酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

打倒立海大付属?

2007-11-30 12:09:41 | 仙台中学校の頃の話
少しだけ「下駄履きの御仁」にはお休みをしていただきます。もちろん丹治氏なくて、酔漢の中学生活を語ることなどできないわけですが。今日のお話は昭和50年五橋中学校軟式庭球部のお話です。
題名に「打倒立海大付属」としましたのは、「テニスの王子様」のパクリです。本当ならば、仙台市中学体育大会(中体連)で4連覇中の五橋軟式庭球部ですから、どちらかと言うと、立海大付属の立場なのかもしれませんが、あの部活の雰囲気はマンガ「テニスの王子様」の「青春学園」に似ているところがあったと思います。
では、お話を始めます。
当時の軟式テニスはまだ「ソフトテニス」とは呼ばれておりませんでした。ダブルスのみ。個人戦と団体戦がありました。先にも書きましたが、当時五橋テニス部は大会4連覇中です。ほとんど、先輩が団体戦で負けた記憶はありませんでした。そうそう、酔漢恐れ多くも、そのテニス部に所属していたのでした。顧問のすがわら先生が学級担任で、誘われたのがきっかけでしたが、それはそれはとんでもないところに来たというのが印象でした。結果、酔漢自身2年秋で退部しました。
当時の3年生、エースパートはやまださんおおいずみさんの組です。他にも、まつもとさんすがわらさん他、その実力は他校の生徒より抜きん出ておりました。
とくに、やまださんは成績も優秀で、運動神経バツグン。長身でストロークも正確。めがねを掛けていない手塚そのものです。
場所は、評定河原、野球場の隣のテニスコートがホームでした。僕ら、2年生の練習の球拾いをしておりました。大会まで1ケ月の事です。
「一年生。声小さい!もっと声だしていけ!」
球拾いをしながら、酔漢と隣のいとうくん(以前、野球編に登場。中新田出身)と走り回っておりました。
そこに、レギュラーベスト(五橋カラーのボルドー 今の楽天のカラー に白いラインの入ったチルデン風のベスト)を着た3年生が魯迅下宿先の脇の階段を降りてくるのが見えました。
「あっ、3年レギュラーだっちゃ」
「んだ、やまだキャプテンも来てっぺ。やまださんこの前の中間考査で10番だったとしゃ。一高余裕だべ」
コートに一瞬緊張が走ります。
「二年生、練習やめ!三年生練習開始までコート整備」
このコート整備。手を抜くと、すがわらさんのチェックが入ります。小石でも落ちていたものなら、コート4面(評定河原コート全面)10週です。(ねっ。本当にテニオジみたいでしょ)その間レギュラー陣は、柔軟体操とかしているわけです。
大会が近づくと、授業は40分に短縮。1・2年生は5時間授業。三年生は連日、テスト形式の授業に変わっております。ですから少し、遅れてくるわけです。
三年生の練習が始まりました。個々のパートナーと一緒にグランドストロークが始まりました。キャプテンやまださんは、おおいずみさんとストロークの打ち合いです。
「すげぇー。コーナー深いところばかりだべ」
「んだ、練習でもかえせねぇべ」
「したとも、おおいずみさんも平気で返してっぺ」
パコーーン。スパーーン。とボールを打つ音が響きます。決してスコとかはありません。
「やまだ、もうすこし、ドライブかけて(トップスピン)かぶせて、低いととこ狙え!ネットギリギリで、サービスエリア1メートル奥ば狙ってけ」
すがわら先生の指導が続きます。
ちなみに、やまださんおおいずみさんともラケットはニューナンバーワン、ガットは鯨筋を使っておりました。(今はもうありませんが)
「おおいずみ・やまだとすがわら・まつもと。試合形式の練習」
いよいよ始まりました。
やまださん(後衛です)のサーブです。ファーストサーブは上からというのは、常識ですが、やまださんはセカンドサーブも上から打っておりました。そのサーブも長身から、早いのと、バウンドに変化させるのと数種類打ち分けておりました。いづれも見事なコントロールです。
「このペアに勝てるのって仙台にいんのかや?」
「八軒中が強いっていってたべ。んだとも、実力はうちの方が上でねぇかや」
ぼくらは、いつかはそうなりたいと思うものの、実際、やまださんやおおいずみさんのようになれるのか、それだけ、実力のあった人達でした。

実際、大会の結果、五橋中は団体5連覇を達成し、個人戦でも、やまだ・おおいずみペアが優勝しました。8月の県大会でも、決勝で古川中学に快勝しました。
たしか、東北大会は秋田だったと思います。団体戦では負けましたが、やまだ・おおいずみペアは優勝。全国へと駒を進めます。ですが、やはり全国。熊本で行われた大会では、2回戦で惜敗しました。それにしても、全国は凄い!

次の年、五橋中は大会6連覇はなりませんでした。(こうなると、連覇の難しさがわかります。高校剣道での小牛田農林は本当にスゴイ!)

テニスの王子様をテレビで見ますと、あんな感じわかるよな。となるわけです。足りなかったのは「越前風キャラクター」だけでした。それと不二君タイプも(似たような人は他の部におりましたが)

やまだキャプテンは仙台一高で硬式テニス部へ入部。今はお医者です。やはり手塚は存在した。もっとも手塚はプロになるんだろうな。「肘大丈夫ですか?手塚殿」

冬になると日本酒が旨いですね。酔漢の酔漢たる所以ですから、日本酒は大好きです。えっつ!どうして酒の話になるかって?テニスじゃないの?まぁ話ばぁ聞いてけさいん。
そのテニス部、二年生(やまださんの次のキャプテン)のべやまさんのお酒も旨いですし。そして同窓生二人。 さうらくんのお酒は、家内と一緒にファンです。いとうくんのお酒もなつかしい味がします。
宮城を代表する造り酒屋が3人も所属しておりました。

生牡蠣をつまみながら(もちろん宮城産一年牡蠣)それぞれのお酒をいただく。冬の楽しみです。

どっから、テニスと離れたっけ。覚えておりません!?酔漢故。ご容赦を。

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2 コメント

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懐かしい (五橋軟庭部)
2008-01-07 09:45:52
山田さん大清水さんの同学年の軟庭部の方から紹介されて拝見しました。
私も五橋軟庭部で、酔漢様と同学年と思います。私は仙台出身ですが今現在は塩釜市内で仕事をしております。
これからも懐かしいネタを期待してます。
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コメント御礼 (酔漢 です)
2008-01-07 21:59:11
塩竈でお仕事ですか。塩竈を離れてかれこれ20年になります。
五橋同窓でしょうか。しかも庭球部だそうですね。
評定河原の夕日がなんとも懐かしい。
ところで、「浦霞生しぼり」もうそろそろ出回る頃ですよね。
牡蠣を摘んで一杯。
塩竈の寒さが旨さを引き出します。
寒い季節。ご自愛下さい。
もしかしたら・・・お会いする機会があるかもしれませんね。
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