「郵便物の締め切りは一○○○」
最後の手紙は以前語りました。宮城県七ヶ浜村へはみかん箱が一個届きます。お菓子がたくさん詰まっておりました。
中に手紙はありませんでした。
もともと筆不精の酔漢祖父です。書きたくても「言葉がでなかった」のではなかったのでしょうか。手紙より暗号の方が書きやすかった?でしょうか。
草鹿龍之介参謀長と三上作夫作戦参謀が九州鹿屋で「大和沖縄」を知った話は何度もいたしました。その経緯を掘り下げますと、奇妙な事実が浮かび上がってきます。不自然な状況もその証言から知ることとなりますが、本編では四月六日の史実を、その証言などから見てみることといたします。
四月六日十三時出港準備開始 十五時出港予定。
「大和」の機関は力量十五万馬力という強力な蒸気機関であり、碇泊状態から航海状態に準備するには機械を除々に暖めなければならず、急いでも二時間は必要とした。
と、同時に、カッター一隻を残してすべての短艇を徳山港務部に送った。艦内に置けば、砲爆弾で破壊され、通路をふさぐおそれがあるのと、生還を期さない出撃であるから、艦外の交通に使う短艇は、今後使用の機会はないものと考えた。
(能村次郎 大和副長 手記より 抜粋)
(→短艇を大和は降ろしております。が、駆逐艦各は降ろしておりません。これも酔漢がこだわる謎の部分です。後程史観として私見を語りたいと考えております)
そして、今一度「草鹿龍之介GF参謀長の手記」を紐解きます。
鹿屋基地で神大佐との電話でのやり取りの後からでございます。
「決まってから参謀長の意見は如何ですかもないもんだ。決まったものなら仕方ないじゃないか。」と憤慨したが、さらに悪いことには私が九州にいるので、これが引導渡しをさそうとする。
この斬り込み部隊は特攻隊であるから、生きて帰らぬことは明白である。
部隊指揮官たる艦隊長官伊藤整一中将は、軍令部次長をしていた人で、当然軍人としての覚悟は決まっている。
ただ万が一にも心に残るものがあってはならない。心おきなき最後を促し、喜んで征くよう参謀長から話して呉れというのである。
これは、誠に辛い役目であり、突然私に行けとはなんたることかと思ったが、考えてみるとそれを伝いに行くものは私の外にはない。
そこで一度は怒ってみたものの、承知して五日飛行機に乗って、内海西部の艦隊泊地にいった。そして第二艦隊司令部に伊藤中将を訪ね、この絶対に生還を期し得ない特攻攻撃を行わなければならない理由を説明した。
この草鹿参謀長と三上参謀が大和を訪れる際の様子として、能村副長は次のように記されておられます。
十五時過ぎに聨合艦隊参謀長草鹿竜之介海軍中将(→慟哭の海 38頁からの抜粋です。やはり草鹿参謀長のお名前の誤字でございます。再度「草鹿龍之介海軍中将」が正しい表記でございます)来艦との連絡があり、出港を十六時に延ばす。
(中略)
十五時三十分、水上機一機、「大和」の舷側近くに着水、同機で草鹿参謀長来艦す。
大和、長官公室は右舷上甲板、中部十二区にございます。
すでに、横山大観作「富嶽図」は取り外された状態でした。
長官室へ草鹿参謀長が先に入りました。そして後から作戦参謀三上作夫中佐が入ります。
三上中佐は伊藤司令長官と向かい合うように座ります。
伊藤長官は草鹿参謀長の海兵二期先輩(第三十九期)にあたります。
本作戦経過を淡々と話す草鹿参謀長。だまって聞いている伊藤長官。伊藤長官は一言も話しておりません。
説明が一通り終わります。そこで初めて口を聞いた伊藤司令長官です。
「作戦の内容は充分理解いたしました。だが・・・」
「だが?だが・・・とは・・」
「出撃はする。しかして、生還の望みがない本作戦である。容易には納得しがたい」
草鹿参謀長は、想定していたとは言え、伊藤長官の発言に答えを返せずにおります。
(GFは・・・我々に何をやらせようとしておるのか。草鹿から聞き出そうとは思うが、草鹿も本音を言わないだろう。誰が考えたか。まったく馬鹿げた話だ。今さらだがな)
伊藤長官の心の内を推察いたしました。もとより「奮戦スレド徒死スルナカレ」は自身への戒めでもある伊藤長官です。最初から「生還ナシ」の作戦にすぐさま同意するのであれば、日ごろ自身が話している事と矛盾することになってしまいます。
どれだけの沈黙が流れたでしょうか。
突然、三上作戦参謀が切り出しました。
「本作戦は沖縄第三十二軍とも連動する!四月七日。総攻撃を開始。同時に沖縄へ上陸し陸兵となって斬り込むところまで考えてあるのだ!」
三上作戦参謀は普段温厚で知られておりました。が、この激です。ですが、伊藤司令長官は眉一つ動かすことなく、黙って聞いております。
(航空機の掩護がなき今、沖縄までたどり着けるわけないではないか!)
