この話題は、もう少し落ち着いてから(春の選抜高等学校野球選手権大会が始まってから)語ろうかと考えておりました。が、もういてもたっても(立つんでねぇべぇ。おめぇの場合、語るんでねぇのか?・・とのお叱りの声が・・)いられなくなった次第でございます。
これから酔漢が語ろうとしておりますのは、この度、「二十一世紀枠推薦」によって甲子園へ向かいます「宮城県利府高等学校野球部監督」のおばら君です。
彼は仙台向山高等学校で同窓生。
私服の高校ながら、三年間「学生服」での通学を通した男でした。
ある日、下駄箱で彼と合いました。彼が、僕のところへ寄って来て、こう話すのでした。
「酔漢。学生服のボタンって家の校章で作れねぇのか?」
そうなんです。開校以来、「私服・男女共学」は本校の特徴でした。
ブレザーなどにつける(胸に)あの「ム」のようなバッヂはございましたが、学生服用のボタン。または、学生帽につける「帽章」は作られていなかったのです。
「おめぇも応援団やっていて、不都合があっぺ。んで一緒になって野球部のと作ってけねすかや」
「正直言って、今おれが着ている学生服は、出来合いボタンのままだおんなや。んでも、経費とかかかりすぺ。開校時も議題さぁはなってっぺ」
(この時期、酔漢。生徒会長でもありました。→本当のことですが、たぶん、本校開校以来、一番出来の悪かった生徒会長であったと自負しております)
一度、生徒総会で野球部の代表が(おばら君ではなかったと記憶しておりますが)
「学生服のボタンさぁ作ってけろ!」
と質問したと思います。
が、否決もされず可決もされず。結局予算の問題でそのままになったような気がいたします。
さて、僕ら三年生時。(三年、夏ですから、酔漢応援団は引退しております)
ですが、おばら君達は夏の大会真っ盛り。一回戦・二回戦と勝ち進み、三回戦は当時第三シード「仙台三高」でした。
その大会の事は何度も語ってまいりました。今一度少しばかり語らせて下さい。
「宮城ビッグ4」前年の秋からこの春までの間、東北大会も含めて「東北高校」「仙台商業」「仙台育英」「仙台三高」の実力は抜きん出ていたのです。特に、水沼(水沼武晴君→塩釜二小で同級生)をエースとする「仙台商業」と中条投手を要する「東北高校」は、その投手力を全面に打ち出した更に、一歩他校を抜いた戦いぶりでした。
決勝戦が雨で中止(5回2/3)翌日再試合で「東北高校」が優勝した大会です。
「雨の降るのがあと30分遅かったら」
一緒に少年野球を楽しんだ水沼君の甲子園出場が決まった大会でした。
(この野球編で一度語っております)
さて、仙台三高との試合です。どちらも一歩も譲らない展開となりました。
正直、三高相手にここまで善戦するとは思ってもいませんでした。
(おばら君ご容赦)
その仙台三高の応援ですが。その名物と言えば例の如く例の通りです。
「三回の裏ぁぁぁぁーー。我が方の投手の球に怖気ずいた○○高校野球部!応援団の期待も空しく、この回の得点はぁぁぁ・・・・・ゼロォォォ(ゼロの部分だけ全員で斉唱)」です。実際はもっと汚い野次でございました。(ブログで語りますには・・・遠慮いたします)
三塁側内野で応援していた酔漢です。
「酔漢、あの応援頭こねぇか?」
「んだども、三高の専売特許だっちゃ」
「あいずばぁやってみっぺ!」
「いいのかや!問題になんねぇべか」
「かまわねぇって!やっちゃ!」
と、にわかに決まりまして。
酔漢が一人で叫んだわけでございます。
「5回のうらぁぁぁ・・・・・」で全員で「ゼロぉぉぉぉぉぉ」
いやぁ、三高応援団から物凄い「ブーイング」です。
乱闘にならなくてえがった!三高応援団諸君の大きな心に救われました。
現在「JRにおります某氏」が聞いたら「酔漢さん、やりすぎだべ」と怒られそうでございます→彼、酔漢より2年後輩の三高応援団団長。・・
試合の結果は、おばら君の大活躍もあって、勝ちました。ベスト16へ進出です。
しかもシードを破ったことで、「仙台向山高校野球部」の評価が高くなりました。
