「美味しんぼ 宮城編」。
これを検証して、自身の「宮城の味覚を提案する」。
人それぞれに、「おいしい料理・食材」はございます。
そこには、多くの思い出があることでしょう。
故郷なら、なおさらだと思います。
四季の情景が目に浮かび、一緒に食べた家族、友人・・・その笑顔。
「宮城が塩竈が故郷で良かった」こう思います。
でも、故郷は、それ自体が、人々の魂の奥に潜むものです。
宮城が、例えば沖縄でも、その台詞は変わらないのだと。
「故郷」とはこうした意味があるのだと思います。
本日、「酔漢のメニュー」を提案させていただきます。
これは、私の感性です。
「もっとおいしいものがある」
「これが思い出」
このような物がありましたら、是非お知らせください。
また、宮城県と御縁のない方でも、ご当地の料理、食材があれば是非ともお知らせください。
「酔漢のメニュー」。
これを持って最終話といたします。
「美味しんぼ」では、一体「究極のメニュー」「至高のメニュー」とも、どういったメニューを持って「対決」(劇画上の表現であり、酔漢自身、料理に対決はないだろう。こう考えています)したのでしょうか。
まずこの部分を再度整理してみましょう。
一部です。
「究極メニュー」では、最初の「いのししの刺身」を出してきます。
「阿武隈山麓」が産地となっております。
「宮城県」=「いのしし」というイメージがありません。
考えれば、「いのしし」は、花山村(旧)で酔漢も出会っております。(まんず、たまげたなや!)。
宮城の山々には、当然「どこにでもいる野生動物」。
これを、わざわざ食することは無いと考えます。
「宮城のいのししが、他県より素晴らしくおいしいのか?」
これは、考えにくいことです。
続けます。
審査を行う方達は、それでも絶賛いたします。調理方法は「ゆっけ」です。
「へそ大根の煮物」です。
「へそ大根」は旧丸森町あたりの保存食です。
これは、宮城の伝統的な食材。
大根を乾燥させることで、大根の甘味が増します。
これを、水に戻して、煮物にいたします。これは旨い。
宮城県独特の食材です。
その後「どじょうの蒲焼」と「納豆汁」と出てまいります。
「どじょうの蒲焼」がどうして?と思われるかと思います。酔漢も同感です。その理由を紐解きます。
築館の「ごろんべ鍋」。ここからヒントを得て、「どじょうの蒲焼」としております。
「田圃の多い宮城県ではどじょうを良く食べた」と主人公が話しております。
酔漢が、塩竈仲卸市場へ参りますと、確かに生きたどじょうを売っておりました。
ですが、「どじょうを良く食べた」という経験はあまりございません。
皆様はいかがでしょうか。宮城も土地土地で食されるものが違ってきます。酔漢の育ちが塩竈という海沿いの町であったからでしょうか。
「納豆汁」もそうです。ここで、今一度、考えてみます。
先の「くだまき」では、この対決の時期を夏といたしました。
「納豆は冬が旬」これであれば、納豆を真夏。とはいかない。斯様に考えております。
「海鞘のフルーツサラダ」
これを、最後のメニューとしております。
「至高のメニュー」をご紹介いたしましょう。
最初から、「かてめし」を出してきます。
内容は重複するのですが、こうです。
「ずんだ飯」「ワカメ飯」「大根飯」と紹介され、「フカヒレ飯」と続き「丸森町 やまとめ」(川魚専門料理店。2011年4月閉店)店主による「沢蟹のかて飯」になります。
この料理店の閉店は惜しまれます。
酔漢が尋ねました際には、休業でした。残念です。
さて、これらの料理ですが、「宮城を語るには、なぜかて飯だったのか」と。これは前回の「ある友人君のコメント」にもあるのですが、「かて飯」という定義、その歴史まで検証する必要があるということです。
「宮城ではよく『かて飯』が食されている」この台詞は、多くの方々に誤解を与えているのではないか。こう考えます。
「エイの煮付」次のメニューです。
カレイ釣りをしてますと、時たま「赤エイ」がかかります。
この煮魚は思い出はあるのですが、案外美味しく頂けます。ですが、早く処理いたしませんとアンモニア臭がしてまいります。
