酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

みやぎのさんま

2011-10-09 09:33:46 | ああ宮城県な話
お芝居の話を語ろうといたしますと、何やら他に「語らなければならないこと」がそぞろに出てまいります。
昨日のニュースは、にわかに「なしてだべ?」と思わざるを得ない内容のものでした。
少しばかり語りたいと思いました。

小松崎実家。塩竈二小の側にあります。二小の側は、案外広いものですが、タクシーで説明する際には「昔の無線局の方さぁ行ってけさいん」で大概解ってくれます。
長い、急な坂道を登って行きますと、坂道をちょうど登り切った左側に広い空地が見えてまいります。
「この土地は国の委託を受けて○○が管理しています」との看板。
「水研もねぐなって、こげな広い土地だったのかや」と思いながらしばらく眺めておりました。
その昔は「東北水産研究所の住宅があったところでした」
「秋山君はなんじょしてんだべ?」
もう四十年近く前に一緒に遊んだ確か酔漢より4つ位年下だったと記憶しております。

秋口になりますと、塩竈から発信する全国的な情報がありました。
「この秋のサンマ予報」
今年のさんまの漁の行方を、東北水産研究所から発表するのでした。
その研究員が「秋山さん」
サンマのプロでございました。
先にお話ししました「秋山君」のお父さんでいらっしゃいました。
NHKのニュース。
秋山研究員のサンマ予報です。(ではなくて、本当は水産研究所発表としてのニュース。それを担当しておりましたのが秋山さんです)
「今年のサンマは豊漁が期待できます」
内容は、サンマが南下する時期であるとか、少し漁場が移動するとか、サンマの群れに関する情報だったわけです。
でも、この情報は、漁にでる船に取りましては、大変重要な情報だったのだと。これは父から聞きました。

小学校3年生時、学研「学習」付録に日本一の解説がついておりました。主に、農産物他「どの県が一番か」というものでしたが、塩竈が載っておりまして。
「サンマ水揚げ日本一」こうありました。
なるほど、朝ご飯に「サンマの煮たやつ」を食べて、給食に「サンマの団子汁」が出て、晩御飯には「サンマの塩焼き」が出て。
「もうやんでくなったっちゃ」でした。
塩竈は、あの当時、鉄道輸送が主の物流にあって、水揚げ後、すぐ鉄路で首都圏へ魚を輸送できる。こうした環境にありました。
これは、東北にあって、有用な漁場に近いばかりではなく、輸送にも大きなアドバンテージを他港より持っておりました。
近年は、トラック輸送に変わり、また道路事情や、冷蔵技術など発達し、より漁場に近い塩竈よりは、北の港が発展いたしました。
「サンマ船が水揚げの順番待ちをしていた」こんな風景は今の塩竈では想像することが出来ません。

