酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

撮れたて富士で思い出すこと。あれやこれや。

2010-12-10 08:44:17 | もっとくだまきな話
本日、先ほど自宅バルコニーより撮影いたしました。
もうすっかり雪を被りました富士山です。
冬の快晴の日には、近くに見えます。いつぞや夏の富士をアップしたことがございますが、携帯で撮影しましたものでピンボケが激しくて、そのリベンジ?ではございませんが、改めまして湘南から見える富士をご紹介いたします。

「富士」という単語は、やはり日本人の心の中に、多くを語りかけてくるものなのでしょう。この言葉から多くの事を連想いたします。

「富士山のすそ野」では、どうしても、「怪獣大進撃」なるゴジラ映画を思い出します。
東宝怪獣揃って富士山のすそ野に終結し、一度退散したキングギドラを迎え撃つという映画でした。もっとも、ゴジラが尤も弱々しい顔ですので、あまり面白いという映画ではございませんでしたが、この単語を覚えましたのはこの映画のタイトルが最初でした。

「膨大なふじのすそ野に近代的な工場」で始まりますCMは「関東自動車工業」でした。
このマイナーなCMはトヨタ自動車が提供しておりましたTV番組「知られざる世界」の終わりに登場いたします。ケーブルテレビで「ディスカバリーチャンネル」を時たま見ますが、この番組はその奔りだったのかと思います。ドキュメンタリー番組ではかなり面白かった。
いつぞや「UFO映像の検証」なるタイトルがありまして、当時の写真、映像がすべて作り物という結論(矢追純一さんが御出演されました番組のUFO写真は全て偽物と解った日でもありました)に達したと思ったら、唯一一つの動画が「ある物体が空中を飛行しているとしか考えられない」と結論。ですが、その映像はこれから先「テレビで登場することはなくなるのです」(→このあたりが何か不思議な気もいたしますが・・・)
話は脱線しております。「くだまき」故ご容赦。

富士山レーダーの映像は台風情報には欠かせない存在でした。
新田次郎氏の小説にもありますが、あの厳冬期の富士山山頂の描写は「南極大陸にも匹敵するのではないか」と想像いたしました。
富士山測候所がなくなりどれくらい経つのでしょうか。人工衛星の映像が当たり前の時代になりました。

「フジヤマのトビウオ」は古橋広之進さんのニックネーム。年下君が通いましたスイミングクラブの廊下にはジュニアオリンピックの表彰状が掲示されておりますが、その最後の名が「日本水泳連盟会長 古橋広之進」としてあります。アジア大会で金メダルを取られました「立石諒」君は彼の先輩。気さくな人物でこども達には人気がありました。
その古橋選手の映像を見ました。世界選手権ですが、二位橋詰選手とは数秒の差。ですが、三位の選手とは数十秒もの差を付けての世界選手権優勝なのです。オリンピックに出場できますれば、世界は驚愕したに違いありません。