伊藤司令長官は言いかけた言葉を飲み込みました。
場は一層白々しい雰囲気になってまいります。
「沖縄上陸後まで作戦があるのか」
伊藤司令長官が逆に質問します。
「今しがた、三上作戦参謀が話した通り、GFはそこまで考えておる」
大きく息を吐き出しながら草鹿参謀長が話します。
そしてその後草鹿がこれまで溜まっていたものを吐き出すように次のように発言いたします
「要するに・・・・要するにだ・・・死んでもらいたい!」
三上作戦参謀はこの草鹿参謀長の発言に驚きます。海兵二期先輩に対する口の聞きようではなかったからです。先輩に対する暴言とも捉えかねない言葉なのです。
草鹿参謀長もこれを即座に察しました。
追い討ちをかけるように次の発言を行います。
「いずれ『一億総特攻』ということになるのであるから、その規範となるよう立派に死んでもらいたい」
「『一億総特攻のさきがけ』かとGFはそう言うのであれば・・・・」
「そう一億特攻のさきがけなのだ!」
伊藤長官の口元が緩みます。普段の穏やかな顔つきに戻っているのを三上作戦参謀は見たのでした。その直後。
「それならば『何をかいわんや』だ。よく了解した」
伊藤長官が何をどう考えてこの発言をしたのか。よくこのまま「さきがけ特攻」という文献、そして映像がございます。「男たちの大和」も例外ではございません。今後詳細を語りたいと考えておりますが、酔漢はこの「一億総特攻」での「大和出撃」には異論がございます。もっと深い意味が伊藤長官の「了解した」にはあると考えております。この「了解」は「作戦としての了解」「特攻への納得」この二点のみが語られることとなりますが、酔漢の私見は「GF、軍令部が現状何を考えているのか」「この艦隊に何を期待しているのか」そして「組織が最早機能していない事実を知った」それを理解させる為には「自らが本作戦を遂行させるしか終わらせる事ができない」と悟った意味があるのではないかと推察いたしました。結論です。「一億総特攻」この言葉だけで伊藤司令長官が納得するとは思えないのです。酔漢的史観としてまた語ることといたします。
しかし「死んでこい」と言われれば、それに対しては「拒否できない」状況となっております。これ以上議論するべきことはなくなりました。終わりです。
しかし、伊藤司令長官は草鹿参謀長にこう質問いたします。
「草加参謀長、聞いていいかね」
「伊藤長官、何か」
「途中で、艦隊が大半を失う事態が起きたとき、作戦の変更もあり得る。これはGFには承知して頂きたい」
(→実はGFに対して大きな不振を抱いており、この発言に繫がったのかと考えております。この時点で伊藤司令長官は生還の道を模索し始めたのではないのでしょうか)
「それは、伊藤司令長官の心の内にあることだと思います」
「この事を各艦長に知らせたいのだが、同席をしていただけるのでしょうか」
「これからは2Fの事であるから伊藤司令長官にお任せするが。私がいなくても・・」
「いや、是非同席していただきたい」
伊藤司令長官は草鹿参謀長の拒否を許さないといった雰囲気で話しました。
草鹿参謀長も同意せざるを得ませんでした。
「では、とって置きを・・」
伊藤司令長官が杯を用意します。GFとの最後の杯でした。
場所を士官室へ移します。(大和上甲板右舷九区)
大和からは機関長高城為行大佐。そして第二水雷戦隊司令官古村啓蔵少将。「矢矧」艦長原為一大佐。以下各艦長が召集させられました。
ですが、一名、まだ到着いたしておりません。「雪風」艦長、寺内正道中佐です。
ちょうど、雪風艦内で小さな事故(詳細不明)があり遅れて来たのでした。
