〈私〉はどこにいるか?

私たちは宇宙にいる――それこそがほんとうの「リアル」のはずである。この世界には意味も秩序も希望もあるのだ。

大人になるっていうことは

2008-05-28 | Weblog
口で出すと恥ずかしいのであまり言えないことですが、まあブログならという感じで、最近ひじょうに思うのは、いろいろをつづめるとようするに「大人になりたい」ということです。なにを馬鹿な、と思われるかもしれませんが、そう感じてしまうもので。どうも実年齢と精神年齢は、こういう時代のせいなのかもしれませんが、ほとんどパラレルではないですね。そう見えます。
思うに私たちは戦後この方ずっと「個人の自立」「無制約な自由」を求めて「封建的な抑圧」「世間という名の束縛」をかなぐり捨てる方向でずっと一貫してここまで来たのではないでしょうか。
で、さまざまなニュース(33歳の目立たぬ男が女性を連れ込みバラバラに、とか(同年齢で気になる…))を見て多くの方が薄ら寒さとともに感じておられるように、ことがここまでいたりついて初めて私たちが失ったものが何だったのかに気付かされているのが現状だと思います。
「抑圧」とか「支配」とか「束縛」だと見えたのは事態の半分、いやほんの一部分で、それは社会の、とりわけ伝統的な日本社会で顕著だった、集団のきずな、人々の団結、心のつながり…といった、社会のいわば接着剤として本質的に不可欠なものだったのではないでしょうか。
そういういまの目からすると暑苦しいくらいに濃い「つながり」の中で、人は「責任」を背負い、自分につながる者のためになかば自らを忘れて生きてきて、いわば社会のレール(いまや若い人々に非常に嫌われているもの)にのって一生懸命走る中で「大人」になってきたのではないか…私の明治生まれの祖父母はまさにそのように生きてきたし、戦前生まれの父母もいろいろ曲折はあっても、いま思えばすくなからずそうだったように思われます。
私たちはそういうものをただのしがらみで古臭くてめんどくさいものとしてかなぐり捨てて、一見たいへん自由になったように見えます。たしかに自由は自由。しかしこれはほんとうに無内容な「ただの」自由ではないか。ばらばらの個人が好き勝手に私の人生の幸せを追求し他人のことなどおおむね知っちゃいないというこの自由、これはわたしたちの心をひどく狭く不健康なものにしているまさに当のものではないでしょうか。
そういうわけで私たちは非常に大人になりにくい時代に生きている。豊かな人間的つながり(=束縛)なしに「自分の力で」そうなることはほとんど難しい。いや、セルフトーク次第ですから強くそう思えばきっとできるのでしょう。しかし難しく感じられてしまう。

2 コメント

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Unknown ()
2008-06-06 17:51:19
とても興味深く、何回か読ませていただきました。

>ばらばらの個人が好き勝手に私の人生の幸せを追求し他人のことなどおおむね知っちゃいないというこの自由

そんなひとが多いのでしょうか?
私などは、「集団のきずな」のほうがこわいのでが。

やはり、人間関係というものは自由にならないものの一つですね。傷つくし。だから関係を淡くしていこうというわけなのでしょうか。

人間関係に濃くかかわってゆけば、「自由」はせばまることが体験されるでしょう。
相手を好きになればなる程、大事におもえばおもうほど、束縛され、責任をもつことになります。
「責任をもつ」という束縛を引き受けることがいうなれば大人なのではないか、と考えます。


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Unknown (三谷)
2008-06-09 03:46:06
陽様
お読みいただきありがとうございます。
ちょっと気分がくさくさしているときに書いたものですからあのようなものになっております。
「自由」と「絆」についての感じ方の違いがあると思うのですが、個人的な境遇もさることながら、おそらく世代的な差が大きいのではないかと思います。
で、書いたことには「なくなってしまったものが素晴らしく見える」という一種の理想化が働いているかもしれません。
しかし戦前から戦争の時期のマイナスの面をみると、その絆が表現を変えれば拘束・抑圧となり、はては人を戦争にと駆り立てたという面が濃厚にあったと思われます。とくに伝統的な日本社会はその絆重視の面が相当強く、個人意識の抑圧にいたってしまうことが多かったのではないかと考えております。
おそらくその恐怖もあって(加えて米国の占領政策が大きくかかわっていると思われます)、そういう絆はほとんど「悪」扱いされ、世代を経るとともにキレイになくなってしまった、その最初の世代が私たちなのではないかと推測しています。
で、現に昨日、ほんの10年前だったら考えられなかったような犯罪が発生しました。これもまた数日すれば次の事件の陰になって忘れられていくことでしょう。いつか調べようと思うのですが、おそらく時代時代の事件の報道を見るだけで、世の中がどのように変わってきているのかがわかるのではないかと思います。
人間関係、傷つき、淡くしていこうと…まさにそのようにやっております。好きになる・大事に思うっていうのがまず難しいような現実におります。
が、世の中を言い訳にせぬよう頑張る必要があるなと。
またよろしくお願いいたします。
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