一枚の写真を見ながら「あれこれ」連想した酔漢でございます。

塩竈、師走ともなりますと商店街はにぎわいを見せておりました。本当に今より多くの人が通りを歩いておりました。金野薬局の前あたりには「正月飾り」の出店が多く出ておりまして、通りを歩く人も何気にせわしい様子です。
北浜あたりを通りますと、あちこちから「海苔の香」がしてまいります。
「金富士」は今でも健在ですね。
看板が派手になっていて、食券を買う自販機まで店頭にございます。
どうしても、順番といたしまして「来々軒」「おさんこ茶屋」そして馴染のすし屋から外食するものですから、「金富士」は後回しになるのです。
「おいしかった」のか「そうでなかった」のか。
確かめたい衝動に駆られるのですが、足が運ばないのが現在の酔漢です。
横須賀に努めておりました頃よく通ったラーメン屋の親父さんが面白いことを言っておりました。
「横須賀みたいな港町は『横須賀食堂』と言ってね。一件でいろんな食事ができるようになっているんだ」
「何でっしゃ?」
「長い航海が終わってようやく陸(おか)に上がるだろ。一人一人食べたいものが違っているんだ。だけど、みんな一緒に食事はしたい。だから一箇所で何でも食べることのできる食堂が多く存在するんだ」
なるほど。と酔漢は思うのです。
塩竈もそうでした。「いな長」はそこそこの料理です。
いらした方は大勢いらっしゃるかと存じますが、いな長の「かつ丼」には「ソースかつ丼」も「たまごかつ重」も両方ございますし、「ラーメン」「カレー」「生姜焼き定食」から「刺身定食」「てんぷら定食」まで、本当にありとあらゆるメニューが「お品書き」に書いてあります。
冬にしか掲載されおりません「あんこうの肝あえ定食」は酔漢の好きなメニューですが。
「金富士」もそういうたぐいの食堂なのです。
買い物帰り、母が「金富士さぁ食べにいくっちゃ」と誘ってくれました。
これはもう「ごちそう」な感覚です。
母はチャーハンを注文。酔漢は「酢豚定食」を注文します。ですが、これが相当待たされます。回りを見ますれば、「長靴を履いた人々」ばかり。
椅子とテーブルのところから少し奥に座敷がありまして、そこに参ります。
食事の後の「ソフトクリーム」(これもですが、あんがい当時塩竈には少なかったのでした。金野屋の屋上にはありましたが)がまた楽しみでした。
父は「カニ玉」が好きでした。
中華料理がメインだったのかなぁ。でもやはりいろんなメニューが壁いっぱいに貼られておりました。
すし屋の数は多かったのは昔も変わりませんが、ラーメン屋と大衆食堂は珍しかった「塩竈の街並み」でございました。

朝早く、仕事に行く前の家内が洗濯物を干しておりました。
「今日は富士山がはっきり見えるよ!」
なるほど、冬の富士がハッキリ見えます。
「いつの間にかあんなに雪が積もってたんだ」
そういえば・・
年下の自転車は「Fuji」だったなぁ。と。

「足で見ないか!ニッポン」
この富士自転車のキャッチコピーと寝台車の写真。
旅情をそそれれておりました。
酔漢、中学一年生の頃でした。

富士を眺めて、バルコニーで、たばこをふかしております。
いろんな事を思い出しておりました。

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8 コメント

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ブログ読みました (猫写真家)
2010-12-12 00:53:17
お電話ありがとうございました。4年間もブログを書き続けるとは凄いですねぇ。しかも塩釜時代の記憶力は大したもので、本当に驚かされます。「カラー魚拓」のお話も良かったです。  こちらは、今年の5月からつ、ついにデジカメ一眼レフを購入し、周りのカメラマン達からも驚かれています。ついにフィルムからデジタルに進出することになりました。まだ18台のフィルムカメラは使っていきますが、今は、デジタルカメラのお勉強で精一杯です。
 先日は地元のカメラマン達の忘年会に出席して来ました。風邪を引いてしまって具合が悪かったのですが、とりあえず出席してきました。プロカメラマンのジッャク先生が、「Kさんです」と私を紹介してくれたら、「あの有名なKさんですか。感激です。ビックリです。」と私の方がそういわれてびっくりしました。写真展をこつこつやっているとそれなりに見てくれているようで、ジャック先生も「そう、そこそこ有名ね」とフォロー!?してくださいました。やはり、こつこつ続けることが大切ですね。これからも面白いブログを書いてください。きっと色んな人からリアクションがあると思います。では、これにて。時々、読ませていただきますね。
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富士山 (ひー)
2010-12-13 07:52:33
富士山の壁画と言えば、やはり銭湯ですかね。

富士山の絵を描けば子供ならずとも私も雪を被った絵を描いてしまいますね。
東名を走るバスの車内・・・ガイドは東京以南ともなれば3年生以上ですかね。
説明のポイントはドライバーが合図をすることもあります。「ほれ、右側富士山見えてきたど」
ガイド「えっ! どこですか?」
「ほれみえっぺ! 雲の上だ。」
夏のことでした。」
ガイドは、雪を被っている山を探していたのですね。

