さくま君は、塩竈で小学校の先生をしております。落語の後輩です。そういえば、落語編を語っている時に登場していなかったなぁ。落語は上手でした。
ロクモンスが気になりまして(そうそう、忘れてました。今は三小です。丹治さん、クロンシュタットさんの母校でもあります)彼に連絡を取りました。
「今も小学生って『ロクモンス』してんのかや?」
「『ロクモンス』ですか?新しいゲームソフトですか?」
彼は宮城出身ではございません。
「俺達が小学生の頃流行ったボールゲームだっちゃ。んで、今の小学生は、やんねぇのすか?」
「聞いた事ないですねぇ」
あれだけ熱中した遊びでしたが、今はやる小学生もいないようです。
私が最後にロクモンスをしたのは、大学生の頃、国立花山少年自然の家でボランティアをしていた時でした。ふと体育館に軟式テニスのボールがあり、誰ともなく「ロクモンスすっか」となりました。
「久しぶりだなや」と僕らの会話。それを聞いていた、筑波大学と大妻女子大の学生諸君が不思議そうな顔をしておりました。
「酔漢、なんだそれ?マンモスごっこでもするのか?」
「こいずは『ロクモンス』って言って、俺達が小学生の頃に流行った遊びだずぺ」
そうなんです、東京の大学生は誰一人知りませんでした。
やり方編を説明し、ゲーム開始。
いい年こいた大学生が、キャァーキャァー騒ぎながら、熱中しております。
「ボールをぶつけるなんて野蛮な三角ベースだなぁ」
と最初に話していた彼らも、この遊びに熱中していたのでした。
「どうやって勝ち負け決めるんだ?」
「勝ち負けなんてねぇっちゃ」
「不思議だなぁ。でも面白いなぁこれ。他のサークルにも紹介するかな」
筑波大学でロクモンスが流行ったかどうかは謎でございます。
「宮城には、本当におもしろいボールゲームがある」筑波大の学生が感心したように話していたのを覚えています。
ボールが見えなくなるまで、熱中した、ロクモンス 今じゃ死語になりかけているのではないかと、寂しくなります。とはいうものの、酔漢の小学校六年生になる次男は、テニスと水泳に夢中です。友達と遊ぶときはドッヂボールか、自転車、野球になっているようです。
「ロクモンスって遊び塩竃には、あったたんだぞ」
「マンモスごっこか何か?」
やはり、同じことを聞かされました・・・。
「何言ってんだ、ちゃんとした三角ベースだぞ、ボールぶつけるけどな」
「あたったらいたいじゃん」
「そこがおもしろいんだ」
「俺、ヤダ」
で終わりました。
塩竃二小の校庭に海からの風が流れると、校庭全体が魚の臭いが充満します。
「魚くせぇぐなったから、明日雨でねぇかや」
「んだなや、あしたエツジ体育すんのがや?」
「体育館でねぇか」
「んで、みんなしてロクモンスすっか」
「それ、いいなや。やっぺやっぺ」
「馬鹿、はやぐ帰れ!いつまでも校庭に残ってんでねぇど。明日雨だったら、マット運動だ。後ろ回りできねぇ奴いたら、居残りだかんな」
と、エツジ(小学校の担任)の声が校庭に響きました
「明日はパタンコなしでやっぺ」
「場所は、取っとくからや」
「んであした」
子供が校庭に溢れ、芋を洗うような放課後でした。場所を取るだけでも大変なことでした。今、遊び友達を探すのが一番大変なことのようです。
子供の数が少なくなり、僕らが熱中した遊びも無くなってしまったようでした。
ロクモンスすっぺ!
ロクモンスが気になりまして(そうそう、忘れてました。今は三小です。丹治さん、クロンシュタットさんの母校でもあります)彼に連絡を取りました。
「今も小学生って『ロクモンス』してんのかや?」
「『ロクモンス』ですか?新しいゲームソフトですか?」
彼は宮城出身ではございません。
「俺達が小学生の頃流行ったボールゲームだっちゃ。んで、今の小学生は、やんねぇのすか?」
「聞いた事ないですねぇ」
あれだけ熱中した遊びでしたが、今はやる小学生もいないようです。
私が最後にロクモンスをしたのは、大学生の頃、国立花山少年自然の家でボランティアをしていた時でした。ふと体育館に軟式テニスのボールがあり、誰ともなく「ロクモンスすっか」となりました。
「久しぶりだなや」と僕らの会話。それを聞いていた、筑波大学と大妻女子大の学生諸君が不思議そうな顔をしておりました。
「酔漢、なんだそれ?マンモスごっこでもするのか?」
「こいずは『ロクモンス』って言って、俺達が小学生の頃に流行った遊びだずぺ」
そうなんです、東京の大学生は誰一人知りませんでした。
やり方編を説明し、ゲーム開始。
いい年こいた大学生が、キャァーキャァー騒ぎながら、熱中しております。
「ボールをぶつけるなんて野蛮な三角ベースだなぁ」
と最初に話していた彼らも、この遊びに熱中していたのでした。
「どうやって勝ち負け決めるんだ?」
「勝ち負けなんてねぇっちゃ」
「不思議だなぁ。でも面白いなぁこれ。他のサークルにも紹介するかな」
