「水の事故に想う」→過去ブログより
「今日は少し寒くない?」
「んでも、今日しか時間ねぇっちゃ」
「俺、行きてぇ」
ということになりまして、8月1日「外人浜」へ。
占領下の時代、米兵用の避暑施設が岬の突端に建てられました。
今でもアメリカ領なのかな?
菖蒲田浜の隣というイメージ(岬を挟んで)が今はありますが、外人浜と呼ばれる以前は「表浜」と呼ばれていたことはあまり知られておりません。そして、今では侵食が激しく、砂浜は少しだけですが、「表浜」(=「外人浜」)と「菖蒲田浜」
の間に(丁度岬の下)「小豆浜」と呼ばれております小さな砂浜があります。
この浜では、昨年も水難事故が発生しております。引き潮の時間になりますと、この場所は、両脇の砂浜よりかなり早く潮が動きます。もちろん遊泳禁止区域です。
そして最も危険な場所がこちらです。
場所は花渕灯台の下です。
この灯台は、白くロマンチックに見えます。「この灯台の下に
行ってみたい」と誰しもが思います。が、泳ぐべからずです。
灯台の下はご覧の通り磯です。今は釣り人しかいませんが。
酔漢の中学時代の先輩(一回り上)が高校時代(三高)この場で遭難いたしました
遭難して5日目。行方不明だった本人がこの写真の磯の上に座っていました。
「なしておめぇ、生きてたのか」
毎日探しておりました、友人が声をかけると。
「俺の死体は、吉田浜さぁある」
と言って、再び海へ消えて行きました。
その現場です。
以前ここを訪れました際、この灯台の看板の側に「仙台三高遭難の碑」のようなものがあったと記憶しておりましたが、ありませんでした。
「海をあなどるなかれ」とあったような気がいたしております。
このお話は、仙台三高に通う兄を持つ、中学校同級生「こじま君」から聞きました
「ほらーな話」に詳細を掲載いたしております。
この灯台の道(以前より相当荒れております。車の底を相当すりました)を下りますと「鼻節神社」入り口がございます。
「延喜式大社」です。(塩竈神社より遥か昔のむかし)「猿田彦」を祭っております。多賀城を造営する際、その「道案内をした」とされる神様です。この神社、「千と千尋の神隠し」のモデルとなった?ようなロケーションです。
鳥井から先の道です。早朝は気持ちいい!マイナスイオン一杯といった感じです。
蜩の鳴き声がなんとも、夏の朝を感じます。
本殿です。なんとも、わざとらしい?赤のペンキが。今は地元のボランティアの人が維持管理しています。宮司さんが3年前まで、この社の側に住んでおりましたが、一昨年亡くなられてからは、誰もおりません。皆さん、実は、先ほど紹介いたしました道は表参道ではないのです。
表参道は、この階段です。まっすぐ海へ繫がっております。この神社。海からの道が表参道なのです。他にはない造りになっております。
神社先から小さな島(磯)が見られます。
伝説によりますと、この神社(鼻の節のような形をこの岬がしているところから「鼻節」と名前がついたとか)とこの島との間を、白い大蛇が往復するらしく、この姿を見たものは、「気が狂う」のだとか。
酔漢が小学校3年生。親戚の叔父から聞きました。魚が回遊するよい漁場なのですが、海流が複雑なのと隠れ根があちこちあることから、遭難が多発した海とも聞いております。
七ヶ浜周辺は妖しい場所が多く存在しますし、孤立した地域(過去)でもありました。意外な謎が多いところです。
ですが、酔漢のルーツをたどりますと、この地に行き着きます。
小さな山を抜けると、田んぼが点在し、その風景を凝縮しますと、以前から変わらない「日本の風景」に出会えます。
「変な道」に入るかもしれませんが、一度尋ねて見られるのもよいかな とも思います。
「今日は少し寒くない?」
「んでも、今日しか時間ねぇっちゃ」
「俺、行きてぇ」
ということになりまして、8月1日「外人浜」へ。
占領下の時代、米兵用の避暑施設が岬の突端に建てられました。
今でもアメリカ領なのかな?
