フジテレビの有料チャンネルをみておりましたところ。(昨年夏)「懐かしのバラエティー」のような番組を放送いたしておりました。
「おっ!キャンディーズ。みんなして若ぇなや」と、ぼんやり眺めておりました。歌番組ではないのですが、歌手による寸劇コントのようなコーナーでした。突然和田あきこさんが乱入。舞台が混乱する?という設定の中。突如・突然 あの格好で・・いつもの帽子をかぶり、にいづまさん(東北放送ディレィター)から贈られた(もっぱらの噂)ブレザーを着て、ギターを肩から提げて、登場したのは・・・・・「吉川団十郎」さんでした。そのコーナー突然、舞台の壁が崩れるといったコントでしたので、団十郎さん。ほんの、数分(もなかった)の登場でした。セリフもなし。
「なんだや、団十郎。キャンディーズと競演したんだっちゃ」と懐かしく見ておりました。ら、この番組の司会者。
「この人だれですか?まったく覚えがありません」
「えーーつ、この番組、有名歌手がコントするんで、人気あったんですよね。でも知りませんねぇ」とある女子アナ。
「まぁ、この業界。『一発屋』は大勢おりますから」
「こら、何だと!団十郎が『一発屋』だって。おめぇ、宮城さぁ来たら、おらほさぁ来て、顔貸せ」
「あなた、今、ここ神奈川だよ」
多分、この番組で「ああ宮城県」歌ったんでねぇかな。
朝日が昇る真っ赤な空に
一人の男が夢を描いた
たった一つの小さな夢が
やがていつか大きく育つ
世界は一つ やってやれないことはない
世界を制覇するまでは どんな敵がいようと
嵐の中に立って 受けてたつのさ
この俺は 世界の王者 ジャイアント馬場
懐かしいすぺ!「戦えジャイアント馬場」だっちゃ
「今度、スポーツセンターさぁ、馬場くんだとぉ」と団十郎さん。
その次のジャンリクのリスナーからの葉書には
「だれ、俺のそばさぁ、団十郎いるんだおん。ビックリしたっちゃ。馬場出てくんとや、一番でけぇ声だしてんだおんなや」などなど。
ジャンリクは、時たまプロレスの話題になるのでした。
誰にもさわらせたくない
見せたくもない
僕の一番大事なキューピーちゃん
「黙っていれば友達はできない・・・コッキーポップ。大石悟郎です」
ヤマハポピュラーソングコンテストに東北地区代表に、団十郎が選ばれたときは、本当に応援いたしました。確か、優勝は、中島みゆき「時代」のときだったと思うのですが。(記憶違いだったらご容赦下さい)NSPも一緒にいたような気がします。
小さいときに父ちゃんが死んだから
か弱い母ちゃんはにごよん仕事
学校行く度にみんなに馬鹿にされ
俺の心もいつしかグレた
なんで俺だけ貧乏なんだ
きれいな服着た奴が憎い
AMO 団十郎最終回は、菅原文太さんとの対談でした。その模様です
「監督、『トラック野郎』さぁ、やろっこ出てったっちゃ。あれあいづが、ものすごく気にさぁなってっしゃ。あれ、あのやろっこ、どうやって選んだのっしゃ?」
「オーディションしたときに、面接して『お父さんは、何しているの?』と聞いたら、うつむいてね。『お父さん・・死んだ』って言ってきたんだよね。その瞬間ねぇ、もう採用と。。。だから、俺も演技はあんまし教えてないんだ。あの子の目はあれ演技じゃないんだ」
スタジオ。シーーン。
「監督、お願ぇあるんだけんどっしゃ。俺ばぁ、『トラック野郎』さぁ出してけねぇすかや。一度でいいからっしゃ、文太さんと一緒の映画さぁ出てみてぇっちゃ」
「トラック野郎。『宮城県』」は団十郎さんだった。映画の冒頭、「ああ宮城県」を歌いながらハンドルを切っている団十郎さんが映っています。
ところが、いつの間にか