夏の、雪の無い富士山を想像できなかったようです。
富士山が見える家は羨ましいです。
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いささかご無沙汰を・・・ (丹治)
2010-12-13 10:19:12
酔漢さん、電話でもブログでもいささかご無沙汰をしておりました。
ご自宅から富士山が見えるとは羨ましき限りです。

一昨年のこと、
岡山の学会に行く折に静岡の辺りでドドーンと大きな富士山を拝むことが出来ました。
新幹線の中なのも忘れて、思わず拍手を打ってしまいましたよ。

あと、寮歌祭か何かで上京する折です。
宇都宮の辺りから戸田のボートコースの辺りまで、かなり長いこと進行方向右手に富士山が見えることに気づきました。
何でも富士山が見える北限は、福島県内某所なのだそうですね。
よくよく天気がよくて空気が澄んでいる時、
小さく見えることが年に数えるほどなのでしょうけれど。

東北新幹線に乗る時は、
上りは右側、下りは左側に席を取ります。
山・・・見たいですから!!

日本各地に「何某富士」と呼ばれる山がたくさんあります。
コニーデ型の火山が多いということは事実ですが、
やはり富士山という山には日本人にとって特別な何かがあるような気がします。

そういえば『竹取物語』で
かぐや姫からもらった不老不死の薬を帝が焼かせたのも
富士山の頂でしたね。
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猫写真家様お久しぶりです! (酔漢です)
2010-12-14 17:38:45
さて、実は当ブログにかなり?ご登場の猫写真家様です。
やはり「唯梨庵」(タイトルの写真でもありますが、あの徳利のお店)事件での話は、唯梨庵マスター「ひげ親父様」も驚かれておいででした。
今でも・・
「僕ら、あのぉぉせんたかの演劇部OBなんだけどなぁ」
あのお声は忘れはしません。
またのご登場、心よりお待ち申し上げます。
是非、是非。
あいはらさん。元気ですか?

掲示板としました。ご容赦。
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ひー様へ (酔漢です)
2010-12-14 17:47:24
富士の壁画。実は本題で語る事を忘れました。
大和司令長官公室に掲げられておりました「横山大観作、富嶽図」です。
沖縄出撃の際、艦より降ろされました。
大和ミュージアムでもその絵の行方が解らないそうです。
どんな絵だったのか。
祖父も見たことなかったのだろうと思います。
ご生還された方からもその絵の話題を聞いたことはございませんでした。
銭湯の富士の絵は、いいですねぇ。
誰が書くんでしょう。
知りたい気持ちになります。
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丹治様へ (酔漢です)
2010-12-14 17:50:30
磐梯山が噴火していなければ!
富士山にもっとも似ていた山だと。
この話を聞きましたのも丹治様からでした。
野口英世はその姿を見ていたのですね。
何か記録があるのでしょうか。
絵でも残っていれば、見てみたい気になりました。
山を見る側に席を取るのは、酔漢も同じです。
常磐線であれば、海側に席を取ります。
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銭湯の絵 (ひー )
2010-12-16 15:27:42
いつだったかTVに出てました.
看板屋さんか専門職だったような?
確か銭湯を休めないで一日で仕上げていたように思いますので。
下絵無しであっと言うまに書き上げてました。
大したものです。
それより大観の絵は気になりますね。
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ひー様へ (酔漢です)
2010-12-17 10:37:28
お知らせありがとうございます。
大和の大観作「富嶽図」まだどこかにありそうな気がします。
降ろしているとすれば。「呉」だと思うのですが。消失の可能性が高いかなぁ。
お風呂屋さんの「富士」は看板屋さんでしたか。あれも芸術ですね。
下北沢の場末の銭湯には大きな富士が描かれておりました。
今はないと思いますが。
おしらせありがとうございました。
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