この番組のフルはDVDに録画しました。
「空から日本を見てみよう」というテレビ東京の番組です。
震災前の宮城県の上空を縦断しております。
これは、丁度塩竈市を撮影した映像です。
角度的に「ある友人君御実家」「うの君のクリニック」が写っているはずです。
ブロ友、「見張り員」さんの記事です。
一部ご紹介いたします。
そしてもう一つ、この歌を聞くと、中学初めての遠足を思い出します。遠足は九十九里浜での『地引網』。
いかにも千葉県の中学らしいチョイスです。
しかもこの日は朝から雨でした。それでも、「海でぬれるんだから雨にぬれても変わらんじゃないですか!」とまるで少年時代の坂本竜馬のような理屈で強行したのでした。
その遠足に行くとき、バスに乗る前の点呼の時男子生徒が歌っていたのがこの歌。
「ああ、宮城県」(吉川団十郎)
(ご本人の記事と違った映像を掲載いたしました。この映像は僕らの世代だと思いまして・・・)
歌い手さんの『吉川団十郎』という名前も良かったですねえ~。宮城県は全く行ったことがなかったので「どんなところだろう、宮城県」と考えていたことでした。
でもこの歌なぜかなかなかFMでかからずイジイジしていましたね。クラスの男子生徒がこの歌の楽譜(雑誌に載っていたらしい)を持っていてしきりに自慢するのが嫌でした。
でも。
あれから約40年弱ほどたって、この歌を聞くときまさかあのような大震災が「宮城県」を襲うとは夢にも思わなかったですね。
そういえば中3の時修学旅行は福島県でした。
同じようにあの美しい福島県が地震と津波はもとより、原発事故でもあんな目に遭うとは・・・。
楽しい思いをさせてくれた福島県、そして想像をかき立ててくれた宮城県には本当に一日も早い復興を願いますし、被災県の産品はドンドン買いますよ!!
見張り員さんの中学校では、FMにリクエストを出すも、全然掛けてもらえず、楽譜の取り合いになってしまったとか。
「宮城だったらなぁ」月曜朝の挨拶は「おめぇ昨日のジャンリク聞いたか?」でしたから。
さて、「空から宮城」は以前も「くだまき」にいたしましたが、映像を添付するのは初めてです。
番組の終わりの方には、南三陸町、牡鹿半島など震災前の町々の様子が写されていて、それはそれで、貴重な記録だったのかと。
仙台で放映されていないのが、はなはだ残念です。
ブロ友の記事を拝読し、こんな事を思い出しました。
『空から日本を見てみよう』よく見てましたがいい番組でしたね。
こうして改めてみると宮城県って海に山に美しい所なのだと思います。
その美しさがあの震災で大いに損なわれたことはまさに一大痛恨事でした。
一刻も早く宮城県をはじめとする被害を受けた各県が健やかに復興される日を待っています。それには国の支援が欠かせないのですが・・・やる気あるのか?という気がします。
それにしても失ったものの大きさは、どうして後にならなきゃ分からないのかなあという部分があります。そういうものなのでしょうか、人とは・・・。
あの「ああ宮城県」リクエストするもかけてもらえなかったです。楽譜を見せびらかしていたあの男子生徒--Y君--のあのときの顔は今も忘れませんw。
千葉の中学生が当時の仙台へ来たら・・・。
青葉通りで大合唱?できたよなぁ。
団十郎さんがDJしてました「ジャンボリクエストAMO」ですが、月曜午前零時のオンエア。
最初BGMの前、団十郎さんの「おぎろぉぉぉ」って声で目が覚めてラジオを聴くわけでした。
テスト期間?
おかまいなしに聞いておりました。
先週末、中学の同窓会があり、同級生や後輩と会ってきました。そんなノスタルジックな気分の時に「団十郎」「AMO」ネタって、タイミング良すぎです!
それを見て、改めて、甚大な被害だった、と思いました。その中に昭和初期、酔漢様が塩竈にいたであろう昭和50年代の塩竈市の写真もあり、懐かしくも感じました。
この写真集を見て、このたびの津波浸水した地域は昔は海だったことが明らかになっています。
海は以前の地形を覚えていたのだろうか?などと考えてしまいました。
ここにコメント下さいます「うの」君は同期生。
彼の熱唱。見事でした。
記事掲載に感謝いたします。
実はI沢先生より暑中見舞いを頂戴し、是非いらしてください(というよりかは・・こい!)だったのですが、時間なく、叶いませんでした。
空から日本は、そうですか放映されていたのですね。
テレビ東京の番組でしたからオンエアされないかと思っておりました。
この場ですが。
母が大変お世話になっております。
写真集気になります。
今度、見てみようと思います。
そうなんです。古地図を検証しました。
くだまきにもしましたが、江尻、そして「波分け」など意味のある地名、そして、殆ど海だった市内がわかりました。
おっしゃる通りですね。
海は覚えていたんですね・・。