野球場の座席順が「い・ろ・は・・・・」順でした。
「い」はバックネット裏正面。右側へ行って「ろ」左側へ進んで「は」でした。
ナイターが出来るようになったのが、昭和48年のシーズンから。
当時は「後楽園球場より明るい」ということで話題になりました。
「おらほでもプロ野球のナイターみられっちゃ」
本当に喜びました。
「だれ、おめぇ真昼のように明るいんだおん」
最初にナイターを見た、せいじ君が朝教室で皆の前でこう話しているのです。
「俺も見さぁ、いぎてぇなや」
となりまして、宮城球場ナイターの話は過去に語っております。
「宮城球場伝説 あるセットアッパーの背中」
県営宮城球場は、「ロッテオリオンズ」が準フライチャイズとしておりました。
その宮城球場にいたロッテはパリーグプレーオフをこの球場で戦い、優勝しております。
昭和49年秋でした。
先の「くだまき」は当時の背番号15。「近藤重雄投手」の話です。
近藤さんが当時のロッテオリオンズをこう話しておられました。
「投手王国だった。そりゃ打線も切れ目なかったけど、他球団の投手が凄かったからなぁ、なかなか打てなかった。それより木樽、成田、八木沢、村田、金田(留広→金田監督弟)同期の倉持(AKBのお父さん)、水谷など・・一軍でプレーすること自体が大変だった」
在阪の他球団が最も恐れた投手陣だったのでした。
当時の他球団のエース。阪急「山田」「佐藤」クラウン「東尾」近鉄「鈴木」南海「山内」「藤田」そうそうたる顔ぶれ。まさに「パリーグ戦国時代」。その中でも、ひときわ光る「ロッテ日本一」の栄光です。
夕日が照らす「県営宮城球場」に舞う金田監督の胴上げシーンは忘れもしません。
「ロッテオリオンズ」が仙台を去り、川崎へ本拠地を移しました。ですが、夏の七夕シリーズは首位攻防の感があり、仙台を熱くしたものでした。
「東北楽天ゴールデンイーグルス」誕生は待ちに待った「おらほの球団」でした。
関西のにおいがする球団でしたが、すぐさま仙台に溶け込み、地域と共に戦うその姿は、新しいプロ野球のあり方を考えさせられます。
メジャー経験者二人がけん引し、キャプテンは「古田より野村監督に怒鳴られた?」島君が努めます。彼が発した言葉「プロ野球の底力」は、「巨人は永久に不滅です」と語った長嶋茂雄に匹敵する。と酔漢は思うのでした。
「千葉」と「東北」の開幕戦。
東北の二連勝。
千葉は昨年の覇者としての意地。東北は被災地としての期待を一身に背負っての闘い。
見応えがありました。
初戦の「成瀬君」は前半から飛ばしておりました。
「野球は何があるか分からない」絶好調の彼から点を奪うことなど難しいように見えておりましたが、島君のホームラン他、後半は打線が見事に彼を捉えます。
昨日は、やはりこの人山崎が特大のホームラン。(彼、あそこに来るからバット振った。そんな感じだったなぁ)役者が揃いました。聖沢君の成長が凄い。去年より明らかにバットスイングが早くなっておりました。相当の練習量だったと分かります。
昨日はシティラピッド君が観戦。
そこで配られたのが写真です。
表ではなく裏画面。相変わらず「千葉ロッテマリーンズ」のキャッチコピーは面白い。
写真にないものをご紹介いたします。
「今、僕達にできることは、100%の準備をしてイーグルスに立ち向かうことだ!」
「イーグルスの歴史は、ここ千葉から始まった。もう一度、始めよう。僕達と一緒に」
「ありったけの声援と、できるかぎりの節電と、少しずつの募金を、みんなで!」
「誇り高き楽天ファンたちへ。ともに戦おう。ともに声援を送ろう。負けるな。僕達も負けない」
「さあ。顔を上げて、精一杯のプレーをしよう。最強の声援を頼む」
そして最後をこう〆ております。
「今こそみんなで和の力!」
開幕戦をテレビでご覧になられた方は多かったと思います。
テレビでは放映されていない部分ではこうしたキャンペーンが行われておりました。
さて、写真の文句です。酔漢これが一番気に入りました。
「東北の底力を、僕たちはイヤと言うほど知っている。」
「逆転のロッテ」
「何をしでかすか分からない。大胆不敵なロッテ」
「ラッキー8(エイト)のロッテ」
「下馬評!クソ喰らえ・・・のロッテ」
仙台にいたころ。ロッテオリオンズはこう呼ばれておりました。
それは、その姿は、チーム名こそ違えチームカラーとなっていることは、昨年の闘いぶりを見ても明らかです。
ロッテがそう言っている「東北の底力・・・・」とは、嘗て自分たちが呼ばれていた称号そのものなのです。
だから「・・・・イヤと言うほど知っている」のだと。
そして、その底力を、今年は楽天選手諸君が「見せつけてやる!」こうあってほしい。
県営宮城球場が「Kスタ」となり、球場の中身は大分変わりました。
ですが、最初のナイトゲームを開催した時、グランドを照らした照明塔は当時のままなのです。
当時、ロッテの優勝を見届けた照明塔。
今は楽天選手の活躍を見守っております。
酔漢の中では「ロッテ」対「楽天」は、自身のダービー的なカードなのです。
Kスタ(もとい)宮城球場の照明塔はどんな思いでこのカードを見ているのでしょう。
県営宮城球場のDNAは確かに現在もこの二球団に受け継がれている。
そう感じるのです。
球春来ぬ。
