酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

今、くだまきで語っていること

2012-04-12 09:26:18 | もっとくだまきな話
どうしても、自分の中では完結してはいない「東日本大震災」です。
これは、本当に想定外であったのだろうか。
酔漢は、科学に疎く、どうもその視点になりますと腰が引けてまいります。
ですが、ある史実を紐解きました折、自然災害である「巨大地震」と人災である「福島原発事故」の二つの事実が、ある一点に歴史がフィードバックすることに気づきました。
その点が「財団法人理化学研究所」にあるわけです。
酔漢は「理研」の名こそ知ってはおりましたし、そこに登場致します科学者達の名は(理科の授業等で出てまいりましたので)知ってはおります。
長岡半太郎、高橋譲吉、朝永振一郎、本多光太郎・・・・。
ですが、これら天才的科学者達が「今を目撃したらどう応えていただろうか」
酔漢の想像ではあるのですが、彼らの哲学観、等を知ることで答えが見つからないだろうか。
こう考えました。
地震の側面からは「寺田寅彦」を。
原子力の側面からは「仁科芳雄」を。
二人が同じ建物の中で研究を行っていた時代。
そこから多くの研究者達があらゆる側面から二つの事象を研究しており、それは現代まで続いている。
前回語りました「鈴木梅太郎」は、地震や原子力とは全く無縁なのかもしれませんが、「理研の屋台を支えていた」史実は動かし難く、また、その功績を知る人も案外少ないことから、「くだまき」といたしました。

ふと、思いついた「くだまき」なのです。
芝居の話を中断しても、やはり語りたくなった。(いつもの悪い癖なのですが・・・)

これから先。寺田寅彦を先に語り、「日本地震学の経緯」などを中心に寺田の史観をまじえて語って行こうと考えております。
寺田と共に研究をつづけた、中谷宇吉郎の手記等、また、寺田の同期、後輩にあたる、地震学の祖、大森房吉、今村明恒の関東大震災の予知の経緯。映画「日本沈没」に登場する竹内均が、寺田に憧れて東大物理を志した事などを含めて語ろうかと考えております。
また、原子力開発については、仁科芳雄ら「ニ号研」(原爆開発研究)の歴史を、また、そこから発展した日本原子力学の歴史と「原子力発電所」開発へ向かう経緯。その中では、一部(本意ではありませんが)中曽根康弘等、政治家も登場致します。

本質的には「いつものように?」「くだまき風」にはしたいと考えてもおります。

一度お話しいたしましたが、星新一さんの御言葉が重くのしかかってまいります。
「歴史は過去から未来へとの流れだが、教える際には、現在から過去へ向かう流れに即した方が、問題がより明確になるのではないか」

カテゴリーが「宮城県」。これも酔漢のこだわりかもしれません。
実際「鈴木梅太郎」と宮城県の接点はかなり細いものでもあります。
ですが、故郷の巨大地震と津波。これに繋がるものでもあると考えております。
宮城の情報をお探しの方がおりますれば、今しばらくご容赦下さい。

「くだまき」視聴者の方へは、相変わらずの「我がまま」です。
こちらも、併せてお許し下さい。

酔漢 拝

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 接点 ふたりの科学者。それ... | トップ | 接点 ふたりの科学者。それ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

もっとくだまきな話」カテゴリの最新記事