利府、おばら監督のエピソードをもう一つ。これは、おばら君、そして酔漢の共通する恩師からの手紙の内容です。ご紹介いたします。
卒業間近、おばら君は
「高校野球の指導者になりたい。生徒が一回戦突破を目標としていたら、それを目標に、準決勝突破を目標としたらそれを叶える指導・・そうしていきたい」と。
ある、同級生が、こう質問いたしました。
「じゃぁ、『甲子園で優勝したい』と言われたら、お前はどうするんだ」
彼、しばらく、黙っておりました。
酔漢、当時、この教室にはおりませんでしたので、おばら君が、その後どのような返答をいたしましたか、知りません。
ですが、彼の真面目な一面を垣間見るような気がいたします。
「一回戦突破」正直、これが目標で甲子園だったのかと、推察いたします。
初戦、見事な打撃で大差の勝利。
二回戦、投手力を全面に押し出した、辛抱した結果の勝利。
準々決勝 名門「早稲田実業」に臆することなく、見事な集中打での勝利。
そして、準決勝の東北決戦。
好投手菊池を要する「花巻東」との戦いは、東北県同志(選抜で)という、史上初の出来事として、球史に残る名勝負でした。
途中の「事件」もありましたが、潔い、そして迅速な学校の対応と、おばら監督の生徒を指導していっている過程が間違っていない事に安心も致しました。
「春は投手力」と言われております。
ですから、春の選抜で勝ち抜く高校には、絶対的エースの存在が不可欠だと思っておりました。東北のチームには、そう言った投手がいる時に優勝できる機会があるのだと・・・・。
酔漢が甲子園を意識いたしましたのは、「三沢 太田投手」が最初です。
その後、72年「東北高校 佐藤投手」サウスポーからのコントーロールで、選抜準決勝進出。「日大 仲根投手」(ジャンボ仲根⇒近鉄)との投げ合いの末、敗れております。「磐高 田村投手」が決勝進出。
ベスト4まで届かなかったものの、「秋田 高山」「学法石川 遠藤」「秋田法経(当時)小野」「東北 佐々木(現育英監督)薄木・中条・佐々木・嶋・ダルビシュ」「仙台育英 大久保・大越・金村・佐藤由規」遠くは「気仙沼 島田」
好投手が出てくるたび、その期待は大きくなるのでした。
「花巻東 菊池」は久しぶりの大型左腕。昨日の試合、「やはり」と思わざるを得ませんでした。初球がスライダー。それも少し高め。スーっと間がよく、鋭さがありません。結果、サイレンの鳴りやまないうちにヒット。
この試合、これが、全てに見えました。肩がやや下がり、ステップも初戦より狭い。あきらかに、肩、肘に疲れが残っている投手の典型です。
ですが、最小得点で抑えたことは、賞賛に値します。力投は忘れません。
でもですよ、小学校、中学校、大学、社会人、日産グリーンカップまで全国制覇を成し遂げているにも関わらず、どうして甲子園では優勝できないでいるのか、不思議です。2003年、仙台育英が決勝まで駒を進めてから、7年。今回も「また!」の結果でした。
「一回戦、岩手」抽選会でこの発表がありますと、対戦高から「ラッキー」の声が上がったとの話。この試合で、この声が「落胆の声」に変わる事となるでしょう。
酔漢も溜飲が下がりました。
利府高の話に戻しましょう。
宮城公立高校の準決勝進出は、「仙台二中」まで、歴史は遡るのではなかったかと記憶いたしております。
注目されている全国区投手を要することはなく、この成績。決勝進出も手の届くところまでありました。ですから、特に、ベスト8の高校を見渡しますと、必ず、プロが注目する投手がチーム内にいるわけでした。利府高は全国区的な、投手がいるわけでもございませんでしたので、チーム力が生命線のチームでありました。(塚本君が注目されなかっただけなのですが、彼の制球力はトップレベルの実力でした)何せ、一番捕手という、打線が象徴しております通り、選手の個性を型にはめることなく起用した、小原監督の意図が選手全員に徹底されていた表れではないのでしょうか。遠藤君はその期待に応えておりました。
さて、おばら君、そして利府高野球部の諸君。全国区へ一躍名乗った事を今一度、見つめなおして下さい。全ての高校からの目標になったわけです。
過去にフロッグ的に甲子園出場を果たした高校はありました。(そのチームの課程においては、決してフロッグだけで、勝ち進めるほど、甘い世界はないのですが)
連覇してこそ、チームの真価が問われる、非常に難易度の高い試験を通過しなくてはならなくなりました。
「酔漢がくだをまく」ほどの事はなく、おばら君は重々その事を受け止めているはずです。
夏、チームをどのように進化させているのか、非常に楽しみになって来ました。
そして、もう一つ。
