Unknown (ドラえもん)
2011-07-26 16:56:10
文中の古川忠の孫です。インターネットで祖父の足跡を調査していたところ酔漢さんのホームページを見つけました。私が中学1年の時に亡くなった祖父の名前を実際に見ると凄く懐かしく、メールさせて頂きました。
あるコメントが届きました。
上記、「ドラえもん」様からのものでございます。
酔漢が「くだまき」におきまして「大和建造」を語っておりました。「大和を生みし者達」という題でございます。
その中に「古川 忠」さんを一度だけ登場させておりました。
「祖父・海軍そして大和 大和を生みし者達 九」
酔漢、この「古川 忠」さんの事を詳しく存じておりませんでした。
調べてみよう。こう思った次第でございました。
丹治さんへ連絡。
その返答です。
「俺も聞いたことのある名前だと思って、記憶をたどったんだ。もしかしたらと思って『阿川弘之』著『軍艦長門の生涯』を読み返してみたら、『古川 忠』という技術者の名前があった」
「本当ですか?よく思い出していただきました」
「ああ、でもよく考えてみると、大和建造に関わって、長門建造にも関わっている。しかも、呉工廠一筋の叩き上げの技術者だ。相当優秀に違いないな」
大和が建造される前、国産の軍艦建造は大正時代の「長門」まで遡ります。
この2艦の建造に携わった呉の技術者は少なくはない。これは推察できるところですが、この建造のしかも主幹的立場でおられる「古川 忠」さんは「軍艦建造のプロ中のプロ」と言える。そう考えました。
大和開発へは、多くの方々の証言が残されております。
しかし、「古川 忠」さんのお名前を拝見することは少ないのが事実です。
ご本人の証言もあるのでしょうか。
今、検証いたしております。
「大和建造にかかすことのできなかった人物の一人」であった「古川」さんを、今一度、語ろうかと。そう思いました。
大和に関わる、第3世代からの1通のコメント。
「くだまき」を通して繋がったものを大事にしたいと思いました。
少しばかりお時間をいただくこととなりますが、今しばらくお待ちくだされ。
今回、予告編でございました。
2011-07-26 16:56:10
文中の古川忠の孫です。インターネットで祖父の足跡を調査していたところ酔漢さんのホームページを見つけました。私が中学1年の時に亡くなった祖父の名前を実際に見ると凄く懐かしく、メールさせて頂きました。
あるコメントが届きました。
上記、「ドラえもん」様からのものでございます。
酔漢が「くだまき」におきまして「大和建造」を語っておりました。「大和を生みし者達」という題でございます。
その中に「古川 忠」さんを一度だけ登場させておりました。
「祖父・海軍そして大和 大和を生みし者達 九」
酔漢、この「古川 忠」さんの事を詳しく存じておりませんでした。
調べてみよう。こう思った次第でございました。
丹治さんへ連絡。
その返答です。
「俺も聞いたことのある名前だと思って、記憶をたどったんだ。もしかしたらと思って『阿川弘之』著『軍艦長門の生涯』を読み返してみたら、『古川 忠』という技術者の名前があった」
「本当ですか?よく思い出していただきました」
「ああ、でもよく考えてみると、大和建造に関わって、長門建造にも関わっている。しかも、呉工廠一筋の叩き上げの技術者だ。相当優秀に違いないな」
大和が建造される前、国産の軍艦建造は大正時代の「長門」まで遡ります。
この2艦の建造に携わった呉の技術者は少なくはない。これは推察できるところですが、この建造のしかも主幹的立場でおられる「古川 忠」さんは「軍艦建造のプロ中のプロ」と言える。そう考えました。
大和開発へは、多くの方々の証言が残されております。
しかし、「古川 忠」さんのお名前を拝見することは少ないのが事実です。
ご本人の証言もあるのでしょうか。
今、検証いたしております。
「大和建造にかかすことのできなかった人物の一人」であった「古川」さんを、今一度、語ろうかと。そう思いました。
大和に関わる、第3世代からの1通のコメント。
「くだまき」を通して繋がったものを大事にしたいと思いました。
少しばかりお時間をいただくこととなりますが、今しばらくお待ちくだされ。
今回、予告編でございました。
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