1950年台~1960年台のイタリア映画。
印象に残る作品が多くございました。「鉄道員」もそうですが、「自転車泥棒」は泣きました。全編ロケ。イタリアの町々が貧困であえいでいる様子。そして家族の絆。
多くの事を考えさせられる映画でした。
「ヴィットリオ・デ・シーカ」監督の代表作でもございます。
二年も仕事につけない主人公がようやくありついた仕事がポスター貼り。
しかし、自転車がなければ仕事になりません。自転車は質に入っております。自転車を取り戻す必要がございました。奥さんは、シーツを売って自転車を買い戻します。
さて、仕事の初日。ポスターを貼っているところでその自転車を盗まれてしまいます。
子どもと共に、自転車を探すシーンが印象的です。
ある日、サッカー競技場から一台の自転車を盗んでしまう主人公。すぐに捕えられます。
「お父さんは泥棒じゃない」泣き叫ぶ子ども(名はブルーノ)。
二人の後ろ姿を映して映画はラストを迎えます。
相当、要約いたしました。
映画ファンの方でありますれば、「もっと語れ!」という事でしょうが。(かくいう酔漢も・・・年間388本鑑賞という記録がございます)趣旨が違いますので、いずれまた。
イタリアの戦後、まだ国内が混乱していた時期でもあります。当時、日本もそうではなかったと、思うのです。
自転車は価値の高いものでございましたし、スポーツの為というよりは、生活の為といった使われ方が多かったのかと思います。
ですが、イタリアでは「ジロ・デ・イタリア」という、「ツール・ド・フランス」に次ぐ、ロードの大会は催されております。自転車の歴史は日本よりはるかに進化していた国ではございます。
一台の自転車を何度も修理をしながら乗りつぶす。これはつい最近まで当たり前なことだったのです。(修理で思い出しましたが、こっまっつきにもよく「こうもり直し屋」さんが歩いておりました。傘も直しながら使っておりました。「おだってこわすからだ!」よくごしゃかれておりました・・)
一台の自転車の写真をご紹介いたします。
もうかれこれ5年以上前から駐輪場に「ほっぽったまま」の自転車です。周りには、持ち主のわからない「廃車同然」の自転車が数多く駐輪されたままです。
ちなみに、年下君の愛車は、6階の我が家のバルコニーに置いております。
写真の自転車も「その他大勢」の中に埋もれているわけです。
サビだらけ、ギアの歯車は動かない。タイヤは穴が空いている。ディレイラーは動かない。
自転車に興味のない方がご覧になれば「ただのポンコツ」と写るかもしれません。が、実はどうして、酔漢からいたしますれば「幻の名車中の名車」なのです。
「ブリヂストン」のロゴも昔のまま。
パール塗装を施された美しい白のボディー。
石渡製作所製クロムモリブデン鋼を使ったフレーム(521モデル)
イタリアンカットのラグは全て人の手で溶接されたものです。
彼の名は「ブリヂストン グランヴェロ 2000」
カタログを眺めては「ため息をついていた」高校生の頃を思い出します。
当時のロードレーサーモデルは今と違って「チューブラータイヤ」を装着しておりました。簡単にご説明いたしますと、タイヤとリムを直接リムに専用セメントで持って装着させております。チューブはタイヤの中に丸ごと入っております。パンクいたしますと、リムからタイヤを引きはがし、パンクしている箇所の縫い目を解きます。そこからチューブを引っ張り出して、パンク修理パッチ(この部分だけは普通の自転車と同じです)を貼ってからチューブをタイヤの中にはめて、また針と糸で縫って行きます。タイヤが出来上がりましたら、今度はリムセメントをリムに縫ってタイヤを固定させます。
相当な時間を食いますし、何せ「『おはりこさん』が出来なければ自転車に乗るな」と言った感じです。
ロードレーサーには憧れましたが、そのメンテナンスに自身がなかったのが、オーナーになる事をためらったのは事実です。
また、当時の道路事情も今よりは悪く、一寸した悪路でもあればコースを変えなければ、ロードレーサーには乗れませんでした。
でもです。やはり「エディ・メルクス」(ツール5連覇)が乗っていた「ビアンキ」には憧れてましたし、「オールカンパニョーロ使用のデ・ローザ」は今でも燦然と輝く究極の美しさを兼ね備えたロードレーサーだと信じてもおります。
そんな事を頭の中で巡らせながら「グランヴェロ」のカタログを見ておりました。
当時で約12万円(だったと思います)。
