酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

オレたちひょうきん族と丹治さんと酔漢

2011-01-21 10:27:31 | ああ宮城県な話
大学受験の際に上京しました。宿泊場所は「代々木」。かつて、「東京オリンピック」のとき、選手村として使われていた建物は、老朽化がひどく、「なんだや、おらほの校舎とあんましかわらねぇべさ」(仙台向山高校あの木造校舎です)と言った感じでした。
夕食は自分で取らなくてはなりませんが、大きな食堂にはテレビがあって、大勢での(受験生だべ)テレビ鑑賞となります。
土曜日です。ある人物がテレビのチャンネルを替えに行きました。
「オレたちひょうきん族」に合わせたのです。
回りからは拍手!
あのウィリアムテルのテーマ曲に合わせてのオープニングです。
受験の緊張も忘れて「大笑い」でした。
その番組、先だってお亡くなりになられました「横沢彪さん」のプロデュース。そして、ディレクターの名前に「佐藤義和さん」のお名前が。
「あいてかったなや」と、酔漢の独り言でございました。

「オレたちひょうきん族」では時たま番組スタッフのコーナーがありまして、「ゲーハー佐藤」はそのうつくしいお声でもってボーカルを務めておられました。
「ひょーーきんパラダイスぅぅぅ」
の声はひときわ高く、(それにしましても、いつも帽子を被られておいででした)歌も上手だったのです。

ある日、「笑っていいとも」を見ておりましたら、こんな案内が。
「今日の景品は塩竈より『栄太郎の生どら焼』です」
「何っしゃ?またマイナーな景品だべ」
当時はまだマイナーなお菓子、銘菓だったのです。
すかさずタモリさんが「この間、スタッフからもらったんだけど、結構いけます!」と話されました。
「そういえば、タモリの好きな日本酒は『浦霞 禅』だったっちゃ」
ふと思い出して。
「なしてタモリは塩竈しってんだべな?」と考えた酔漢でした。

丹治さんから自宅(塩竈)に電話。
「おう、酔漢か。今度の土曜に『宮崎ばっぱ』んとこさぁいがねぇか?」
「土曜すか?授業もねぇからっしゃ、んで行くすぺ」
相談はすぐにまとまりまして、塩竈は梅の宮にございます「宮崎ばっぱ」のご自宅へ訪問と相成りました。
すみません、ご紹介遅れました。
「宮崎ばっぱ」とは、酔漢が小学校4年時塩竈二小での担任の先生。そしてその前年は三小で丹治さんの学級担任でもありました。
酔漢と丹治さんが知り合う間接的な要因ともなった先生です。
先生の自宅で、御馳走を囲みながら談笑の時間です。
「あんだたち『塩竈脱走組』が雁首そろえて訪問って、どういう風の吹きまわし?」
先生は僕と丹治さんのように途中から仙台へ越境転校した者を常に「塩竈脱走組」と言っておりました。
先生の手料理にワインをぐびぐび。
「まったくそんな呑兵衛に教育した覚えはないヨ!」
「んなこと言ったって先生も結構飲んでるんでねぇかや」と丹治さんの突っ込み!
先生と「パパ先生」(宮崎五郎先生。もしかしたらお名前を御存知の方もいらっしゃるかもしれませんね)とで大笑いです。
「そうそう、この前ねぇ念願叶って国立劇場の舞台で踊ったんだ」
と、写真を持ってきた、ばっぱです。
先生は日舞を踊られて、、ライフワークにしておられました。
「こいず、先生すか!まんず上手く化けるもんだすぺ」
しまった!口が滑った!本音を言った!
「そうでしょう。本当にそうなのよ。自分でもびっくりしたぁぁ」
えがった、おごってねぇど・・・・ほっ。
「んでも、おらいも落語で高座さぁ上がけんどっしゃ。緊張とかしねぇのすか?」
「何言ってんの!もう気持ちいいのよ。きれいな舞台だしね。えっ?酔漢、あんた落語とかするんだっけ?」
「高校から始めたのっしゃ」
「あらそう。だったら、よしかず(義和)紹介してもよかったなぁ」
「誰っしゃ?」
「今ねフジテレビでディレクターしているよ。一小(塩竈一小)のとき、私が新人の時の最初の教え子だったんだ」
「先生の最初の教え子すか?」
「だから、国立劇場まで来てくれたのよ。晩御飯ごちそうになった」
それから先、先生の思い出話が始まりました。
「『僕がね、こんな業界に入ったのは先生の一言だ』って言ってた。私、記憶がなかったのよねぇ。そしたら、音楽の時間に『あなた声がいいから人前で歌ったら素敵だよ』って話したらしいのよ」
「んだから、『ひょうきんパラダイス』なんだっちゃ」
「なぁに。和義歌ってんの?」
「んだっちゃ『ゲーハー佐藤』で歌ってっちゃ」
「ゲーハーって・・・・あはは・・・確かに、パパ先生並みだわよねぇぇ」
「塩竈の人だって、しゃねかったっちゃ」
「俺も似たような事いわれたなや」と丹治さん。
「なんか言ったっけ?」
「『あんた本読むの好きだから、お父様と同じような学者になったら?』って」
「んだ、俺もだっちゃ『演技上手そうだから、演劇とかしてみたら』って」
「そう、酔漢はね『アリババと四十人の盗賊』でアリババに推薦したんだ」
そうです、酔漢最初の舞台は二小の講堂。「アリババ役」だったのでした。
それからすっかり舞台の魅力にはまりまして、演劇だの落語だのやったわけです。
「先生、何も覚えてねぇのすか?案外、人の一生きめてんでねぇすか!」
「子どもに思いつきでいっちゃだめねぇ!本気になるんだから!」
「先生、あまりにも、他人事過ぎねぇすか!」
ここでまた大笑いでした。

