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JFK暗殺事件の真相――オズワルド単独犯行説の虚構を暴く 23 第二の銃弾"magic bullet"について

2018-03-24 | JFK暗殺事件について
 これまでザプルーダー・フィルムにおいてリムジン周辺の人物に現れた反応に主に注目してきた。彼らの反応と道路標識の看板に隠れる直前までのケネディ大統領の動きを、その他の証拠物件等と考え合わせ、一旦まとめてみたい。

 まず、170コマ目から188コマ目あたりまでのわずか一秒の間に起こっていたリムジンとその近辺の人物の動きは、この事件で起こった最初の発砲音またはそれに類似する音への反応だったのだと見られる。なお、居合わせた多くの人物は奇妙に一致して「銃声」ではなく「ファイアークラッカーのような音」と証言している。

 それはタイミングからしても反応した人物の位置からしても、公式説通りのオズワルドによる第一の射撃によるものとは考えがたい。その発生源は、彼女たちの視線の指向する先からすれば、教科書倉庫ビルの上層階、オズワルドが銃を構えたとされる六階の東南角とは別の窓であったと考えるのが自然である。

 しかしながら、この段階では大統領はまだ被弾していないことも確認できる。想像にとどまるが、これらの反応を引き起こした最初の発砲音ないし「ファイアークラッカーのような音」とは、ほぼ同時に起こることとなる別の場所からの発砲を偽装するためのフェイクだったのではないか。
 そう考えることではじめて、オズワルドのスナイパーズ・ネストが教科書倉庫ビルのあの位置に、あえて「設定」されたことの意味を読み取ることができるのだ。

 そして大統領の最初の被弾はそこから二秒未満の後、205コマ目から208コマ目のあたりであったことも、フィルムが記録した視覚的証拠からすればおそらく間違いない。それはアルトジェンズ写真につながるシークレットサービスの反応と合わせて考えれば、先に見たダルテックスビル二階からの射撃による背後の被弾であったことが強く推測される。

 両者が銃声への反応だったとして、やはりオズワルドのボルトアクション銃では、特に二発目が命中している以上、この射撃は絶対に不可能である。この「短すぎる射撃間隔」の問題はこのあとも同様に続く。オズワルド単独犯行説の検証には重要な点なので、以下煩雑のようだがその都度指摘を要する。

 問題のオズワルドの第二の銃弾は、大統領の背後、頚部付け根付近の射入口から、前面の喉仏の下あたりを出て貫通したとされている。後上方からの同じ弾丸がコナリー知事をも貫通したとしているのだから、たしかにこの図のような角度でなければつじつまが合わない。


※大統領の頚部の銃創の断面図 この重大事件の公式資料とは信じがたい稚拙な図だが、大統領の検視に当たった医師が説明のために描いた歴とした証拠物件(委員会証拠物件385号)である。ウォーレン報告の「やっつけ作業」ぶりを象徴しているかのようだ。第二の銃弾の「一発説」とは、こんな手作り感満載の図でもってしか表せない矛盾に満ちたものだということであろう。


 しかし、被弾した大統領の着ていたジャケットとワイシャツ(いずれも証拠物件)に残された射入口は、実際には右肩甲部のあたりの背部胴体にあり、公式説と明らかに矛盾する低すぎる位置にある。
 このこともまた長く議論になってきたポイントだが、しかしこれはもともと議論が成立するレベルの話ではない。議論するとすれば、「先入観による視覚の錯誤」という認知心理学上の問題でしかない。いかに強弁しようとも、このシャツの被弾跡は頚部の貫通銃創には結び付かないとしか言いようがない。


※銃弾の出口とされるシャツの首元の穴 貫通口はボタンの合わせ部分、ちょうどネクタイの結び目の位置に当たる。後述するとおり、この貫通口が果たして射入口だったのか射出口なのか、要するに前からなのか後ろからなのかが、事件の真相を決定するポイントとなる。前からならば、オズワルド単独犯行は否定される。



※大統領の血染めのシャツとジャケット いずれも右肩甲骨と脊椎の間の位置に銃弾の穴がある。「ネクタイ結び目付近の射出口」と対応する被弾箇所とするのは、どう見ても無理がある。

 教科書倉庫ビルのオズワルドの位置から大統領を結ぶと、下向きにおよそ20度近い角度となるとされる。弾丸が貫通して頚部付け根付近から出るためには、着弾はもっと上部、少なくとも第七脛椎のあたりでなければならない。大統領が体操のように異常な姿勢をしていたとすれば別だが、映像の大統領は正常な着座姿勢をしているだけである。

