昨年の今頃。丁度夏休みの計画を立てるこの時期。藤沢駅のコーナーには宮城への旅ポスターが多く張り出されておりました。
「日本。美まし国。伊達」「宮城 寿司街道」「仙台・松島・蔵王2泊3日。秋保温泉へ」などなど・・・・。
ところが、やはりあの震災以降、こう言ったポスターは貼られていません。
「少し寂しいな」と、通勤の帰りに思ったりもします。
宮城県の方は、読まれることの少ない「読売新聞夕刊」です。
昨日、「塩釜」と題して記事が書かれておりました。
その記事のご紹介の前に。
「塩釜」と「塩竈」ですが、「竈」と「釜」では意味が違ってまいります。
現在では表記は「どちらでもよい」とされておりますので、問題にはいたしませんが、酔漢のこだわりはございまして「塩竈」であってもらいたいのです。
すみません、これは「酔漢のこだわり」でございます。
実は「知っていて敢えて(書くのが面倒だからは、正当な理由になると思うのですが)釜の表記を使用するのはまだ良し」とするのですが、この記事を書いた記者は誤解のまま「塩釜」としております。
地名に残るとおり、塩づくりを教えた神様でもある。松社の御釜神社には、古来、塩を作ってきた四つの釜が安置されている。(上記、記事抜粋)
地名は「釜」ではなく「竈」です。上記、塩作りを教えた神様として「塩土老翁神」ですが、この神様は塩竈神社に祭られております。
塩竈か塩釜か。小学校の時、先生が話してくれました。今は教えてないのかなぁ。
さて、ここまでは「酔漢のこだわり」です。
しかして、記事の内容は故郷の様子を知るのによい機会となりました。
仲卸市場が少しづつですが、開店する店舗が増えていること。
「すし哲」親方「白幡」さんのインタビューも。
「誰も恨みっこなし。小さくても明かりをともすことが大事」
しばらくご無沙汰しているなぁ。親方ごめんなさい。
今度寄ります。
しかしながら、まだ復興が遠いことも事実。
多門山からの写真を掲載しておりますが、記者は吉田浜、代ケ崎とつづく道を通ったはず。
あの惨状を伝えることが主旨ではない記事とは承知してはいるが、その様子をどのように感じたのでしょう。
写真の「馬放島」は海水浴や潮干狩りを楽しんだ場所でした。
その風景を懐かしみながら、故郷を復興を節に祈る(これしかないのですが)酔漢でした。
「日本。美まし国。伊達」「宮城 寿司街道」「仙台・松島・蔵王2泊3日。秋保温泉へ」などなど・・・・。
ところが、やはりあの震災以降、こう言ったポスターは貼られていません。
「少し寂しいな」と、通勤の帰りに思ったりもします。
宮城県の方は、読まれることの少ない「読売新聞夕刊」です。
昨日、「塩釜」と題して記事が書かれておりました。
その記事のご紹介の前に。
「塩釜」と「塩竈」ですが、「竈」と「釜」では意味が違ってまいります。
現在では表記は「どちらでもよい」とされておりますので、問題にはいたしませんが、酔漢のこだわりはございまして「塩竈」であってもらいたいのです。
すみません、これは「酔漢のこだわり」でございます。
実は「知っていて敢えて(書くのが面倒だからは、正当な理由になると思うのですが)釜の表記を使用するのはまだ良し」とするのですが、この記事を書いた記者は誤解のまま「塩釜」としております。
地名に残るとおり、塩づくりを教えた神様でもある。松社の御釜神社には、古来、塩を作ってきた四つの釜が安置されている。(上記、記事抜粋)
地名は「釜」ではなく「竈」です。上記、塩作りを教えた神様として「塩土老翁神」ですが、この神様は塩竈神社に祭られております。
塩竈か塩釜か。小学校の時、先生が話してくれました。今は教えてないのかなぁ。
さて、ここまでは「酔漢のこだわり」です。
しかして、記事の内容は故郷の様子を知るのによい機会となりました。
仲卸市場が少しづつですが、開店する店舗が増えていること。
「すし哲」親方「白幡」さんのインタビューも。
「誰も恨みっこなし。小さくても明かりをともすことが大事」
しばらくご無沙汰しているなぁ。親方ごめんなさい。
今度寄ります。
しかしながら、まだ復興が遠いことも事実。
多門山からの写真を掲載しておりますが、記者は吉田浜、代ケ崎とつづく道を通ったはず。
あの惨状を伝えることが主旨ではない記事とは承知してはいるが、その様子をどのように感じたのでしょう。
写真の「馬放島」は海水浴や潮干狩りを楽しんだ場所でした。
その風景を懐かしみながら、故郷を復興を節に祈る(これしかないのですが)酔漢でした。
基本は住民票に従い、記入しなければなりません。
住民票は竈です。
私はあえて係りの人に聞きました。
どちらを書けばいいですか?
すると、呆気なくどちらでもいいですよ。
ちょっとガッカリしました。
塩竈を愛する人はこだわりを持ってる字ですからね。
高校入試の願書に「竈」と記入しなければならないのですが、子供はすらすら書いたのに親の私は「???」
願書の中で「竈」の字だけが異様に大きくなり、子供から「しっかりしろ~めくせっちゃ~」と言われてしまいました。
普段から書いていればいいんだわ、とあの時思ったのに、やっぱり「釜」を書いてしまいます。
関係ありませんが、塩竈神社の地層は「アンザン岩」で出来ているから「安産の神様」と中学校の理科の先生に教えられた事だけは30年たった今も覚えています。
下記リンク先ブログに「塩竈で暮らす」がありますが、冒頭に「塩釜」ではなく「塩竈」です。とございます。
漢字の意味が全く違ってまいりますが、読売の記者が間違っているのですから、全国的に誤解のまま知識としている方が多いのかと。
これ塩竈市は運動してもいいんじゃないかな。って思いました。
知りませんでした。
突き出た古い地質の上に一森はありますよね。
小松崎のむき出し地層は何の深成岩だったか記憶が・・・。
やはり「竈」ですよね。