に戻し置く母の行動を秩序とせず、片付けという。行為、行動を伴う事柄を秩序と日本語では言わない。片付けしてあるべき状態になった場に秩序が生じる。秩序は日本語でsynchronie(共時)です。
それでは、ボロロ族の社会では
秩序なる行動が順々に物事を追い続ける。そのつまりで「死に近づく」。行動の規範、社会の制度が人を死に追いやる。死に向かわせる制度が何かは前述されている。それは家財を管理する訳でないし、野良仕事に精出す気構えもない、男の怠惰が前提となる。祭儀のみに時間をつぶす。成人式、死霊迎え、その他いろいろあるらしい。男屋に閉じこもり、昼は寝て夜は祭り三昧。気晴らしは狩り。全ては男の死を前提にしている風習である。死のボロロ秩序とは生涯を通じてのdiachronieであるとレヴィストロースが見抜いた。
写真:葉にくるまった複数の死者の霊がダンスしている。(同氏著作から)
再び非熱帯の旅に戻る。弱気のレヴィストロースがかいま見える。
帰国に向かうレヴィストロースの語り口に異変が生じた。
<J’avais quitte la France depuis bientot cinq ans, j’avais delaisse ma carriere universitaire ; pendant ce temps , mes condisciples plus ages en gravissaient les echelons ; ceux qui, comme moi jadis , avaient penche vers la politique, etaient aujour’hui deputes, bientot ministres. Et moi,je courais les deserts en pourchassant des dechets d’humanite.Qui ou quoi m’avait donc pousse a faire exloser le cours normal de ma vie ?(450頁)
訳;フランスを離れもうすぐ5年が経過する。私は大学での職位を放り出しそのままなのに、賢く立ち回る同期の幾人かは、かつて私も志向した政治分野に入って、次官に上りいずれに閣僚となろう。砂漠をはいずり文化の痕跡を探し出していただけだった。誰が、何が、まともな生き様から破断するように、私をし向けたのか。
続いて
<Ou bien ma decision exprimait-elle une incompatibilite profonde vis-a-vis de mon grouep social dont quoiqu’il arrive, j’etais voue a vivre de plus en plus isole ? Par un singulier paradoxe, au lieu de m’ouvrir un nouvel univers, ma vie avetureuse me restituait plutot l’ancien, tandis que celui auquel j’avais pretendu se dissolait entre mes doigts.(451頁)
訳;私があの決定をしたその時すでに、属している集団と深い亀裂が生じてしまったのだろうか。何が起ころうとも、どんどん孤立して行くのだろうか?わずかな食い違いかもしれない、それが私に新しい世界を広げる代わりに、冒険にかけたこの年月の成果が私を古い世界に戻してしまうのか。手に入れられるとした世界が、指の隙間から抜け出てしまったのか。
レヴィストロースがすっかり弱気になってしまった。
ブラジル行きはBougle(高等師範学校学部長)の電話で端を発したので、生活を破断させた「誰か」はBougle。レヴィストロースが関心をもつ民族学が「何」に対する答え。
しかし、その見方は単純であろう。彼には属している集団があったが、ブラジル行きでそれと亀裂が生じた。フランスに戻ってからの約束された世界とは大学での地位かと推察するが、戻る場所を見つけられない。その背景とは、とあるいざこざが出発の時に発生していたのか。主任教授だったGerogeDumasとの確執でもあったのか。それらは書かれていません。
帰国はヨーロッパはドイツがポーランドを侵攻した1939年。
帰国直後、パリで開催した講演は不調だった。
<le petit amphitheatre sombre qui occupe un pavillon ancien au bout du Jardin des Plantes.La societe des amis du Museum y organize chaque semaine des conferences sur les sciences naturelles. L’appreille de projection envoyait sur un ecrin trop grand, avec des lampe trop faifables , des ommbres imprecises dont le conferencier parvenait mal a percevoir les contours et que le public ne distinguait guere des taches d’humidite maculant les mures. Un quart d’heure apres le temps annonce, on se demandeait encore avec angoisse s’il y aurait des auditeurs...(11頁)