寺内艦長が士官室のドアを開けます。全員席に着いておりました。
「貴様、何故遅れた!」
ある2F参謀(誰か不明です。一説には森下参謀長との話がございます)が突然寺内艦長を殴りました。
他の艦長は突然殺気立ちます。公衆の面前で駆逐艦とはいえ「艦長が制裁を喰らう」ということは前代未聞。(確か、原さんだったと思いますが、遺族会での発言)
「これはあまり表には出てこない事実ですが、寺内少佐が殴打されたことでGFに対する不信感が大きくなったと思います」と話されておられます。
「GFの焦りがそのままこのような事件になったと、今では思います。そりゃ雪風乗組員は怒りますよ。殿様が侮辱された所謂『忠臣蔵』のようなものです」
伊藤司令長官は黙認いたします。古村第二水雷戦隊司令官は明らかに怒りを抑えておりました。
会議が始まります。
草鹿参謀長が来られるというので、全艦隊の艦長、参謀が大和の士官室に集まって待っていた。大和からは副長のわたしも出席した。来艦した草鹿参謀長は伊藤司令長官と同期でもあり(そのまま能村副長手記を抜粋しております。間違いです。先に記しました通りです。伊藤長官海兵三十九期。草鹿参謀長海兵四十一期です。伊藤長官が二期先輩に当たります)はじめは長官室でしばらく話していたが、間もなく二人揃って士官室に入って来られた。
伊藤長官は、豊田連合艦隊司令長官の訓示を一同の前で読み上げた。
(能村次郎副長 手記より抜粋)
「皇国の興廃は正に此の一戦にあり。ここに特に海上特攻隊を編成し壮烈無比の突入作戦を命じたるは、帝国海軍力を此の一戦に結集し、光輝ある帝國海軍海上部隊の伝統を発揚すると共に、其の栄光を後昆に伝えんとするに外ならず、各隊は其の特攻隊たると否とを問わず愈々殊死奮戦、敵艦隊を随処に殲滅し以って皇国無窮の礎を確立すべし」
一気に読み上げました伊藤長官です。続いて森下参謀長の口達です。
「海上特攻の本領を発揮し、弾丸の続く限り最後まで奮戦し生還を期せず」
で、終わります。
もはや、賽は投げられました。覚悟の事とはいえ、死地へと向うことに直面いたします。
打ち合わせ終了。一同乾杯。
伊藤長官は全員に酒を注いで回りました。
原為一さん(矢矧艦長の話)
「あんなにはしゃいでいた伊藤司令長官があったかと、みなあっけに取られました」
この日、伊藤司令長官は「何を悟った」のでしょうか。
長くなりました。ご拝読感謝いたします。
四月七日が近づいてまいりました。横須賀。桜が咲きました。
最後の手紙は以前語りました。宮城県七ヶ浜村へはみかん箱が一個届きます。お菓子がたくさん詰まっておりました。
中に手紙はありませんでした。
もともと筆不精の酔漢祖父です。書きたくても「言葉がでなかった」のではなかったのでしょうか。手紙より暗号の方が書きやすかった?でしょうか。
草鹿龍之介参謀長と三上作夫作戦参謀が九州鹿屋で「大和沖縄」を知った話は何度もいたしました。その経緯を掘り下げますと、奇妙な事実が浮かび上がってきます。不自然な状況もその証言から知ることとなりますが、本編では四月六日の史実を、その証言などから見てみることといたします。
四月六日十三時出港準備開始 十五時出港予定。
「大和」の機関は力量十五万馬力という強力な蒸気機関であり、碇泊状態から航海状態に準備するには機械を除々に暖めなければならず、急いでも二時間は必要とした。
と、同時に、カッター一隻を残してすべての短艇を徳山港務部に送った。艦内に置けば、砲爆弾で破壊され、通路をふさぐおそれがあるのと、生還を期さない出撃であるから、艦外の交通に使う短艇は、今後使用の機会はないものと考えた。
