酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

題名のある音楽会  大滝詠一 さん

2014-01-10 13:22:33 | さぁ楽しい「音・画」の時間だ!
イエロー・サブマリン音頭 金沢明子


日曜日朝のテレビ番組「題名のない音楽会」。
もう20数年前になるでしょうか。
司会が「黛敏郎」さんの時代です。
この番組には、多くのご批判もあるのでしょうが、私は好きな番組でした。
例えば、円谷特撮映画には欠かせないBGMを数多く作曲されました「伊福部昭」さんは、その黛氏の師匠であったことから、数回ゲスト出演をされておられます。
演奏曲は、もちろん「ゴジラ」であり「地球防衛軍のテーマ」であったりするわけです。
矍鑠とした指揮ぶりは、晩年であれ、見事な物。
感動しながら見ておりました。
(最後の締めくくりは「交響潭詩」なのでした)

ある日、この番組を見ておりまして、その冒頭に驚きました。
まだ、司会者である黛敏郎氏は登場しておりません。
ステージの真中に、ある人物の写真が大写しに掲げられておりました。
その人物「森田和義」「タモリ」です。
そして、曲が流れます。

タモリ3 10 おカミさん・春日八幸


♪ドテラ羽織って 神輿を担ぎ 仇名素股の洗い熊
死んでほしいよ おかみさん
生きていたとて 子ども亭主も シラケ鳥だよ おかみさん
えーさーほー ああヤダだなぁ♪

この年に発売されました「タモリ3」です。「戦後日本歌謡史」と題されたパロディー曲集です。
因みに、中身はこうなります。

昭和21年/日本降伏文書調印式───マツカサ元帥
M1:サンゴの唄(唄:波路道子)...................................昭和21年
昭和22年/素人のど自慢合戦風景
M2:たそがれのオワイ航路(唄:不詳)
M3:入院ブギウギ(唄:赤置シズ子)...........................昭和22年
昭和26年/<うたごえ運動>に参加する労働者の声
M4:オチューシャ(唄:不詳).......................................昭和26年
M5:全国浪人予備校生の唄(唄:不詳).......................昭和27年
M6:おキュウ小僧(唄:愛田勝彦)...............................昭和26年
M7:おカミさん(唄:春日八幸)...................................昭和29年
私と歌謡曲───竹村勘一
M8:グラグラコンブ(唄:三橋美起也).......................昭和33年
昭和32年/上野駅で───集団就職で東京に勤めるある若者の声
M9:東京ホストクラブ(唄:トランク永井)...............昭和34年
昭和33年/映画「おいらを呼ぶドラマ」から
M10:おいらを呼ぶドラマ(唄:牛原寅次郎)
M11:ユデタマ(唄:ミッキー山下)...........................昭和33年
昭和33年/ロカビリー喫茶楽屋───ミッキー山下の声
M12:パパは何でも知っている(唄:平野雅章).......昭和33年
M13:セーメケ節(唄:梅木いとし)...........................昭和36年
M14:フジヤマ・ママ(唄:館田久彦).......................昭和37年
私と歌謡曲───大林巨船
M15:テキヤスタイルのお兄さん
(唄:ダニー池田とパラゾールキング)...........................昭和35年
昭和37年/第四回日本アルバム大賞
M16:伊豆でも梅を(唄:足幸夫)
M17:放浪三年生(唄:馬木一夫)...............................昭和38年
M18:肉のフラメンコ(唄:西小輝彦).......................昭和41年
昭和38年/映画「大学のバカ大将」から
M19:君といくつまでも(唄:葉山雄三)