酔漢は水産部へもあおりました。「かすべ」と称して流通しております。秋田~北海道では良く食べられる食材です。
ですが、酔漢は親父殿が釣りあげたときにしか食した記憶がありません。
実は、「酔漢のメニュー」では「ナメタガレイの煮付」を紹介しようかとも思いましが、これは「宮城ではメジャーな食材」ですので、止めました。
デザートとして、海原雄山は「石橋屋の仙台駄菓子」を出してきます。
ここに一つ矛盾が生じます。
「飢饉により仙台藩の料理が衰退した」と海原雄山が話しておりますが、それならば料理と共に「菓子文化も衰退するのではないか」と考えます。
ところが「仙台駄菓子」は京都へも送られるほど、評価が高く、すばらしい菓子文化となっております。
これも、考えてしまう材料です。
以上が、「美味しんぼ」の内容です。
では、酔漢のメニューを紹介いたします。
題といたしまして「陸前冬の味覚」とでもいたしましょう。
宮城県、冬の食材を中心といたしております。
まずは、ここで使います味噌、醤油とも「美里町」「鎌田醤油店」のものだけを使用致します。
母方祖母の時分から、我が家の定番して使っております。
創業200年を越える、老舗です。
宮城県産大豆を原料といたしました味噌、醤油は、仙台味噌そのもの。調味料はここののみ使用致します。
ご飯と汁です。
「陸前かきめし」といたします。
「かきめし」は案外全国に広まっております。ですが、宮城のものが一番おいしく、理屈に合ってます。
米は、炊き込みご飯には一番適しております「七ヶ宿で採れたササニシキ」を使います。
「広島のかきめし」と決定的にどこが違うのか。
「牡蠣の大きさ」なのです。
「焼き牡蠣」「そのまま」であれば、味の違いだけなのですが(食感も含めて)、ごはんにするには、「一年牡蠣」の大きさが一番良いのです。
「牡蠣を食いちぎる」。そうした事がないからです。
牡蠣はその部位によって味が大きく変わります。例えば、最初に貝柱の方を食べて、その後に腹側の方を食べる。
味覚がバラバラです。しかもご飯と食するとなると、かなり無理があります。
宮城の小ぶりがな牡蠣は、ごはんと一緒に口に入れられます。
牡蠣全体の香と共に、ごはんを頂く事ができます。この食べ方が一番旨い。
ですから、「陸前牡蠣飯」は、宮城ならではの「炊き込み」と言える。
「ほっき飯」「はらこ飯」いずれも捨てがたい。ですが、「牡蠣飯」を選択しました。
汁は「どんこ汁」です。
「ぼっけ汁」「ぼっけ鍋」は、すでにご紹介したところです。
「どんこ」は「エゾアイナメ」の事です。
夜釣りで釣りますが、この魚の肝は大事です。
頭を丁寧に静かに取った後、内臓を傷つけず引きずり出します。内臓に一旦湯をかけてから、味噌汁にいたします。
ごぼう、ニンジン、大根などと一緒に。
肝は最後に入れて出来上がりです。
七ヶ浜周辺では、冬場刺し網漁で捕れます。
これも懐かしい味ですし、三陸ならではの魚汁と言えます。
香の物は、こちらです。
「芭蕉菜の御漬け物」です。
仙台、特に、七ヶ浜周辺、桂島、寒風沢島では、白菜の栽培が盛んでございました。
大正時代には「松島白菜」と品種改良され、その後「松島1号」「松島2号」と改良されます。
漬物の主役となります。ところが、「仙台白菜」に押される形で、ある野菜が栽培されなくなります。
「三河島菜」です。
絶滅したと思われた「三河島菜」ですが、くしくも「仙台農業試験場」で栽培、販売されていることが解ります。これ2010年のつい最近の事です。
三河島菜を改良させ「芭蕉菜」として販売されておりました。
仙台で誕生した白菜におわれた三河島菜が、仙台でその復活を見せるのです。
この野菜の運命を感じて頂きたく、「芭蕉菜の漬物」をご紹介したい。
ほんのりする苦味は上品で、しかも葉が柔らかい。いろいろな使い方があるのでしょうが、「漬物が一番」です。
明治時代の関東では主流だった漬物。
現代の仙台に蘇ったわけです。
これ、おいしいです。
仙台白菜の漬物としようとしましたが、あえて「芭蕉菜の漬物」といたします。
