酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

お好み焼きの味

2012-10-26 08:04:41 | もっとくだまきな話
先月の事であるから、夕方6時では日がまだ明るい。
会議の後、それはビールの恋しくなるロケーションが揃います。
「のど湧いたよね」
「腹減ったぁぁ」
と仲間内がそれぞれに勝手言ってます。
「お好み焼きなんかどう?」と一人が提案。
全員がそれに乗ることになりました。

酔漢が、所謂「広島風お好み焼き」に初めて触れたは大学時代。
ams西武のレストラン階内にありました「広島風お好み焼きチボー」で食べたのが最初です。
それまではどうしても、「場末の食べ物」としてのイメージが強かったものですから、「レストラン風」のお好み焼きというものは経験がありませんでした。
「お好み焼きってそげにたけかった食い物だったのすか?」
「だれ、俺達は、駄菓子屋の隅でくってたおんなぁ」
これは、酔漢と「ある友人君」との会話。
お好み焼きとビールとの組み合わせもそのとき、初めて味わいました。

さて、会議の後、池袋の「お好み焼き」に入った酔漢一向。
「やっぱりねぇ、このソースがいいんだよね」
「俺、さぁ。豚球入りが好きでさぁ、お袋の作る奴が旨かった」
と、お好み焼きの思い出話に華が咲きます。
「お好み焼きのソースって大学時代に初めて食べた」と酔漢。
周りの目が一斉に酔漢に注がれます。
鉄板で焼いている手も止まった様子。
「・・・・・・・・」
「酔漢さあ。・・・・ソース?大学時代って?どういう事?」
「俺が小学生の頃食べてた奴(お好み焼き)って醤油だった」
「・・・・・・・・」
「醤油?お好み焼きに?それって、アリ?か?」
「俺は初めて聞いたぞ」
この「お好み焼きで一杯」を提案してきた某君。
彼の出身は兵庫県。
なるほど、「関西風」は当たり前なのでした。
「逆に、酔漢に聞きたいんだけど、どんなお好み焼きなんだ?」
酔漢は、昔話をするはめになってしまいました。

「うの君のクリニック」は、酔漢の遊び場の範囲にあります。
今は道路も広くなり、住宅もたくさんあって、東塩釜駅周辺は大きく変貌致しました。
当時を少しお話しいたしますが、藤倉の団地はまだ造成中で、山がまだ残っております。
丁度「杉の入り」あたりです。
藤倉へは、塩竃二小から山を降りる形になるのですが、そこから、東北ドックへは大きな道が続いていて、その両側が小さな商店街の様相です。
「渡辺精肉店」「おおた果実店」など。
その途中に駄菓子屋があって、その店の隅に鉄板テーブルが二脚置いてあります。
僕らは、ここでよくお好み焼きを食べました。
途中までは、お店のおばちゃんが用意してくれます。
小さなボールに粉を溶いたものと、具が入っているものを鉄板の上に。
ジューーーーッツ!とおいしそうな音。そして店に広がる香。
一番高いトッピング(という言葉は当時知らなかった)は豚肉。(細切れ3枚位だったかな)。
僕らは、天かす入りを注文致します。
ヘラで返して、そしてその後。
醤油の入った入れ物から、刷毛でもって塗って両面焼き。
これで出来上がりです。
このようなお店は、何店かありましたが、どこも、似たような感じです。
ですから、僕らの小学生時代、塩竃周辺では、「お好み焼きは醤油風味」だったのです。
その話を、池袋の酒の席で致しました。

「俺、味が想像できないなぁぁ」
「それって、逆に新鮮かも」
「じゃぁさぁマヨネーズって・・・・」
「俺(酔漢)。全く考えもつかなかった・・」
「・・・・・・・・・」


冒頭の写真は、震災前の「高橋商店」。
そしてこれが、そこで焼かれました「醤油風味、豚肉入り」のお好み焼き。
少子化で小学生の人数も激減し、「駄菓子屋にのれん」のお店もなくなりました。
僕らの時代、そうしたお店には、小学生が所狭しといたものです。
今では懐かしい風景となりました。