菖蒲田浜の隣というイメージ(岬を挟んで)が今はありますが、外人浜と呼ばれる以前は「表浜」と呼ばれていたことはあまり知られておりません。そして、今では侵食が激しく、砂浜は少しだけですが、「表浜」(=「外人浜」)と「菖蒲田浜」
の間に(丁度岬の下)「小豆浜」と呼ばれております小さな砂浜があります。
この浜では、昨年も水難事故が発生しております。引き潮の時間になりますと、この場所は、両脇の砂浜よりかなり早く潮が動きます。もちろん遊泳禁止区域です。
そして最も危険な場所がこちらです。
場所は花渕灯台の下です。
この灯台は、白くロマンチックに見えます。「この灯台の下に
行ってみたい」と誰しもが思います。が、泳ぐべからずです。
灯台の下はご覧の通り磯です。今は釣り人しかいませんが。
酔漢の中学時代の先輩(一回り上)が高校時代(三高)この場で遭難いたしました
遭難して5日目。行方不明だった本人がこの写真の磯の上に座っていました。
「なしておめぇ、生きてたのか」
毎日探しておりました、友人が声をかけると。
「俺の死体は、吉田浜さぁある」
と言って、再び海へ消えて行きました。
その現場です。
以前ここを訪れました際、この灯台の看板の側に「仙台三高遭難の碑」のようなものがあったと記憶しておりましたが、ありませんでした。
「海をあなどるなかれ」とあったような気がいたしております。
このお話は、仙台三高に通う兄を持つ、中学校同級生「こじま君」から聞きました
「ほらーな話」に詳細を掲載いたしております。
この灯台の道(以前より相当荒れております。車の底を相当すりました)を下りますと「鼻節神社」入り口がございます。
「延喜式大社」です。(塩竈神社より遥か昔のむかし)「猿田彦」を祭っております。多賀城を造営する際、その「道案内をした」とされる神様です。この神社、「千と千尋の神隠し」のモデルとなった?ようなロケーションです。
鳥井から先の道です。早朝は気持ちいい!マイナスイオン一杯といった感じです。
蜩の鳴き声がなんとも、夏の朝を感じます。
本殿です。なんとも、わざとらしい?赤のペンキが。今は地元のボランティアの人が維持管理しています。宮司さんが3年前まで、この社の側に住んでおりましたが、一昨年亡くなられてからは、誰もおりません。皆さん、実は、先ほど紹介いたしました道は表参道ではないのです。
表参道は、この階段です。まっすぐ海へ繫がっております。この神社。海からの道が表参道なのです。他にはない造りになっております。
神社先から小さな島(磯)が見られます。
伝説によりますと、この神社(鼻の節のような形をこの岬がしているところから「鼻節」と名前がついたとか)とこの島との間を、白い大蛇が往復するらしく、この姿を見たものは、「気が狂う」のだとか。
酔漢が小学校3年生。親戚の叔父から聞きました。魚が回遊するよい漁場なのですが、海流が複雑なのと隠れ根があちこちあることから、遭難が多発した海とも聞いております。
七ヶ浜周辺は妖しい場所が多く存在しますし、孤立した地域(過去)でもありました。意外な謎が多いところです。
ですが、酔漢のルーツをたどりますと、この地に行き着きます。
小さな山を抜けると、田んぼが点在し、その風景を凝縮しますと、以前から変わらない「日本の風景」に出会えます。
「変な道」に入るかもしれませんが、一度尋ねて見られるのもよいかな とも思います。
勉強しないと・・・外人浜は良く行きましたね。
外人さんがビーチバレーしてましたよ。
小豆浜の写真があったので、TBしました。
ホラーな話凄いですね。無くなった友人が出てきたとは・・・・
まだ吉田浜で眠ってるんですかね。
それ以来、あの浜は訪れてはいません。
七ヶ浜は内陸部が宅地開発されて、昔ながらの地域との落差に、愕然とします。
