酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

春。かてめし

2013-03-25 10:23:45 | もっとくだまきな話
「酔漢のメニュー」。
頭の中では、そこそこの物をご提案できるのではないか。こう自負しております。
「美味しんぼ」の中身の検証も終えました。
さて、その「美味しんぼ」の中で「かてめし」が話題になった事は先の「くだまき」でも語ったところです。

「かてめし」。
実は、この劇画で初めてしった言葉だったのです。
酔漢、実家を含めて、この言葉でご飯を頂いた記憶はございません。
おおよそ、検討がつきますのは。
「かて」とは「糧」であって、「ごはんの中に様々なおかずを入れて混ぜ合わせて頂く」。
こうした物であるとは想像つきますが、実際自身で「では、何か食したことはあるのか」と記憶を紐解くのですが、出てまいりません。

先週、23日(土)の夕刊。
そのコラムが「かてめし」でした。
コラム出筆者は「こぐれひでこ」氏。
「こぐれひでこ」さんの料理はさり気に、身近な材料を使いながら、その味覚を楽しむというもの。
そのコンセプトは決して派手なところはないものの、心のこもった健康的な料理を創作されておられます。
「なんだや、こぐれさんが『かてめし』すか!」
思わず、記事を拝読した次第。

「かてめしってなに?」と思ったのは、三浦半島にある野外レストランに行ったときのこと。ランチには「干し大根と豚肉」「ニンジン葉と佃煮」「アラメとターサイ」と三つのかてめしがあった。豚肉入りを注文。食べればわかると思ったので、かてめしとは何かを尋ねなかった。
そのかてめしには、干し大根のハリハリ漬けと魚醤で味付けした豚ひき肉、葉野菜のフダン草を浅漬けにしたものが入っていた。なるほど、かてめしとは混ぜご飯のことか。そう思いながら口に運ぶ。(中略)歯、舌、食道、胃袋、脳が喜び始める。なんだろうこの清らかな感覚は。
帰宅して調べると、かてめしとは、かさを増すため野菜などを混ぜたご飯を指すと記してあった。(3月23日 読売新聞 夕刊 抜粋)


ここまでを拝読して、酔漢の頭の中に真っ先に浮かんだのはNHKドラマ「おしん」。
そこに登場する「大根めし」。
これは、れっきとした「かてめし」。
先の「くだまき」を紐解いてみますと、海原雄山が、飢饉の際に米が不足し、それを補う為に「野菜や雑穀を米と混ぜて餓えをしのいだ」と語っております。
「『かてめし』って、米が少ない時に食されたもの、その際に多くの種類ができた」こう考えるのでした。
「全て白米のご飯が食すことのできなかった時代に、そのかさを増す」こうも言えます。
味が優先されて生まれてきたものではないのです。
「大根めし」は、母にも記憶があるそうで、ごはんに大根を混ぜて食べたのだそう。
「だれ、おししいって思わねがった」とは、母。
そうなんですね。「かて飯」ってそういうものだったのです。

現在は、多くの食材が安価に手に入る、しかも大量に。
「かてめし」も、様変わりして、「おいしさ」「健康的」なものとなっております。
記事の続きを見てみましょう。

私の生家から遠くない、埼玉県秩父地方でもよく食べられていたという。
「かてめしって知ってる?」
電話で姉に尋ねると、生家でも食べていたという答え。おかずをご飯に混ぜる、それをかてめしというのだそうだ。二つ違いの姉が知っていて私は知らない。私はいったいどんな子どもだったのか。恥ずかしい。(中略)清貧ともいえるこのごはんは心を豊かにする。お米の深いおいしさが体の芯に突き刺さる。


冒頭の写真。「ばっけ」(という呼び名が好きです。「ふきのとう」です)。
春先、旧花山村の里山の斜面にはあちこち、ばっけが顔を出します。
「こいづ、うめぇんだど!」
子どもたちを引き連れての、野外学習会。
と言えば、聞こえは良いのですが、その辺にあるものを食べよう!という企画です。
春の野山は、食べられる食材が豊富です。

菜の花。

つくし。

きゃらぶき。
他にも、まだまだ。
子どもたちには、例えば、天ぷらとか誂えるのですが、僕等の実習の際はそうはいきません。
米と水を醤油だけで持って、おかずは、その山々野草。
写真では紹介しておりませんが、例えば「たんぽぽ」「しろつめぐさ」なども、立派な食材となります。
山菜は、まだ小さくてですね。これがあれば、ごちそうにはなるのですが。

「つくし」は、本当は頭を取って、ひだの部分もそぎます。これをいったん湯がいて、水切りをして、ごま油で炒めて、醤油で味付け致します。「つくしのごま風味」が完成。
「ばっけ」は、天ぷらがおいしいのですが、蕾の頃の「おひたし」は最高です。
「きゃらぶき」は蕗の中では、芯は柔らかいのですが、それでも、塩もみをして、煮て、鰹節を振りかけたりしたら美味しいです。
「たんぽぽ」は花を食します。少し面倒なのですが、完全に開ききる前の頃の花びらを丁寧にほぐして、さっと湯をかけてから、サラダの具材に使います。サラダの香が引き立ちます。