翌日の朝日新聞県内版。「ビッグ4一角崩れる!仙台向山三高撃破」(だったと記憶)そして小さくコラムには「仙台向山応援団三高のマネ?」と題しまして「・・三高応援団から物凄い野次」とも・・
ヤバイ状態でしたが・・お咎めなしで済みました。えがった。
ベスト8かけた相手は「岩出山高校」
一回事に1点づつを取られ、打線も岩出山の投手に要所を抑えられ、敗退。
おばら君の夏はこの時、終わりました。
「高校野球の指導者になります」
彼はこの時から明言しておりました。
そして、この思いが叶って「甲子園へ」
あの大舞台でおもいっきり采配を振るってもらいたいものです。
彼の事です。甲子園だからって臆するすることなどないでしょう。
「利府高」いよいよ全国区です。
そういえば、利府高応援団を少し。開校時、指導者がいたのでしょうね。その応援は「慶応」コピーでした。ですが、コピーも見事だったのです。半端なコピーではなく、初めから最後まで徹底した応援。これは印象に残りました。
話しそれました。お許し下さい。
応援何卒よろしくお願いいたします!
実直で真面目な彼が誠心誠意をこめて作ったチームでしょう。その実力を存分に甲子園で発揮することを願ってやみません。
そしてやはりこの男の事も今少し「石巻商業野球部監督」水沼君。彼も春の大会、そして夏へと闘志を抱いているに違いありません。
おばら君と水沼君。二人の接点を通して、あの真夏の宮城球場の風景を懐かしく思い出すのでした。
「だれ、旅館さぁでもバット振るんだおん」
おばら君。授業に出るか。飯喰っているか。バット振っているか。
本当にそんな高校生活だったのではなかったか。と振り返ります。
そして噂
「おばらはキャンディーズばぁしゃねぇんでねぇか?」
本当のところは知りませんが・・・案外本当だったのではなかろうかと・・・・
今一度。利府高野球部の応援。何卒宜しくお願い申し上げます。
「落語編」は次回で語ります。
これから酔漢が語ろうとしておりますのは、この度、「二十一世紀枠推薦」によって甲子園へ向かいます「宮城県利府高等学校野球部監督」のおばら君です。
彼は仙台向山高等学校で同窓生。
私服の高校ながら、三年間「学生服」での通学を通した男でした。
ある日、下駄箱で彼と合いました。彼が、僕のところへ寄って来て、こう話すのでした。
「酔漢。学生服のボタンって家の校章で作れねぇのか?」
そうなんです。開校以来、「私服・男女共学」は本校の特徴でした。
ブレザーなどにつける(胸に)あの「ム」のようなバッヂはございましたが、学生服用のボタン。または、学生帽につける「帽章」は作られていなかったのです。
「おめぇも応援団やっていて、不都合があっぺ。んで一緒になって野球部のと作ってけねすかや」
「正直言って、今おれが着ている学生服は、出来合いボタンのままだおんなや。んでも、経費とかかかりすぺ。開校時も議題さぁはなってっぺ」
(この時期、酔漢。生徒会長でもありました。→本当のことですが、たぶん、本校開校以来、一番出来の悪かった生徒会長であったと自負しております)
一度、生徒総会で野球部の代表が(おばら君ではなかったと記憶しておりますが)
「学生服のボタンさぁ作ってけろ!」
と質問したと思います。
が、否決もされず可決もされず。結局予算の問題でそのままになったような気がいたします。
さて、僕ら三年生時。(三年、夏ですから、酔漢応援団は引退しております)
ですが、おばら君達は夏の大会真っ盛り。一回戦・二回戦と勝ち進み、三回戦は当時第三シード「仙台三高」でした。
その大会の事は何度も語ってまいりました。今一度少しばかり語らせて下さい。
「宮城ビッグ4」前年の秋からこの春までの間、東北大会も含めて「東北高校」「仙台商業」「仙台育英」「仙台三高」の実力は抜きん出ていたのです。特に、水沼(水沼武晴君→塩釜二小で同級生)をエースとする「仙台商業」と中条投手を要する「東北高校」は、その投手力を全面に打ち出した更に、一歩他校を抜いた戦いぶりでした。
決勝戦が雨で中止(5回2/3)翌日再試合で「東北高校」が優勝した大会です。