筑波大学でロクモンスが流行ったかどうかは謎でございます。
「宮城には、本当におもしろいボールゲームがある」筑波大の学生が感心したように話していたのを覚えています。
ボールが見えなくなるまで、熱中した、ロクモンス 今じゃ死語になりかけているのではないかと、寂しくなります。とはいうものの、酔漢の小学校六年生になる次男は、テニスと水泳に夢中です。友達と遊ぶときはドッヂボールか、自転車、野球になっているようです。
「ロクモンスって遊び塩竃には、あったたんだぞ」
「マンモスごっこか何か?」
やはり、同じことを聞かされました・・・。
「何言ってんだ、ちゃんとした三角ベースだぞ、ボールぶつけるけどな」
「あたったらいたいじゃん」
「そこがおもしろいんだ」
「俺、ヤダ」
で終わりました。
塩竃二小の校庭に海からの風が流れると、校庭全体が魚の臭いが充満します。
「魚くせぇぐなったから、明日雨でねぇかや」
「んだなや、あしたエツジ体育すんのがや?」
「体育館でねぇか」
「んで、みんなしてロクモンスすっか」
「それ、いいなや。やっぺやっぺ」
「馬鹿、はやぐ帰れ!いつまでも校庭に残ってんでねぇど。明日雨だったら、マット運動だ。後ろ回りできねぇ奴いたら、居残りだかんな」
と、エツジ(小学校の担任)の声が校庭に響きました
「明日はパタンコなしでやっぺ」
「場所は、取っとくからや」
「んであした」
子供が校庭に溢れ、芋を洗うような放課後でした。場所を取るだけでも大変なことでした。今、遊び友達を探すのが一番大変なことのようです。
子供の数が少なくなり、僕らが熱中した遊びも無くなってしまったようでした。
ロクモンスすっぺ!
最近の小学校や中学校の運動会はそりゃ寂しいものです。
酔漢さんは仕事の都合で「今の運動会」にそれほど参加されてはいないかもしれませんが。
長男も次男も小学校はずっと2クラスしかありませんでした。
全校生徒が我々の時代の1学年分の生徒数です。
徒競走はせいぜい4~5コース分しか走者がおりません。
騎馬戦とか棒倒しといった「栄光の種目」。昔は選手を選抜してましたが今は全員参加です。
昼休みのお弁当タイムもいやにシーンとしてしまっています。
「ピンポポン・・・皆さん下校の時間です。まっすぐお家へ帰りましょう・・・」
下校の放送原稿を読んでいる私です。16時の放送でした。
塾や稽古事に通っている生徒もほとんどおらず、放課後の三小の校庭も満員電車でした。
夢中で走り回りすぎて生徒同士でガチンコ衝突し、「保健室送り」になる友人もおりました。
確かに雨の前日はやたらと魚臭くなる三小校庭でした。
今や、少子化も含め空き地も無く、外で遊んでいる子供も見かけません。
住宅地にある公園だって、子供の姿が無くなりました。
悲しいことです。 釘刺し、缶蹴り・・・子供達は独自のルールを考え遊んだものです。
こりゃ~誰が最初に考え、どの地域まで広がり、何時頃まで行われたのか気になるところです。
ルールはゴムボールを使った2塁制手打ちベースボール。(ローカルルール多数あり)
攻撃側が1人でも2塁間を6回往復して「ロクムシ」宣言すれば攻守交替なし、守備側が攻撃側の選手全員をアウトにすれば攻守交替できる。
というもので、アウトカウントはボールを走者にタッチまたはぶつければOK
つまり、我が「ロクモンス」とよく似ているようです。
さらに、昭和50年ごろ以降すたれてしまったため、子どもの頃にロクムシで遊んだ大人達が
それぞれ情報収集にいっしょうけんめいになっているらしいことまで我らがロクモンスとソックリじゃありませんかぁ~~♪
ちなみに我がロクモンスは、2年ほど前の八乙女小学校のクラブ活動に取り入れられていたようなので、
現在も健在かも !!!
仙石線本塩釜駅、夏休み昼に駅をおりようとしますと、観光客が大勢おります。
駅舎のボロさとドブ川(しんかし川)の匂いで松島観光がスタートするのでした。
校庭の賑わいが懐かしいです。
愚息も中学校は3クラス。
塩釜二小が7クラス。二番丁は3クラス。
ドーナッツ現象が言われておりました頃です。
そういえば二番丁はロクモンス禁止でした。
なんでも過去顔面に当たって目を大怪我したのがいたそうです。僕らはそのくらいのコントロールは持っておりましたし、顔面は決してねらうことなどなかったのでした。
丹治さんにお任せいたしましょう。
本当に気になるところです。ゲームや塾。そして子供の数が少なくなってから廃れた遊びのように考えます。
ボール一個でもう夢中。
あとは走るだけ。
それでも充分に楽しかった時代でした。
案外全国に似たような遊びがあったのかもしれませんね。
ぐずら様の情報網?には驚きです。
八乙女小学校にクラブが。
これで文化の伝承ができますね。
しかし!我々の技には勝てますまい。
二十世紀少年の独り言でございます・・ネ!