「純白の中に、薄いピンク色が美しい刺身」
この桜色のようなお刺身をまずはご覧ください。
真冬、一瞬だけ味わえることのできる刺身です。
「メカジキの刺身」です。
美しい、しかも、その旬には、「東物 メバチマグロ」をも凌ぐ味覚だと思っております。
気仙沼に上がります。
因みに、酔漢の食しました刺身のベストです。併せてご紹介いたします。(メバチマグロはそのメルクマールより外します。美味しいのは当たり前なので・・・)
「屋久島産『首折れサバ』」「女川産『戻りかつお』」「鮎川『イワシ鯨の尾の身』」です。屋久島サバはおそらく「金華サバ」を凌ぎます。
刺身をもう一品。
これは「酢醤油」で味わって下さい。
「もうかさめの星」=「もうかさめの心臓」です。
これは、やはり「気仙沼産」です。
心房の部分は別に「酢のもの」にいたします。写真は心室の部位。
ヘモグロビンは酸化が早く、処理を迅速に致しませんと、「血なまぐささ」だけの料理となります。
流水で丁寧に洗い流すのがコツです。相当時間を掛けます。
これは、ほんの少しだけ食するのが良いです。
これは、宮城でしか味わえません。
ここまで、魚料理を中心にメニューを提案させていただきました。
実は、「海にこだわった」酔漢です。
肉料理にまいります。
「ミンク鯨のローストホエール」酔漢流「ローストホエール」です。
ミンク鯨のブロックの表面に塩。胡椒を施します。
これを、表面だけ、炙ります。
表面に焼き色が着きましたら、氷水で急速に冷却致します。
薄切りにして、盛りつけます。
醤油にホースラディッシュと共にくるんで口に入れます。
本当に最初の塩は、うっすらと。これで味をつけるのではなく、鯨の肉の表面についている酸化した、血合いの部分の匂いを取るのが目的です。
この処理をして、「鯨独特の臭み」を取り除きます。
この処理で、「ミンクは大化け」致します。
素晴らしい肉に変貌致します。
単に、刺身ではなく、こうした食べ方を提案させていただきました。
焼き物です。
「閖上の焼き鰈」です。これは珍しくもなんともありません。
この字をお読みになられますでしょうか。
「五十集」。「いさば」と読みます。「かつぎやのおばちゃん」と言えばお分かりになられますでしょうか。
先の震災では大きな被害がありました閖上です。
このおばちゃんが持ってくる「閖上の焼き鰈」は、懐かしい味です。
カレイは「沼カレイの亜種」と考えられます。
「亜種」であるから、この地独特の種類と言えます。
カレイは索餌回遊(さくじかいゆう)をする魚。餌が自分の周辺にあれば、移動する習性のない魚種です。
名取川河口付近ではその餌場としては最高でした。この河口で捕れるカレイのみ使用します。
肉厚でしかも、柳カレイのような上品さはないものの、この香より魚は、酔漢の思い出の味です。
最後。菓子を一品。
老舗「賣茶翁」からです。
「しるこ」です。
「懐中しるこ」。お椀に入れてお湯を注ぎます。
「賣茶翁」は京都へお茶菓子を提供している老舗中の老舗です。
実は、要予約なのですが、五月の「ちまき」は絶品。
ですが、手に入りません。
生産も少なく、難しい菓子なのですが。
冬限定の和菓子をご用意いたしました。
以上、「酔漢のメニュー」です。
「魚料理に偏っている」
「宮城の歴史を語るものではない」
こうしたご批判はございますでしょう。
ですが、歴史を語るには、あまりにも材料が少なく、酔漢自身、「魚料理」には拘りがございます。
例えば、「牛タン」ですが、「正宗」閉店以降(8年前)牛タンには興味は無くなりました。
しかし、「牛テール焼き」は「牛タン以上に仙台独特の料理ではないか」と斯様に思っております。
「仙台牛」もその歴史は古く、これも取り上げたかったところ。
いやはや、宮城の食材の奥深さを改めて感じました。
料理は、最初魚の捌きから(カジキは無理ですが)自身で作れるもの(閖上カレイ、菓子は別)で構成いたしました。
包丁が苦手でなくて良かった。
こうも感じました。
長くなりました。皆様のソウルフードって?