「雨の降るのがあと30分遅かったら」
一緒に少年野球を楽しんだ水沼君の甲子園出場が決まった大会でした。
(この野球編で一度語っております)
さて、仙台三高との試合です。どちらも一歩も譲らない展開となりました。
正直、三高相手にここまで善戦するとは思ってもいませんでした。
(おばら君ご容赦)
その仙台三高の応援ですが。その名物と言えば例の如く例の通りです。
「三回の裏ぁぁぁぁーー。我が方の投手の球に怖気ずいた○○高校野球部!応援団の期待も空しく、この回の得点はぁぁぁ・・・・・ゼロォォォ(ゼロの部分だけ全員で斉唱)」です。実際はもっと汚い野次でございました。(ブログで語りますには・・・遠慮いたします)
三塁側内野で応援していた酔漢です。
「酔漢、あの応援頭こねぇか?」
「んだども、三高の専売特許だっちゃ」
「あいずばぁやってみっぺ!」
「いいのかや!問題になんねぇべか」
「かまわねぇって!やっちゃ!」
と、にわかに決まりまして。
酔漢が一人で叫んだわけでございます。
「5回のうらぁぁぁ・・・・・」で全員で「ゼロぉぉぉぉぉぉ」
いやぁ、三高応援団から物凄い「ブーイング」です。
乱闘にならなくてえがった!三高応援団諸君の大きな心に救われました。
現在「JRにおります某氏」が聞いたら「酔漢さん、やりすぎだべ」と怒られそうでございます→彼、酔漢より2年後輩の三高応援団団長。・・
試合の結果は、おばら君の大活躍もあって、勝ちました。ベスト16へ進出です。
しかもシードを破ったことで、「仙台向山高校野球部」の評価が高くなりました。
翌日の朝日新聞県内版。「ビッグ4一角崩れる!仙台向山三高撃破」(だったと記憶)そして小さくコラムには「仙台向山応援団三高のマネ?」と題しまして「・・三高応援団から物凄い野次」とも・・
ヤバイ状態でしたが・・お咎めなしで済みました。えがった。
ベスト8かけた相手は「岩出山高校」
一回事に1点づつを取られ、打線も岩出山の投手に要所を抑えられ、敗退。
おばら君の夏はこの時、終わりました。
「高校野球の指導者になります」
彼はこの時から明言しておりました。
そして、この思いが叶って「甲子園へ」
あの大舞台でおもいっきり采配を振るってもらいたいものです。
彼の事です。甲子園だからって臆するすることなどないでしょう。
「利府高」いよいよ全国区です。
そういえば、利府高応援団を少し。開校時、指導者がいたのでしょうね。その応援は「慶応」コピーでした。ですが、コピーも見事だったのです。半端なコピーではなく、初めから最後まで徹底した応援。これは印象に残りました。
話しそれました。お許し下さい。
応援何卒よろしくお願いいたします!
実直で真面目な彼が誠心誠意をこめて作ったチームでしょう。その実力を存分に甲子園で発揮することを願ってやみません。
そしてやはりこの男の事も今少し「石巻商業野球部監督」水沼君。彼も春の大会、そして夏へと闘志を抱いているに違いありません。
おばら君と水沼君。二人の接点を通して、あの真夏の宮城球場の風景を懐かしく思い出すのでした。
「だれ、旅館さぁでもバット振るんだおん」
おばら君。授業に出るか。飯喰っているか。バット振っているか。
本当にそんな高校生活だったのではなかったか。と振り返ります。
そして噂
「おばらはキャンディーズばぁしゃねぇんでねぇか?」
本当のところは知りませんが・・・案外本当だったのではなかろうかと・・・・
今一度。利府高野球部の応援。何卒宜しくお願い申し上げます。
「落語編」は次回で語ります。
利府高校はこのチャンスを生かして、いい闘いをしてくれればと思います。
流石、酔漢さんのご友人…高校で野球の監督してましたか~
甲子園は、緊張するはずです。
学生達が、ガチガチになってる時、監督まで緊張するとそれが生徒に伝わります。
東北や育英は、監督が甲子園慣れしてますので選手は動揺を抑えられるそうです。
緊張しないで…と言っても無理ですが、実力を発揮していただきたいと思いますね。
利府高校、ファイト!