量産タイプで文字通り最高級車(後にブリヂストン社はオールカンパニョーロのグランヴェロを登場させます。フレームにレイノルズ531を使ったこのモデルこそ市販車最高であったと思います)なのです。
詳細を見てみましょう。
フレームはクロモリ(530-510)石渡製
フロントデレイラー シマノ600(FD6207)
リアディレイラー シマノ600(RD6208)
ペダル 極東クイル VIC2A
ホイール アラヤ32 8本組
タイヤ ブリヂストンチューブラータイヤ
ハンドル 日東 55B マース 400㎜
サドル 有明 グランヴェロオリジナルモデル
細かいスペック例えばフレームアングル等は割愛いたします。
ですが、これだけバランスのいいアッセンブルです。「シュバーブ」や「デュラエース」といったパーツを使えば、これより更に価格が高くなり市販するには難しくなったのだと考えます。が、性能は充分過ぎるほど一流の部品を使っております。
そして何より、フレームの美しさは「さすがにブリヂストンの技術」です。
今のロードレーサーはアルミやチタン、カーボンと言った素材を使っております。ラグ溶接ではないため「どうも自転車の暖かさ、美しさがない」というのは酔漢の持論です。
(これはこれで、機能的には飛躍的に向上いたしましたが)
この白のカラーに完璧なまでのロウ溶接。ラグからはみ出た(ポッコリ盛り上がったロウの塊)部分など一箇所もございません。
素晴らしいの一言です。
(こんなに褒めていいのかや?)
以前「片倉シルクキャンピング」を語りました。
ランドナー、キャンピングの傑作なら「シルクキャンピング」がピカ一だと思います。
そしてロードレーサーであれば「このグランヴェロ2000」になるのだと考えます。
会社へ出かけるとき、また、帰るとき、この自転車の前を必ず通ります。
「お前のご主人は一体どうしたんだい?」と話かけます。
「こいつはこんなポンコツでも、まだ走りたがっている」
そう思うのです。
以前、「中古のロードレーサー」(富士自転車製)を再生させました。
こいつ(グランヴェロ)のフレームは狂っておりません。ジオメトリーに狂いがなければ、パーツさえ交換すれば、素晴らしいロード-レーサーとして再び走る事は充分に可能です。
今のレーサーにはない美しさを醸し出しながら、独特の香りでもって。「羊の皮を被った狼」に変貌出来るのです。
「お前、本当はまだ走り足りないんだろ?」
彼からは何の返事も返って来ません。
自転車が使い捨ての時代になったのでしょうか。(ママちゃり文化の弊害かと)
駐輪場の隅には、まだ十分に乗る事のできるスポーツ車が数多く転がっております。
自転車のパーツは世界共通の互換性があります。フレームさえしっかりしていれば、充分に乗る事は出来るのです。
「お前のご主人はお前の氏素性をきちんと知っておったのか?」
やはり彼からは返事がございませんでした。
「一本一本のフレームパイプを精根こめて溶接した職人の思いを知ってもらいたかった」
こう感じる酔漢でございます。
印象に残る作品が多くございました。「鉄道員」もそうですが、「自転車泥棒」は泣きました。全編ロケ。イタリアの町々が貧困であえいでいる様子。そして家族の絆。
多くの事を考えさせられる映画でした。
「ヴィットリオ・デ・シーカ」監督の代表作でもございます。
二年も仕事につけない主人公がようやくありついた仕事がポスター貼り。
しかし、自転車がなければ仕事になりません。自転車は質に入っております。自転車を取り戻す必要がございました。奥さんは、シーツを売って自転車を買い戻します。
さて、仕事の初日。ポスターを貼っているところでその自転車を盗まれてしまいます。
子どもと共に、自転車を探すシーンが印象的です。
ある日、サッカー競技場から一台の自転車を盗んでしまう主人公。すぐに捕えられます。
「お父さんは泥棒じゃない」泣き叫ぶ子ども(名はブルーノ)。
二人の後ろ姿を映して映画はラストを迎えます。
相当、要約いたしました。
映画ファンの方でありますれば、「もっと語れ!」という事でしょうが。(かくいう酔漢も・・・年間388本鑑賞という記録がございます)趣旨が違いますので、いずれまた。
イタリアの戦後、まだ国内が混乱していた時期でもあります。当時、日本もそうではなかったと、思うのです。
自転車は価値の高いものでございましたし、スポーツの為というよりは、生活の為といった使われ方が多かったのかと思います。