「おばらやぁ、おめぇそろそろ『甲子園で優勝する』って言ったらいいっちゃなや。遠慮なんかしねぐていいんだべ」です。
準決勝「利府・花巻東」幕張におります酔漢妹夫婦です。旦那が「花巻」妹は「塩竈」うーーん。どう言った会話をしたのか。後で聞いてみます。
クロンシュタット氏は「早稲田ご出身」従兄弟も「早稲田」でした。彼の息子が「利府高」でした。日頃「紺碧の空」大好きな彼は、やはりどちらを応援しておりましたでしょうか・・・。
「夏の予選」が非常に楽しみです。
雲は湧き
光溢れて
天高く
純白の球
今日ぞ飛ぶ
(本文内容におきまして、敬称は省略させていただきました。ご了承お願い申し上げます。)
卒業間近、おばら君は
「高校野球の指導者になりたい。生徒が一回戦突破を目標としていたら、それを目標に、準決勝突破を目標としたらそれを叶える指導・・そうしていきたい」と。
ある、同級生が、こう質問いたしました。
「じゃぁ、『甲子園で優勝したい』と言われたら、お前はどうするんだ」
彼、しばらく、黙っておりました。
酔漢、当時、この教室にはおりませんでしたので、おばら君が、その後どのような返答をいたしましたか、知りません。
ですが、彼の真面目な一面を垣間見るような気がいたします。
「一回戦突破」正直、これが目標で甲子園だったのかと、推察いたします。
初戦、見事な打撃で大差の勝利。
二回戦、投手力を全面に押し出した、辛抱した結果の勝利。
準々決勝 名門「早稲田実業」に臆することなく、見事な集中打での勝利。
そして、準決勝の東北決戦。
好投手菊池を要する「花巻東」との戦いは、東北県同志(選抜で)という、史上初の出来事として、球史に残る名勝負でした。
途中の「事件」もありましたが、潔い、そして迅速な学校の対応と、おばら監督の生徒を指導していっている過程が間違っていない事に安心も致しました。
「春は投手力」と言われております。
ですから、春の選抜で勝ち抜く高校には、絶対的エースの存在が不可欠だと思っておりました。東北のチームには、そう言った投手がいる時に優勝できる機会があるのだと・・・・。
酔漢が甲子園を意識いたしましたのは、「三沢 太田投手」が最初です。
その後、72年「東北高校 佐藤投手」サウスポーからのコントーロールで、選抜準決勝進出。「日大 仲根投手」(ジャンボ仲根⇒近鉄)との投げ合いの末、敗れております。「磐高 田村投手」が決勝進出。
ベスト4まで届かなかったものの、「秋田 高山」「学法石川 遠藤」「秋田法経(当時)小野」「東北 佐々木(現育英監督)薄木・中条・佐々木・嶋・ダルビシュ」「仙台育英 大久保・大越・金村・佐藤由規」遠くは「気仙沼 島田」
好投手が出てくるたび、その期待は大きくなるのでした。
「花巻東 菊池」は久しぶりの大型左腕。昨日の試合、「やはり」と思わざるを得ませんでした。初球がスライダー。それも少し高め。スーっと間がよく、鋭さがありません。結果、サイレンの鳴りやまないうちにヒット。
この試合、これが、全てに見えました。肩がやや下がり、ステップも初戦より狭い。あきらかに、肩、肘に疲れが残っている投手の典型です。
ですが、最小得点で抑えたことは、賞賛に値します。力投は忘れません。
でもですよ、小学校、中学校、大学、社会人、日産グリーンカップまで全国制覇を成し遂げているにも関わらず、どうして甲子園では優勝できないでいるのか、不思議です。2003年、仙台育英が決勝まで駒を進めてから、7年。今回も「また!」の結果でした。
「一回戦、岩手」抽選会でこの発表がありますと、対戦高から「ラッキー」の声が上がったとの話。この試合で、この声が「落胆の声」に変わる事となるでしょう。
酔漢も溜飲が下がりました。
利府高の話に戻しましょう。
宮城公立高校の準決勝進出は、「仙台二中」まで、歴史は遡るのではなかったかと記憶いたしております。
注目されている全国区投手を要することはなく、この成績。決勝進出も手の届くところまでありました。ですから、特に、ベスト8の高校を見渡しますと、必ず、プロが注目する投手がチーム内にいるわけでした。利府高は全国区的な、投手がいるわけでもございませんでしたので、チーム力が生命線のチームでありました。(塚本君が注目されなかっただけなのですが、彼の制球力はトップレベルの実力でした)何せ、一番捕手という、打線が象徴しております通り、選手の個性を型にはめることなく起用した、小原監督の意図が選手全員に徹底されていた表れではないのでしょうか。遠藤君はその期待に応えておりました。
さて、おばら君、そして利府高野球部の諸君。全国区へ一躍名乗った事を今一度、見つめなおして下さい。全ての高校からの目標になったわけです。