(能村次郎 大和副長 手記より 抜粋)
(→短艇を大和は降ろしております。が、駆逐艦各は降ろしておりません。これも酔漢がこだわる謎の部分です。後程史観として私見を語りたいと考えております)
そして、今一度「草鹿龍之介GF参謀長の手記」を紐解きます。
鹿屋基地で神大佐との電話でのやり取りの後からでございます。
「決まってから参謀長の意見は如何ですかもないもんだ。決まったものなら仕方ないじゃないか。」と憤慨したが、さらに悪いことには私が九州にいるので、これが引導渡しをさそうとする。
この斬り込み部隊は特攻隊であるから、生きて帰らぬことは明白である。
部隊指揮官たる艦隊長官伊藤整一中将は、軍令部次長をしていた人で、当然軍人としての覚悟は決まっている。
ただ万が一にも心に残るものがあってはならない。心おきなき最後を促し、喜んで征くよう参謀長から話して呉れというのである。
これは、誠に辛い役目であり、突然私に行けとはなんたることかと思ったが、考えてみるとそれを伝いに行くものは私の外にはない。
そこで一度は怒ってみたものの、承知して五日飛行機に乗って、内海西部の艦隊泊地にいった。そして第二艦隊司令部に伊藤中将を訪ね、この絶対に生還を期し得ない特攻攻撃を行わなければならない理由を説明した。
この草鹿参謀長と三上参謀が大和を訪れる際の様子として、能村副長は次のように記されておられます。
十五時過ぎに聨合艦隊参謀長草鹿竜之介海軍中将(→慟哭の海 38頁からの抜粋です。やはり草鹿参謀長のお名前の誤字でございます。再度「草鹿龍之介海軍中将」が正しい表記でございます)来艦との連絡があり、出港を十六時に延ばす。
(中略)
十五時三十分、水上機一機、「大和」の舷側近くに着水、同機で草鹿参謀長来艦す。
大和、長官公室は右舷上甲板、中部十二区にございます。
すでに、横山大観作「富嶽図」は取り外された状態でした。
長官室へ草鹿参謀長が先に入りました。そして後から作戦参謀三上作夫中佐が入ります。
三上中佐は伊藤司令長官と向かい合うように座ります。
伊藤長官は草鹿参謀長の海兵二期先輩(第三十九期)にあたります。
本作戦経過を淡々と話す草鹿参謀長。だまって聞いている伊藤長官。伊藤長官は一言も話しておりません。
説明が一通り終わります。そこで初めて口を聞いた伊藤司令長官です。
「作戦の内容は充分理解いたしました。だが・・・」
「だが?だが・・・とは・・」
「出撃はする。しかして、生還の望みがない本作戦である。容易には納得しがたい」
草鹿参謀長は、想定していたとは言え、伊藤長官の発言に答えを返せずにおります。
(GFは・・・我々に何をやらせようとしておるのか。草鹿から聞き出そうとは思うが、草鹿も本音を言わないだろう。誰が考えたか。まったく馬鹿げた話だ。今さらだがな)
伊藤長官の心の内を推察いたしました。もとより「奮戦スレド徒死スルナカレ」は自身への戒めでもある伊藤長官です。最初から「生還ナシ」の作戦にすぐさま同意するのであれば、日ごろ自身が話している事と矛盾することになってしまいます。
どれだけの沈黙が流れたでしょうか。
突然、三上作戦参謀が切り出しました。
「本作戦は沖縄第三十二軍とも連動する!四月七日。総攻撃を開始。同時に沖縄へ上陸し陸兵となって斬り込むところまで考えてあるのだ!」
三上作戦参謀は普段温厚で知られておりました。が、この激です。ですが、伊藤司令長官は眉一つ動かすことなく、黙って聞いております。
(航空機の掩護がなき今、沖縄までたどり着けるわけないではないか!)
