セルフトークという言葉があります。これは内語とか内なるおしゃべりとかいう意味で、特別な現象でも何もなくわれわれにとってごく身近な心の営みです。現に私も皆さんも心の中でおしゃべりをしてこうしてコミュニケーションなどをしているわけで、ある意味起きている間ずっと内なるおしゃべりをしているといっても過言ではない。気づいていない時も振り返れば常にこのセルフトークがあることに気付きます。イメージ的にはコンピューターが稼働するのに常時走っている機械言語プログラミング、みたいなものでしょうか。しかし人間の場合もうちょっと事態は微妙な感じがします。そんな機械みたいにはストレートにいかない。第一コンピューターには主体も深みも内面も存在しない。言葉の動物・人間にとってこの内なるおしゃべりは本質的に必要なものでありながら、しかしそれは言葉を変えて言えば雑念であり煩悩でもあります。このセルフトークたるや、ほっておくといつまでも悪循環、気づくといかにマイナスなセルフトークを無自覚にやっていることか。これが好循環になっている人がじつにうらやましい。しかもきづいただけじゃだめだ。といって一生懸命取り替えようとしてもまただめらしい。取説をよんだだけでもまだだめである。ある意味この内語の変換、デプログラミングにこそ人生のカギがあるような気がする。で、気がするだけじゃまだ足りない。いかにみみっちいセルフトークが私のライフスタイルのベースになっていることか。そして時間だけはどんどん過ぎてゆく。
ニューエイジの本には、「止めてみる」と書いてありました。
それまで、内なる会話こそ思考であり、自分自身である、やめるなんてとんでもないとおもっていました。
内なる会話の内容を、せめて、プラスにプラスにと持っていったことがありました。これは力技でしたが、自分でもくだらないとおもうことで人生を満たしてしまうのはいやだったからです。
瞑想も、内なるおしゃべりをしなくなる方向にもってゆく訓練のようです。
三谷さんはここまでわかっておられるのだから、もう半分解決したと思いますよ。
どうもこんばんは。コメントいただきありがとうございます。
セルフトークのこと、わかっていただけてうれしいです。
たしかに「止める」ことが大切なような気がします。この課題をクリアするには、まずそこからということなのでしょうね。でもそういう瞑想とかリラックスとかがとても難しく感じます。なにかアドバイスがおありでしたらお教えください。
力技でプラスに、とのこと、本当によくわかります。そこになんだかひじょうに微妙なものがあるようで、努力するとかえって換え難いのに、何の気なしにいつの間にか変わっているということがよくあります。ここが重要なポイントのような気がするのですが、まだはっきりとつかめない感じです。
ほんとうに「訓練」が必要ですよね。半分解決とのこと、そう言っていただけてそうなったような気がしてきました。