酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

昭和57年の今日。二次試験の日だった。

2011-03-04 07:41:34 | もっとくだまきな話
昭和57年3月4日。
仙台市内にある某国立大学の入学試験が行われました。
酔漢は、前年現役時にこの大学、学部を受験。見事に!落ちております。当然、一浪となっております。
当日は、本日と違って仙台市内は晴天の暖かい「春の日差し」に覆われておりました。
共通一次試験の結果は「何とか合格ライン」予備校の判定はBでした。
「今日の二次試験によっては」のレベルです。当時、この大学、学部はどちらかと言うと「一次試験重視」の傾向もあり、少しばかり「期待を持った」二次試験でした。
ですが、東京に私立2校。某私立は補欠という結果。後がないことには変わりありません。
朝七時過ぎに電話です。
「酔漢君、おはよう!どう調子は?何処で待ってる?」
要件を先に言い過ぎだぁ。たった今起きたばかりで頭が回らない・・。
「おはぁぁぁ・・・ようぅぅ・・。何だ朝から元気だねぇぇ」
電話の主は一浪時代に知り合ったガールフレンドから。
学科は違ったものの同じ大学を受験する予定だったのです。
「一緒に行こうね」とは彼女の口癖。「行けるかなぁ」とはいつもの僕の答え。
「一次の貯金があるから、君は大丈夫だよ」
共通一次の成績は彼女の方が上でした。
「今日は暖かいね。じゃぁ中庭あたりで、あそこはあまり人いないと思うよ!」
と言うわけです。
塩竈の家を出て、電車の中。試験対策の真っ最中です。
小論文形式の問題ですが、それなりに傾向と対策はあるのです。
社会系の学科を受験しますので、その山を「明治時代の民主主義あたり」と言うように読んでおりました。これは予備校の見方も一緒。
酔漢は「現河合塾」当時の「文理予備校」に通っておりました。ちなみに彼女は「宮城ゼミナール」でした。
大学着。自身の受験番号と教室を照らし合わせて中庭へ。
「どこだよ。いないゾ!」と探しておりますと。
背中に・・ドン!→「いてぇぇ」
「何ボーッとしてんの?さっきから目の前にいたじゃない」
「あのねぇ。デートじゃないんだから。登場の仕方考えてくれる?」
「いつもと同じような登場して、リラックスさせようかって・・この健気な乙女の気持ちがわからんのかぁ」
「余裕だね。俺なんか緊張しっぱなし。山外れたら、乏しい知識でもって小論文書かなきゃいけないんだ」
「だいじょーぶだって。受かるっておもわなきゃ受からないぞ!」
そんな言葉を残して僕らはそれぞれの教室へと向かいました。
試験は午前中。90分二回の小論文の問題。
問題は開いてみたら・・・「まずい!明治はドンピンでも、憲法試案についての問題だぁ・・」ここで勝敗が3割決まります。
なんとかかんとか論文をまとめたものの出来の方には全く自身がなく。試験終了。
再び中庭。
「どうだった?」先に中庭に来ていた彼女。
「ダメだなぁ」
「まだ結果出てないし。私も自身ないし・・」
「一次の結果良かったんだし。大丈夫でしょ」
と試験会場を後にして市内喫茶店へ。

という3月4日の出来事でした。
結果、酔漢見事に落ちました。で、彼女は見事に合格しました。
ですから、この恋の結果も「いわずもがな」でございます・・・。
「素敵な人だったなぁ」とは、今でも(今だから?)思う事でございます。