さて、再び池袋。
「酔漢の言ってた『お好み焼き』って『宮城焼き』ってこと?」
「俺も、塩竃でしか知らないから『塩竃焼き』かも」
「B級グルメだよね。今でもあったら」
「んでも、こいづは『ジャス』と一緒でねぇべか?」
「お前なぁ。急に訛るな!『ジャス』って?」
「ジャ-ジの事。宮城語だっちゃ」

実際はどうなのだろう?
本当に「宮城焼き」。「塩竈焼き」なのだろうか。

お好み焼きに想いを馳せておりました。

コメント (18)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Say it ain't so Lance ! | トップ | 面白い!を人に伝えるには・... »
最新の画像もっと見る

18 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
「ソース」ですねぇ (すず)
2012-10-26 09:26:55
 私は「お好み焼きにはソース」ですねぇ。でも、以前、「目玉焼きに何をかける?」という話になりまして、塩やこしょう、ソースといったコメントのなか、私の醤油というコメントは浮いてました・・・あれ?と思ったんですが、私はアジフライも醤油をかけるんです。海沿いの魚喰いは、醤油>ソースなのかも。

話かわりますが、「お好み焼きに赤ワイン」という組み合わせが大好きです。(カロリーとか考えたらダメダメ)お醤油がベースだったら、ロゼワインが合うかしら?とまず考えました(笑)
返信する
お好み焼きは醤油だ! (うの)
2012-10-26 15:10:53
 僕もお好み焼きといえば醤油!です。うちの近所(仙台市荒町)にもこんなお好み焼き屋が何件かありましたわ。
 
 そんななか西武の上にできた「千房」は確かに衝撃でした。「お好み焼きのくせにこんなに高いのか!?」ということと「ソース味」ということでした。(ちぼうは広島風ではなくて大阪、関西風じゃないかな?)

 仙台でもお好み焼きといえば醤油味。どんどん焼きなんて呼んだりもします。でも今ではソース味が主流になって、我が家でお好み焼きを焼くときも(なぜか、お好み焼きだけは僕が担当して焼きます)、皆ソース味です。最後に残った分を醤油味にして食べていると、家族からも「え~っ」て顔で見られております。
返信する
すずさんへ (酔漢です)
2012-10-26 19:16:43
実は、アジフライは得意なのでした。
最初から自分で包丁を入れます。
背びれをうまく取るのがコツ。
中骨をきれいに削ぐのも大事ですね。
これは、ソースですが。パンの挟むときだけ。
ごはんの時は醤油なんです。