訳;パリ植物園内、古い離れ屋、そこには薄暗い小さな階段教室がある。博物館友の会が毎週、幾つかの自然科学の講演会を開く。投影器に比べて大きすぎるスクリーン、暗いランプ。映し出される影はぼんやりしているから、講演者にも形状は分からない。聴講する側は壁に張り付いた滲みかと見えるだろう。開始予定時刻から15分経過した。まだ誰も座っていない。
植物見学に飽きて講堂の無料講演に引かれた親子連れ10組が入ってきた。彼らに南米先住民の生き様を講演しなければならないのだろうか。5年の歳月と国内での地位を振っての成果がこの惨状で終わった。
書き出し< Je hais les voyageurs et les explorateurs >訳;私はあらゆる旅行者と探検者が嫌いだーの背景にも見当がつく。
大学の地位ではなく、モンペリエのlysse高等学校に哲学教師の職を得るものの、徴兵、敗戦、公職剥奪(ヴィシー政権反ユダヤ法)と苦難が続いた。降って湧いたかのアメリカ亡命行は本文初頭に取り上げている。ニューヨークでの5年、帰国、その後、親族の基本構造、本書、野生のスミレ、神話4部作など発表し、構造主義の観点から先住民の文化と精神構造を論じた。
私見であるがレヴィストロースは民族誌学的にはそれほどの業績を上げていない。この分野では未開民族を訪ね歩いて、調査に時間をかけなければ成果はモノにできない。
しかし、哲学の方法を取り入れ「民族思考論」を立ち上げ、文化人類学の可能性を広げ、神話構造学を開拓した。あらゆる旅が嫌いでも、いかなる開拓者が嫌いでも社会人類学を学べると証明した。了
投稿子(蕃神)は引き続いて悲しき熱帯を紹介していきます。近々予定は悲しき熱帯と構造主義、土俗医師とアマディ派、落日考。
お願い:本投稿を読了し賛同していただける方に、下のブログランキングボタンを押してください。現在、哲学ブログで130位の低落ぶりですので。なおコメントを通してご批判、ご指摘いただければありがたし(蕃神)。
死霊を迎える儀礼の描写に続いて、
<La confrerie des hommes pretend representer les morts pour donner aux vivants l’illusion de la visite des ames ; les femmes sont exclues des rites et trompees sur leur nature veritable, sans doute pour sanctionner le partage qui leur accorde la priorite en matierre d’etat civil et de residence , reservant aux seuls hommes les mysteres de la religion.>(282頁)
訳;儀礼に列する男達真実の姿は、女達に隠し通されたままだ。間違いなくこの配慮は物質の所有と家宅を女達に委ねる制度を保証している。男には代償として信仰する主体、それと秘蹟の執行を与えている。
<Mais leur credulite reelle ou supposee possede aussi une fonction psychologique : donner , au benefice des deux sexes, un contenu affectif et intellectuel a ces fantouches dont autrement les hommes tireraient les ficelles avec moins d’application.(同)
訳:しかしながら彼らの信じやすさには、真実か見せかけかに関わらず、心理学的機能が付与されており、それが男女双方の利益となる。操り人形(死霊に扮した踊り手)に一種の効果、知的機能を授ける事となる。そうでもなければ、男達はこれほど熱心に人形の操り糸をたぐる訳がない。
写真:ボロロ族、死者の霊儀礼の準備。右端に全身を葉にくるまれた霊が見える(同氏の著作から)
引用のcreduliteはgrande facilite a croire sur une base fragile (辞書robert)。あやふやな前提ながら信じ込む偉大な能力とある。信じ込んだ「フリ」を通す場合も含むようだ。枝と大葉に身をくるむ、不気味な物体が部族聴衆の前に死霊ダンスを舞う。あの世からやってきた霊、そんな「あやふやな前提」を信じているか、信じた振りをしているのか。どちらかと詮索する必要はない、参列族民の全員が死霊の舞い戻りを信じている。この建前が前提となっているから熱中するのだ。
