合唱コンクールは、我が家の話題によくのぼります。
愚息二人が通いました中学校も、市のホールを借りまして、「校内合唱コンクール」を毎年開催しておりました。
「音楽に縁のない奴ら」(何せ、電車旅男君と江の島泳ぎまくり男君なのもので・・)ですが、ことこの行事になりますといつもと違ったスイッチが入るのです。
「親父もおっかぁ(彼らは家内をこう呼びます)も、仙台でコンクールやった・・」
「俺は、校内合唱コンクールだけだったけどな、悪い。お前らの中学とラベル(レベル)が違う!」
こう豪語しておりますが(威張ってる?)、実際彼らのコンクールを毎年聴いておりますが、自身の頃とは練習量が違います。
(南ちゃん。厳しかったよねぇぇ。担任の目の色が違ってたもんなぁ・・うの君は優勝したんだっけ?)
さて、この話を食卓でしておりまして・・ふと気づいた酔漢。
(しまった!かみさんの目が光った!)
「合唱?ふーーーーん。私達の学年ね。東北大会行ったんだ!もん!」
そうなんです。かみさんは八木山中学の卒業生。同中学の合唱部に在籍。
「この年、初めて、五橋より上に行った」
何と、これが、悲願だったとか。
僕らより学年が二つ下の家内。
「そうか、五橋連覇を阻止したのはお前だったのか」
という会話で家庭が盛り上がるわけです。
「どんな曲歌った?」
「『マンモスの墓』。部員が女の子しかいなかったから、混声はできなかったんだ」
「混声じゃなかったら聴いたことないなぁ」
と探しましたら。
以下。
「なるほど、これ『わらべうた』?」
「そうなんだよね。結構練習きつかったよなぁ」
そうか・・八木山は意表をついてこの曲を・・・・・(合唱部でもないのに、少しばかり悔しかったりいたしております・・)
「俺は、『怪獣のバラード』だな」と、年下。
「そうか、ヤング101。中村八大の名曲だよな。合唱曲というイメージより、やはり昔のNHKの方がイメージが強い」
酔漢、これには深い思い出がありまして・・。
「酔漢君、どこか、合宿できそうなところ無い?」
山形大学合唱部におりました「ゆうこ」ちゃんから連絡がありまして。
「んで、おらほでやったらいいんでねぇか!」
と提案しましたのが、「国立花山少年自然の家」。
「ちょうど、俺もいっからっしゃ」
話しは簡単に進みまして、3泊4日の合宿。
その時、毎朝「朝のつどい」では、すばらしい歌声が響いておりました。
その最終日。他の利用者、大勢の子供たちの前で披露してくれましたのが、「怪獣のバラード」だったわけです。
「お前は何か思い出がぁぁ・・」とシティラピッドに振りますと。
「覚えているのが一つしかない」
「ひとつでもあればいいじゃん!」と家内。
「大地讃頌・・・だけ」
「なるほどね。必ず出て来るよね」
「仙台って中学校合唱のレベルは高かった・・・よな・・」
「五橋あったしね。先生も揃っていたし・・」
「『おにゆり』は去年会った・・」
「あの先生は私達(八木山)でも有名だった・・」
などと、会話が進んでおりまして。
合唱部が披露した曲で印象が強かったのは、この曲なんですが。
五橋のが見つからなくて(と、言いますか。投稿者がいない状況)上杉山中学校の物がありました。
叔母(母妹)が、その昔「仙台グリーンウッドハーモニー」のメンバーでして、よくコンサートに連れていってもらいました。
「大中恩」先生(やっぱり「さっちゃん」ですよね)がその指揮をとられたコンサート。
「海の若者」は合唱コンクールでの常連。
この曲を小学校5年の時に初めて聞きました。
酔漢もコンクールで歌った曲でした。
合唱ではないのですが、こんな感じもまたよろしいかと。
これはご紹介です。
さて、合唱がらみで、南ちゃんとメールのやり取り。
「ご主人が『筑後川』を歌いに、九州まで出かける」というもの。
南ちゃん、合唱部だったけど、ご主人まで愛好者であったとは知りませんでした。
酔漢が一番好きな曲です。
「パイプのけむり」と言えば、「団伊玖磨」先生。