是非コメントを頂戴したい。
こう思いました。
酔漢 拝
これを検証して、自身の「宮城の味覚を提案する」。
人それぞれに、「おいしい料理・食材」はございます。
そこには、多くの思い出があることでしょう。
故郷なら、なおさらだと思います。
四季の情景が目に浮かび、一緒に食べた家族、友人・・・その笑顔。
「宮城が塩竈が故郷で良かった」こう思います。
でも、故郷は、それ自体が、人々の魂の奥に潜むものです。
宮城が、例えば沖縄でも、その台詞は変わらないのだと。
「故郷」とはこうした意味があるのだと思います。
本日、「酔漢のメニュー」を提案させていただきます。
これは、私の感性です。
「もっとおいしいものがある」
「これが思い出」
このような物がありましたら、是非お知らせください。
また、宮城県と御縁のない方でも、ご当地の料理、食材があれば是非ともお知らせください。
「酔漢のメニュー」。
これを持って最終話といたします。
「美味しんぼ」では、一体「究極のメニュー」「至高のメニュー」とも、どういったメニューを持って「対決」(劇画上の表現であり、酔漢自身、料理に対決はないだろう。こう考えています)したのでしょうか。
まずこの部分を再度整理してみましょう。
一部です。
「究極メニュー」では、最初の「いのししの刺身」を出してきます。
「阿武隈山麓」が産地となっております。
「宮城県」=「いのしし」というイメージがありません。
考えれば、「いのしし」は、花山村(旧)で酔漢も出会っております。(まんず、たまげたなや!)。
宮城の山々には、当然「どこにでもいる野生動物」。
これを、わざわざ食することは無いと考えます。
「宮城のいのししが、他県より素晴らしくおいしいのか?」
これは、考えにくいことです。
続けます。
審査を行う方達は、それでも絶賛いたします。調理方法は「ゆっけ」です。
「へそ大根の煮物」です。
「へそ大根」は旧丸森町あたりの保存食です。
これは、宮城の伝統的な食材。
大根を乾燥させることで、大根の甘味が増します。
これを、水に戻して、煮物にいたします。これは旨い。
宮城県独特の食材です。
その後「どじょうの蒲焼」と「納豆汁」と出てまいります。
「どじょうの蒲焼」がどうして?と思われるかと思います。酔漢も同感です。その理由を紐解きます。
築館の「ごろんべ鍋」。ここからヒントを得て、「どじょうの蒲焼」としております。
「田圃の多い宮城県ではどじょうを良く食べた」と主人公が話しております。
酔漢が、塩竈仲卸市場へ参りますと、確かに生きたどじょうを売っておりました。
ですが、「どじょうを良く食べた」という経験はあまりございません。
皆様はいかがでしょうか。宮城も土地土地で食されるものが違ってきます。酔漢の育ちが塩竈という海沿いの町であったからでしょうか。
「納豆汁」もそうです。ここで、今一度、考えてみます。
先の「くだまき」では、この対決の時期を夏といたしました。
「納豆は冬が旬」これであれば、納豆を真夏。とはいかない。斯様に考えております。
「海鞘のフルーツサラダ」
これを、最後のメニューとしております。
「至高のメニュー」をご紹介いたしましょう。
最初から、「かてめし」を出してきます。
内容は重複するのですが、こうです。
「ずんだ飯」「ワカメ飯」「大根飯」と紹介され、「フカヒレ飯」と続き「丸森町 やまとめ」(川魚専門料理店。2011年4月閉店)店主による「沢蟹のかて飯」になります。
この料理店の閉店は惜しまれます。
酔漢が尋ねました際には、休業でした。残念です。
さて、これらの料理ですが、「宮城を語るには、なぜかて飯だったのか」と。これは前回の「ある友人君のコメント」にもあるのですが、「かて飯」という定義、その歴史まで検証する必要があるということです。
