ひー様からのコメントの通りでございます。
急ぎました。
この「酔漢自身が語らなければならない大和の顛末」これは父からの宿題でもありました。
昨年、この件を語ろうとしました動機をお話いたしました。
自身の勉強不足を棚に上げるのを承知の上で「大和を語る」と致しました。
ブログで「くだまき」を語りながら、勉強していく。このスタンスで行くしかないとの判断でした。
途中、「丹治様」「おせっかい焼き様」「クロンシュタット様」「ぐずら様」そして「ひー様」よりコメントを頂戴し、自身の「いたらなさを」を数多くフォローしていただきました。
本当にありがとうございました。
土曜日より先ほどまで帰省しておりました。
そして、東京駅のホームに着いたとたんに知らせ。母からでございます。
父が亡くなりました。
自身の遅筆を悔んでおります。
父に提出できなかった「くだまき」でございました。
明日、朝、また塩竈へ戻ります。
ばるえ様が素敵なお写真を掲載されております七ヶ浜へ、父を連れてまいります。
申し訳ございませんが、「くだまき」を少しの間、休ませていただきます。
何卒ご容赦下さいませ。
大和は奮戦中です。第二波攻撃を受ける途中ではございますが、この続きは必ず完結させます。戦後、父をはじめ私達家族の思いを今後語るつもりでおります。
「男たちの大和」最後のシーンです。「内田ニ曹の遺灰を大和沈没地点の海へ撒く」この場面ですが、父が生前「出来たら少しでも届けてくれないか」と話しておりました。
父は祖父の側にいたかったのかと察しました。
北緯30度43分。東経128度4分。
この場所へ行くことが永遠の宿題となりました。そして、父と交わした約束なのです。
このことを語るのはだいぶ後になると考えておりました。
今日、今となろうとは、思いもしませんでした。
急ぎました。
この「酔漢自身が語らなければならない大和の顛末」これは父からの宿題でもありました。
昨年、この件を語ろうとしました動機をお話いたしました。
自身の勉強不足を棚に上げるのを承知の上で「大和を語る」と致しました。
ブログで「くだまき」を語りながら、勉強していく。このスタンスで行くしかないとの判断でした。
途中、「丹治様」「おせっかい焼き様」「クロンシュタット様」「ぐずら様」そして「ひー様」よりコメントを頂戴し、自身の「いたらなさを」を数多くフォローしていただきました。
本当にありがとうございました。
土曜日より先ほどまで帰省しておりました。
そして、東京駅のホームに着いたとたんに知らせ。母からでございます。
父が亡くなりました。
自身の遅筆を悔んでおります。
父に提出できなかった「くだまき」でございました。
明日、朝、また塩竈へ戻ります。
ばるえ様が素敵なお写真を掲載されております七ヶ浜へ、父を連れてまいります。
申し訳ございませんが、「くだまき」を少しの間、休ませていただきます。
何卒ご容赦下さいませ。
大和は奮戦中です。第二波攻撃を受ける途中ではございますが、この続きは必ず完結させます。戦後、父をはじめ私達家族の思いを今後語るつもりでおります。
「男たちの大和」最後のシーンです。「内田ニ曹の遺灰を大和沈没地点の海へ撒く」この場面ですが、父が生前「出来たら少しでも届けてくれないか」と話しておりました。
父は祖父の側にいたかったのかと察しました。
北緯30度43分。東経128度4分。
この場所へ行くことが永遠の宿題となりました。そして、父と交わした約束なのです。
このことを語るのはだいぶ後になると考えておりました。
今日、今となろうとは、思いもしませんでした。
そして何よりも酔漢さんご自身の人生。
あくまでも「他人」でしかありません。
けれどもどうしてこれほど響いてくるのでしょうか。
酔漢さん。私にはもう少しだけ父親母親へ孝行させて下さいね。
心からお悔やみを申し上げます。
Ps.昨日、見なれた菖蒲田浜の風景の中にハマナスの花が一輪、浜風に吹かれ健気に咲いていました。
傷が消える日が来るのかどうか、ワタクシ自身、いまなお血がにじむ傷を持つ者ゆえ、確たることは言えません…
でも、いくつもの、文字通り腹を抱えて笑ったあとに呆れてしまうほどのエピソードには、救いがあるのではないかと。
盛大な宴のあとほど、寂しさは募るものかもしれませんが、思い出すだけでもその数は膨大なはずです。
大和の物語を書き終えたら、ぜひとも「先代酔漢たち(ワタクシは畏怖の念をこめてお父様たちを元祖酔漢と呼びたい)」の「昭和の怪物史」の執筆を期待しております。
東京に着いてからとは・・・
さぞ、無念だったことでしょう。
お父上も酔漢さんも・・・
いずれ、誰しもがたどる道とて、あまりにも早かったのではと思います。
ご冥福を祈ります。
酔漢さんご自身も驚くと同時に無常を感じておられることと拝察いたします。
ところで、慌しい一連の儀礼が終わると、あらたに寂しさがつのることとも思いますが、同時にドッと疲れがでますので、無理せずご自愛ください。
また、今回のことでは一緒に居られたお母様が一番お疲れになっていることと思います。
昔、小生の親父が亡くなったとき、葬儀が終わってしばらくした頃お袋が急に吐血して倒れたことがありました。
原因は過労による急性胃潰瘍で、間もなく回復しましたが、看護疲れと連れ合いを亡くすストレスはかなりのもので、普段は心身ともに頑丈極まりないお袋でさえも耐えきれなかったのだろうと思います。
酔漢さんにも、ぜひぜひお母様を思い遣ってあげてくださるようお願いして、お悔やみといたします。
お父様の訃報。
心中お察し致しますと共に、お悔やみ申し上げます。
まだまだお忙しい事と思います。休めるときは、きちんと休んでくださいね。
塩竈、仙台あたりを車を駆使して移動しておりました。昔と同じ道なのに、風景が全く違っていて「これでいいのかや?」と思ったことが幾度となく。塩竈市内は「新河岸川」がなくて広くていいのか、そうでないのか。不思議な感覚で走っておりました。
7月半ばが四十九日になりますが、何回かまた帰塩することになりそうです。
父の病室で過ごす時間の長さが一番重く感じました。二時間前に出来たことが今は出来なくなっている。この事実を突きつけられる恐怖を肌で感じました。
今日より生活と頭を元に戻そうかと思いました。
父と釣をしたことを思い出しました。
「昭和怪物伝」やりますか!
しばし、お時間を。
覚悟は決めていたとは言え、気持の整理がつくまでにはそれ相応の時間を使いました。
お気遣いありがとうございました。
本日より復帰いたします。
会葬、法事の終わった直後でした。
やはり、長い期間の看病そしてその後の精神的ストレスは、想像していた以上のものがあったのでした。
こちらへ帰るのを伸ばして、手続きやらやっておりましたが、その複雑さに驚いたのが正直感想です。
お元気でいらっしゃいますか。シテピラピッド君は、酔漢よりサラリーマンしております。
今は、横浜の運転試験場のある駅の前におります。
また、来てくださいね。いーちゃんに宜しく!
酔漢さんの「大和を語る」は、どんな映画などよりも本物だと事実なんだと感じさせられます。
当分お忙しいことでしょうが、お体無理せずご自愛ください。
大和を語るの終わりは本人にも見えません。
自分の言葉と感性でまだしばらく語ろうかと考えております。