酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

敬老の日 やっぱりこのお酒

2008-09-15 16:54:48 | ブレンディッドウィスキーの話
500円札。懐かしいですね。青っぽい紙幣でした。最近はしばらくお目に掛かっておりません。
その500円札には誰が描かれておったかお覚えでしょうか。「岩倉具視」です。
彼は1871年(明治4年)欧州使節団全権大使としてヨーロッパ各地を視察いたしておりました。もちろんイギリスにも行っております。当然、いろいろなお酒に出合います。ワインも多分お召し上がりになられたでしょう。ですが、彼らが日本に持って帰ったお酒は「ウィスキー」でございました。お土産用として数ケースも。よっぽど気にいったとみえまして、特定の銘柄ばかりを買い込みました。
「これじゃ。この『うぃすきい』を日本に持ってかえろう」
と言いましたかどうかは不明ですが、よほど日本人の口に合ったのでしょう。
後に、政府高官や政治家の間に瞬く間に広がってまいりました。
「オールド・パー」でございました。
「オールドパー」は1867年に「グリーン・リース社」が作ったとされております。
ジェームズとサミュエルの兄弟で設立した会社です。
「あんちゃん、うめぇブレンドさぁこさぇたっちゃ。今度はうれっぺ」
「んだ、何せ35種類のモルトとグレーンばブレンドしたんだおん。この酒は他のとちょっくら違うべさ」
「名前さぁ、なんじょすっぺ」
「んだなや。時間かけてかんがえっちゃ」
南スコットランド、エアシャーでのお話です。
ある日「あんちゃん、こげな凄い、じいさんがいたべ」
「だれっしゃ?」
「『トーマス・パー』っていう人だっちゃ。なんでも152才まで生きてたんだとや」
「んでや、こいずの名前ばそのまま使うっちゃ『オールド・パー』にすっぺ」
「『時代がどんなに変わっても、かわらねぇ味ば約束する』ってのは、オールド・パー爺さんといっしょだっちゃ」
そうなんです。「オールド・パー」=「トーマス・パー」は、実在の人物だったのでした。「オールド・パー」の箱をご覧になられたことがございますでしょうか。
人物の絵が書かれておりますが、まさしく「トーマス・パー」その人でございます
凄い人です。(別な意味で)少し紹介したいと思います。
80歳、初婚 二人の子供をもうけます。
105歳 不倫。
122歳 奥方と死別。
122歳 再婚
122歳 一人子供を授かる
このじいさんの噂は、ロンドンの国王チャールズ一世の耳に届きました。
「国を挙げて大事にせよ」との事でした。
田舎暮らしの「パーじいさん」ロンドンへ連れてこられました。
生活は一変し、おいしいものがたらふく食べられます。
152歳でなくなるまで、このロンドンにおりましたが、死の原因が「旨い物の喰いすぎ」という記録が残っております。
でもですよ。152歳ですからねぇ。まったく凄い。
ウエストミンスター寺院に、その肖像画と共に埋葬されております。

さて、お酒の話に戻ります。
主となるモルトは「グラガンモア」です。スペイサイドの逸品。バリンダルロッホという所にその蒸留所がございます。
水のおいしい所だと聞いております。「グラガンモア」はシングルモルトとしても一度飲まれてみては、いかがでしょう。「クラシカル・モルト・シリーズ」の中でスペイサイドの代表選手でございます。
そしてもう一つの核となすのが「グレン・デュラン」です。これもスペイサイドのシングルモルトです。本編初登場!こいつは旨い!柔らかな喉越しと若干香るフルーティーさが売りです。最近、「グレンデュラン1981年60.1度」なるお酒を呑みました。スコッチの割りには、60.1度と非常に度数の高いお酒です。むせます。鼻にいれたとたん咳き込むほど。ですが、芳醇な香がなんとも言えません。チェイサーは大きいグラスで頂きました。マスターディラー「ロバート・スコット氏」の腕たるや見事なものです。アメリカ市場向けでしたが、日本にも少しは入ります。
高いのが玉に傷です。
これらをブレンドした「オールドパー12年43度」ですが、他にグレーンを含めて35種をブレンドしております。が、スペイサイドを核モルトとしているわりには、スモーキーさが際立った味を見せております。不思議です。アイラ系を核としていなければ「あの臭さ」は出てこないと思うのです。ところがアイラは表の顔には出てきません。「カリラ」あたりがブレンドされているような気さえいたします。
(推察の域でございます。詳しくお知りの方がいらっしゃいましたら是非お知らせ下さい)
吉田茂氏は、留学時代は「シーバス・リーガル」を愛飲。晩年はこの「オールド・パー」を飲んでいたとか。田中角栄氏はこればかり。
全体の6割を日本人が飲んでいるこのお酒。やはり日本人に好まれる香を持っているのでしょう。