「宮城ではよく『かて飯』が食されている」この台詞は、多くの方々に誤解を与えているのではないか。こう考えます。
「エイの煮付」次のメニューです。
カレイ釣りをしてますと、時たま「赤エイ」がかかります。
この煮魚は思い出はあるのですが、案外美味しく頂けます。ですが、早く処理いたしませんとアンモニア臭がしてまいります。
酔漢は水産部へもあおりました。「かすべ」と称して流通しております。秋田~北海道では良く食べられる食材です。
ですが、酔漢は親父殿が釣りあげたときにしか食した記憶がありません。
実は、「酔漢のメニュー」では「ナメタガレイの煮付」を紹介しようかとも思いましが、これは「宮城ではメジャーな食材」ですので、止めました。
デザートとして、海原雄山は「石橋屋の仙台駄菓子」を出してきます。
ここに一つ矛盾が生じます。
「飢饉により仙台藩の料理が衰退した」と海原雄山が話しておりますが、それならば料理と共に「菓子文化も衰退するのではないか」と考えます。
ところが「仙台駄菓子」は京都へも送られるほど、評価が高く、すばらしい菓子文化となっております。
これも、考えてしまう材料です。
以上が、「美味しんぼ」の内容です。
では、酔漢のメニューを紹介いたします。
題といたしまして「陸前冬の味覚」とでもいたしましょう。
宮城県、冬の食材を中心といたしております。
まずは、ここで使います味噌、醤油とも「美里町」「鎌田醤油店」のものだけを使用致します。
母方祖母の時分から、我が家の定番して使っております。
創業200年を越える、老舗です。
宮城県産大豆を原料といたしました味噌、醤油は、仙台味噌そのもの。調味料はここののみ使用致します。
ご飯と汁です。
「陸前かきめし」といたします。
「かきめし」は案外全国に広まっております。ですが、宮城のものが一番おいしく、理屈に合ってます。
米は、炊き込みご飯には一番適しております「七ヶ宿で採れたササニシキ」を使います。
「広島のかきめし」と決定的にどこが違うのか。
「牡蠣の大きさ」なのです。
「焼き牡蠣」「そのまま」であれば、味の違いだけなのですが(食感も含めて)、ごはんにするには、「一年牡蠣」の大きさが一番良いのです。
「牡蠣を食いちぎる」。そうした事がないからです。
牡蠣はその部位によって味が大きく変わります。例えば、最初に貝柱の方を食べて、その後に腹側の方を食べる。
味覚がバラバラです。しかもご飯と食するとなると、かなり無理があります。
宮城の小ぶりがな牡蠣は、ごはんと一緒に口に入れられます。
牡蠣全体の香と共に、ごはんを頂く事ができます。この食べ方が一番旨い。
ですから、「陸前牡蠣飯」は、宮城ならではの「炊き込み」と言える。
「ほっき飯」「はらこ飯」いずれも捨てがたい。ですが、「牡蠣飯」を選択しました。
汁は「どんこ汁」です。
「ぼっけ汁」「ぼっけ鍋」は、すでにご紹介したところです。
「どんこ」は「エゾアイナメ」の事です。
夜釣りで釣りますが、この魚の肝は大事です。
頭を丁寧に静かに取った後、内臓を傷つけず引きずり出します。内臓に一旦湯をかけてから、味噌汁にいたします。
ごぼう、ニンジン、大根などと一緒に。
肝は最後に入れて出来上がりです。
七ヶ浜周辺では、冬場刺し網漁で捕れます。
これも懐かしい味ですし、三陸ならではの魚汁と言えます。
香の物は、こちらです。
「芭蕉菜の御漬け物」です。
仙台、特に、七ヶ浜周辺、桂島、寒風沢島では、白菜の栽培が盛んでございました。
大正時代には「松島白菜」と品種改良され、その後「松島1号」「松島2号」と改良されます。
漬物の主役となります。ところが、「仙台白菜」に押される形で、ある野菜が栽培されなくなります。