レヴィストロースは「信じやすさcredulite」をサンタクロース伝説に結びつける。<leur ferveur(子供達のサンタへの執心)nous rechauffe, nous aide a nous tromper nous-meme et a croire qu’un monde de generosite sans contrepartie n’est pas absolument imcompatibles avec la realite.>(238頁)
訳;子供達の熱狂は我々大人を熱く変え、異論を許さない寛容さは社会の現実と不協和をもたらさないと信じ込ませる。サンタクロースの社会機能を信じやすさに収斂させている。
(信じやすさを蛇毒消しの土俗医でも取り上げている。論理性を排しても秩序維持を図る平衡感覚は、ブラジル奥地の住民もラホールのイスラム教アマディ派においても同一であるとの指摘である。土俗医師の項として後投稿する)
<Et pourtant les hommes meurent , ils ne revient jamais ; et tout ordre social se rapproche de la mort, en ce sens qu’il preleve qulque chose contre quoi il ne donne pas d’equivalent>
訳;人は死ぬ、それでも帰ってこない。社会の全ての決まりは人を死に向かわせている。そうした何か決まりを取り除いて、なんの代償も与えない。
悲しき熱帯での圧巻と小筆は受け止めています。
解説:
引用の最後の文、「tout ordre social se rapproche de la mort....=社会の全ての決まりが死に近づく。この句の示すところを探りながら全体の解釈に迫る。ordreの意味が解釈の糸口となる。
フランス語では1の語ordreで、秩序と順番の2の意味を表す。
辞書robertに当たるとその義は1 succesion reguliere de caractere spacial, temporel. V.Enchainement 3に qualite d’une personne qui a une bonne methode. 例文として<La mere, pleine d’ordre, tenait les livres .... menait toute la maison.Zola
>とあります。
1は空間、時間の尺度で規則正しい継続。3の義で規範に則り、順番に片付けていく人の行動を表します。例文の訳は<母は規則正しい性格で(散らかった)本を仕舞い、家中すべてをとり纏めていた>秩序を保つために本などを順々に整理する様が秩序である。フランス語のordreはdiachronie=経時の行動です。
一方で、日本語で秩序は静的状態を表す。
本を所定位置に戻し置く母の行動を秩序とせず、片付けという。行為、行動を伴う事柄を秩序と日本語では言わない。片付けしてあるべき状態になった場に秩序が生じる。秩序は日本語でsynchronie(共時)です。
それでは、ボロロ族の社会では
秩序なる行動が順々に物事を追い続ける。そのつまりで「死に近づく」。行動の規範、社会の制度が人を死に追いやる。死に向かわせる制度が何かは前述されている。それは家財を管理する訳でないし、野良仕事に精出す気構えもない、男の怠惰が前提となる。祭儀のみに時間をつぶす。成人式、死霊迎え、その他いろいろあるらしい。男屋に閉じこもり、昼は寝て夜は祭り三昧。気晴らしは狩り。全ては男の死を前提にしている風習である。死のボロロ秩序とは生涯を通じてのdiachronieであるとレヴィストロースが見抜いた。
写真:葉にくるまった複数の死者の霊がダンスしている。(同氏著作から)
再び非熱帯の旅に戻る。弱気のレヴィストロースがかいま見える。
帰国に向かうレヴィストロースの語り口に異変が生じた。
<J’avais quitte la France depuis bientot cinq ans, j’avais delaisse ma carriere universitaire ; pendant ce temps , mes condisciples plus ages en gravissaient les echelons ; ceux qui, comme moi jadis , avaient penche vers la politique, etaient aujour’hui deputes, bientot ministres. Et moi,je courais les deserts en pourchassant des dechets d’humanite.Qui ou quoi m’avait donc pousse a faire exloser le cours normal de ma vie ?(450頁)
訳;フランスを離れもうすぐ5年が経過する。私は大学での職位を放り出しそのままなのに、賢く立ち回る同期の幾人かは、かつて私も志向した政治分野に入って、次官に上りいずれに閣僚となろう。砂漠をはいずり文化の痕跡を探し出していただけだった。誰が、何が、まともな生き様から破断するように、私をし向けたのか。
続いて