 さらに暗殺後に大統領の遺体が運び込まれたワシントンのベセスダ海軍病院において、公式説のもととなった検視結果(上掲の絵がその結果に当たる)の前に記入された医師による所見図では、実際の背部の被弾が胴体上部にあったことが描かれている。


※ベセスダでの当初の遺体の所見。ちょうど衣服の穴と同じの位置に、銃弾の穴が記録されている。


 この背後からの銃弾に関する射入口の記録は、ジャケットやシャツに残された弾痕と正確に一致している。対応する腹部側の射出口は記録されていない。
 なお、大統領が最初に運び込まれたパークランド記念病院では背部側の傷は見落とされている。懸命の蘇生措置のあと、直ちに強引に遺体が運び出されたのだから、それも当然のことであっただろう。

 注目すべきは、ベセスダでの検視に同席し死体を観察したFBI要員が、検視結果と矛盾する報告を批判的に行っていることである(いわゆる「シバートーオニール報告」)。それはベセスダでの当初の所見図と同じことを述べており、衣服に残された銃弾の跡ともきれいに一致している。また、非貫通の銃創であったことも報告されている。


※FBIによる1963年11月23日の記録(テレックス) この銃創に触れた個所は以下の通り。"One bullet hole located just below shoulders to right of spinal column and hand probing indicated trajectory at angle of forty five to sixty degrees and hole of short depth with no point of exit. No bullet located in body."「一つの銃弾孔が肩の下部、脊柱の右側に位置している。手で探索したところ45度から50度の角度の軌道を示しており、穴の深さは浅く射出口は存在しない。体内に残留した銃弾はない。」

 映画「JFK」では、海軍病院での公式の検視で、居並ぶ軍高官の圧迫により、検視官が背後のこの部位に浅い銃創を発見しながら記録しなかったことが描かれていた。以上から見れば、実際に銃創が故意に見落とされ、別の位置の射入口が捏造報告されたことは明らかだと言わざるを得ない。

 さらに、リムジン後方の車両のシークレットサービスの一人が、この映像の瞬間に大統領の肩の下部に銃弾が命中したのを目撃したと証言していることが注目される。長くなるが重要なので引用したい。

 Some support for the contention that the first shot missed is found in the statement of Secret Service Agent Glen A. Bennett, stationed in the right rear seat of the President's foliowup car, who heard a sound like a firecracker as the motorcade proceeded down Elm Street. At that moment, Agent Bennett stated At that moment, Agent Bennett stated:
 * * * I looked at the back of the President. I heard another firecracker noise and saw that shot hit the President about four inches down from the right shoulder. A second shot followed immediately and hit the right rear high of the President's head.
 Substantial weight may be given Bennett's observations. Although his formal statement was dated November 23, 1963, his notes indicate that he recorded what he saw and heard at 5:30 p.m., November 22,1963, on the airplane en route back to Washington, prior to the autopsy,when it was not yet known that the President had been hit in the back.
 「シークレットサービス要員のグレン・A・ベネットの陳述は、最初に発砲がミスであったとの説を支持している。彼は大統領の後続車の右側後部に位置していたが、車列がエルム通りを下る際に、ファイアークラッカーのような音を耳にした。その瞬間について、要員ベネットは述べている。
 『私は大統領の背中を見た。私はもう一つのファイアークラッカーのような音を聞き、そして大統領の右肩からおよそ4インチ(約10センチ)下に銃弾が命中するのを目撃した。第二の銃撃がその後すぐに続き、大統領の右頭頂後部に命中した。』
 ベネットの観察は相当に重要である。彼の陳述は公式には1963年11月23日付だが、彼のノートは、見聞を記録したのが同22日の午後5:30、ワシントンに戻る機上であったことを示している。それは大統領の背中に銃弾が命中したことがまだ知られる前、検視に先立つ時点のことである。」
(『ウォーレン委員会報告書』111頁より引用)


 これらの証拠が裏付ける背部の被弾と、ザプルーダー・フィルムから見て取ることができる大統領の最初の被弾とは、同一のものであるに違いない。そもそも、背部の銃創がたとえどの位置であれ、それがただ一つであることには変わりはないのである。
 大統領は、この映像で看板の陰に姿が隠れる直前に背後からの銃撃を受け、右肩甲骨の付近に盲貫銃創を負った。ないし百歩譲って、少なくも看板に隠れていた間のどこかで背後に被弾したことは確実である。
 以下、そのことを前提に話を進めていく。


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