「三河島菜」です。
絶滅したと思われた「三河島菜」ですが、くしくも「仙台農業試験場」で栽培、販売されていることが解ります。これ2010年のつい最近の事です。
三河島菜を改良させ「芭蕉菜」として販売されておりました。
仙台で誕生した白菜におわれた三河島菜が、仙台でその復活を見せるのです。
この野菜の運命を感じて頂きたく、「芭蕉菜の漬物」をご紹介したい。
ほんのりする苦味は上品で、しかも葉が柔らかい。いろいろな使い方があるのでしょうが、「漬物が一番」です。
明治時代の関東では主流だった漬物。
現代の仙台に蘇ったわけです。
これ、おいしいです。
仙台白菜の漬物としようとしましたが、あえて「芭蕉菜の漬物」といたします。
「純白の中に、薄いピンク色が美しい刺身」
この桜色のようなお刺身をまずはご覧ください。
真冬、一瞬だけ味わえることのできる刺身です。
「メカジキの刺身」です。
美しい、しかも、その旬には、「東物 メバチマグロ」をも凌ぐ味覚だと思っております。
気仙沼に上がります。
因みに、酔漢の食しました刺身のベストです。併せてご紹介いたします。(メバチマグロはそのメルクマールより外します。美味しいのは当たり前なので・・・)
「屋久島産『首折れサバ』」「女川産『戻りかつお』」「鮎川『イワシ鯨の尾の身』」です。屋久島サバはおそらく「金華サバ」を凌ぎます。
刺身をもう一品。
これは「酢醤油」で味わって下さい。
「もうかさめの星」=「もうかさめの心臓」です。
これは、やはり「気仙沼産」です。
心房の部分は別に「酢のもの」にいたします。写真は心室の部位。
ヘモグロビンは酸化が早く、処理を迅速に致しませんと、「血なまぐささ」だけの料理となります。
流水で丁寧に洗い流すのがコツです。相当時間を掛けます。
これは、ほんの少しだけ食するのが良いです。
これは、宮城でしか味わえません。
ここまで、魚料理を中心にメニューを提案させていただきました。
実は、「海にこだわった」酔漢です。
肉料理にまいります。
「ミンク鯨のローストホエール」酔漢流「ローストホエール」です。
ミンク鯨のブロックの表面に塩。胡椒を施します。
これを、表面だけ、炙ります。
表面に焼き色が着きましたら、氷水で急速に冷却致します。
薄切りにして、盛りつけます。
醤油にホースラディッシュと共にくるんで口に入れます。
本当に最初の塩は、うっすらと。これで味をつけるのではなく、鯨の肉の表面についている酸化した、血合いの部分の匂いを取るのが目的です。
この処理をして、「鯨独特の臭み」を取り除きます。
この処理で、「ミンクは大化け」致します。
素晴らしい肉に変貌致します。
単に、刺身ではなく、こうした食べ方を提案させていただきました。
焼き物です。
「閖上の焼き鰈」です。これは珍しくもなんともありません。
この字をお読みになられますでしょうか。
「五十集」。「いさば」と読みます。「かつぎやのおばちゃん」と言えばお分かりになられますでしょうか。
先の震災では大きな被害がありました閖上です。
このおばちゃんが持ってくる「閖上の焼き鰈」は、懐かしい味です。
カレイは「沼カレイの亜種」と考えられます。
「亜種」であるから、この地独特の種類と言えます。
カレイは索餌回遊(さくじかいゆう)をする魚。餌が自分の周辺にあれば、移動する習性のない魚種です。
名取川河口付近ではその餌場としては最高でした。この河口で捕れるカレイのみ使用します。
肉厚でしかも、柳カレイのような上品さはないものの、この香より魚は、酔漢の思い出の味です。
最後。菓子を一品。
老舗「賣茶翁」からです。
「しるこ」です。
「懐中しるこ」。お椀に入れてお湯を注ぎます。