伊藤司令長官は言いかけた言葉を飲み込みました。
場は一層白々しい雰囲気になってまいります。
「沖縄上陸後まで作戦があるのか」
伊藤司令長官が逆に質問します。
「今しがた、三上作戦参謀が話した通り、GFはそこまで考えておる」
大きく息を吐き出しながら草鹿参謀長が話します。
そしてその後草鹿がこれまで溜まっていたものを吐き出すように次のように発言いたします
「要するに・・・・要するにだ・・・死んでもらいたい!」
三上作戦参謀はこの草鹿参謀長の発言に驚きます。海兵二期先輩に対する口の聞きようではなかったからです。先輩に対する暴言とも捉えかねない言葉なのです。
草鹿参謀長もこれを即座に察しました。
追い討ちをかけるように次の発言を行います。
「いずれ『一億総特攻』ということになるのであるから、その規範となるよう立派に死んでもらいたい」
「『一億総特攻のさきがけ』かとGFはそう言うのであれば・・・・」
「そう一億特攻のさきがけなのだ!」
伊藤長官の口元が緩みます。普段の穏やかな顔つきに戻っているのを三上作戦参謀は見たのでした。その直後。
「それならば『何をかいわんや』だ。よく了解した」
伊藤長官が何をどう考えてこの発言をしたのか。よくこのまま「さきがけ特攻」という文献、そして映像がございます。「男たちの大和」も例外ではございません。今後詳細を語りたいと考えておりますが、酔漢はこの「一億総特攻」での「大和出撃」には異論がございます。もっと深い意味が伊藤長官の「了解した」にはあると考えております。この「了解」は「作戦としての了解」「特攻への納得」この二点のみが語られることとなりますが、酔漢の私見は「GF、軍令部が現状何を考えているのか」「この艦隊に何を期待しているのか」そして「組織が最早機能していない事実を知った」それを理解させる為には「自らが本作戦を遂行させるしか終わらせる事ができない」と悟った意味があるのではないかと推察いたしました。結論です。「一億総特攻」この言葉だけで伊藤司令長官が納得するとは思えないのです。酔漢的史観としてまた語ることといたします。
しかし「死んでこい」と言われれば、それに対しては「拒否できない」状況となっております。これ以上議論するべきことはなくなりました。終わりです。
しかし、伊藤司令長官は草鹿参謀長にこう質問いたします。
「草加参謀長、聞いていいかね」
「伊藤長官、何か」
「途中で、艦隊が大半を失う事態が起きたとき、作戦の変更もあり得る。これはGFには承知して頂きたい」
(→実はGFに対して大きな不振を抱いており、この発言に繫がったのかと考えております。この時点で伊藤司令長官は生還の道を模索し始めたのではないのでしょうか)
「それは、伊藤司令長官の心の内にあることだと思います」
「この事を各艦長に知らせたいのだが、同席をしていただけるのでしょうか」
「これからは2Fの事であるから伊藤司令長官にお任せするが。私がいなくても・・」
「いや、是非同席していただきたい」
伊藤司令長官は草鹿参謀長の拒否を許さないといった雰囲気で話しました。
草鹿参謀長も同意せざるを得ませんでした。
「では、とって置きを・・」
伊藤司令長官が杯を用意します。GFとの最後の杯でした。
場所を士官室へ移します。(大和上甲板右舷九区)
大和からは機関長高城為行大佐。そして第二水雷戦隊司令官古村啓蔵少将。「矢矧」艦長原為一大佐。以下各艦長が召集させられました。
ですが、一名、まだ到着いたしておりません。「雪風」艦長、寺内正道中佐です。
ちょうど、雪風艦内で小さな事故(詳細不明)があり遅れて来たのでした。
寺内艦長が士官室のドアを開けます。全員席に着いておりました。
「貴様、何故遅れた!」
ある2F参謀(誰か不明です。一説には森下参謀長との話がございます)が突然寺内艦長を殴りました。
他の艦長は突然殺気立ちます。公衆の面前で駆逐艦とはいえ「艦長が制裁を喰らう」ということは前代未聞。(確か、原さんだったと思いますが、遺族会での発言)
「これはあまり表には出てこない事実ですが、寺内少佐が殴打されたことでGFに対する不信感が大きくなったと思います」と話されておられます。