【SIDE2】戦後日本歌謡史 昭和39年~55年
昭和39年/オリンピック開会式
M20:ハラをサイタ(唄:ダイク真木).......................昭和41年
昭和42年/日劇前───GSブームに眉をしかめる良識派の声
M21:ブルー・エンペラー
(唄:ジャッキー佐藤とブルー・コメットさん)...........昭和42年
M22:ボロだけに(唄:タイガー・ジャー)...............昭和42年
M23:フキさネギさイモさ
(唄:カーナツービート)......昭和42年
昭和45年/万博会場にて───興奮する関係者の声
M24:世界の国からさようなら(唄:三波伸夫).......昭和45年
M25:長嶋は今日もダメだった
(唄:富士山田弘とプールサイド)...................................昭和44年
私と歌謡曲───犬山政子
M26:クツヒモ・カミソリ(唄:八代ひろし)...........昭和46年
私と歌謡曲───オスキとヒーコ
M27:昭和オニアザミ(唄:おくらと拓郎)...............昭和49年
昭和46年/日本列島改造論───田中丸栄
M28:田舎の子、都会の子(唄:高ひろみ)...............昭和47年
昭和47年/横田庄一グアムより帰還
M29:USO(唄:ピンカラ・レディ).......................昭和52年
M30:時間よどなれ(唄:矢沢平吉)...........................昭和53年
昭和54年/教育テレビから───矢沢平吉
M31:勝手にダイドコロ
(唄:カザン・オールスターダスターズ).......................昭和53年
昭和54年/オールナイト・ニホンから───タモソ
M32:施設の中で(唄:松林痴春)...............................昭和53年
昭和54年/ドラマ「金玉先生」から
M33:来週デイト(唄:田畑俊彦)...............................昭和55年
昭和55年/武道館で山口友恵ラストコンサートから
M34:モッキン・バード街道
【スタッフ】

プロデューサー高平哲郎/宮住俊介

アシスタント・プロデューサー中尾 哲
エンジニア吉沢典夫/小池光夫
     寺田康彦/木村勝己
アシスタント・エンジニア飯尾芳史

サウンド・エフェクター赤塚不二夫

アート・ディレクター平野甲賀
フォトグラファー 田辺幸雄

構成・演出・作詞
作・編曲・指揮
演奏
音楽監督
協力 高平哲郎
鈴木宏昌
アルファ・オーケストラ
宮住俊介
田辺昭知
アイランズ
タモリ親衛隊
他多数

【スタッフ】
録音:スタジオ"A"/MITスタジオ
録音日:1978.4.7~1981.1.14
エクゼクティヴ・プロデューサー:川添象郎


このレコードは、丹治さんが持っておりまして、中学時代の私目は大いに腹を抱えて笑ったものでした。
その曲、「おかみさん」が「題名のない音楽会」で流れております。
「めずらしいこともあんだなやな」と番組を進めてまいりますと。曲の終了と同時に黛氏がいつものように登場してまいります。
「題名のない音楽会。司会の黛敏郎です。さて、最初にお聞きただきましたのが、みなさん、これは、この会場にいらっしゃる皆様はあまりなじみがないかもしれませんが、今、巷で話題の『タモリ』なる人物が作ったレコードの一部です。『昭和歌謡史』と題しましたこのアルバムですが、非常に私は怒りを憶えるのですね。曲をパロディー化するのは、これは音楽の文化の一部であると。私は常にこう考えておりますが、これは、あまりにも、原曲を冒涜している。こう思えて仕方がないのです。これが、現在、もてはやされていることに関して、今日のテーマは『音楽の中のパロディー』としたい。こう思っております」

酔漢、「唖然」。
こうも痛烈に「タモリ」を批判されるとは思ってもませんでしたので、少し驚きました。

さて、この「おカミさん」ですが、皆様ご存知「春日八郎」さんのヒット曲「お富さん」をパロッたものです。
沖縄民謡調にしておるのは、タモリ自ら解説しているところですが、お富さんの原曲を全て、半音下げると完全に沖縄音楽になります。
演歌は基本的で「ド・ミ・ファ・ソ・ラ・ド」で構成されている韻音階と呼ばれるものですが、半音の移動で、沖縄音楽になるのです。
これを表現し得たタモリの音楽観は、僕等の間では評価していたのでした。
それを一刀両断。
硬派番組さながらですよね。

番組が進み、その黛氏が、これが最高と評したパロディーが、冒頭の「イエローサブマリン音頭」なのです。
大滝詠一さんの作品です。

街の外れに 船乗りがひとり 酒を片手の 冒険話
行こう ぼくらも 七つの海へ 波に潜れば 不思議な旅さ
We all live in a yellow submarine Yellow submarine, yellow submarine
We all live in a yellow submarine Yellow submarine 潜水艦