過去のくだまきを、もう一度、ここで語ります。2007年5月4日の「くだまき」→「さんまの味」よりです。

秋刀魚の味といえば、小津大監督の映画の題名ではございますが、(映画の話はまた後程たんまりと書き込みます)当時の塩竃を思えば、この題名もはてさて、よろしいのかなと思います。
 当時塩竃は秋刀魚の水揚げ日本一の港でございました。国立水産研究所が塩竃市にありまして、その社宅は酔漢の実家(塩竃市小松崎)のすぐそばにありました。秋刀魚漁の解禁が近づくと、秋山さん(水産研究所研究員)秋刀魚漁漁獲高予測が新聞に必ず掲載されておりました。
 そんな港町ですから、秋刀魚はよく食べました。今では、秋刀魚を刺身で食べることは当たり前のようになりましたが、当時の流通事情を考えれば、地元ならではの味だったと思います。塩竃市は、鮨屋(宮城寿司街道でもおなじみですが)では秋刀魚の握りはよく出されていたものです。(ちなみに、酔漢の実家より一番近い鮨屋はすし哲ですが、白幡さんにはおせわになりました  これもまた後程)焼いて旨い、生(尻尾を持って秋刀魚が立っていて、すこしナヨッテしたあたりが一番旨い状態)でもいいし、秋刀魚は初秋の味としては本当においしい魚です。
 酔漢の父親は水産関係、塩竃の市場で働いておりましたから、この時期は秋刀魚が食卓に続きます。水揚げされたばかりのさんまをその漁船の人達が家まで獲れたての秋刀魚を届けてくれるので、(当時ハッポウスチロールの箱なぞありませんでしたので、ばんじょうと呼ばれる、竹の大きな籠に入れてありました)実家の厨房側の裏口には氷と一緒の秋刀魚の箱が3つも4つも重ねてありました。
「また秋刀魚かやいいかげん他のもの喰いてぇ」の日々です。
塩竃はそうでなくても、この時期「秋刀魚は猫も食べない」といわれるほどの水揚げだったのです。前振りが長くなりましたが。
 新浜町には空き地が多くありましたので、よく野球をやりました。そして、新浜町は塩竃の市場にも近い場所です。放課後自転車でお目当ての空き地につき、野球をさんざんした後、当然おなかがすくわけです。
「さんま拾いにいぐか?」
「んだ拾いさぁいぐべ」
「んでひろしトタン拾ってこ」(結構落ちていました)
小学生が焚き火をするなどもってのほかですが、当時咎められる事はありませんでした。
「んで醤油もってくっから」しょうじ君が家まで戻りました。
で、かんじんの秋刀魚です。
本当は朝早い時間がいいのですが、秋刀魚漁の最盛期には、水揚げする船が多すぎて、順番待ちになります。今では閑散とした塩竃港ですが、あの長い岸壁が、さんま船で満員状態だったのです。ですから、ゆうがた近くに水揚げをする船も多くありました。当時、保冷車などなく、とれたての秋刀魚は、氷と一緒の積んだばんじょうに入れて、幌をかぶせたトラックに積んでおりましたから、国道45号線、北浜あたりは、秋刀魚がよく落ちておりました。もちろん尻尾を持つとピンっと立つような新鮮なやつです。(猫はそのさんまを跨いで歩いていた?)
 僕らはそれを拾うわけです。
焚き火はよく燃えてます。(ちなみにこの経験が少年自然の家でボレンティアをしていた時、野外炊飯の実習時に役立ちました)トタンが程よく熱くなった時に、秋刀魚を並べます。
「今日何本あんのっしゃ?」
「人数分ねがったけんど、4本すか」
「んで6人だから、丁度いいか」
はしはその辺で拾ったこれまた木の枝とか使うわけです
「醤油持ってきたべ」タイミングよくしょうじ君が自転車をはしらせて戻ってきました。
野外秋刀魚パーティーが始まりました。
考えれば、小学生が空き地で焚き火で秋刀魚を焼いて食べているいるわけですから今では信じられない光景です。(たくましいんやら、貧しいんやら、田舎なんだか、自分の息子達には出来ないだろうなぁ)
「今日の秋刀魚旨かったなや」
「やっぱり秋刀魚うめぇっちゃ」
当然、証拠を残さないように、しっかり後片付けはいたします。

家に着くと、さんまを焼いている臭いがします。
「やっぱり秋刀魚かや」と酔漢はおもうのですが、友達と食べた秋刀魚の味は忘れられません。
(上記、過去くだまきより抜粋)

昨日のニュースは・・・「こんな事もあるんだ」とはおもいました。ですが、どう自分でコメントしてよいやら今だ分からない酔漢です。(実際は少し腹が立ってます)
紹介いたします。

サンマ漁、原発百キロ圏内の操業自粛→禁止
読売新聞10月7日(金)22時37分
 全国さんま棒受網漁業協同組合(全さんま、東京)は7日、都内で開いた理事会で、サンマ漁の操業自粛区域としていた東京電力福島第一原子力発電所から半径100キロの海域を、操業禁止区域とすることを決めた。

 対象海域を操業禁止にすることについて、全さんまでは「自粛より(禁止という形で)はっきり示した方が安全・安心につながるため」としている。措置は今年度いっぱいで、違反した組合員は処分対象になるという。全さんまは今月中旬以降、対象海域周辺で放射性物質の事前検査を行い、安全性を確認する。

 また、北海道東部と東北地方の各市場の処理能力が水揚げに追いついていないことから、今月9日から当面の間、水揚げ回数を制限する。大型船(100トン以上)が2週間に5回、小・中型船(10〜100トン未満)は同7回までとする。