さて、酔漢二浪目に突入です。
現河合塾、当時文理予備校。ニュースで見る建物は当時と変わってません。(古い校舎は流石に無くなっておりますが・・)
二浪目は一浪目と違った感覚で受験勉強してました。
某国立大学は三度目の挑戦。
結果、玉砕!
この年は、受かった私立もありましたが。(東京の二校)一校は「補欠がきたものの定員がなく」もう一校は「手続きを止めました」(ちょっと事情がございまして・・)
実質、この大学だけの受験のようなものだったのです。
流石に三浪だけは避けたいと思っていましたが、もう結果が分かったあとは本当に失意のどん底状態でした。
「なんじょして、親さぁ言うかや・・」などと考えて仙台駅のキヨスクへ立ち寄りますと。こんな週刊誌の表紙がありまして・・・。
「今から願書を出してもまだ間に合う。この大学!」
表紙に誘われて購入したら。
「東北福祉大学」の文字が。
「今年ダメなら就職」という約束でしたので。
もうその日のうちに願書提出。(後二日で締切でした)
そして、結果合格。
大学は自分のペースで勉強も出来、有意義に過ごす事ができました。
何せ、家内と出会えたのもこの大学に入学できたからなのですから。

酔漢の受験結果。受験大学 12校。受験学部、学科15。合格大学数3。
どうしようもない3年間の受験生活だったと、結果からはそう思うのです。

本日の「くだまき」。酔漢が何を言わんとしておるのか。
上記のように語りますと、あたかも「受験を楽しんでいた」ような印象を持たれるかもしれません。ですが、そうでは決してございません。
焦燥感、妬み、絶望と常に背中合わせの生活を数年間味わったわけです。
特に、二浪目は恋に破れたこともあり、(何せ彼女は酔漢第一志望の大学に入学したわけでございます故)自暴自虐になりかけた精神を立て直すのにかなりの時間を使いました。
ですが、今こうして「くだまき」にしている自分がおります。
二十年以上経った今では、あの頃の「つらい思い」もこうして語れる自分がいる事は確かなのです。

サッカー日本代表前監督岡田さんはインタビューでよくこうお話になられます。
「人間万事塞翁が馬」だと。
受験生が第一志望に入るという志は、大事にしなくてはなりませんし、その意志をもって事に当たるという経験は必要です。しかし、冷静になった頭でもって考えれば「これが、全ての全てではない」という事も知っていただきたいのです。

酔漢の母校は酔漢にとりまして受験生時代では「第一志望」どころか「受験日に10日前まで受験することも想定外」だったのです。もしかしたら、大学との縁というものは、そういうものかもしれません。

大学3年生。研究室前。授業が始まるまであと数分。
「ようやく会えた!先月と今月のゼミ費。『今日中に』って言ったよね」
しまった!すっかり忘れてた!持ち合わせがない!昨日しこたま飲んじまった!
「酔漢君だけだよ!まだ払ってないのは!」
ゼミの会計を受け持っておりました、今の家内です。
こんな出会いもあったりするのです。
そして、こんな我儘な受験生を見守ってくれた両親には心から感謝です。

括目せよ!受験生!
憂うな!心配、不安は全ての元凶と知りなさい。
自分の実力を知り、そして、その結果を回りが騒ごうがなんと言われようが、気にすることなく生きて行って下さい。
結末はまだまだ先なのです。
結果までの過程が、自身の糧になることに気づいて下さい。
正々堂々とチャレンジした者のみ、そう思えるようになるのです。
親として、元どうしようもない受験結果だった先輩として、諸君らに一言物申したく、今回の「くだまき」なのです。
今回のカンニング事件。おそらく犯人と同じ教室にいた酔漢です。
白状します。彼を追求する「くだまき」にするつもりでした。が、彼を追求するはずの指弾が、いつもより力が入りません。そうした自分がおります。


冒頭の3月4日。試験の帰り。
勾当台公園は春の日差し一杯で、繋いだ手も暖かくて。そんな恋だったなぁ。
第一志望に合格していたら・・・タ・ラ・レ・バ  炒め  でした!

「何!『恋』って書いてる!何、何のお話しぃぃぃ・・」
しまった!横から家内が覗いてる!
これにて失礼!