七ヶ浜は貞山堀があるため、全て水に囲まれた土地になっていますよね。
それを知ったのは、結構最近だったりします。
「吉田浜さぁ、いぐわけねぇべ」
と地元の人達はそう言いました。このあたりで遭難すると、仙台港方面へ流されるそうです。
ですが、地元の警察が、半信半疑で吉田浜近くを捜索したところ、ちょうど吉田浜城跡真下の辺りに、本人の遺体があったのでした。
この話、コメントを下さいます、丹治さんは、
中学校の保健の先生から聞いていたそうです
今、七ヶ浜代が崎にあります「仙台火力発電所」の煙突が2本となっております。徐々に解体して、ガスタービン発電を主にするそうです。石炭・石油の為の発電施設から転換する為だそうです。
見慣れた煙突がなくなるのも違和感がなくはないのですが。
道すがら、また住宅が増えた感じがします。
ずいぶん前に、煙突がかさ上げされた上に、赤白縞模様になった際には、かなりがっかりした記憶があります。
けれども2本になってしまい、やがて消えてしまうのですか。
煙突は、塩竃の港の借景でしたから寂しくなります。
三小の歩き遠足(歩きとバスと交互に実施)で、代が崎に行ったのは3年生ぐらいだったかなー。
今にして思えば、往復なので、かなりの距離を歩いたことになります。
二小からでは、歩けない距離ですね。
遊覧船最初観光案内は「仙台火力発電所」でした。松島の絶景に違和感のある3本煙突でしたが、妙に、感動したものです。海側からでしかみられない発電所の裏側は、とてもメカニックな印象を与えてくれました。
三小からの徒歩はきついですよね。
代が崎までは自転車で散歩でした。
「馬放」「桂島」そして往復する船の数々。
退屈しない風景でした。
投げ釣も結構いたしました。
その時に気づいたのですが、月山や湯殿山、蔵王権現などの石碑が町のあちこちにありました(現在も)。八大龍王や琴平神社の碑があるところなんか、さすが海の町ですね。元号を見ると、文化や文政など江戸時代後期のものが多いようです。首を落されたお地蔵様は、廃仏毀釈の証人ですね。
火力発電所の煙突が二本になったこと・・・あれに気づいた時は小生もびっくりしました。あの発電所の建物自体が、周囲の景観とマッチするように設計されたものだったとか。あの三本煙突から出る煙を見て「バルチック艦隊だ!」と思ったのは、小生だけでしょうか。小生が小さかった頃(小学校に入る前だったと思うのですが)七ヶ浜の火力発電所の所から塩竈港まで、市営汽船の定期便があったように思うのですが、酔漢さん、覚えてますか。
高山外人浜の別荘地区だけど、あれの基が出来たのは戦前だったと思うよ。大正・・・明治まで遡るかもしれません。何でも九十九年の約束で租借地みたいにしたって聞いたことがあります。戦前の東北帝大で哲学を教えたオイゲン・ヘリゲル博士が高山の松林で弓を引いている写真があります(このヘリゲル博士、在仙中に阿波研造師範について稽古し、免許皆伝を受けました。その道の著書が邦訳されています)。またやはり東北帝大で哲学を教えたカール・レーヴィット博士も、夏休みにはここに滞在したことがあります。自伝の邦訳が法政大学出版会から出ておりますが、東北にも高山という地名があることを訳者は知らなかったんでしょうね(この本は原書でも持ってますが、確かにただ単にTakayamaとしかなってません)。「東北の高山か」なんて、ちょっとヌケた訳注が初版にはありました。
花節神社の祭神が猿田彦だというのは小生も母校の大先輩から聞いたことがあります。猿田彦は天孫降臨の先導役を務めた神様(塩竈神社の神輿行列の先頭に立つ天狗の面を被った人物、あれが猿田彦なんだそうですね)。名取の笠島神社の祭神も猿田彦だとか。多賀城の海の玄関口と陸(「おか」と読んで下さい)の玄関口の神社の祭神が共に猿田彦だというのは、意味のあることだと思います(明らかに旅人の守護を祈ってのことでしょう)。