これは、読んでいて、面白い内容なのですが。
その先生の曲。
特に、組曲の最終「河口」は、歌いたくなる(つらい練習を重ねても・・)曲なのです。
オーケストラヴァージョン。
これ、「ソプラノ」は大変だったよなぁ。と、最初の感想です。
ですが、この曲の雄大さは、多くのファンの感じる処。
魅力ある合唱曲なのです。
さて、実は、家内が八木山中学の合唱部で、東北大会出場だったと聞いたのは最近も最近。
「おまえなぁ・・・」と話す酔漢に対して。
「合唱なんて、全く興味がないと思ってた!」
「一応ぅ・・・合唱の練習はしたことがあるんですがぁぁ」
同期会で、校歌を歌うだけになってしまいましたが・・・。
ひとつ大事な事を今思い出しました。
酔漢の落語、そして演劇には、見に来てくれた丹治さんなのですが。
丹治さんのコンサートには何故か行くことのできなかった酔漢です。
一高なので「男性のみ」
曲と曲との間の
♪さけは、げっけいかぁぁん♪
これ、聞きたかったよなぁ。
愚息二人が通いました中学校も、市のホールを借りまして、「校内合唱コンクール」を毎年開催しておりました。
「音楽に縁のない奴ら」(何せ、電車旅男君と江の島泳ぎまくり男君なのもので・・)ですが、ことこの行事になりますといつもと違ったスイッチが入るのです。
「親父もおっかぁ(彼らは家内をこう呼びます)も、仙台でコンクールやった・・」
「俺は、校内合唱コンクールだけだったけどな、悪い。お前らの中学とラベル(レベル)が違う!」
こう豪語しておりますが(威張ってる?)、実際彼らのコンクールを毎年聴いておりますが、自身の頃とは練習量が違います。
(南ちゃん。厳しかったよねぇぇ。担任の目の色が違ってたもんなぁ・・うの君は優勝したんだっけ?)
さて、この話を食卓でしておりまして・・ふと気づいた酔漢。
(しまった!かみさんの目が光った!)
「合唱?ふーーーーん。私達の学年ね。東北大会行ったんだ!もん!」
そうなんです。かみさんは八木山中学の卒業生。同中学の合唱部に在籍。
「この年、初めて、五橋より上に行った」
何と、これが、悲願だったとか。
僕らより学年が二つ下の家内。
「そうか、五橋連覇を阻止したのはお前だったのか」
という会話で家庭が盛り上がるわけです。
「どんな曲歌った?」
「『マンモスの墓』。部員が女の子しかいなかったから、混声はできなかったんだ」
「混声じゃなかったら聴いたことないなぁ」
と探しましたら。
以下。
「なるほど、これ『わらべうた』?」
「そうなんだよね。結構練習きつかったよなぁ」
そうか・・八木山は意表をついてこの曲を・・・・・(合唱部でもないのに、少しばかり悔しかったりいたしております・・)
「俺は、『怪獣のバラード』だな」と、年下。
「そうか、ヤング101。中村八大の名曲だよな。合唱曲というイメージより、やはり昔のNHKの方がイメージが強い」
酔漢、これには深い思い出がありまして・・。
「酔漢君、どこか、合宿できそうなところ無い?」
山形大学合唱部におりました「ゆうこ」ちゃんから連絡がありまして。
「んで、おらほでやったらいいんでねぇか!」
と提案しましたのが、「国立花山少年自然の家」。
「ちょうど、俺もいっからっしゃ」
話しは簡単に進みまして、3泊4日の合宿。
その時、毎朝「朝のつどい」では、すばらしい歌声が響いておりました。
その最終日。他の利用者、大勢の子供たちの前で披露してくれましたのが、「怪獣のバラード」だったわけです。
「お前は何か思い出がぁぁ・・」とシティラピッドに振りますと。
「覚えているのが一つしかない」
「ひとつでもあればいいじゃん!」と家内。
「大地讃頌・・・だけ」
「なるほどね。必ず出て来るよね」
「仙台って中学校合唱のレベルは高かった・・・よな・・」
「五橋あったしね。先生も揃っていたし・・」
「『おにゆり』は去年会った・・」
「あの先生は私達(八木山)でも有名だった・・」
などと、会話が進んでおりまして。