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3 コメント

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心に染みるお話でした。 (すず)
2011-03-04 16:12:24
 あと数日、じりじりと当否を待つ受験生を持つ身ですから、問題を起こした子の心中や親御さんの心中、察するものがあります・・・ありますが、やはり大声で「あほう!」とこの子には言いたいです。酔漢様のように、いつかは自分の過去を振り返る日が来るのでしょうけれども、この子が代償を払ったぶんを、腐らずに肥やしに出来るよう願います。
返信する
思い出します (丹治)
2011-03-11 10:53:19
浪人・・・懐かしくもほろ苦い思い出です。

酔漢さんとは中学の同窓だっただけでなく、
受験生仲間でもありましたなぁ・・・
一緒の模擬試験を受けたりして。
「エクウジ」って覚えてますか?
分点ベクトルを使えば簡単に解ける問題を
メネラウスの定理で解こうとして自滅したこともありました。

酔漢さんがアニメ主題歌のパロディー集を作ったのもあのときでしたね。
バルタンさんの声、あれ、酔漢さんでしょ?

二度目の受験のとき、合格発表の掲示板に名前はありませんでした。
「駅に着くまで誰にも会いたくない」っと思いながら歩いていたら、
一緒に一浪して合格した高校の同級生とバッタリ。
取乱しはしませんでしたが、「駄目だった」と答えるのが精一杯。
二浪の一年間、手紙で私を励ましてくれました。
三度目の受験のとき、
そいつは僕のことを心配して合格発表を見に来てくれたんです。
僕の名前を見つけて「あったぁ!!」と叫んだら、
受験生と間違えられて胴上げされ、新聞に写真が載りました。

合格発表とは別の同級生・・・
現役で受かったから三年生です。
四月にキャンパスで会い、「来たぞ」と言うと、
「お前、よかったなぁ!!」

みんな僕のことを心配してたんですね。
酔漢さんにも、同じような思い出があることでしょう。

ところで「浪人」ってことについては、
パパ先生がこんなことを言ってましたよ。

「まっすぐ行くよりも
脇道にそれた方がいろんなことを見聞きできる」。

一浪ヒトナミと言いますが、
人様よりも一年余計に浪人しました。
辛い思い出も多いですが、
いい出会いもありました。
あの二年間が無駄だったとは決して思いません。



返信する
思い出します (丹治)
2011-03-11 10:54:10
浪人・・・懐かしくもほろ苦い思い出です。

酔漢さんとは中学の同窓だっただけでなく、
受験生仲間でもありましたなぁ・・・
一緒の模擬試験を受けたりして。
「エクウジ」って覚えてますか?
分点ベクトルを使えば簡単に解ける問題を
メネラウスの定理で解こうとして自滅したこともありました。

酔漢さんがアニメ主題歌のパロディー集を作ったのもあのときでしたね。
バルタンさんの声、あれ、酔漢さんでしょ?

二度目の受験のとき、合格発表の掲示板に名前はありませんでした。
「駅に着くまで誰にも会いたくない」っと思いながら歩いていたら、
一緒に一浪して合格した高校の同級生とバッタリ。
取乱しはしませんでしたが、「駄目だった」と答えるのが精一杯。
二浪の一年間、手紙で私を励ましてくれました。
三度目の受験のとき、
そいつは僕のことを心配して合格発表を見に来てくれたんです。
僕の名前を見つけて「あったぁ!!」と叫んだら、
受験生と間違えられて胴上げされ、新聞に写真が載りました。

合格発表とは別の同級生・・・
現役で受かったから三年生です。
四月にキャンパスで会い、「来たぞ」と言うと、
「お前、よかったなぁ!!」

みんな僕のことを心配してたんですね。
酔漢さんにも、同じような思い出があることでしょう。

ところで「浪人」ってことについては、
パパ先生がこんなことを言ってましたよ。

「まっすぐ行くよりも
脇道にそれた方がいろんなことを見聞きできる」。

一浪ヒトナミと言いますが、
人様よりも一年余計に浪人しました。
辛い思い出も多いですが、
いい出会いもありました。
あの二年間が無駄だったとは決して思いません。



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