みんな集まれ 深海パーティー バンドも歌う
We all live in a yellow submarine Yellow submarine, yellow submarine
We all live in a yellow submarine Yellow submarine 潜水艦

楽な暮らしさ 笑顔で生きて 空は青いし 渚は緑
We all live in a yellow submarine Yellow submarine, yellow submarine
We all live in a yellow submarine Yellow submarine 潜水艦


松本隆さんとのコンビで生まれましたこの曲ですが、ビートルズの詩そのものを日本語に訳しますと、このようになりますし、メロディーにもはまります。
見事なアレンジだと思うのです。
酔漢が、大滝詠一さんの魅力を新たに感じた瞬間なのでした。

「お笑いブーム」を語る時、どうしても忘れられない人物がおります「佐藤義和」さん。塩竈の出身。
当時、「おれたち ひょうきん族」のディレクターでらっしゃいました。
「ひょうきんパラダイス」は、スタッフが出演しての、曲ですが、そのメインボーカルをされていた方です。
酔漢の尊敬する大先輩です。
その中で流された曲です。

うなずきマーチ


大滝詠一さんが作詞もされておられます。
笑えました。
番組も面白かったなぁ。土曜の夜の時間を変えた番組でした。
「お笑いだけではなく、バラエティーそのものを変えた」佐藤さん言葉は本当だと思います。

さて、時に、「多羅尾伴内」と名を替えました大滝さんです。
こちらを思い出される方もいらっしゃるのでは?

日清食品 出前一丁CM


これは、公式には、「多羅尾伴内」となっておりますが、本人の歌声を消し去りようもありません。
なつかしいCMですよねぇぇ!

土曜の夜の恋人に(MONO~STEREO~Instrumental)/ 大滝詠一


「ばばこずえの深夜営業」という深夜ラジオ番組。
このオープニング「ばばば・・ばばこずえ ししししんやえいぎょう!」も大滝さんの作品でした。

05 こいの滝渡り/大滝詠一【GO!GO!NIAGARA】


この曲も深夜番組で初めて聞きまして、腹かかえてベッドの中で聴いておりました。
「面白い!」と思ったのは、これも!です。

11 ナイアガラ音頭/NIAGARA TRIANGLE【NIAGARA TRIANGLE Vol 1】


09 禁煙音頭/竜ヶ崎宇童【LET'S ONDO AGAIN】


竜ヶ崎宇童さんって、「ラッツ&スター」の「鈴木雅之」さんです。大滝さんはこれ、編曲で参加ですが。
これも、大笑いでした。
「ラッツ&スターのデビュー曲」かもしれません。
あの「スモーキンブギ」のパロディーですから、本当に笑い転げておりました。

「音頭と言えば大滝詠一」と言った感じかなぁ。

let's ondo again '78ver.wmv

極め付けだよなぁぁ!

と、「くだまき」→「大滝詠一」となりますと、こうした曲が真っ先に浮かんでくるわけです。
もちろん、これは、大好きな曲です。

大瀧詠一/君は天然色


本人のライブ映像です。なつかしいなぁ。

釜石、唐丹、小白浜から、年末に鮑が届きました。
贈ってくれたのは、「しんぺい」君。
復興道半ばではありますが、今年は新鮮なものを届けてくれました。
感謝です。
大学、学生食堂での会話。
「まぁ、おれの母校だけど、もう大滝詠一さんが一番の有名人だべ」
「何っしゃ?大滝詠一って釜石南だったのすか?」
「しらねぇおめぇの方が珍しいべ。こないだ、オールナイトニッポンで言ってたべ」

あの頃の東北の音楽シーン。
秋田、「因幡あきら」岩手「NSP」宮城「吉川団十郎」「大友裕子」そして「オレンジ」
涙が出て来るほど、なつかしさが込み上げてきます。

寄り道です。
大宮京子&オレンジについて、少し探ってみます。

1970年代後半に仙台で結成された"オレンジ"というグループ。
みうらとしかず(ピアノ、ヴォーカル)
佐藤雄次(シンセサイザー、ストリングス)
早坂洋一(ギター、ヴォーカル)
宮沢章(ベース、ヴォーカル)
遠藤秀一(ドラム)
大宮京子(ヴォーカル)