「GFの焦りがそのままこのような事件になったと、今では思います。そりゃ雪風乗組員は怒りますよ。殿様が侮辱された所謂『忠臣蔵』のようなものです」
伊藤司令長官は黙認いたします。古村第二水雷戦隊司令官は明らかに怒りを抑えておりました。
会議が始まります。
草鹿参謀長が来られるというので、全艦隊の艦長、参謀が大和の士官室に集まって待っていた。大和からは副長のわたしも出席した。来艦した草鹿参謀長は伊藤司令長官と同期でもあり(そのまま能村副長手記を抜粋しております。間違いです。先に記しました通りです。伊藤長官海兵三十九期。草鹿参謀長海兵四十一期です。伊藤長官が二期先輩に当たります)はじめは長官室でしばらく話していたが、間もなく二人揃って士官室に入って来られた。
伊藤長官は、豊田連合艦隊司令長官の訓示を一同の前で読み上げた。
(能村次郎副長 手記より抜粋)
「皇国の興廃は正に此の一戦にあり。ここに特に海上特攻隊を編成し壮烈無比の突入作戦を命じたるは、帝国海軍力を此の一戦に結集し、光輝ある帝國海軍海上部隊の伝統を発揚すると共に、其の栄光を後昆に伝えんとするに外ならず、各隊は其の特攻隊たると否とを問わず愈々殊死奮戦、敵艦隊を随処に殲滅し以って皇国無窮の礎を確立すべし」
一気に読み上げました伊藤長官です。続いて森下参謀長の口達です。
「海上特攻の本領を発揮し、弾丸の続く限り最後まで奮戦し生還を期せず」
で、終わります。
もはや、賽は投げられました。覚悟の事とはいえ、死地へと向うことに直面いたします。
打ち合わせ終了。一同乾杯。
伊藤長官は全員に酒を注いで回りました。
原為一さん(矢矧艦長の話)
「あんなにはしゃいでいた伊藤司令長官があったかと、みなあっけに取られました」
この日、伊藤司令長官は「何を悟った」のでしょうか。
長くなりました。ご拝読感謝いたします。
四月七日が近づいてまいりました。横須賀。桜が咲きました。
前にも書いたような気がしますが・・・
伊藤2F長官の「それならばよく了解した」は、
額面どおりには受取れないような気がします。
少なくとも
「作戦目的を了解した上で出撃する」
ということではないのではないでしょうか。
小生としてはむしろ
「それならば何をか言わんや」
の方が重いと思います。
「そこまで言われたら、何も言うことはない。
連合艦隊の意図はよく分った」
といったあたりなのではないかと思います。
それと三上GF参謀のいわゆる第三十二軍との連携ですが、
本当にそこまで考えていたのでしょうか。
第三十二軍の総攻撃開始期日は、海軍側も知り得たと思います。
また「それに合せて水上部隊を突入させる」くらいのことは言ったかもしれません。
しかし陸軍との連携作戦なら、事前の打合せを綿密にする必要があります。
2Fの沖縄突入自体が急に決った作戦でもありますし、
そのような時間的余裕があったとは、とても思えないのです。
ここから先は余りにも乱暴な推測ですが、
2艦隊に作戦目的の諒承を促す、
口から出まかせに近いものがあったのではないかと思う次第です。
三上参謀と草鹿参謀長の間での「説得のための手順確認」くらいはあったと思いますが・・・
結局、2F側はGFの作戦命令には納得しないままだったのではありませんか。
またGF側も、2F側を強引に納得させることには後ろめたさを感じていたのではありませんか(少なくとも草鹿さんと三上さんは)。
最後に三上参謀が
「俺も連れて行ってくれ」
と言うと、
2Fの山本先任参謀が
「GF参謀などが来なくても、俺達だけで立派にやってみせる」
と言って同行を峻拒しますね。
この三上作戦参謀と山本先任参謀のやり取りからそう思う次第です。
だとすれば伊藤2F長官の
「よく了解した」
も先に書いた線で理解するのが妥当な線かと思うのです。
横須賀は桜が咲きましたか。
仙台は雪が降っています。
このような厳粛な話にコメントすると不謹慎の叱責を受けそうですが・・・
この時期に雪が降ると『なごり雪』を、
特に二番の歌詞を思い出してしまいます。
を見てみますと下記のようになります。
1.帝国海軍部隊及び第六航空軍は六日以降全力を挙げて沖縄周辺的艦船を攻撃せんとす。