半径、100km圏内。当然、塩竈・石巻は含まれます。
丁度、牡鹿半島の付け根付近まで伸びております。
これからが、宮城のさんまの本当の時期。
さんまが、金華山沖まで南下してくる時期です。
昔は北海道でサンマを捕っても、首都圏まで運ぶすべがなかったのですが、今は、先にもお話しましたが、物流が発達しましたので、北海道サンマが全国シェアトップです。
しかしながら、秋の落ちサンマ(このいい方はないのですが)は、あぶらのりのりで、これは本当においしい。
宮城のさんまは、この近海で捕れた、上記のようなサンマを指します。
ですが、この記事です。
何を持って「禁漁」にするのでしょうか。
「サンマは回遊魚であるから」という、記事にはないコメントも聞きました。
鰈は採餌回遊の魚ですから土着性の魚です。相馬の鰈は絶品。ここからの放射線量は国の基準を大幅に下回る想定値となっております。
マグロしかりカツオも回遊魚。
この理由は全く当てはまらない。理由には成り得ない。
また、「風評により全てのサンマの消費量が落ちる」とも。
これは、言いがかりであろう。
科学的根拠が示せないでいる以上、上記「禁漁」の発表は早急にすぎるのではないか。
政府指導ではなく「全さんま」の発表であるから、余計に納得がいかない。
こう考えるのは酔漢だけでしょうか。
「全さんま」が塩竈主導であった時期は、はるか昔とは言え、合点がいかないのでした。
なんらか、国の発表があってよいはず。そのアクションもございません。
「禁漁は分かった。としよう。だが、科学的根拠を早急に示せ!」

「なんだや!また『さんま』すか!カレーライスが食いてえっちゃ」
流石に、毎日さんまが続きますと、こういう台詞が出てまいります。
家の冷蔵庫には「さんま」がいっぱい入ってます。
しばらくは「さんま」が続く食卓。
あの頃は「やんでくなったっちゃ」ですが、今では懐かしい秋の味覚なのでした。
「さんまは宮城に限る!」
今年はそれもなくなる。
この寂しさたるや。

夕空の土星に秋刀魚焼く匂ひ 茅舎

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4 コメント

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今でも我が家では (ひー)
2011-10-10 14:49:27
朝ご飯に「サンマの煮たやつ」を食べて、給食に「サンマの団子汁」が出て、晩御飯には「サンマの塩焼き」が出て。>

の感じですね。今は分散して生活していますから大量に購入することはありませんが、秋刀魚のヌタもよくでますね。
よく行くスーパーでも箱売りしています。
生秋刀食いたくなりました。
返信する
ひー様へ (酔漢です)
2011-10-11 09:32:03
さんまぬたは、くだまきにしました。
大根おろしに絡めた「すいかん風」でしたか、ひーさんから「味噌ぬた」は知って作るけど大根は知らなかった。とコメントを頂戴しました。あれから「みそぬた」を作ってみました。
気仙沼の郷土料理の紹介にありました。
なるほど旨かったです。
あの節はありがとうございました。
親父は鯊でみそぬたを作ってくれた。そんな記憶があります。
返信する
秋刀魚は塩竈に限る! (丹治)
2011-11-16 11:11:48
これじゃ、落語の将軍様ですね。
もともと左利きだったので、小さい頃は箸の扱いが苦手でした。
母親がほぐしてくれたことは、今でも覚えています。

さて、肝腎の秋刀魚ですが、塩焼きが一番好きです。
あと、佃煮や味醂干しもいいですね。
酢味噌あえも悪くありません。

刺身で食べる習慣は、そもそもなかったような気がします。
昭和の終りごろからというのが、小生の記憶です。
魚にかかわる仕事のおくちではいかがでしたか、酔漢さん。

青物は傷みが早いですから、よほど活きがよくなければないですね。
それが東京の居酒屋あたりでも口にできるようになったんですから・・・
世の中、変りましたなぁ・・・

ところでその秋刀魚の刺身ですが、
薬味はネギと根ショウガのみじん切りです。
それを「これでもかぁ!」というぐらい作って、
刺身を食べ終わったらその薬味だけ食べるのが堪りません。

返信する
丹治様へ (酔漢です)
2011-11-25 08:01:31
コメント遅れましたこと、お詫び申し上げます。酔漢流「さんまぬた」は以前くだまきにいたしました。大根おろしと三倍酢。
これを一度ご賞味下さい。
私が作りましょう。
是非。
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