1977年第14回ポプコン本選会に「ワンダフル・スカイ」(佐藤雄次作詞・みうらとしかず作曲)で出場。
この頃の仙台アマチュア音楽シーンは活況を呈していたようで、同じ仙台大会から進んだ小林契とサトリというグループが入賞を果たしたが、オレンジは入賞を逃している。
この仙台シーンからは、1978年さとう宗幸が「青葉城恋唄」でメジャーデビュー、1978年10月の第16回ポプコン本選会に出場した大友裕子が「傷心」で優秀曲賞を受賞してデビュー、1979年の"ROCK JAM'79"決勝大会で優秀賞(準グランプリ)・最優秀ボーカル賞を受賞し、CBSソニーのオーディションに合格したハウンド・ドッグが1980年に「嵐の金曜日」でデビュー、またバンドでドラムを叩きながら歌っていた稲垣潤一が1982年「雨のリグレット」でデビューしている。


大滝詠一さんの頃。僕等は確かに、良い歌に恵まれ、それがすぐ身近なところで生まれてくる。
そんな、ロケーションにいたんですよね。
オレンジ - SEASON シーズン


話、それましたか?
でもどこかで一本の線のように繋がっているように思えてならないのです。

そして、酔漢の好きな曲です。

「魔法の瞳」 大滝詠一 LP ver


大滝詠一さん。
たくさんの思い出を本当にありがとうございます。
心より、ご冥福をお祈りいたします。


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2 コメント

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チャンネルをゼロに合わせた時 どこからか聞こえてくるのは君のsweet voice (ある友人)
2014-01-10 19:16:47
いろいろな人の名前が出ていたけど、その時代の東北の音楽シーンで釜石南出身というなら「あんべ光俊」さんを忘れちゃまずいでしょ(笑)今や重鎮だし。個人的にはハウンドドッグよりは後だけど、自分と同世代の遊佐未森さんとか、かの香織さんの印象も強かったですけどね。遊佐さんは常盤木の音楽科にすごい子がいるとアマの時から有名だったし、地味だけどかのさんがいたショコラータの曲「黒い月のニーナ」などは曲もPVもむしろ今の時代の方が評価されると思う。

まあ音楽に限らずパロディか冒涜かっていう論争はよくあるけれど、そもそも現代音楽の多くは伝統的黒人音楽の剽窃とパロディだと言う事も出来るし、漱石以降の日本文学は漱石のパロディ、現代のサブカル作品はフラワーチルドレン時代のパロディだとも言える。まあきっと黛さんが問題にしたかったのは「品位」の部分なのだろうけれど、随分昔に読んだ「超時空対談」という本でタモリさんが架空の対談相手に選んだのがなんとアンリ・ベルグソン。テーマは笑いだった。黛さんがそれを読んでいたら、どう思ったんだろう?などと想像してしまいます。

大瀧詠一さんといえば王道だけど「はっぴいえんど」と、ある意味で日本初の「ユニット」と呼べる「ナイアガラ・トライアングル」が忘れられない。特に後者での山下達郎さん、伊藤銀次さん、杉真理さん、佐野元春さんという良質のポップロックの人たちとの競演は衝撃的だったし。これに前者では細野晴臣さん、松本隆さんでしょ。本当にすごいメンバーだ。大瀧さんは個人としてより、誰かと組む事で本領を発揮するタイプだったような気がします。合掌。
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こんばんは! (見張り員)
2014-01-12 01:17:39
私たち世代の青春は大滝さんの曲で彩られていたと言っても過言じゃないですね。
「うなずきマーチ」「ひょうきんパラダイス」はレコード持ってましたもんw。
佐藤さん、確か「ゲーハー佐藤」なんて言われてましたのを覚えております(なんでこういう変なこと覚えてるんだか)。

あのわくわくしていた「時」よ、もう一度・・・!
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