どちらも延喜式内社。祀っているのが天つ神だから当然でしょう。だけど奥州一ノ宮の塩竈神社は祭神が国つ神。一ノ宮に社格がないというのは、何とも不思議なことですね。
花節灯台の岬の突端には何度も行ったことがあります(最近御無沙汰ですが)。あそこは波消しブロックも防波堤もなくて、外洋から昇る朝日を撮るには絶好のポイントなのです。あの慰霊碑がなくなったのですか。初めて見つけた時はギクリとしましたよ。中学校の頃に聞いた話を思い出しました。「ああ、あの事故の慰霊碑か」って。それ以来、あそこに行くたびに慰霊碑の前で合掌してお経をあげてました。
あの岬や神社の辺りは、確かに何かあります。表坂の階段を下り切ったとこって、海側が崖になってますよね。一度あそこの歓談を下りて海側に転びそうになったことがあります。体制を立て直そうとして反対側に体を無理に傾けて、足首を挫きました。研究室の後輩を案内してあの坂を登った時、後輩が芦を踏み外して転んだこともあります(幸い怪我はありませんでしたが)。
あの神社の宮司さんが亡くなったことは、酔漢さんから聞きました。地元の皆さんがボランティアで管理しているのは、何よりのことですね。
数日前に河北の夕刊に花節神社の記事が写真入で載りました。当たり障りのない紹介記事でしたが、社殿前の狛犬のうち向って手前左側のものが傾いているのが気になります。表坂の階段ですが、真ん中辺りの石がはみ出して崩れそうになっていることも・・・
やはりあの近くは何かあるのでしょうか。
七ヶ浜がまだ「村」だった頃、酔漢から見て、じいさんのじいさんは「村長」でした。
数年前亡くなられた村長は父の親友。
いろんな話しを聞かされました。
花渕城や吉田城跡の落ち武者の幽霊や、鼻節神社の白蛇伝説などなど・・・。
もともと、あやしいシャーマニズムの存在する地域ですので(この部分は宮城県史の謎です。現厚生労働省担当官→酔漢の友人が、2年間に渡り調査をいたしました)こう言った話は多数存在するのでした。
酔漢の姓がもともと神主が多い事実がありますが、鼻節神社とつながりがあるのかも知れません(父は否定しておりますが・・・)
でも、妖怪が住んでいそうな土地っぽいですよね。花渕にございます「同姓寺」の住職は笑って話しますが・・
七ヶ浜にはそんな色々な伝説といいますか、言い伝えといいますか、あるんですね。びっくりしました。
友人が七ヶ浜に住んでいる為、何個か不思議な話は聞いた事があります。
七ヶ浜なのに七つも浜が無い?だか、七つ以上あるだか。そんな感じの事聞いた事あります。
あと、アクアリーナの上の方にある公園みたいな所に幽霊が出るとか。。。(自殺者がいた!?)
わたし、そういうオカルト関連に興味がありまして、このブログにたどり着いたようです。
ただ、肝試しとかそういうのはやらないのですが、いったい何なのか?真実を知りたくなるのです。
サーフィンをしに、菖蒲田浜に結構行くので馴染み深い土地でこのようなオカルト的な事があったなんて驚きでした。
ほらーな話も拝見させていただきました。
非常に興味深いです。
七ヶ浜の菖蒲田海水浴場で今年はお化け屋敷が出来るとの事でした。
さて小豆浜隅に「ここで泳ぐな」の碑があります。これが当ブログで語りました「仙台三高PTA」が建てた碑なのです。気づかない内に、灯台したから移設されておりました。
「かんなぎ」というアニメでは、「鼻節神社」がそのモデルとして書かれております。
白蛇伝説、独特なシャーマニズムのある地域です。なんとも不思議な土地です。
自身のルーツながら改めて感じます。
またあそびにきてけらいん!