「賣茶翁」は京都へお茶菓子を提供している老舗中の老舗です。
実は、要予約なのですが、五月の「ちまき」は絶品。
ですが、手に入りません。
生産も少なく、難しい菓子なのですが。
冬限定の和菓子をご用意いたしました。
以上、「酔漢のメニュー」です。
「魚料理に偏っている」
「宮城の歴史を語るものではない」
こうしたご批判はございますでしょう。
ですが、歴史を語るには、あまりにも材料が少なく、酔漢自身、「魚料理」には拘りがございます。
例えば、「牛タン」ですが、「正宗」閉店以降(8年前)牛タンには興味は無くなりました。
しかし、「牛テール焼き」は「牛タン以上に仙台独特の料理ではないか」と斯様に思っております。
「仙台牛」もその歴史は古く、これも取り上げたかったところ。
いやはや、宮城の食材の奥深さを改めて感じました。
料理は、最初魚の捌きから(カジキは無理ですが)自身で作れるもの(閖上カレイ、菓子は別)で構成いたしました。
包丁が苦手でなくて良かった。
こうも感じました。
長くなりました。皆様のソウルフードって?
是非コメントを頂戴したい。
こう思いました。
酔漢 拝
ソウルフードと言われたら、「仙台みそ」と「ハゼ出汁のお雑煮」と、「笹かまぼこ」に「芋煮」でしょうか。でも、この歳になってからは、「どんこ汁」に「めかぶ」です。どんこは、家で食べる物ですから、もう全然上品じゃなく、出刃でバンバンぶつ切りにした汁なんですが(笑)「めかぶ」は茶色いぐるぐる巻きを大なべでざっと茹でて、ミドリになったのを出刃でバンバン叩いて刻むと、売っているめかぶになると、嫁いでから知りました(大笑)これがあると、何倍でもごはんが食べられます♪
でも、お菓子部門は、九重か三色最中か子平まんじゅうかハイデルベルクチョコケーキか、とても悩ましいです。
今回が最後らしいので、まとめとして書かせていただくと、そもそも仙台藩は物産が少ない事で有名でした。あの林子平も物産が少ないと嘆いています。しかし原因は海原雄山が言うような飢饉とは関係ないと思います。
江戸期の戯作に、仙台者は米の安い国の出だからといって飯ばかり食べて泊めた旅籠は見合わないといった場面があります。また「仙台風」という明和期の史料には、上方と比較して仙台人について随分と手厳しく書かれていますが、「仙台は米大いに安くして食べ物に冨たる所なれば」、大酒をくらい、良い魚がある服を質に入れてでも買って食う者もいるとか。要約すると豊かな土地だから怠け者が多いという内容です。大酒呑みの酔漢さんや私には耳が痛いところもありますね(苦笑)。更に大正初期の「仙台物産沿革」には宮城県人は物産開発力に乏しく、沃土の民は不在だとあります。つまり宮城は豊かな場所だから住民は開発努力をしないというのですね。
それらが他地域の同時代人たちが残した証言であるわけです。まあ当時の東北への偏見を差し引いても、富国強兵の時代にはきっと怠惰な民だったでしょうね(笑)。
これらを踏まえれば、宮城では食材が新鮮で豊かであるために、加工品があまり発展しなかったと考えるべきです。大きな飢饉もあった天保年間に仙台藩を訪れた儒学者の安井息軒は仙台藩の実高を200万石と見積もっています。実際はどうあれ、そう見えるほど豊かだったわけです。
ただし元禄期に書かれた「封内土産考」という史料には、仙台藩の名物物産がたくさんあります。たとえば「長なす」です。「仙台長なすの漬物」は仙台の特産漬物として様々な文献に散見されていますし、今も受け継がれています。その他、塩釜の「浅みどり昆布」の名前もあります。これはもう存在しませんが、どんなものだったのか興味深いです。
長くなりましたが、結論としては、地味だけど素材を生かした地産地消のスローフードが、宮城県の美味しいもののような気がします。ちなみに私のソウルフードは鯨の竜田上げと仙台味噌かな。