「『宮城県』事故で死んだ」となりまして。「どうせ送り出すんだったら皆で騒いであの世に行ってもらおう」と文太さんの一言でドンチャン騒ぎの通夜。こんなシーンがあります。
その文太さんですが、「仙台一高OB」であることは知られておりますが、この番組に中で築館高校一派から「おらほの先輩だど」との葉書が届きました。で、その真実、「どちらにも在席していた」でした。途中の転校。ですから、卒業は一高です。
高校総体や中体連の会場にぶらりと現れ、それを、番組に中で紹介していたり。「おめぇ、おらほのラジオ番組。本当におもせぇど」
団十郎さん後「麻世れいら」さんがDJを努めました。結構、面白い人でした。サテスタに公開録音に行きました。確か数年位前にお亡くなりになられました。
これまで、みなみらんぼうさん。大友康平さん他DJをやられましたが、僕の中では、ジャンリクDJは団十郎さんです。
「東京だよ団十郎」土曜10時。東京の様子などをよく紹介してくれてました。
早いもんだねもうすぐ5月
屋根の上にはこいのぼり
東小金井
そこにおいらは住んでいる
仙台へ帰る新幹線、そして塩釜までの仙石線。窓から景色を眺めている酔漢です
昔の川はドブになり
緑の山はニュータウン
ああ変わり果てたよ宮城県
ダンダンズビズビズバダ
負けるな宮城県
ダンダンズビズビズバダ
がんばれ宮城県
宮城県バンザーイ!
あんな番組、作れないんだろうな。
もし、今ジャンリクが復活するならDJは「かなりやぶんこう」さんでしょ。(学院大学落研OB諸氏。そうですよね!)したらば、本当に全国区だっちゃ。
お詫び、当時の東北放送ジャンリクのディレクターは「東」さんではなく「にいづま」さんでした。過去に遡って、訂正いたします。申し訳ございませんでした。
(2008年3月5日 22時20分 現在)
「おっ!キャンディーズ。みんなして若ぇなや」と、ぼんやり眺めておりました。歌番組ではないのですが、歌手による寸劇コントのようなコーナーでした。突然和田あきこさんが乱入。舞台が混乱する?という設定の中。突如・突然 あの格好で・・いつもの帽子をかぶり、にいづまさん(東北放送ディレィター)から贈られた(もっぱらの噂)ブレザーを着て、ギターを肩から提げて、登場したのは・・・・・「吉川団十郎」さんでした。そのコーナー突然、舞台の壁が崩れるといったコントでしたので、団十郎さん。ほんの、数分(もなかった)の登場でした。セリフもなし。
「なんだや、団十郎。キャンディーズと競演したんだっちゃ」と懐かしく見ておりました。ら、この番組の司会者。
「この人だれですか?まったく覚えがありません」
「えーーつ、この番組、有名歌手がコントするんで、人気あったんですよね。でも知りませんねぇ」とある女子アナ。
「まぁ、この業界。『一発屋』は大勢おりますから」
「こら、何だと!団十郎が『一発屋』だって。おめぇ、宮城さぁ来たら、おらほさぁ来て、顔貸せ」
「あなた、今、ここ神奈川だよ」
多分、この番組で「ああ宮城県」歌ったんでねぇかな。
朝日が昇る真っ赤な空に
一人の男が夢を描いた
たった一つの小さな夢が
やがていつか大きく育つ
世界は一つ やってやれないことはない
世界を制覇するまでは どんな敵がいようと
嵐の中に立って 受けてたつのさ
この俺は 世界の王者 ジャイアント馬場
懐かしいすぺ!「戦えジャイアント馬場」だっちゃ
「今度、スポーツセンターさぁ、馬場くんだとぉ」と団十郎さん。
その次のジャンリクのリスナーからの葉書には
「だれ、俺のそばさぁ、団十郎いるんだおん。ビックリしたっちゃ。馬場出てくんとや、一番でけぇ声だしてんだおんなや」などなど。