「わらっていいとも」「ひょうきん族」数々の番組を世に送り出した名プロデユーサー「横沢さん」の右腕としてディレクターを務めた「佐藤さん」
小学校の担任が一緒だったわけです。
銀座に「お笑い塾」を開設されたとか。
そういえば、話のイントネーションが「宮城語」しておられました。
「浦霞」も「生どら焼き」も佐藤さんの差し金かと、答えが出ました酔漢です。

今朝の朝刊の一面。新刊書の案内。
「バラエティ番組がなくなる日 カリスマプロデューサーのお笑い『革命』論 テレビの未来に克! 佐藤義和 著 主婦の友新書」

「宮崎ばっぱ」の一言がなければ「ひょうきん族」は生まれなかった!
言い過ぎかもしれませんが、案外本当かも。
酔漢自身「先生にあのとき褒められなかったら、舞台とかは、考えもつかなかった」
これは本当のことなのでした。
塩竈市内全ての小学校で(最後は浦戸でした)教壇にたった「宮崎ばっぱ」。
僕らの知らない世界で「先生の一言」でもってプロとして活躍している塩竈人がいるのかもしれません。
酔漢も丹治さんも、おそらく佐藤義和さんも大好きだった「宮崎智恵子先生」なのでした。


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Unknown (ひー )
2011-01-22 12:37:42
あの宿舎は安いので、昔は修学旅行生とか使っていたような・・・・?

今ではそんなことは無くなりそうましやがね。
酔漢さんには珍しく大きな花の写真を使ってましたね。
最近娘の所に通いづめで、PCの前に座る時間が無くて訪問できかねていました。
すみません。
月山を三往復しましたが、日に日に酷くなっております。
また近々行く予定です。

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Unknown (丹治)
2011-01-24 09:02:41
あの頃
四年三組は愉快なクラスでしたよ。
授業中のいたずらがばれて一緒に廊下に立たされた○○君、
きっぷのいい姐御肌だった△△ちゃん、
みんなどうしてるかなぁ‥‥‥

ゲーハー佐藤、丹治、酔漢、
一升、二升、三升‥‥ぢゃなくて
一小、二小、三小と揃いましたね。
先生に受持ってもらったのが四年生の時で、先生の三小最後の年。
酔漢さんが先生に教わったのが四年生の時で、先生の二小最初の年。
五年生だか六年生の時に訪ねていったら
「二小に行ったら、あんたみたいなのがいるのよ」。
そういえば酔漢さんも
「三小にあんたみたいなのがいたのよ」
って言われたんでしたね。
そしてあの仙石線ホームの、
「おめぇ、二小だったら宮崎って先生知ってっか?」
因縁めいたものを感ぜずにはおれません。

ゲーハー佐藤さんも先生の教え子‥‥‥
春秋の筆法を以てすれば
先生が「オレたちひょうきん族」を作ったといふことになりませうか。

先生の最後の職場は、確かに浦戸でしたね。
確か、浦戸二小だったでしょうか。
なりたての若い先生が初任者研修の時、
代りに教壇に立っていたそうです。
その時、島の子供たちに言ったとか。
「先生、校長先生よりも偉いのよ」。
先生本人から御聞きしたのですから間違いありません。
かつて拝した先生の御姿が目に浮びます。

酒といえばある時、母親から似たようなことを言われました。

丹「何だかんだ言って、飲める体に産んでくれて感謝しとるよ」。
母「あんたたちにだけは酒飲みになって欲しくなかったのよね‥‥‥」

女親って、みんなそう思うんでしょうかね。

先生は中学高校と母親の先輩です。
先生の御姉様が、確か小学校で父親の同期だか後輩。
先生は我が両親と同年輩。
私にとっても親のような存在です。

酔漢さん、けってござい。
パパ先生とママ先生の金婚式のお祝いばしてやっぺし。

最後に、我々悪童が陰で先生を何と呼んでいたか‥‥‥
これは先生の名誉のためにもバラす訳には参りませぬ。
(後でメールで個人的に白状します)。

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ひー様へ (酔漢です )
2011-01-30 10:16:09
写真の蠟梅は今日にはほとんど散っておりました。年賀状が出せなかったので、寒中見舞いに使ったものです。
お嬢様のご様子、いかがでしょうか。
大雪の中の移動、さぞ大変ではなかったかと思います。
また、「大和」へ話題を移しました。
よろしくお願いいたします。
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丹治様へ (酔漢です )
2011-01-30 10:17:53
先生の顔も拝見したくなりました。
時間を作りたいですね。
まだまだ、語りたいことはあるのです。
またそぞろに、語りますね!
そうあの「渾名」ですね。
しっかり覚えております。
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