2.陸軍第八飛行師団は協力攻撃を実施、第三十二軍は七日より総攻撃を開始し、敵上陸部隊の掃滅を企図す。
3.海上特攻隊は七日黎明時豊後水道出撃、八日黎明時沖縄西方海面に突入、敵水上艦艇ならびに輸送船団を攻撃撃滅すべし。
これは、海上特攻を実施する旨の関係海軍部隊、陸軍沖縄部隊、ならびに、航空部隊に対し作戦目的、出撃時期などを知らせる命令です。
沖縄守備隊第三十二軍司令部は返電を打っております。要約します。
「御厚志は感謝するが、時期尚早と考察するので、海上特攻の出撃は取止められたし」
実際はここまでだと思います。沖縄上陸後、一体どうやって「臨時の陸戦隊」を組織するつもりであったのかなど、具体的なものはなかったのでしょうね。丹治さんの言われます「綿密な部分」はなかったのが事実でしょう。
三上作戦参謀の発言の意図するところは、丹治さんの推察するところと同じ考えを酔漢は持っております。
伊藤司令長官の「何をかいわんや・・」ですが、そうですか、ここに意味があったのですね。GFの考えは、はたして、本音は一体どうだったのでしょうか。
三上作戦参謀もそして神重徳大佐も大和乗艦を具申いたします。いずれも拒否されております。「2Fはうまくやるよ」ではないのですが、ここで二十一駆逐隊司令長官小滝大佐の発言を思い出します。
「・・・当然陣頭に立って指揮すべきだ!東郷元帥を見ろ!ネルソンを見ろ!敗戦の後、部下の過失や責任を云々しても、取り返しがつかないのだ。穴から出てきて、肉声で号令せよ」
GFは2Fが本作戦に納得していないことに相当「後ろめたさ」を感じていたのではないか。とこれも考えてしまうのでした。
お返事ありがとうございました。
沖縄の三十二軍ですが、最初は硫黄島式に
複郭陣地で持久戦をやる計画だったのだそうですね。
それが攻勢をかけるように作戦方針の変更があったのは、
軍司令部内での意見の対立があったからだそうです(もちろん他にも要員はあったでしょうが)。
光人社NF文庫に入っている牛島将軍の伝記(題名失念)で読んだ覚えがあります。
本当にこの作戦は必要だったのでしょうか?
なんとも云えない気持ちです。
悔しいですね~
さまざまな評価が与えられてきましたが、「人間の生命を尊ぶ」この1点だけでもすばらしいではないですか。
我々世代がいくら戦史を読み込んでも、当時の軍国主義的な死生観は、結局は理解できません。
「一億総特攻」「一億層玉砕」。軍部であれ国民であれ誰だって「無茶だ無理だ」とわかっていたのでしょう。
それでもあえて集団自死へと突き進んでゆく、その精神構造は、なぜかカルト集団の振る舞いに共通する「匂い」を感じさせます。
けれども「匂い」を感じる以上の実感を伴う「理解」は少なくとも私には到底不可能です。
この1週間ほど、激烈な風邪の症状であまり眠れておりません。
喘息持ちゆえ、朝晩の果てしのない咳の繰り返しです。
腰痛といい、「体が打ち勝つ」能力がダウンしてきたような感覚です。
息ができなくなることがあります。
また弟に同じ持病があったので、喘息のつらさはよく分ります。
特に季節の変り目は大変ですね。
クロンシュタットさん、
どうかくれぐれもお大事に。
(酔漢さん、ブログを伝言板にしてしまいました。申し訳ありません)。
家族に迷惑をかけないよう、8時に寝て4時前には起きる生活となります。
ここ数日やっとこさ症状がよくなってきましたが、早過ぎ寝&早過ぎ起きの生活習慣から抜け出せません。
ますます年寄りじみた暮らしぶりとなっております。
一次大戦時の戦艦同士の砲撃戦において、遠距離ゆえにほぼ垂直からの主砲弾落下のシーンは、観戦してみたかったですよね。
巡洋戦艦の脆弱な装甲は、二次大戦における「英国国民の誇り」フッドの轟沈にも繋がっていますが、その場面も観てみたかったです。
あと、ドイツ贔屓の丹治さんならご理解いただけるでしょうが、仮装巡洋艦やポケット戦艦の活躍シーンも・・・
って「お見舞いの言葉」への返礼がこれでは、あんまし同情されませんな・・・
酔漢さん。私も伝言板としてしまいすみません。
大銀杏の芽が出てきたそうですね。見守りたいと思います。