古賀政男記念館に行った。
柳川から西鉄バスで15分、兼木というバス停からすぐのところにある。
ここのバス停には木製のピアノの鍵盤の椅子が置かれていた。
家具の町、木工の町のここ大川市ではバス停にユニークなベンチや
時刻表掲示板が設置されていてバス内からたくさん見ることができた。
この記念館には古賀政男さんの生家もあって
古賀政男さんの遺品も展示されてあり、
生涯に4000曲も作曲された功績がよくわかる記念館だ。
丘を越えてを藤山一郎が歌っているビデオを館内で見た。
あの曲もこの曲も古賀さんの曲だったのかと改めて知った曲もたくさんあった。
小林幸子、五木ひろし、森進一などの若い頃の写真も展示されていて歴史を感じる。
氷川きよしや大川栄作などのサインも飾ってあった。
表には五木ひろしが植樹した木もあった。
こんなにたくさんの歌を作曲した偉大な人だったのだとしみじみ思った。
当時音大出身ではなくて明大出身で作曲家という方は珍しかったそうだ。
明大に行くことは家族の中では大反対だったとか。
それを押し切って上京し、明大ではマンドリンクラブを創設し、名曲影を慕いてで
作曲家への道を築かれて行ったと書かれていた。
ここでマンドリンの屋久杉で作ったキーホルダーを買った。
この隣に筑後川昇開橋のキーホルダーもあった。
バスで佐賀駅まで戻るときに気が付いたのだが、
バスの車窓から見えた変わった橋が見えたのがこの橋だったのだ。
この橋は旧国鉄佐賀線の可動鉄橋だったそうだ。
大川市の観光情報は旅行のガイドブックにはほとんど載っていなかったが、
いいところがたくさんあると思った。
また、いつかゆっくり散策してみたいところだった。
柳川から西鉄バスで15分、兼木というバス停からすぐのところにある。
ここのバス停には木製のピアノの鍵盤の椅子が置かれていた。
家具の町、木工の町のここ大川市ではバス停にユニークなベンチや
時刻表掲示板が設置されていてバス内からたくさん見ることができた。
この記念館には古賀政男さんの生家もあって
古賀政男さんの遺品も展示されてあり、
生涯に4000曲も作曲された功績がよくわかる記念館だ。
丘を越えてを藤山一郎が歌っているビデオを館内で見た。
あの曲もこの曲も古賀さんの曲だったのかと改めて知った曲もたくさんあった。
小林幸子、五木ひろし、森進一などの若い頃の写真も展示されていて歴史を感じる。
氷川きよしや大川栄作などのサインも飾ってあった。
表には五木ひろしが植樹した木もあった。
こんなにたくさんの歌を作曲した偉大な人だったのだとしみじみ思った。
当時音大出身ではなくて明大出身で作曲家という方は珍しかったそうだ。
明大に行くことは家族の中では大反対だったとか。
それを押し切って上京し、明大ではマンドリンクラブを創設し、名曲影を慕いてで
作曲家への道を築かれて行ったと書かれていた。
ここでマンドリンの屋久杉で作ったキーホルダーを買った。
この隣に筑後川昇開橋のキーホルダーもあった。
バスで佐賀駅まで戻るときに気が付いたのだが、
バスの車窓から見えた変わった橋が見えたのがこの橋だったのだ。
この橋は旧国鉄佐賀線の可動鉄橋だったそうだ。
大川市の観光情報は旅行のガイドブックにはほとんど載っていなかったが、
いいところがたくさんあると思った。
また、いつかゆっくり散策してみたいところだった。