塩竈冬。港町通り。国道45号線から丁度マリンゲートに向う交差点の近く(昔は築港郵便局、隣が川村歯科医院)そこから少しばかり稲荷下方面へ歩きますと一軒のバーがございます「H&K」です。
マスターさいとうさんは酔漢大学の大先輩。
丹治さんとカウンターへ。
「酔漢さん、久しぶりだね。いつまで塩竈さぁいるの」
「相変らずのトンボ帰りだっちゃ。明日には藤沢さぁ帰るのっしゃ」
「で、今日は丹治君と飲み会な訳だ」
「さいとうさん、丹治さんと一緒に飲まなかったら塩竈さぁ来た意味はねぇっちゃ」
てな具合で飲み始めます。
僕らが来るとさいとうさんは、おいしいお魚を出してくれます。
その時は「かれいの刺身」でした。
話がはずんだ(酔漢&丹治さんでございますので、大変、変な話題で盛り上がります。30年変わりません)最後。
「これで、〆の一杯に」と斎藤さんは、少しばかり水割りをこさえてくれました。
「なにっしゃこいず」
「不老不死の薬ですよ」
と僕らに一杯づつ。
「さっき飲んでたのより遥かに旨い」
「でしょう。『オールドパー』とっておきですよ。今日は寒いから(もう午前0時に近い時間)気付けの一杯で」
一月のこの時間はやけに寒い。店を出ると風が冷たいのがよく解ります。
「先輩、また来ねぐてねぇなや」
「んだ、またくっぺ」
本当に場末のバーでございます。少しのテーブルとカウンター。
賑わっていた頃よりやはりお客は少なくなっているようです。
この店で飲んでいると、遠くで霧笛が聞こえて来る事もあります。そして住所が「港町」昔でしたら日活映画のロケに使われそうな、そんな雰囲気がございます。




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12 コメント

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洋酒 (トムくん)
2008-09-15 19:36:25
私はお酒の世界は詳しくないのですが、
最近の事故米の話や、フランスワインの産地偽装などから、ウイスキーの品質管理や何年物の表示は本当だろうかと思うことがあります。

イギリスやドイツはしっかりしていそうなイメージですが、どうねんでしょう。

どこの国でも大なり小なり偽装はあるんでしょうね。

トーマス・パーってすごい人がいたもんですね。知りませんでした。
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オールド・パー (ひー)
2008-09-15 22:31:13
ありがたみも解らずに飲んでおりました。
しばらく、呑んでいませんが…
あのパー爺さんは凄い長寿ですねぇ~。
あのバイタリティは、やはりウィスキーの力でしょうか?
この店が例の店ですね。
川村歯科さんは、まだありますね。
私が小さい頃は、郷家歯科に行ってました。
塩釜港、先日の歴史館で買った本にアメリカ人が撮ったカラー写真があります。後程アップしたいと思います。
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涙腺弱し (クロンシュタット)
2008-09-16 05:43:07
塩竃の冬の海風。
強引に吹き込んで来るねじりこんで来る。
私は涙腺が弱いのか、あの風に涙が止まりません。
あまりの辛さに、カミさんは冬の帰省を避けています。