砂糖の使い方って結構、地方の特色がでるのかも知れませんね。
私の懐かしの味は「鯨のオーロラ煮」です。小学生の頃は給食に使われる安い食材だったのに…。今、塩竃の小学校は「鮪のオーロラ煮」になっているんですよ。
ソウルフードは味噌汁です。
ひと口すするとなぜかホッとして、日本人に生まれて良かったなぁと思うのです。
仙台での子供時分、味噌は「佐々重のおじさん」が家に届けてくれました。
おじさんは、年季の入った重箱を肩に担いで威勢よく勝手口から入ってきます。
それを降ろし、蓋を開けると濃いめの色をした仙台味噌のいい香りがぷーんと漂います。
宮島(木しゃもじ)を使って、見事な手さばきで自宅の味噌がめに入れてゆきます。
味噌を練りながら、すくっては、ペッタン、またペッタンとリズミカルな音を立てて、お重に綺麗に詰めてあった味噌は、跡形も残らずあっという間に、かめの方へ移ってしまう職人技です。
味噌の味は、住む土地によって異なり、郷土料理の原点の1つかと思います。
ちなみに、両親の故郷は米どころ、北陸富山で、仙台味噌よりもっと味も色も薄めの米味噌です。他に住んだことのある京都ではご存じ白味噌、福岡は甘味のある麦味噌、ちなみに我が家では白味噌&仙台味噌または、信州味噌&八丁味噌をその時々でブレンドして使っています。
味噌は奈良時代に今の形が作られ、原型はさらに弥生時代までさかのぼると言われているそうです。
健康に良し、美容にも、老化防止にも、最近では放射能障害への効果が期待される、
日本の誇るべきスローフードだと思います。
母が東京出身なので、私は大学に入って飲みに行くようになるまでは、あまり「宮城らしい」食材を口にしたことはありませんでした。たまに魚屋さんで焼き鰈を買ってもらったくらいでしょうか。ただし、味噌だけは別。なんちゃんと同じく、佐々重さんの仙台味噌でした。就職して、一時広島県に住んだときは、味噌の味が全く違うのに驚愕したものです。やはり、味噌汁は米と共に日本人のソウルフードですね。
そうそう、ソウルフードとまではいきませんが、宮城のお菓子の中で私のイチオシは支倉焼きです。あの上品な餡は、他の追随を許さないと勝手に思っております。
亡き母の味が全てソウルフードの私。
『へっちょこだんご』
『かすべの煮物』
『きりたんぽ鍋』
『ひっつみ汁』
『おはぎ』
でしょうか…。
まだまだ修行が足りないので、母の味には程遠い(T_T)
どじょうですが、あれは子供の頃田圃でどじょう掘りをしました。親父の実家は鹿島台なで農業等をしていましたので、田んぼに連れて行かれたものです。
今でも松山のおんちゃんが捕ってきてくれます。
猪の生肉は、抵抗ありますね。丸森にぼたん鍋を食べさせる店が一軒あるそうてすがまだ行ったことはありませんね。店は減って一軒だけになったようです。
猪って蛇も食べると聞きます。細菌が多そうで自分は、ダメですね。
あの雑煮は独特ですものね。ハゼ釣りに行って、それを焼いて軒先につるしておりました。
雑煮の出汁の為なんですが、我が家の風物でした。
宮城のめかぶは、扱ってますよぉぉ!
旨そうと思いながら売場を眺めてます。
聞いた事はあるのですが、伝承的な部分だけの情報で実際はどうなのでしょうか。
要調査。ですね。
そうなんです、自分でも「海ものばかり」と思います。
でも、これが僕の食の根底にあるものだと思います。
敢えて、そういたしました。
貴重が意見、ありがとう。とても勉強になりました。
「鯨のオーロラ煮」給食にはよく出てましたね。
竜田揚げはもちろん、鯨はよく出されました。
今は「マグロ」なのですね。こちらの方が、高級そうですよね。