県内での「利府高」のチーム力の評価は、相当高いとの事でした。
普段の実力が発揮できればと切に願わんばかりでございます。
応援宜しくお願いいたします。
宮城では二高目の二十一世紀枠での出場です。
昨年の一高は、本当に残念でした。あと一勝だったのですよね。
公立高の野球部もあと一息のとこまで来ております。
定期戦もそのレベルが年々上がってきました。
さて、甲子園での戦いぶりに注目したいと思いますが、初戦での一勝の後、おばら君のインタビューをひそかに楽しみにしている酔漢です。
(まだ勝負も相手も決まってねぇっちゃ)
そうなんです・・ヨネ!
でも早実も出場するんだよなー。
「こーんぺきのーそらーあーおぐにーちーりーん」
利府VS早実の対戦となったらどうしようか・・・悩むなー。
キャンディーズではミキちゃんのファンでした。
たまたま学生時代は近所のアパートに住んでいました。
友人が地元の牛乳屋さんの息子で、毎日ミキちゃんの家へ配達していました。
「まずは楽しく、自分たちの野球を!」
とお伝えしたいです。
えっ、
昨日の書き込みと矛盾するんじゃないかって?!
ヘヘへ・・・
こういう形で春の選抜にときどき公立出て、
夏の県大会の決勝にに公立が一つは残る・・・
そんな非が来ればいいな・・・
って、思ってます。
クロンシュタットさんへ
北杜夫氏は、慶応病院に勤めてました。
早慶戦ですが、「慶応病院の者だ」といえば
慶応の応援席にタダで入れたそうです。
ところが北氏は大の早稲田ファン。
ロコツに肩入れするわけにもゆかず、
早稲田が点を入れると、さも悔しそうに
「うーむ、敵ながらアッパレ」
と言っておったそうです。
万一の際の御参考までに。
高校一年の初夏、野球部のクラスメイトの応援のため授業を抜けだして球場へ行った事で担任から大目玉。
親まで呼び出されましたよ。
球場には上級生はいっぱいいたとか。
1年生だから怒られたのかは定かではありませんが。
「私達の時は全校みんなで応援したものだ」
と言う夫に担任は「何で野球だけがそうなんですか、テニスもバレーも応援に行ってたら授業ができないとか何とかかんとか。。。」
後で聞くとうちの子のクラスだけがお説教で他のクラスは何事もなかったようです。
担任はよほど野球が嫌いだったのかと思います。
酔漢さんのブログでふと思い出しました。
利府高校には頑張って欲しいですね。
北杜夫氏。仙台に関わりが深いですよね。旧制松本高校も覗いたことがあります。
宮脇俊三氏の紹介で土地を購入し、宮脇氏の隣人ともなりました。学生時代の私のアパートの近くでした。
で、プロは阪神、大学は早稲田、高校は二高と、そーゆーこってすだ!
早慶戦の想い出はつきません。酔漢さんが大学野球の話題に触れられることがあれば、「くだまき」たいと思います。
酔漢さん。勝手にこの場を使ってしまい、スミマセンでした。
優勢であればうまく煽り、劣勢であれば声援を送るのはもとより、時にはハッタリをかます。
(それが相手校に対して無礼な言動であるのはわかっているのですが…今なら大問題でしょうか?)
春の選抜も近づいてまいりました。
東北代表はもとより、21世紀枠での出場校も気にしている今日この頃でございます。
授業をサボって聴きに行った同級生がいます。
映画『ヒポクラテスたち』の時のミキちゃんが
印象に残ってます。
お世話になってる某社の営業に
『年下の男の子』をとても上手に歌う
女性がいます(早世よりずっと若いのです)。
いまになってみれば、
懐かしい曲が多いですね。