酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

野分

2011-09-22 10:31:51 | もっとくだまきな話
「野分」と言うには少しばかり遅いでしょうか。
毎年、二百十日を目安に我が国を訪れる台風です。
今年の暦ですと、九月一日になります。
丁度、被災地を眺めるようかに、列島を進んでまいりました。
「追い打ちをかけるなよ!」
との思いも裏腹に、三陸を縦断いたしました。
酔漢自身、台風が関東を直撃した時分、幸いにも仕事中で、直接被害には合いませんでした。
しかも、通勤時は、小雨。帰宅時には、風は強いものの、天気回復で傘もいりません。
交通機関は、帰宅予定時刻には全て(酔漢が使用路線のみ)復旧。
何とも、「幸運な過ごし方」をいたしました。
ですが、ここは、仕事柄。多くのトラブルに見舞われました。
午前10時。第一報。
「変電施設室への漏水!」
停電へのシュミレーションをしなくてはなりません。
午後風雨が強まると
「風で扉が歪んで、自動ドアが開閉しない!」
「エレベーターの室内灯が半分消えている!」
「屋内、駐車場への冠水!」
「室内、各所での雨漏り!」
「荷物の遅延!」
「帰宅不可者の交通手段調査!」
「夕方出勤者への連絡!」
などなど・・・その都度奔走しておりました。
「何、けえれねぐなったら、泊まるだけだっちゃ」
と、覚悟しておりましたが、台風の速度が速まって、それはなく、上記のように帰宅。

帰宅途中、丹治さんからメール。
「仙台駅舎内にあり。仙石線不通。車手配するも、塩竈中之島冠水状態で通行止。もはや、帰港するほか手段なし。(帰港⇒大学へ戻ることデス)」
さて、「仙台はすげぇ事になってんんだなや」と母にまず電話。
「そんなに雨降ってる?これからじゃないの?今、サッカー観てるから後で・・」
これで切られた。
あのですね、八十になる母ですが、これがサッカー大好きでございまして、夜中だろうと、明け方だろうと、特に、代表の試合は必ずテレビ観戦するのです。
この間は、夢中になっていることが多くて、なかなか話かけずらいところがございまして・・。
「丹治さんはなんじょしてっぺ」で、電話。
「おう!今メールした通りだ!これから工大に戻る」
「バスあんのすか?」
「まだ最終まである!じゃぁ!」
風の音が電話を通じて聞こえました。

さて、我が家周辺。
「風速40mを観測」したとか。
多分、片瀬から辻堂の海岸線だと思うのですが。
風の跡は、今朝がた所々に残っておりまして、枝があちこちに落ちておりました。
近くを流れる、境川も消防が待機警戒中ではありましたが、藤沢橋が流された十数年前の台風よりは、水量も少なかったようです。
まずは、一安心。

ですが。
被災地を選んだように進んだ今回の台風です。
高潮被害が日常化している三陸沿岸。
地盤が相当緩んでいる山々。
人々の不安はいかばかりか。

ひーさんの散歩道
「台風第15号 (ロウキー:Roke)」
には、その様子が写真と共に、記事になっております。

宮城はこれほどだったのかと、思い、拝読いたしました。

皆様、ご無事で過ごされましたでしょうか。
東北を縦断する台風は、ままございますが、ピンポイント三陸直撃はあまり記憶がございません。
「野分」という風流な呼び方では、済まされない、十五号でした。

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11 コメント

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クリス様へ (酔漢です)
2011-09-26 09:12:19
台風が11月に湘南を直撃。この日、家内(結婚前)酔漢自宅へ遊びに来ましたが、帰られなくなりました。
その時に藤沢橋(箱根駅伝のコース)が流されました。
自身の記憶では一番すごかった豪雨でした。
自転車は危ないですよね。
一度、台風のような低気圧の中、山沿いの国道を走っておりましたら、体が宙に浮きました。
本当に飛んでる!って感じで、5m近く空中散歩状態でした。
あれは怖かった!
98年の豪雨はテレビでその様子を知りました。
東北は秋口に豪雨が集中しますね。
今回は、ご無事で何より。
安心いたしました。
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台風の日 (クリス)
2011-09-25 10:50:57
15号が上陸した日、私の派遣先では勤務時間の変更等は一切行われず、全くの通常勤務でした。
埼玉北部(ほぼ群馬)は、昼から15時過ぎがひどかったようですが、帰る頃には雨風はだいぶ弱まっておりました。