ですが、イタリアでは「ジロ・デ・イタリア」という、「ツール・ド・フランス」に次ぐ、ロードの大会は催されております。自転車の歴史は日本よりはるかに進化していた国ではございます。
一台の自転車を何度も修理をしながら乗りつぶす。これはつい最近まで当たり前なことだったのです。(修理で思い出しましたが、こっまっつきにもよく「こうもり直し屋」さんが歩いておりました。傘も直しながら使っておりました。「おだってこわすからだ!」よくごしゃかれておりました・・)
一台の自転車の写真をご紹介いたします。
もうかれこれ5年以上前から駐輪場に「ほっぽったまま」の自転車です。周りには、持ち主のわからない「廃車同然」の自転車が数多く駐輪されたままです。
ちなみに、年下君の愛車は、6階の我が家のバルコニーに置いております。
写真の自転車も「その他大勢」の中に埋もれているわけです。
サビだらけ、ギアの歯車は動かない。タイヤは穴が空いている。ディレイラーは動かない。
自転車に興味のない方がご覧になれば「ただのポンコツ」と写るかもしれません。が、実はどうして、酔漢からいたしますれば「幻の名車中の名車」なのです。
「ブリヂストン」のロゴも昔のまま。
パール塗装を施された美しい白のボディー。
石渡製作所製クロムモリブデン鋼を使ったフレーム(521モデル)
イタリアンカットのラグは全て人の手で溶接されたものです。
彼の名は「ブリヂストン グランヴェロ 2000」
カタログを眺めては「ため息をついていた」高校生の頃を思い出します。
当時のロードレーサーモデルは今と違って「チューブラータイヤ」を装着しておりました。簡単にご説明いたしますと、タイヤとリムを直接リムに専用セメントで持って装着させております。チューブはタイヤの中に丸ごと入っております。パンクいたしますと、リムからタイヤを引きはがし、パンクしている箇所の縫い目を解きます。そこからチューブを引っ張り出して、パンク修理パッチ(この部分だけは普通の自転車と同じです)を貼ってからチューブをタイヤの中にはめて、また針と糸で縫って行きます。タイヤが出来上がりましたら、今度はリムセメントをリムに縫ってタイヤを固定させます。
相当な時間を食いますし、何せ「『おはりこさん』が出来なければ自転車に乗るな」と言った感じです。
ロードレーサーには憧れましたが、そのメンテナンスに自身がなかったのが、オーナーになる事をためらったのは事実です。
また、当時の道路事情も今よりは悪く、一寸した悪路でもあればコースを変えなければ、ロードレーサーには乗れませんでした。
でもです。やはり「エディ・メルクス」(ツール5連覇)が乗っていた「ビアンキ」には憧れてましたし、「オールカンパニョーロ使用のデ・ローザ」は今でも燦然と輝く究極の美しさを兼ね備えたロードレーサーだと信じてもおります。
そんな事を頭の中で巡らせながら「グランヴェロ」のカタログを見ておりました。
当時で約12万円(だったと思います)。
量産タイプで文字通り最高級車(後にブリヂストン社はオールカンパニョーロのグランヴェロを登場させます。フレームにレイノルズ531を使ったこのモデルこそ市販車最高であったと思います)なのです。
詳細を見てみましょう。
フレームはクロモリ(530-510)石渡製
フロントデレイラー シマノ600(FD6207)
リアディレイラー シマノ600(RD6208)
ペダル 極東クイル VIC2A
ホイール アラヤ32 8本組
タイヤ ブリヂストンチューブラータイヤ
ハンドル 日東 55B マース 400㎜
サドル 有明 グランヴェロオリジナルモデル
細かいスペック例えばフレームアングル等は割愛いたします。
ですが、これだけバランスのいいアッセンブルです。「シュバーブ」や「デュラエース」といったパーツを使えば、これより更に価格が高くなり市販するには難しくなったのだと考えます。が、性能は充分過ぎるほど一流の部品を使っております。
そして何より、フレームの美しさは「さすがにブリヂストンの技術」です。
今のロードレーサーはアルミやチタン、カーボンと言った素材を使っております。ラグ溶接ではないため「どうも自転車の暖かさ、美しさがない」というのは酔漢の持論です。
(これはこれで、機能的には飛躍的に向上いたしましたが)
この白のカラーに完璧なまでのロウ溶接。ラグからはみ出た(ポッコリ盛り上がったロウの塊)部分など一箇所もございません。
素晴らしいの一言です。
(こんなに褒めていいのかや?)
