酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

ある友人の手記 その六

2011-05-30 07:57:47 | 東日本大震災
今朝のテレビ。題「避難所で体を守る為には」ある大学教授が作成したパンフレット。「手洗い、うがいをまめにする。マスクをする」インフルエンザ流行を防止。「高齢者は水分を多く取り、体を動かす」エコノミー症候群を防止。どこにそんなものがあるのだ!笑わせるな! 2011-03-15 05:16:24 上記日付の「くだまき」です。 彼があきれた報道も同じようなものでした。   & . . . 本文を読む
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ある友人の手記 その五

2011-05-30 07:47:25 | 東日本大震災
彼ならではの「震災記」ではございますが、「酔漢のくだまき 小学校の頃」を思い出します。以下、お読みくださればおわかりになられるかと思うのですが、「塩竈はそんな街」だったのです。   石巻市は宮城県第二の都市であり、津波の被害はとてつもなく大きい。僕がはじめて石巻に行ったのは、小さい頃、父親の実家に向かう途中で立ち寄った時だ。ちょうど昼食の時間だったので、駅の近くでラーメンを食べた。で . . . 本文を読む
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ある友人の手記 その四

2011-05-30 07:21:03 | 東日本大震災
「その一」でも語りましたが、彼のご実家は酔漢実家のそばにあります。塩竈市立第二小学校を御存知の方ならお分かりいただけるかと思いますが、酔漢実家小松崎(「こまつっぁき」)から彼のご実家「北浜」が真下に見えます。丁度リアス式海岸のように、山から海を見下ろす感じです。その北浜のほとんどは海抜ゼロメートル地帯です。 「無線学校」は「無線局」となり今は空き地となっています。彼とは、共有できる時間と空間が数 . . . 本文を読む
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ある友人の手記 その三

2011-05-30 07:18:49 | 東日本大震災
彼の細君の顔を思い出しました。 大病をされていたことは知りませんでした。 本当に無沙汰してました。    翌日は当然、朝早くから起きだした。明るいうちにやるべき事がたくさんある。 報道のヘリコプターだろうか、早朝から何機も何機もぶんぶんとうるさい。これだけの数は経験した事がない。それで災害の大きさを改めて感じさせられた。 朝起きて、一応水道と電気を確認してみるが、や . . . 本文を読む
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ある友人の手記 その二

2011-05-30 07:04:37 | 東日本大震災
本日、彼の手記を何回かに分けてご紹介いたします。一日に複数の「くだまき」です。 . . . 本文を読む
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