合唱部が披露した曲で印象が強かったのは、この曲なんですが。
五橋のが見つからなくて(と、言いますか。投稿者がいない状況)上杉山中学校の物がありました。
叔母(母妹)が、その昔「仙台グリーンウッドハーモニー」のメンバーでして、よくコンサートに連れていってもらいました。
「大中恩」先生(やっぱり「さっちゃん」ですよね)がその指揮をとられたコンサート。
「海の若者」は合唱コンクールでの常連。
この曲を小学校5年の時に初めて聞きました。
酔漢もコンクールで歌った曲でした。
合唱ではないのですが、こんな感じもまたよろしいかと。
これはご紹介です。
さて、合唱がらみで、南ちゃんとメールのやり取り。
「ご主人が『筑後川』を歌いに、九州まで出かける」というもの。
南ちゃん、合唱部だったけど、ご主人まで愛好者であったとは知りませんでした。
酔漢が一番好きな曲です。
「パイプのけむり」と言えば、「団伊玖磨」先生。
これは、読んでいて、面白い内容なのですが。
その先生の曲。
特に、組曲の最終「河口」は、歌いたくなる(つらい練習を重ねても・・)曲なのです。
オーケストラヴァージョン。
これ、「ソプラノ」は大変だったよなぁ。と、最初の感想です。
ですが、この曲の雄大さは、多くのファンの感じる処。
魅力ある合唱曲なのです。
さて、実は、家内が八木山中学の合唱部で、東北大会出場だったと聞いたのは最近も最近。
「おまえなぁ・・・」と話す酔漢に対して。
「合唱なんて、全く興味がないと思ってた!」
「一応ぅ・・・合唱の練習はしたことがあるんですがぁぁ」
同期会で、校歌を歌うだけになってしまいましたが・・・。
ひとつ大事な事を今思い出しました。
酔漢の落語、そして演劇には、見に来てくれた丹治さんなのですが。
丹治さんのコンサートには何故か行くことのできなかった酔漢です。
一高なので「男性のみ」
曲と曲との間の
♪さけは、げっけいかぁぁん♪
これ、聞きたかったよなぁ。
いつも多種多様な話題で綴る、くだまき君のブログを楽しみに拝見しています。
「樹氷の街」は、私が五橋中1年の時、NHK合唱コンクールの自由曲で歌った曲です。その年は、全国3位入賞にはなりませんでしたが、4位であったと記憶しています。
ピアノ伴奏は、丹治先輩と同期の、長く美しい黒髪のひーこ先輩でした。
雪の結晶がきらきらと舞っているような、大人っぽく短調な曲想で、私はちょっと背伸びをして、先輩方と歌っていましたっけ。
「大地讃頌」は、当時、内木邦子先生(内木宏治先生の奥様)率いる台原中の十八番の曲で、
音域が広く、曲の美しさには、すっかり圧倒されました。
一昨年前、五橋中創立100周年記念祝賀会で、50人程の、元合唱部の大先輩方と再結成し、この「大地讃頌}や、全国1位の時の自由曲「春の岬に来て」、校内合唱コンクールの課題曲などをお披露目しました。
ゆり子先生の指揮のもと、30年以上の時を隔てて歌うことの喜びは、ひとしおでした。
ゆりこ先生は、学校では「おにゆり」と呼ばれていましたが、さっぱりとした、気さくなご性格で、部活では、お茶目で素敵な先生でした。八木山中も、あの頃目が離せない良きライバルでした。
校内合唱コンクール、懐かしいですね。
クラスで指揮をしていた小幡君は、担任からのプレッシャーで、生まれて初めて、胃の痛みを覚えたそうです。
歌うことは、人と人を繋ぎ、思い出を紡いでくれるのですね。
祝賀会の様子を映したDVDが、後に配られました。
合唱の場面で、テノールを歌っていた丹治先輩は、いつの間にか、あの黒髪の先輩の隣りで、
譜めくりをしている姿が映っていましたよ~。
(返事遅れて申し訳ございません)
「樹氷の街」は、合唱部の演奏を聴いたのが1年生のときでしたから、強く印象に残っております。
100周年記念には出席できず、残念。
家内が合唱にこれほど一生懸命だったなんて、知ったのがつい最近です。
コンクールの会場では、なんちゃんと一緒なんですよね。