赤ワインですか。味の想像はつきますね。
試してみますね。
返信する
うの君へ (酔漢です)
2012-10-26 19:21:35
ようやく賛同者が現れた!
よかったあぁぁ。僕だけかと思ってましたので。
そうか「千房」は関西風だった。記憶違ってました。
ありがとうございました。
そうですか、荒町あたりにはあったのですね。
写真の塩竈尾島町「高橋商店」がもしかしたら最後かも。
塩竈探索が必要かも。
クリニックのそばにあった「お好み焼き屋」はすでになくなっておりました。
我が家の場合も、最後は醤油。
家族から「邪道だぁ」と言われつつ。
「これがいいんだい!」
返信する
近所にもありました (ゴエモン)
2012-10-26 20:32:59
酔漢様は知っているかと思います。
小松崎の隧道を抜け国道につながる階段を下り始めの左手に民家でおばあさんがお好み焼き屋をしていました。
間違いなく昭和54年までは営業していました。やはり、醤油味!しかも薄っぺらい!
その後、おばあさんもお亡くなりになって醤油味のお好み焼きは家でしか口に出来なくなりました。が、平成2年、八木山緑町バス停前にネギ焼き屋が開店してまさしく薄っぺらい醤油味の懐かしい味に再会したのです。
千房は粉と具を焼く前に混ぜることとマヨネーズをかけることに衝撃を受けました。高校生の時のことです。
返信する
宮城のお好み焼きは関東風 (ぐずら)
2012-10-26 20:43:40
たいへんご無沙汰をいたしておりました。チラチラ覗いてはいたんですが…
今回の話題には参戦させてもらいます。
昭和40年代前半頃まで、旭町の東園寺下踏切り辺りから船戸の貨物線の高架沿いに、堀に桟橋を架けた飲み屋や駄菓子屋が並んでたのを思い出します。
その中に『サキちゃんバッパ』て呼ばれてたおばちゃんの店があって、酔漢さんの言うとおりのお好み焼きを食べてましたよ。あと、南町のえびす湯の向いとか、本町の伊勢模型屋の辺りにも…
それから、尾島町の「五月」はつい去年だった今年の始めだったまで営業してましたよ。ここには30年ほど前、1品30円で具が無い「プレーン焼き」とか50円で具がネギだけの「ネギ焼」きとしか注文しないくせに、酒持込み(当時持込み料は無料)で入り浸ってました。
塩竃以外でも多賀城の下馬や伝上山、仙台にも名掛町にもあったし、中でも盛大にやってたのは、一番町の民謡会館ビル(現在は居酒屋○△□)の地下のお好み焼き屋でしたね。
いずれにしても、宮城ではアムス西武に千房が開店するまで、薄焼きで具はネギ、テンカス、桜海老、紅しょうがぐらいの醤油味の関東風お好み焼きがスタンダードだったと思いますよ。
返信する
こんばんは (見張り員)
2012-10-26 22:55:54
私は「お好み焼き」というとソースですね・・・
でも醤油のお好み焼きもおいしそうですね、今度挑戦してみようかな。
聴いた話ですが広島のお好み焼きはもともと戦前に「一銭洋食」として売られていたのが始まりだとか。
メリケン粉にいろいろ混ぜ込んで焼いたものを新聞紙に包んで食べるのだとか。

同じようなものでも地方によって味や作りに違いが出るのが面白いですね!
返信する
そうでしたね (くりまま)
2012-10-27 06:46:14
酔漢さんと同じ感覚でした・・
高校を卒業したあと、街にでておしゃれなams西武の
『千房』今はたしか一番町にあります。
えびの頭もぎゅっとつぶしてやいてくれるのも
びっくりしたのを覚えています。
そして高校時代は下馬や塩釜三小?だったたか
近くのもちろんしょうゆ味のお好み焼きをたべたのを
覚えています。三小近くの普通の家の玄関で
焼いててくれるお好み焼きは少し厚めでかなり
美味しかったんですよ。
そして中学、小学時代は・・お好み焼き食べるところも
習慣もなかったなぁ(笑)
ソースは最近やっとフライにかけるようになりました(^^;)
返信する
知らなきゃいけない事はどうやら1と0の間 (ある友人)
2012-10-27 10:57:47
あの藤倉の駄菓子兼お好み店があった頃は、すぐ向かい辺りにそろばん教室があって、二中も杉の入に移転する前だったからほど近くて、日々賑わっていましたね。ほとんど自分で焼くからひっくり返すのが上手くなりましたっけ(笑)。記憶は美化させるのか、具はほとんどなかったけれど確かにあれはうまかったなあ。
藤倉には南部せんべいを焼いている店もあって、「みみ」というせんべいの端の薄いところだけを、新聞紙の袋に入れて売ってくれたし、さとう精肉店のハムカツは甘いたまねぎも入っていて、よくおやつとして食べていました。北浜だと笹蒲鉾の「はね」といってうまく焼けなかった奴を工場でもらって食べていましたよ。
大人から子どもへとそんな体験や味覚を継承できないのは、いろいろな意味で寂しい限りです。

ところで若松監督が亡くなりましたね。大学の頃、酔漢さんがカフェ・ソコで若松監督について熱弁をふるっていたのをふと思い出しました。合掌。
返信する
ゴエモンさんへ (酔漢です)
2012-10-27 21:39:03
ありました!
薬局の反対側だった記憶が。
(そういえば、今でもあの薬局の名前は誤解されないかと・・・・)
緑町は高校のテリトリーでしたが、覚えている奴がみつからなくて。
考えれれば、千房のオープンは衝撃でした。
これは皆の一致するところ?
返信する

コメントを投稿

もっとくだまきな話」カテゴリの最新記事