ジャンリクは、時たまプロレスの話題になるのでした。
誰にもさわらせたくない
見せたくもない
僕の一番大事なキューピーちゃん
「黙っていれば友達はできない・・・コッキーポップ。大石悟郎です」
ヤマハポピュラーソングコンテストに東北地区代表に、団十郎が選ばれたときは、本当に応援いたしました。確か、優勝は、中島みゆき「時代」のときだったと思うのですが。(記憶違いだったらご容赦下さい)NSPも一緒にいたような気がします。
小さいときに父ちゃんが死んだから
か弱い母ちゃんはにごよん仕事
学校行く度にみんなに馬鹿にされ
俺の心もいつしかグレた
なんで俺だけ貧乏なんだ
きれいな服着た奴が憎い
AMO 団十郎最終回は、菅原文太さんとの対談でした。その模様です
「監督、『トラック野郎』さぁ、やろっこ出てったっちゃ。あれあいづが、ものすごく気にさぁなってっしゃ。あれ、あのやろっこ、どうやって選んだのっしゃ?」
「オーディションしたときに、面接して『お父さんは、何しているの?』と聞いたら、うつむいてね。『お父さん・・死んだ』って言ってきたんだよね。その瞬間ねぇ、もう採用と。。。だから、俺も演技はあんまし教えてないんだ。あの子の目はあれ演技じゃないんだ」
スタジオ。シーーン。
「監督、お願ぇあるんだけんどっしゃ。俺ばぁ、『トラック野郎』さぁ出してけねぇすかや。一度でいいからっしゃ、文太さんと一緒の映画さぁ出てみてぇっちゃ」
「トラック野郎。『宮城県』」は団十郎さんだった。映画の冒頭、「ああ宮城県」を歌いながらハンドルを切っている団十郎さんが映っています。
ところが、いつの間にか
「『宮城県』事故で死んだ」となりまして。「どうせ送り出すんだったら皆で騒いであの世に行ってもらおう」と文太さんの一言でドンチャン騒ぎの通夜。こんなシーンがあります。
その文太さんですが、「仙台一高OB」であることは知られておりますが、この番組に中で築館高校一派から「おらほの先輩だど」との葉書が届きました。で、その真実、「どちらにも在席していた」でした。途中の転校。ですから、卒業は一高です。
高校総体や中体連の会場にぶらりと現れ、それを、番組に中で紹介していたり。「おめぇ、おらほのラジオ番組。本当におもせぇど」
団十郎さん後「麻世れいら」さんがDJを努めました。結構、面白い人でした。サテスタに公開録音に行きました。確か数年位前にお亡くなりになられました。
これまで、みなみらんぼうさん。大友康平さん他DJをやられましたが、僕の中では、ジャンリクDJは団十郎さんです。
「東京だよ団十郎」土曜10時。東京の様子などをよく紹介してくれてました。
早いもんだねもうすぐ5月
屋根の上にはこいのぼり
東小金井
そこにおいらは住んでいる
仙台へ帰る新幹線、そして塩釜までの仙石線。窓から景色を眺めている酔漢です
昔の川はドブになり
緑の山はニュータウン
ああ変わり果てたよ宮城県
ダンダンズビズビズバダ
負けるな宮城県
ダンダンズビズビズバダ
がんばれ宮城県
宮城県バンザーイ!
あんな番組、作れないんだろうな。
もし、今ジャンリクが復活するならDJは「かなりやぶんこう」さんでしょ。(学院大学落研OB諸氏。そうですよね!)したらば、本当に全国区だっちゃ。
お詫び、当時の東北放送ジャンリクのディレクターは「東」さんではなく「にいづま」さんでした。過去に遡って、訂正いたします。申し訳ございませんでした。
(2008年3月5日 22時20分 現在)
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