過去にフロッグ的に甲子園出場を果たした高校はありました。(そのチームの課程においては、決してフロッグだけで、勝ち進めるほど、甘い世界はないのですが)
連覇してこそ、チームの真価が問われる、非常に難易度の高い試験を通過しなくてはならなくなりました。
「酔漢がくだをまく」ほどの事はなく、おばら君は重々その事を受け止めているはずです。
夏、チームをどのように進化させているのか、非常に楽しみになって来ました。
そして、もう一つ。
「おばらやぁ、おめぇそろそろ『甲子園で優勝する』って言ったらいいっちゃなや。遠慮なんかしねぐていいんだべ」です。
準決勝「利府・花巻東」幕張におります酔漢妹夫婦です。旦那が「花巻」妹は「塩竈」うーーん。どう言った会話をしたのか。後で聞いてみます。
クロンシュタット氏は「早稲田ご出身」従兄弟も「早稲田」でした。彼の息子が「利府高」でした。日頃「紺碧の空」大好きな彼は、やはりどちらを応援しておりましたでしょうか・・・。
「夏の予選」が非常に楽しみです。
雲は湧き
光溢れて
天高く
純白の球
今日ぞ飛ぶ
(本文内容におきまして、敬称は省略させていただきました。ご了承お願い申し上げます。)
この胸のうちをなんと表現していいのか言葉が見つかりません。勿論、宮城県代表が優勝してくれる事が一番の願いではありますが、それでも東北代表として花巻東を心から応援していました。
「またか、まだダメなのか」恐らく、何人もの方が呟かれたと思います。ここまで良い選手たちが育ってなお、優勝旗は白河の関を越えては来ませんでした。
ですが、今回長崎も初めて優勝旗がもたらされた訳ですし、近いうちにきっと東北にも(願わくば宮城に)優勝旗がもたらされる事を願ってやみません。
いや~、あのダルビッシュ君をもってしても優勝出来なかったあの夏の無念は、生涯忘れられないと思います(苦笑)でも、花巻東の菊池君と利府の選手皆さんが「また夏に帰って来ます」と言ってくれたので、すっと胸が明るくなりました。高校野球大好きです!
レベルも更に上の大会になることでしょう。
私立2強が「打倒利府」になるのですから。
春の大会がもうすぐ始まりますが、夏のシードがこの大会で決まります。
ここから、注目です。
「石巻商業」ここも強くならないかと期待しているのです。
毎回、考えてました。しかし、勤務のさなか、テレビを見ることも出来ず、いつも結果ばかり聞かせられ……おぅ勝ったかぁ!
21世紀枠、負けても誰も文句は言わないでしょう。
それが良かったのかもしれませんね?
変なプレッシャーも無く、憧れの甲子園で伸び伸びとプレーを楽しんだのかも知れません。
しかし、まぐれでも奇跡でもありません。
準決勝に進んだのは事実であり実力なのです。
夏を超えてこそ、その価値と実力が認められます。
先日利府高の前を通りました。
応援の垂れ幕が誇らしげになびいていました。
頑張れ利府高!
「誰の球すげぇのっしゃ?」と酔漢。
「なんこう(東北)の中条と仙商の水沼だっちゃ」
以前、語りました、小学校同級生の水沼君です。
彼、今「石巻商業野球部監督」です。
彼もひそかに「打倒利府」に燃えているものと信じます。
おばら君とみずぬま君。この夏の戦いぶりに注目したいと思っています。
二人の野球少年と出会えた酔漢でございました。
いや、「手に汗」ではなく「泣き笑い顔」かな。
故郷の隣町の高校の快進撃。その過程における早実戦。
宮城の人間にとっては「あの早実」。私にとっては「うちらの早実」。
東北の高校<宮城の高校<宮城の公立高校<早実<二高。
これが私にとっての高校野球思い入れヒエラルキーです。
万万万が一、二高VS早実が実現したならば、絶対に試合経過を知ることが出来ない場所に逃亡しますよ。
て、でもたぶんアルプススタンドでがなりたててるよなー。
「雨か嵐か」「紺碧の空」。結局両方だ!
おしかったなぁ~
東北勢が準決勝でぶつからない組み合わせだったらねぇ~
利府高、夏も頑張れ!
江尻君がエースのとき、期待いたしました。
(何せ第三シード。ちなみに一高が第四シードでした)
「紺碧の空」と「雨か嵐か」をスタンドで両方歌う。
酔漢も野次馬で参加したくなります。
ですが、これで、「東北=楽勝!」と言われなくなりそうです。
山形も力を着けております。
そういえば・・・山形だけ、まだ決勝に進んでないのでした。
山形も応援すっか!
今年の宮城県予選は、なんだかものすごく寂しい結果になりつつありますね。
二高は対戦相手には失礼ですが、さぁ行くぞー、と思うまもなく消えてしまいましたし。
都立東大和高校を指導されていた佐藤道輔先生が亡くなられました。