私、片道6.5kmを自転車通勤しておりまして、それをご存知の方々から、
「結構ひどいことになってるけど、帰れる?」
「帰り送ろうか?(←人間のみ)」
などと声を掛けて頂き、翌日は翌日で、
「昨日大丈夫だった?」
と聞かれたのですが…。

個人的には、2009年11月2日の嵐の日の方が、よっぽど大変でした。
冬の足音が聞こえようかという11月、帰宅しようと会社を出ようとしましたら、台風ばりの暴風(←横っ風)に横殴りの雨という大荒れの天候。
対する私の装備は、厚手のプルパーカー+半袖Tシャツ+薄地のカーゴパンツ、それに薄~いナイロンのパーカーがあるばかり……。この時、手袋すらありませんでした(←まだ暖かかったので)
幸い、荷物は大きなポリ袋がありましたので、がっちりガードして濡れることなく持ち帰れました。
自転車も漕げないような嵐の中をとぼとぼと自転車を押して歩く私を偶然見かけた会社の人が声を掛けてくださったのですが、自宅まであと2kmはあり、自転車を避難させられる場所もなく、そして私は濡れネズミ。
「送ろうか?」のご好意だけを頂戴して、歩き通しました。

今から考えても、よく風邪引かなかったな~と、妙なことに感心してしまいます。


今回は、きちんと雨合羽の上下がありましたし、大した雨風でもなかったので、全く問題なく帰宅出来た次第です。



8.5水害、微かに記憶がございます。郡山市の水門町と呼ばれる辺りが、阿武隈川の決壊で水没致しました。
我が家の辺りは、阿武隈川からは水を引けない土地にございますので、水没は免れましたが、中学校の敷地に沿って流れるの笹原川が増水して、橋だったか道路だったかが流されて、それを祖父母と見に行った記憶が。

その8.5水害に迫ると言われたのが、98年8月27日の栃木県那須町を襲った集中豪雨ですね。
当時、高校3年生でしたが、学校のすぐ下の田んぼが、河川の増水と豪雨で完全に水没。
生徒の半数近くは電車通学の我が校では、南部に向かう電車が止まったために、白河・棚倉方面から通う生徒に、帰宅困難が予想される者が続出しました。
「どうしても迎えに来てもらえなかったら、うちに泊めるから!」
と我がクラス担任が、電車通学でも特に被害地域に近い、県南部のクラスメイト達に声を掛けておりました。
夏休みが明けたばかりだったのに、豪雨2日後には臨時休校となり、9月に入っても鉄道が復旧せずに、登校出来ない者が何人もおりました。

あの時も、元々阿武隈川から水を引いている土地(国道4号線より東側)は、避難勧告も出ていたそうですから、私が覚えているいる限りでは、大きな水害でした。


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ひー様へ (酔漢です)
2011-09-25 09:35:39
「散歩道」へコメントをいたしております。
同期生の彼のことです。
自身がコメントしました、東松島市の彼も中学応援団。
同じ日に繋がったこれも縁なのかと驚きました。

この一週間。
多くの繋がりに驚きます。
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ぐずら様へ (酔漢です)
2011-09-25 09:32:30
昭和61年の8月5日の豪雨は、たしか、土曜から日曜にかけてだったようね記憶があります。
(確かめてないのですが・・)
あちこち冠水してました。
午後、車で家族で出かける用事があったのですが、道路が渋滞で中止になりました。
平成6年のは、こちらでニュースで見てましたが、親父が仕事場に足止めを食らってました。
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同期生 (ひー )
2011-09-25 06:27:41
以前にも話しましたが、職場の中間に五橋出身の49歳がいます。
浦霞さんとクラスは一緒になりませんでしたが、同期であることは確認しました。
彼は卒業後、東京に上京し家庭の都合で仙台に戻っております 。
ですから、住所は不明になっている者の一名だと思います。
本人に「何だったら、情報を伝えてやるか?」とききましたが、俺の事知ってるやつもそれほどいないし、当時の人数も多かったからね!! と言ってました。
当時は応援団にも居たと言ってます。
性格的には真面目で日本酒と山菜採りが趣味のようです。
本人からすれば今更なのかも知れませんが、勝手に情報を流すこともできず。
出来れば、同期会の事務局の連絡先でも教えてあげたいと思っています。
連絡するかどうかは本人の意思に任せようかと。
もしよければ、同期会を主催した方の連絡先でも教えていただければと思います。
どうでしょうか?
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意外でしたよ (ひー )
2011-09-24 21:33:02
ご紹介いただきまして、ありがとうございます。
14号は、北上せずに気象予報士に恥じをかかせましたが 、今回は着実に通過しました。
確かに雨自体はは土砂降りではなかったので 、甘く見ていましたが 、長引いた雨が蓄積していたのですね。 想像を越える影響でした。
職場でもなんでこのくらいでJRが全線終日運転見合わせん打や !と話しておりました。
確かに土砂崩れの心配と徒歩による安全確認が必要だからでしょう。
それに、過去の事故で運転指令の者が逮捕される経緯があります。
県民や国民のために動かしてやろうと思った行為は、事故を招き責任を取らせられます。
そうすれば、過敏になっても仕方がありませんね。
これは、気象庁も同じで、何故警報を出さなかった!
と責められるので、直ぐに警報がでるようにないました。 人名を優先すればこれもまた仕方がないのでしょう。
足を奪われると本当に困りますね。