以前「片倉シルクキャンピング」を語りました。
ランドナー、キャンピングの傑作なら「シルクキャンピング」がピカ一だと思います。
そしてロードレーサーであれば「このグランヴェロ2000」になるのだと考えます。
会社へ出かけるとき、また、帰るとき、この自転車の前を必ず通ります。
「お前のご主人は一体どうしたんだい?」と話かけます。
「こいつはこんなポンコツでも、まだ走りたがっている」
そう思うのです。
以前、「中古のロードレーサー」(富士自転車製)を再生させました。
こいつ(グランヴェロ)のフレームは狂っておりません。ジオメトリーに狂いがなければ、パーツさえ交換すれば、素晴らしいロード-レーサーとして再び走る事は充分に可能です。
今のレーサーにはない美しさを醸し出しながら、独特の香りでもって。「羊の皮を被った狼」に変貌出来るのです。
「お前、本当はまだ走り足りないんだろ?」
彼からは何の返事も返って来ません。
自転車が使い捨ての時代になったのでしょうか。(ママちゃり文化の弊害かと)
駐輪場の隅には、まだ十分に乗る事のできるスポーツ車が数多く転がっております。
自転車のパーツは世界共通の互換性があります。フレームさえしっかりしていれば、充分に乗る事は出来るのです。
「お前のご主人はお前の氏素性をきちんと知っておったのか?」
やはり彼からは返事がございませんでした。
「一本一本のフレームパイプを精根こめて溶接した職人の思いを知ってもらいたかった」
こう感じる酔漢でございます。
新品のリッターバイクが一台丸ごと買えるくらい、お金を遣っている人もいます。
実家の裏に25年くらい前のミヤタの自転車が放置されています。3年間の通学と花山2往復に耐えた車です。
毎日マンモス坂を走った影響でハンドルがへし折れ、自転車屋さんに「そんなひと見たことない」と驚かれました。
レストアする価値がない大衆車なのかもしれませんが、ひそかに直せないものかと考えています。
バイク屋からは「自転車は必ず直せるから」と押されましたが…風雨にさらされた車体が復活するのかどうか…
花山へは酔漢も自転車で行きました。が往復ではなく、10日間のボランティアの後は、古川までで、そこから輪行しました。
自転車で参加の中学生は、Takeda君だけでした。
行きはきついですよね。
酔漢さんの自転車 好きは知っていますが 、 やはり簡単には手放せないでしょうね 。
中学の頃、 皆ドロップハンドルが多かったのでしたですね。
今、考えたのですが、自分の自転車はどこに行ったのか全然記憶ににないのです。
最近自転車が職員の中で流行ってまして。
10万だ20万だと行ってますが、それが当時の 10万は凄いですね。
そこで考えました。 皆は趣味に20万掛けています。
だったら 自分も趣味に20万 掛けてもいいのではないか…?
そんな わけで、20万のカメラを買ったわけです。
これは、口実に過ぎませんがね。
鍵を下に押せばいいのに、輪になった鍵しか使ったことがなくてわからなかったようです。というか知らなかった。
彼は、今頃の若者は黒電話のダイヤルのまわし方を知らない、と私に言っていたばかりなのに。
だんだん昔の人になっていく気分です。
我が父親はどちらかと言いますと「形から入る」人でしたので、それはそれは大層な道具が揃っております。
そして、その腕は・・・・。
自転車は乗るのか乗られるのか。
さり気に乗りたい・・。
そういう「乗りオタ」になっております。
ですが、休息中。
「チャンネル回してネ」
と、某ベテラン社員の声。
「何を回すんですか?」
回りはあっけに取られております。
「チャンネルは回すもの」
僕らの世代ですよね。