長男が修学旅行に出かけるのでこれにて失礼。

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過去の経験から (酔漢です )
2008-09-16 23:55:19
トム様へ
ようこそいらっしゃって下さいました。
「トム様」のブログとは、視点が違います故、大変うれしく思います。
さて、過去に「禁酒法」なる法律がございました。酒作り、それ自体が罪となります法律です。ですが、「飲みたい」気持ちには変わりございません。ですから、相当品の悪い粗悪品が横行いたしました。
「水で薄める」なんてぇのは序の口。例えばバーボンですが、「8年熟成」なんて嘘っぱち。色をつけるためにカナダ産のカラメルまで混ぜてしまう。(これは、今でも行われてはおりますが→ちゃんと法律で定められております)2年3年当たり前。そんなお酒ばかりが横行しておりました。
ですから、禁酒法が無くなったその際、きちんとした法律が出来ました。イギリスそしてアメリカも。ドイツでは、コーンスターチで醸造したビールは認められておりません。(日本のビールの成分表示を見て、該当するビールの少ない事に気づくはずでございます)
意外かもしれませんが、ワインの世界がまだ、結構法律がゆるいのでした。
マエストロが自身を持っているお酒をここでは紹介いたしております。
ラベルを信じる他はないのですが。
ですが昨今の時勢です。「本当に?」って思ってしまいますよね。
仕事柄、忙しくなった一週間でした。
もちろん「あの会社のやった事で」です。
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塩竈港の写真ですね! (酔漢です )
2008-09-17 00:01:09
ひー様へ
本当にお気遣いありがとうございます。
外国人が塩竈港を。
どんな思いで撮ったのでしょう。
ニューヨークの港は、ウォール街から近いのです。自転車で散歩です。
よく日本のマグロ漁船が停泊しておりました。
もちろん漢字で「○○丸」と書いておりました。
「似合わねぇー」と思いつつも、「塩竈港」とダブった風景でした。
「ニューヨークも塩竈と変わんねぇっちゃ」
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あの海風は (酔漢です )
2008-09-17 00:04:48
クロンシュタット様へ
宮城平野部の乾燥した冬。
海風が寒さを運んできます。
おっしゃる通り、あの風の冷たさは独特のものがございました。
家内も地元の出身ですが、やはり冬の帰省は避けております。
でもね、クロンシュタット様「あの風」が懐かしくなる事もありますでしょ!
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ロシアの (ひー)
2008-09-17 20:58:00
ずいぶん前
ロシアの街の様子がテレビに映りました。
すると、塩釜の店の看板を付けた車が走っています。
店の名前は忘れましたが…
よくKモータースにもロシア船の乗組員が車を買いに来たそうです。
そのまま乗っているんですね。
まぁ、ロシアらしい…みんなで笑ってました。
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ソ連の貨物船が来た! (酔漢です )
2008-09-17 23:56:18
ひー様へ
過去ブログ「塩竈小学校の頃」で語っております。ソ連の貨物船が来た時、酔漢小学校の頃を語りました。
あれは一大イベントです。
街の電気屋からラジカセが消えたり、何故か中古のテレビが店頭に並んだり・・
結構笑える話があったりします。
尾島町の飲み屋のメニューがロシア語で書かれていたとの噂が、聞くに聞けないので噂です。
今度確かめます。
でも、これは本当に面白いネタですね。
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 (ひー)
2008-09-18 23:09:38
スナックのママが言ってました。
外国人はテーブルチャージの様なシステムが無いから、説明し難いと・・・
ショットバーみたいな感じなら解りやすいのでしょうけどね。
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ソ連崩壊前のこと (ぐずら)
2008-09-19 00:08:17
どうもいつも本編と関係ない話題に割り込んじまってすいません・・・

ぐずらも多賀城自衛隊前の念仏橋あたりで、ソ連の船員と思しき3人組が自転車を一人2台づつ曳いて歩いてるのを見たことがあります。
さらに、小樽の町をソ連人の集団(しかもオバチャンの)がおのおの肩に洗濯機や電子レンジ(しかも剥き出し)を担いで歩いてるのを目撃したときは目が点になりました。
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