<Ou bien ma decision exprimait-elle une incompatibilite profonde vis-a-vis de mon grouep social dont quoiqu’il arrive, j’etais voue a vivre de plus en plus isole ? Par un singulier paradoxe, au lieu de m’ouvrir un nouvel univers, ma vie avetureuse me restituait plutot l’ancien, tandis que celui auquel j’avais pretendu se dissolait entre mes doigts.(451頁)
訳;私があの決定をしたその時すでに、属している集団と深い亀裂が生じてしまったのだろうか。何が起ころうとも、どんどん孤立して行くのだろうか?わずかな食い違いかもしれない、それが私に新しい世界を広げる代わりに、冒険にかけたこの年月の成果が私を古い世界に戻してしまうのか。手に入れられるとした世界が、指の隙間から抜け出てしまったのか。
レヴィストロースがすっかり弱気になってしまった。
ブラジル行きはBougle(高等師範学校学部長)の電話で端を発したので、生活を破断させた「誰か」はBougle。レヴィストロースが関心をもつ民族学が「何」に対する答え。
しかし、その見方は単純であろう。彼には属している集団があったが、ブラジル行きでそれと亀裂が生じた。フランスに戻ってからの約束された世界とは大学での地位かと推察するが、戻る場所を見つけられない。その背景とは、とあるいざこざが出発の時に発生していたのか。主任教授だったGerogeDumasとの確執でもあったのか。それらは書かれていません。
帰国はヨーロッパはドイツがポーランドを侵攻した1939年。
帰国直後、パリで開催した講演は不調だった。
<le petit amphitheatre sombre qui occupe un pavillon ancien au bout du Jardin des Plantes.La societe des amis du Museum y organize chaque semaine des conferences sur les sciences naturelles. L’appreille de projection envoyait sur un ecrin trop grand, avec des lampe trop faifables , des ommbres imprecises dont le conferencier parvenait mal a percevoir les contours et que le public ne distinguait guere des taches d’humidite maculant les mures. Un quart d’heure apres le temps annonce, on se demandeait encore avec angoisse s’il y aurait des auditeurs...(11頁)
訳;パリ植物園内、古い離れ屋、そこには薄暗い小さな階段教室がある。博物館友の会が毎週、幾つかの自然科学の講演会を開く。投影器に比べて大きすぎるスクリーン、暗いランプ。映し出される影はぼんやりしているから、講演者にも形状は分からない。聴講する側は壁に張り付いた滲みかと見えるだろう。開始予定時刻から15分経過した。まだ誰も座っていない。
植物見学に飽きて講堂の無料講演に引かれた親子連れ10組が入ってきた。彼らに南米先住民の生き様を講演しなければならないのだろうか。5年の歳月と国内での地位を振っての成果がこの惨状で終わった。
書き出し< Je hais les voyageurs et les explorateurs >訳;私はあらゆる旅行者と探検者が嫌いだーの背景にも見当がつく。
大学の地位ではなく、モンペリエのlysse高等学校に哲学教師の職を得るものの、徴兵、敗戦、公職剥奪(ヴィシー政権反ユダヤ法)と苦難が続いた。降って湧いたかのアメリカ亡命行は本文初頭に取り上げている。ニューヨークでの5年、帰国、その後、親族の基本構造、本書、野生のスミレ、神話4部作など発表し、構造主義の観点から先住民の文化と精神構造を論じた。
私見であるがレヴィストロースは民族誌学的にはそれほどの業績を上げていない。この分野では未開民族を訪ね歩いて、調査に時間をかけなければ成果はモノにできない。
しかし、哲学の方法を取り入れ「民族思考論」を立ち上げ、文化人類学の可能性を広げ、神話構造学を開拓した。あらゆる旅が嫌いでも、いかなる開拓者が嫌いでも社会人類学を学べると証明した。了
投稿子(蕃神)は引き続いて悲しき熱帯を紹介していきます。近々予定は悲しき熱帯と構造主義、土俗医師とアマディ派、落日考。
お願い:本投稿を読了し賛同していただける方に、下のブログランキングボタンを押してください。現在、哲学ブログで130位の低落ぶりですので。なおコメントを通してご批判、ご指摘いただければありがたし(蕃神)。