〈私〉はどこにいるか?

私たちは宇宙にいる――それこそがほんとうの「リアル」のはずである。この世界には意味も秩序も希望もあるのだ。

sleep!!

2006-03-05 | Weblog
ああっと! 連休にかまけて、もうこんな時間だ。一刻も早く寝なければ。
…のつもりだがぜひ就寝前に更新をしておきたいと。
なんでもいいから書いておけ。
きょうもまた惰性の一日。ほんの数十頁を読むのにほとんど一日使ってしまった。
ウィルバー『科学と宗教の統合』、とても鋭く深くカッコイイ本で、しかも西洋哲学の流れがなんだかわかった上で、さらにそれを超えた気になってしまうというスゴイ書物。ああ、西洋哲学史ってそういうことだったのね、という感じ。
しかし集中して読んでいたわけでは到底ない。なんと遅い読書スピード、散漫な集中力か。そしてあれほど仕事とか論理療法とかのことを書いておきながら、それから逃避するようにこういう行動をしているわけだ。ま、戦車とか飛行機に逃避するよりははるかにマシ、という意味では生産的だったか。まずはマシなほうに逃避するという意味で小成功。
さて、ネットで最近よくひっかかる“ウィキペディア”を開きながら読んでいたので、ウィルバーの本筋と全然関係のないのを延々と見ることになった。
このネット上の百科事典というのはかなりすごいものがある。何となく名前だけ知っていた人物や概念などが一口サイズでわかる(わかった気になる)上に、それらのキーワードが相互にリンクしていて、これだけ一日見ていても見飽きないだろう。しかも日々更新していてデータ量を増やしているとの由。パソコンはいまでは百科事典の替わりにまでなるんですね。もう手放せません。
これを見るようになって、映画『イノセンス』でクールなイメージで言われていた「記憶の外部化」「外部記憶装置の検索」(他の意味深なセリフと同じくたぶんどっかからの引用)というのが、何だか身近でリアルな感じがしてきた。もちろんまだ操作性は洗練されていないし、情報の質も多くはアレだけれども。どうでもいいけど、『イノセンス』ほかの押井さんの映画、好きなんですよね。あれはちょっとニヒルな感性ですが、そこがクールでよかったりします。
さて、受験競争に象徴されてきたように、これまで社会的・知的な価値基準が「いかに知っているか」という知識集積型の知性にあったのが、こういうものの登場によって今後あまり意味をなさなくなるのではないだろうか。それはいいほうに転じれば「知識の呪縛からの解放」だ。“アタマがいい”とかいうかなりイラショナルな価値基準が押し付ける抑圧からの解放。
その替わりに基準となるのは何だろう。その厖大な外部記憶を活かして社会的に実践できる能力、ネットを“道具”として目的に即した人間関係のネットワークを拡大・維持する能力、横溢する雑多な情報を取捨選択しより正しいものを見極める視点的な能力…ううむ、どれも自分にはまだまだだなあ。
いや、まだまだということは、まだまだ可能性があるということさね。

人気blogランキングへ

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ごぶさたです (green-butterfly)
2006-03-05 10:16:37
ウィキペディアは本当に、すごいですよね。細かいことまでよく書かれているし、少し読んだだけで、知った気になりますしね。。。

さて、なんて遅い読書スピードで、集中力が散漫になっていた。。。と書かれていますが、多分、難しい本なんですね。

難しい本であればある程、理解(消化)するのに時間がかかってしまうものです。

なので、気にせず、自分が納得できるように読むのが一番だと思います。

それにしても、type1974さんはいつも難しい事をかかれていらっしゃるので、素晴らしいと思います。

それに比べ、私はだらだらブログになってます(笑)。。。
返信する
Unknown (Unknown)
2006-03-06 01:27:03
>green-butterflyさん

どうもいつもありがとうございます。かなり酩酊状態で返信いたしております! うう、こんな時間におれは何をやっているのだろう。

ウィルバーの本、じつはそれほど難しくはないんですよ。単純にわたくしの読書スピードの問題です。たしかに「コレは」と思う本はみょうに時間がかかってしまいます。

こちら、身辺雑記的なだらだらブログそのものっすよ。単身・単調なライフスタイルの。いったい書くことで何をやりたいのか。

そちらさまのブログ、たのしみに拝見しております。いろいろごくろうさまです!
返信する

コメントを投稿