返信する
思い出すのは9.22・・・ (ぐずら)
2011-09-23 21:26:22
おばんでございます。
昨日は台風一過ドピーカン(ん?死語?)かと思いきや…
昼前からまたも本降りが夜まで続くっちゅう散々な日でした。
この台風、久々の本州縦断で昼間の首都圏で大木がバッタバッタ倒れてるのをニュースで見ましたよ。
酔漢さんの帰宅時間には交通も復旧したようですが、仙台は夕方から大荒れで丹治さんも帰宅困難者だったようですね。
それで、思い出したのが平成6年の9.22豪雨です。原因は台風じゃなかったものの日付も1日違いの9月22日。
この日、土砂降りの続いていたお昼過ぎのこと、仙台の職場で打ち合わせの準備をしてると自宅が浸水したとの電話で、
打ち合わせもそこそこに事務所を出たのが14時過ぎ…
駅に着いたら鉄道は全線不通、バスも運休でタクシー乗り場に長蛇の列、しかも途中が冠水していて多賀城方面へは行けないとのこと。
当時、携帯なんてまだ普及してなくて電話しようにも、公衆電話に何百人も並んでて電話も出来ず。
ようやく家に連絡できたのが雨も小降りになった19時過ぎで、帰るにも帰れず。
結局、翌23日が休日なのを良いことにして足を国分町方面に向け、そのまま飲みに行っちゃいました。
多賀城の実家は子供のころは台風の度に床上浸水していたので洪水慣れしてましたが、昭和45年に家を建替えてからは
昭和61年の8.5豪雨まで水害に遭わず、8.5の後も市の排水ポンプ場が大きくなって、もう洪水は無いだろうと
思ってたので、9.22でまたもや車とバイクを水没させてしまったのが悔やまれます。
ちなみに、このときの多賀城の雨量は351mm、最大時間雨量は132mmだったそうです。
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すず様へ (酔漢です)
2011-09-23 11:57:03
ルールも今一。
選手名も・・・今一。
ですが、本田を誉めておりますし、最近では清武君が「素敵」と話している我が母親でございます。
自身がバスケットボールの選手だったからでしょうか。(戦中、戦後)ボールゲームが大好きです。
ご心配おかけいたしました。
ご子息の話は・・笑ってしまいました。
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丹治様へ (酔漢です)
2011-09-23 11:54:03
父が亡くなってからというもの、我が家の神事が滞るこTが多くなりました。
我が家にも覚えがありますゆえ、心が痛みます。
神棚が高い位置にあるため、母が難儀しますし、怪我でもされては、元も子もないものですから。
悩みではあります。
父は大変こだわっておりましたので・・。
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そういえば「二百十日」は、「台風の日」なんですよね~。 (すず)
2011-09-22 15:10:28
 浸水した物置を乾燥させたかったんですが、こちらは正午から雨が降る曇り空となりました。冠水した道路は水が引きましたけど、台風が来るたびにこれじゃいかんですな。

酔漢様もご自宅もご無事で、ほっとしました。お勤め先では手配が大変でしたね、お疲れ様でした。

>八十になる母ですが、これがサッカー大好きでございまして~

  なんて素敵!私も暴風&豪雨で家が揺れる中、U-22の試合をTVで観てました(笑)
返信する
豆ご飯を食べなかったから (丹治)
2011-09-22 12:22:20
我が家では九月一日の朝には二百十日の豆ご飯を食べるのがならわしです。
何かの理由で家にいない時は、陰膳を供えてもらいます。
今年もでした。
そしてまだ食べておりません。
台風十五号が東北地区に沿って進んだのは、
小生が今年はいまだに豆ご飯を食べていないからでしょうか。
古いしきたりを軽く見てはいけないようです。
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