上記、は理想の料理法です。
野外炊飯にはそぐいません。
果たして、僕等の取った料理方法は・・・・。
「飯ごうでひたすらゆでる!」これだけです。
ご飯を炊く飯ごうと別な飯ごうで野草をゆでる。ゆであがった野草を湯切りして、醤油をまぶす。
炊きあがったご飯に、そのまま混ぜる。
醤油の香と野草の香が混じった、何とも言えない香が引き立ちます。
「おいしかった」!
と言いますか、腹が減りまくりだったもので・・・何でも美味しく感じる。そんな気もします。

大学3年生の頃の記憶。
「そうか!俺は、かてめしを作って、食べていたんだ!」
春の野草のかてめし。
多分、家で作っても決しておいしいものではないのですよね。
春の風と、春の青空。栗駒山が見える畑。
このロケーションが一番の「おかず」だったんだなぁ。
こう思い出しました。


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6 コメント

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見張り員さんへ (酔漢です)
2013-04-04 07:34:48
「嫁菜」ですか。山梨独特な野草、お野菜なのでしょうか。
地方によっても呼び名が違ってきたり致しますが、この言葉は初めて聞きました。
春の野草は少し苦くて、でもそれが、春の味なんですよね!
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ある友人君へ (酔漢です)
2013-04-04 07:32:38
美味しんぼの視点は、やはりずれていますね。
これは、宮城ばかりではんくて、例えば、比較の為に呼んだ「富山編」でもおなじような事が言えると感じました。
料理の紹介はいいのですが、sこからの掘り下げ方、取りつく材料が違っている。というか、地元民との温度差が大きいようにみえてきます。
完結編後にコメントをしておりますが、完結編へのコメントにて続きを・・・
返信する
ひーさんへ (酔漢です)
2013-04-04 07:29:46
大根めしは、母親世代では珍しいものではなかったのですね。
おいしい物であれば伝わるのでしょうが、そうではないのでしょう。
でも、この伝承という意味においては、必要な料理なのかもしれません。
今回は、いろいろと勉強になることばかりでした。
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こんばんは (見張り員)
2013-03-28 23:05:35
かて飯、とは混ぜ込んだご飯のことなのですね。いわゆる「炊き込み」ではないと。
つくし、ふきのとう、菜の花…春の野山は山菜の宝庫でしたね。
昔私が小さかったころは道端につくしが生えていましたね。あと、嫁菜。嫁菜ご飯をよく食べた記憶があります、香りがよくっておいしかった、あれも言わばかてめしなのかな?

つくしも嫁菜も、みんなどこへ行っちゃったんだろう?
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夢中でないもの探したり 見落としていないか叫んだり (ある友人)
2013-03-27 18:53:17
「かてめし」ねぇ。いわゆる混ぜご飯の雑穀・野菜版だ。それにしても海原雄山は飢饉にこだわるよね。でも糅飯と飢饉を結びつけるのはいささか強引だ。だってかつての日本人は地域に関わりなく、普通にそういうものを食べていたんだから。混ぜるものが土地や季節によって違っただけの事。
そもそも兵農分離は戦国期以降の事であり、それ以前は農民兼兵士だったわけで、江戸時代となって長期的に政情や身分が固定された事により米作も安定し、収穫量が増えた。それまでは糅飯が普通です。だから別に飢饉が関係しているわけではない。まあ江戸期だって「江戸わずらい」と言われた脚気(精米した故にビタミンB1不足になった)を治すには田舎で療養するのがいいと言われた。つまり田舎では玄米や雑穀を普通に食べていた。それは単に田舎の農民が貧しいからではなく、厳しい労働をやりぬくために生まれた農民の食文化だったからです。

ちなみに「宮城県史」によれば、叢塚(餓死者の埋葬地)で銘文のあるものの内訳は、宝暦1基、天明三年42基、天保四年6基、天保七年43基です。天明と天保ではむしろ天保の方が多い。叢塚=餓死者数ではないにしても、おそらくあまり変わらなかっただろう事が推測できます。しかし死者は天明の方がはるかに多いとされている。つまり天明の大飢饉での被害は様々な文献にあり、酔漢さんも指摘していた通り、疫病の蔓延が重なったためであったのではないかと考えられます。

いずれにせよ「かてめし」の歴史性を考察するならば精進料理、つまり仏教の影響を考えてみた方が面白いのではと海原さんに提案したい(笑)。まさに酔漢さんが転載したこぐれさんのコラムで指摘されている「清貧ともいえるごはん」とは、まさに仏教的だと思うのですが。一汁一菜も禅寺が発祥だしね。

それにしても「美味しんぼ」は奇をてらっているというか、何というか・・・。先に出たサンショウウオの鮨は地域の人にとっても特殊なもの(苦笑)。またボッケ(絵からすると確かにボッケだ)はそもそも外道だし、わざわざそれを狙って漁をするわけじゃない。ホッキ貝は北海道だとほぼ年中穫れるけど、亘理では資源保護のために冬以外は禁漁だし、漫画の中で夏に生で食っているのならそれはきっと産地偽装か密漁したものだ(笑)。

いずれにせよ、この漫画に限らず「郷土色」というものが、単に「珍しいもの」という意味合いになってしまってはいないか、個人的にはそう憂いています。
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大根めし (ひー)
2013-03-26 21:07:36
母も、「おしん」を見て自分をみているようだと言ってました。
幼い頃、七郷だったか六郷に行って奉公をしたそうです。

これらの料理も、お袋が居れば口に入ることもあるのですが、だんだん機会が減っているような気がします。
こんなことじゃ駄目ですね。
伝承しなければ・・・
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