「い」はバックネット裏正面。右側へ行って「ろ」左側へ進んで「は」でした。
ナイターが出来るようになったのが、昭和48年のシーズンから。
当時は「後楽園球場より明るい」ということで話題になりました。
「おらほでもプロ野球のナイターみられっちゃ」
本当に喜びました。
「だれ、おめぇ真昼のように明るいんだおん」
最初にナイターを見た、せいじ君が朝教室で皆の前でこう話しているのです。
「俺も見さぁ、いぎてぇなや」
となりまして、宮城球場ナイターの話は過去に語っております。
「宮城球場伝説 あるセットアッパーの背中」
県営宮城球場は、「ロッテオリオンズ」が準フライチャイズとしておりました。
その宮城球場にいたロッテはパリーグプレーオフをこの球場で戦い、優勝しております。
昭和49年秋でした。
先の「くだまき」は当時の背番号15。「近藤重雄投手」の話です。
近藤さんが当時のロッテオリオンズをこう話しておられました。
「投手王国だった。そりゃ打線も切れ目なかったけど、他球団の投手が凄かったからなぁ、なかなか打てなかった。それより木樽、成田、八木沢、村田、金田(留広→金田監督弟)同期の倉持(AKBのお父さん)、水谷など・・一軍でプレーすること自体が大変だった」
在阪の他球団が最も恐れた投手陣だったのでした。
当時の他球団のエース。阪急「山田」「佐藤」クラウン「東尾」近鉄「鈴木」南海「山内」「藤田」そうそうたる顔ぶれ。まさに「パリーグ戦国時代」。その中でも、ひときわ光る「ロッテ日本一」の栄光です。
夕日が照らす「県営宮城球場」に舞う金田監督の胴上げシーンは忘れもしません。
「ロッテオリオンズ」が仙台を去り、川崎へ本拠地を移しました。ですが、夏の七夕シリーズは首位攻防の感があり、仙台を熱くしたものでした。
「東北楽天ゴールデンイーグルス」誕生は待ちに待った「おらほの球団」でした。
関西のにおいがする球団でしたが、すぐさま仙台に溶け込み、地域と共に戦うその姿は、新しいプロ野球のあり方を考えさせられます。
メジャー経験者二人がけん引し、キャプテンは「古田より野村監督に怒鳴られた?」島君が努めます。彼が発した言葉「プロ野球の底力」は、「巨人は永久に不滅です」と語った長嶋茂雄に匹敵する。と酔漢は思うのでした。
「千葉」と「東北」の開幕戦。
東北の二連勝。
千葉は昨年の覇者としての意地。東北は被災地としての期待を一身に背負っての闘い。
見応えがありました。
初戦の「成瀬君」は前半から飛ばしておりました。
「野球は何があるか分からない」絶好調の彼から点を奪うことなど難しいように見えておりましたが、島君のホームラン他、後半は打線が見事に彼を捉えます。
昨日は、やはりこの人山崎が特大のホームラン。(彼、あそこに来るからバット振った。そんな感じだったなぁ)役者が揃いました。聖沢君の成長が凄い。去年より明らかにバットスイングが早くなっておりました。相当の練習量だったと分かります。
昨日はシティラピッド君が観戦。
そこで配られたのが写真です。
表ではなく裏画面。相変わらず「千葉ロッテマリーンズ」のキャッチコピーは面白い。
写真にないものをご紹介いたします。
「今、僕達にできることは、100%の準備をしてイーグルスに立ち向かうことだ!」
「イーグルスの歴史は、ここ千葉から始まった。もう一度、始めよう。僕達と一緒に」
「ありったけの声援と、できるかぎりの節電と、少しずつの募金を、みんなで!」
「誇り高き楽天ファンたちへ。ともに戦おう。ともに声援を送ろう。負けるな。僕達も負けない」
「さあ。顔を上げて、精一杯のプレーをしよう。最強の声援を頼む」
そして最後をこう〆ております。
「今こそみんなで和の力!」
開幕戦をテレビでご覧になられた方は多かったと思います。
テレビでは放映されていない部分ではこうしたキャンペーンが行われておりました。
さて、写真の文句です。酔漢これが一番気に入りました。
「東北の底力を、僕たちはイヤと言うほど知っている。」
「逆転のロッテ」
「何をしでかすか分からない。大胆不敵なロッテ」
「ラッキー8(エイト)のロッテ」
「下馬評!クソ喰らえ・・・のロッテ」
仙台にいたころ。ロッテオリオンズはこう呼ばれておりました。
それは、その姿は、チーム名こそ違えチームカラーとなっていることは、昨年の闘いぶりを見ても明らかです。
ロッテがそう言っている「東北の底力・・・・」とは、嘗て自分たちが呼ばれていた称号そのものなのです。
だから「・・・・イヤと言うほど知っている」のだと。
そして、その底力を、今年は楽天選手諸君が「見せつけてやる!」こうあってほしい。
県営宮城球場が「Kスタ」となり、球場の中身は大分変わりました。
ですが、最初のナイトゲームを開催した時、グランドを照らした照明塔は当時のままなのです。
当時、ロッテの優勝を見届けた照明塔。
今は楽天選手の活躍を見守っております。
酔漢の中では「ロッテ」対「楽天」は、自身のダービー的なカードなのです。
Kスタ(もとい)宮城球場の照明塔はどんな思いでこのカードを見ているのでしょう。
県営宮城球場のDNAは確かに現在もこの二球団に受け継がれている。
そう感じるのです。
球春来ぬ。
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