湯西川日記

fbやツイッターで一年サボりましたが、やっぱりブログです。2016年から復活します。ツイッターの長い版みたいな感じです。

罪について

2012-02-22 21:13:05 | 学習

キリスト教でも仏教でも、すべからく人は罪人とされている。なかでも、法然さんも親鸞さんも、このことを強調して説いた。彼らは何を言わんとしていたか。大胆にも、人は、たやすく罪人になりうる弱い存在であると説いたのだと思う。

世の正義というものさえ、時代が変われば、悪になりうる。あんな真面目な人が、という人が電車の中で見ず知らずの人を傷害したりした例はいくらでもある。罪はたやすく起きうる。この点、よくよく自分を自制して監視しなければならない。

殺人犯といえど、生来の殺人犯はまず、いないし、事件を起こすまでは殺人を企図してはいなかったはずである。はずみで人を殺(あや)めてしまった、というのが圧倒的に多いのだろう。凶悪犯といえど、自分たちとまったく異なる存在ではない。いわゆる、生身の人間である。

一方で、罪がたやすく起きうるから、罪に対しては罰を設けなければならない。抑止力ともいえる。このことがなかった社会は過去に存在しなかった。死刑が必要か、必要でないか。死刑がなくても抑止力は保てるか。答えはそのあたりにある。極刑の適用判断において、罪人が更生可能かどうかが焦点にはならない。